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「牽制しているのか?それとも…?」
捨てバイザーを一枚、むしり取りながら,ミハエル・シューマッハーは考えあぐねていた。
彼のベネトンB194・フォードは、そうする間にも右に左にウィービングを繰り返している。
好きでそうしている訳ではない。ペースカーに頭を押さえられ、コース上で
レーシングスピードを保てない現状では、タイヤとブレーキを冷やさないため、
そうせざるを得ないのだ。
しかし、彼の前を走るアイルトン・セナは殆どその動きを見せない。
ほんの時々、それもおざなりにマシンを左右に揺するだけ。 先頭に立つ者の特権
とは言え、そんなペースで走っていて大丈夫なのか? そう問いたくなるような
走行だった。
「…トラブルを抱えているか、だ。」
“トラブルの種類が判らない以上、再スタート直後に勝負を賭けるのは危険だ‥。”
暫くは現在のポジション、2位で様子を見るのが賢明というものだろう。必要なら、
何時でもハードプッシュすることも、エコランに徹することも出来る。
それが自分の強みだと、シューマッハー自身も心得ていた。
(RACE:LAP5,@SENNA,ASCHUMACHER,BBERGER…)
カーナンバー#2を付けたウィリアムズFW16・ルノーは確かにトラブルを抱えていた。
だが、それはシューマッハーが想像した類のものではなく、ウィリアムズというチーム
そのものの体質に関わる問題だった。
「僕の思うとおりにマシンをモディファイ出来ないなんて…」
セッティングのノウハウ以外にも、マシンをより扱い易く、早くするプランは幾らでも
あった。それなのに、チーム首脳陣―とりわけパトリック・ヘッドとエイドリアン・
ニューウェイの2人―は、今年のマシンも他チームより優れていると信じ切っている。
「僕自身は、ご自慢のクルマほど信頼されていないって事か…」
ウィリアムズのナンバー2ドライバー、ディモン・ヒルは、身体に合わないモノコックと
格闘しながら、彼としては精一杯のポジション、5位をキープしていた。
追う立場、と言うより追い落とされた立場と言って差し支えないだろう。
なお悪いことに、彼等のナンバー1ドライバーは今現在ガレージの中にいる。
(RACE:LAP6,@SENNA,ASCHUMACHER,BBERGER…)
ひときわ高くなった23台のエギゾースト・ノートがそのままレース再開の合図となった。
アラン・プロストはウィリアムズのピット上、歯噛みする思いでそれを見送った。
彼のマシン、カーナンバー#1のFW16は、羽をもがれた昆虫のような姿でガレージに
横たわっている。
沸き上がる怒りは抑えようもなかった。先ず第1に、スタート直後に追突してきた
ロータスの若僧、ペドロ・ラミーに対して、次にあれだけの大クラッシュで、コース中に
破片が飛び散ったにも関わらず、赤旗中断ではなくセイフティカー導入を選んだ
サン=マリノのオーガナイザーに対して、そして何よりクラッシュの直接原因、グリッドを
離れた直後にマシンをストールさせてしまった自分自身に対して。
「開幕3戦ノーポイントは痛い…痛すぎる。」
クラッチ・トラブルは前年のFW15Cから引き継いだ悪癖である。冬の間に入念なテストを
繰り返し、万全の状態で臨んだはずなのに、肝心なところで再発した。
「シーズン開幕までは、すべてが旨くいっていたのに…」
そう、プロストにとってすべてが旨くいっていたのだ。ルノー公団、と言うよりフランス
財界とのコネクションをフルに活用し、チャンピオンを狙えるマシンを手に入れた。
そればかりか、“自分のチームメイトにセナを選ばない”オプションさえ、フランク・
ウィリアムズに呑ませたのだ。
’94年からアクティブ・サスペンションをはじめとする電子制御の殆どが禁止になる
ことなど、大した問題ではなかった。何と言っても彼は、レース途中に給油があった時代
を知る、現役唯一のドライバーなのだ。5度目の王座獲得に障害は見当たらなかった。
“ベネトンは侮れないが倒せない相手ではない。厄介なのはやはり…”
プロストの思考は唐突に中断された。 イモラの観客席の只ならぬどよめきに
気付いたのだ。
実況アナウンスが、狂ったように同じ言葉を叫び続けている。
「SENNA,OUT! SENNA,OUT!」
(RACE:LAP7,@SCHUMACHER,ABERGER,BKATAYAMA)
コースアウトからコンクリートウォールまでの1.6秒間、アイルトン・セナに出来ることは
そう多くなかった。コンマ1秒でアクセルから足を上げ、1.35秒でシフトダウン、その間
フル・ブレーキングと可能な限りステアリングを左に切り続ける事と…祈ること。
衝撃にそなえ、彼は四肢に力を込めた。
鈍い音。捻れる視界。急に何もかもが真っ暗になった…
「やはり、スローパンクチャーだったか‥。」
視界を塞いでいるものがクラッシュで折れ曲がったフロントウィングであり、右リアタイヤの
空気圧が急激に抜けたためのハーフスピンであったことを、セナははっきりと認識した。
コクピットの中で手早く神に感謝を捧げると共に、自分の性急なリクエストに応え、
MOMO社に特注の大径ステアリングをオーダーしてくれたスクーデリアにも
礼を言いたい気分だった。。
しかも、今シーズンの彼の愛馬、フェラーリ412T1は、まだその鼓動を止めてはいない。
祈るような思いでクラッチをつなぎ、傷ついたマシンをいたわりながら
セナはコースに復帰した。
(RACE:LAP8,@SCHUMACHER,AKATAYAMA,BHILL…)
“動力系統、異常なし。操縦系統、異常なし。冷却系統…”
可能な限りのスピードでピットを目指しながら、セナは412T1の現状をチェックしていた。
スローパンクチャーの兆候は、最初の周回から感じ取ってはいたのだ。
ロータスかウィリアムズの破片を踏んだのに違いないが、セイフティカー先導である事と
ここで自分がピットインしてしまえばシューマッハーは自分の好きなようにレースを
組み立ててしまう事、この2点がセナに陽動作戦を決意させたのだった。
危険な賭けであり、結果として彼はフロントウィングと右リアタイヤ、そしてラップ2周分の
時間を喪った。
しかし、レースそのものを失くしたわけではなかった。
セナは、ヘルメットに仕込まれた無線機にむかって簡潔に指示を出した。
「アイルトンだ。ウィングとタイヤ交換の準備をしてくれ。2分で戻る!」
いくつかの偶然が重なった結果とはいえ、フェラーリのエースナンバー#27を預かる
身となったからには、アイルトン・セナにはレースを諦める気など毛頭なかった。
かつて、ジル・ヴィルヌーブがそうであったように…
それが、跳ね馬のシートを快く明け渡し、今はテスト中に痛めた頸椎のリハビリに
専念しているジャン・アレジに報いることであり、CARTに転向するか、浪人の道を
選ぶか迷っていた自分を熱心に誘ってくれたゲルハルト・ベルガーに報いることでも
あるのだ。彼は義理堅い男だった。
アイルトン・セナにとっては42番目の勝利、後にフェラリスタ達が“サン=マリノの奇跡”とし
て永く語り継ぐことになる驚異の追い上げが今、始まろうとしている―
※ この物語はフィクションです…が、
FERRARIに乗ったセナの姿を、今でも時折夢に見ます‥。
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