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32 生命と死

 

1.魂を生命と認識の源ととらえたのは,「肉体は魂の牢獄」と考えた(1 )学派の人々である。その影響を受けたプラトンは,哲学とはこの魂が自らの故郷にあき(2 )界をめざすことであり,その意味では「哲学は死の練習である」と語っている。

 

2.(3 )は『ローマ人への手紙』の中で,「ひとりの人によって罪がこの世に入り,罪によって死が入ってきた」ように,「ひとりの死によって・・・…神との和解」が得られたのだという。前者の人は(4 )であり,後者の人は(5 )である。

 

3.バラモン教では,現世の自分の姿は前世の(6 )によって定まっており,現世の死も来世の生に結びついていると考えられていた。このような考え方を(7 )という。

 

 4.「吾未だ生を知らず,焉ぞ死を知らんや」と語る(8 )にとっては,「朝に(9 )を聞かば,夕に死すとも可なり」というように,死は生の探求のはてにあるものでしかなかったのである。

 

5.パスカルは,人間を宇宙の無限と死の虚無との間にある(10 )ととらえたが,人はこの死の虚無をみつめることの不安から(11)に逃れるのだという。

 6.ニーチェの「(12 )」という言葉は,天地の始まりも終末もなく世界は(13 )のうちにあり,人間存在を支えるものは何もなくただ〈無〉のみがあるだけなのだという,ニヒリズムの宣言にほかならなかった。

 

7.日常性に埋没して生きる人間が,自らが有限で(14 )であるという現実をみつめ,自らのうちなる(15 )に耳を傾け生に対する誠実な心を持つならば,本来的自己を取り戻すことができる,とハイデッガーはいう。このように自らの限界に目をやることの必要性を,ヤスパースは(16 )という概念によって説いている。

 

8.古代日本において,死は病気や災害と同じように罪あるいは(17)とされ、祓や禊によって浄められるものと考えられていた。そして,死者の赴く世界は(18)とよばれ,この世である葦原中国とつながっていると思われていた。

 

9.日本社会では,本来,仏になるという意味の(19 )という言葉が〈死ぬ〉ことを意味するようになり,もともとは阿弥陀仏のいる浄土に生まれかわるという意味の(20 )という言葉も,いつの頃から〈死ぬ〉ことを意味するようになった。

 

10.(21)とは,人間がどこまで生命操作に介入できるのかという医療従事者や研究者の倫理のことである。その背景には,遺伝子操作や細胞融合,あるいは体外受精などの(22 )の高度な発達がある。

 

11.現代の医療現場では,治療の目的や方法あるいは投薬やその副作用などについて十分な説明を受け,納得して治療を受けるかどうかを決める(23 )や,延命措置や死後の扱いを事前に意思表明しておく(24 )などの考え方が浸透しつつある。

 

12.先端医療技術の発達は人間の死を曖昧なものにし,(25 )との関連で脳死問題が論議されているが,人間が人間らしい死として(26 )を望むのは当然であり,回復の見込みのない患者に対して行われる(27 )も,この観点に立つものである。

   

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