新・武器の選択




         《Danjaq,LLC and United Artists Corporation》 製造販売:SIDESHOW TOY 撮影:あおいしんご


 「すると、これが現在の標準装備というわけかね?」
まるで、うるさ方の女房殿の品定めのようだと思いながら、ジェイムズ・ボンドは
曖昧にうなずいた。
 「まぁ、情勢は絶えず変化していますからな。」
 「ふぅん。」
初老の男は、納得したのか気に障ったのか分からないようなうなり声とともに、
ボンドの拳銃=ワルサーP99、9ミリ・オートマティックを卓子にそっと置いた。
ぞんざいに放り出すような真似はしない。ボンドは自分の銃をいじり廻されることを
とても嫌がっており、ましてや雑に扱われることには我慢ができないと、ちゃんと
心得ているのだった。


 「一個小隊なみの火力を持ち歩ける心強さは認めよう。しかし、あのお馴染みの
  ワルサーPPK、7.65ミリにとって替わるだけの価値があるとは思えないなぁ。」
 「お言葉ですがね、1974年のアン王女誘拐未遂事件以来、あの拳銃は公式には
  使用を禁じられているんですよ。肝心なときに弾が出ないようでは使いものに
  なりませんからね。」
初老の男は、いやにまっすぐボンドを見つめ、それから訊ねた。
 「君自身の経験で、ワルサーPPKから弾が出ないなんてことが一度でもあったかね?」
ボンドの眼はしばらく宙を泳いでいたが、やがてきっぱりと返答。
 「なかったですね。実戦でも、訓練でも、一度も。」
 「そうだろう?私の時代でもそうだった。実戦慣れしていない連中が、泡くって安全装置を
  外し忘れたとか、間違って弾倉止めボタンを押してしまったとか、そんなくだらないことが
  原因に違いないよ。」
そう言いながらも、初老の男の目にはどこか淋しそうな光が宿っていることを、ボンドは
見逃さなかった。
 「するとあんたは、今でもあのワルサーに愛着を持っている。そうですね?」
 「私が?とんでもない!私が唯一愛着をおぼえるのは、遙か昔にMとブースロイド少佐に
  取りあげられてしまった あのベレッタ一挺だけだよ。」
 「そう言えば、Q課の武器庫の中にベレッタが残っていますよ。ちゃんと油がひいて
  あったが、どういうわけかグリップ・パネルが付いていなかった。」
初老の男は、これにはあきらかに驚いたようだった。
 「ほほぅ!まだあの.25口径ベレッタが残っていたとはね!頑固親父だったMのことだ。
  もうとっくに溶鉱炉に放り込まれて、フライパンかなにかに化けてしまったもんだと
  思っていたんだが。」


 「いずれにしても、.25口径はもう古き良き時代の遺物ですね。イスラエルのモサドなんかが
  暗殺用に使っていたこともあったようですが、ケブラー繊維の防弾チョッキが普及した
  今ではもう、ぱちんこ玉みたいなもんです。」
 「頭を狙うんだ。」初老の男はぴしゃりと言い返した。
 「部屋の中での撃ちあいには、7.65ミリでも大袈裟なんだぜ。あんたのそれ―ボンドの
  ワルサーP99に顎をしゃくり―軍用の9ミリでやり合ってみろ、弾は相手の身体から壁から
  撃ち抜いて、隣の家にまで飛び込むことになるんだぞ。」
跳弾の危険性についてはボンドも充分承知していたが、これにはさすがにむっときた。
 「9ミリ拳銃は、現在ではもっともありふれた型式なんですよ。昔のあんたみたいに
  ベレッタの銃把を細工したりすれば、でかでかと署名するのと同じことだ。いったい
  なんだってカバーを取り除いて、テープを巻いたりしたんです?」
初老の男の顔が、見えないベレッタを探すように下を向き、ややあって話しはじめた。
 「自分なりの改良のつもりだったのさ。あのベレッタに関して言えば、銃把覆いそのものが
  薄いスチール板でできていたからね。そうそう、プラスティックなんて材質が発明される
  はるか以前の製品だって事を忘れないでくれよ!握り心地は石みたいだし、油が切れると
  錆が浮くような代物だ。覆いを取っ払って平紐を巻けば少しはましだと思ったんだが、
  署名するようなものだというのは認めるよ。あのころ私は、少しばかり自惚れていたのかも
  しれないな。」


ジェイムズ・ボンドは、目の前のこの男がだんだんと好きになりはじめていた。
タフで抜け目のなさそうな爺さんだが、どこか人を喰ったようなユーモアのセンスもある。
 「いずれにしても、そのごっつい奴は君自身の選択なんだ。私のときとは違って。」
 「ええ。このワルサーP99が気に入っているし、しばらくは使い続けるつもりですよ。」
 「それがいい。結局、拳銃なんて自分の気に入ったもの、手にしっくりくるものを
  使うのがいちばんだ。」初老の男はにっこりと微笑んだ。
 「その点については、全く異存はありませんね。」
 「やれやれ、ようやくわれわれは意見の一致をみたか。」
初老の男=J・ボンド卿は杖の助けを借りずに、椅子からゆっくりと立ち上がった。
かつて007号と呼ばれた頃の名残り、右手の甲の整形手術の痕は、浮き出た静脈瘤と
深い皺にかくれていまではすっかり目立たなくなっている。
 「これからウオッカ・マティーニを飲りに行くんだが、付き合うかね?」
 「いま、私のほうからお誘いしようとしてたんですよ。」
ボンド卿の表情が、好々爺のそれに変わった。
 「テムズの河の流れの如く、いかに月日が流れても、ウオッカだけはロシアものに限る。
  そうだろ?」
現在、英国情報局で007と呼ばれているジェイムズ・ボンドは真面目くさって答えた。
 「とんでもない!いまやウオッカはフィンランドのものがいちばんですよ。」




        ※洗練と人間くささが同居した名訳で、海外ミステリの面白さを
          教えて下さった故・井上一夫さん(翻訳家)に、この駄文を捧げます…。

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