その時、イーディス大陸はバレンタインデーで盛り上がっていた。
それは男子の胃がキリキリしてしまう、世相を反映してか見事に勝ち組負け組がくっきりと分かれる、サバイバルイベントである。
渡されなかった者は生殺し、まさに人生崖っぷちでヘローな感じになる。
母親からしか貰えなかったというのは、それはそれで男としてどうかという話になる。
そんな阿鼻叫喚な人生ゲームの前日、地下世界、地上世界同様に天空世界も各自、戦々恐々としていた。
本来、彼等にはバレンタインという習慣はなかった。
ところが、例によって地下世界のアレな輩共が入れ知恵して、ブームとなったのである。
女性陣は意気盛んチョコレート作りに励み、男性陣は『好きな食べ物胃薬』状態になりながら、己の運命と対峙していた。
そんな中、本年三度目の反乱を起こして収容中のヴァルトロは一人、恐怖におののいていた。

 ─―姉さんの手料理……

少し考えただけで吐き気をもよおし、頭痛がする。
危険な香りが──デンジャラスな魅力という意味ではなく、真剣にデッド・オア・ライヴな気分で──否、デッドしかない感じで漂ってくる。
眉間にビームを発射出来そうなホクロのある色男ヴァルトロは、それを想像するだけで真っ青になった。
人伝に聞いた話では、姉ロズは本命ブラックマージへのチョコだけでなく、周囲に配る義理チョコまで量産する気満々だという。

正直、ヴァルトロは今回ばかりは姉の愛が痛かった。

苦しかった。

というよりも、真面目に死の確率に直面していた、まさにデッド・オア・ライヴな状況。
いや、前述の通りに、最早、死しか有り得ない崖っぷち。
馬鹿な愚民共はそんなロズの献身さを讃えてブラボーブラボーわめいているが、奴等は知らないのである。
それがどんなに恐ろしい事か。

 ─―愛を試されているのか!?

寒々とした収容所の壁に頭を打ち付けながら、ヴァルトロは苦悩した。
ブラックマージだけがチョコを貰い、ヴァルトロが貰えないというのは、いつもなら嫉妬に猛り狂うシチュエーションなのだが、正直、ヴァルトロも命は惜しい。
今回ばかりは生死の狭間を彷徨ってまでもロズの手料理を食べるブラックマージに敬意を表していた。
あの、ロズ本人も味見して食中毒になった、食材不明の手料理の数々。
真剣に白眼剥き出しのブラックマージと共に、救急病院に運ばれた姉の姿にヴァルトロは寒気を覚えたものである。

 あの殺人料理だけは、ブラックマージだけのもので良いのだ。

ところが、よりにもよって初めてのバレンタインイベントに、姉ロズがノリノリときた。
ムゲンと戦った武将全員にもれなくプレゼントとか言っているらしい。
他の者達、何も知らないゾマ目ゾマ科ゾマフィートやラバロンなんかは呑気にブラボーブラボーほざいていて心底うざいが、もう二度と会えなくなるかと思うと少しだけセンチメンタルにもなる。
 
 ─―逃げなければ……

鉄格子を見上げながら、ヴァルトロは決心した。
今だけでも、地上世界か地下世界に亡命しておく必要がある。
それが懸命だ、というか、それしか生き延びる道はない。
ヴァルトロは科学忍法火の鳥で鉄格子を粉砕すると、自由な鳥になった。




ハニーはヴァルトロが脱獄に成功した頃、そんなヴァルトロの為にチョコレートを作っていた。
何故かチョコレートの筈だったのに、悪ノリして紫色をしているのは御愛嬌。
何せ、今時、インパクトがないと生き残れないのである。

大体、ヴァルトロはもてる(と、思っているのはハニーだけで、実際、剃刀入りメールを送られる事はあっても、ラブレターは送られない。かなり脳内変換されている)。
なので、ハニーも気合いを入れる必要があった。

合鍵を無断で作り、ヴァルトロが留置中なのを良い事に『アナタのお部屋に入るのが日課になりました』的状態で、現に今まさに裸エプロン・イン・ヴァルトロのお部屋状態で、ハニーはチョコレートを作っていた。
最後にドレミアに貰った媚薬注入で、チョコレートは出来上がる。

「ウフフ、これでヴァルトロ様は私の・も・の♪」

こうして、ハニーの本命チョコレートforヴァルトロは完成した。
紫色なのが何とも言えず食欲を減退させるのだが、そこは紫芋チョコレートとか適当に理由を付けて切り抜けようと、ハニーは思っている。
とにかく、食べさせてしまえばこちらのものなのだ。
ドレミアが奇跡の一発逆転を狙って作った媚薬でヴァルトロはイチコロ、頭が痺れて吊り橋の上でドキドキしているような気分になり、それをハニーへのフォーリングラブと錯覚して、落ちる。
後は既成事実を作って、ハネムーンするだけだ。
その刹那、乱雑にヴァルトロハウスの扉が蹴破られる。
ビックリ仰天して、腰を抜かせたハニーの前に現れたのは如何にももてなさそうなのだけれども、実は遠距離恋愛中グローゼンであった。
彼はハニーの裸エプロン姿になど脇目も触れずに、ヴァルトロ邸の家捜しをする。

「あ、あのぅ……」

折角、女が色気で勝負をしているのに、相手にすらされないのに立腹しつつ、ハニーは尋ねる。

「何事です〜?」
「ヴァルトロがまた逃げたのだ! 貴様、何か知っているのか!?」
「えぇ!?」

ハニーは予想外の展開に正直、戸惑いを隠せなかった。
バレンタインの当日は、ヴァルトロはまだ拘留中の筈だったから確実にゲッチュ出来るという計算が、根底から崩れ去る。
そもそも、あのヴァルトロが大人しく捕まったままでいると思っていた時点で計算が甘かったと、ハニーは後悔した。

「そんなぁ……、チョコレート渡せないじゃないですか!」
「何なら、俺が貰うゾマ」

そこへ語尾にいちいち『ゾマ』を付けるのが、ハニーとしては最近になってやっとウザいなと思え始めたゾマフィートが例によって現れる。
黙っていてくれれば斜に構えたそこそこ美形(へたれ)なのだが、喋るとまんまのへたれになるので、お里が知れるので、出来れば喋らない方が良いであろう男だ。

有り難いのか迷惑なのか、彼はハニーの裸エプロン姿にしっかりと発情してくれていた。
でも、ハニーにしてみれば所詮、ゾマフィートは『ボーイフレンドには良いけど、本気になっちゃ駄目よ』レベルの男である。
軽くウインクしてから、ハニーは試作品の義理チョコをゾマフィートに渡す。

「はい、ゾマホンさん。義理だ・け・ど」
「いや、俺の名前ゾマフィート……、って、わざとゾマね。おまけにわざわざ義理なんて言わなくても……、でも嬉しいゾマ」

ゾマフィートは満更でもないといった感じで、怪しい紫色のチョコレートを受け取った。
それから、そのチョコの色合いに対してさして疑念も抱かずに、浅薄なゾマ目ゾマ科学名ゾマフィートはチョコを口に放った。
『何が出るかな? 何が出るかな♪』と唱えながら、ハニーはゾマフィートの経過を注視する。

やがて、ゾマフィートの頬がピンク色に染まり、視線がグローゼンに向けられた。

「グ、グローゼン様……」

発した声が上ずっていた。

それだけでその後の展開が、ハニーには何となく読めた。

そして、実際、そうなった。

「グローゼン様、俺、前々からアナタの事が好きだったゾマァ!!」

まるでル○ン三世のように空中で服を脱ぎ捨て、デフォルメの二等身ブラックマージが縫い付けられたトランクス一丁になると『若さって何だぁ!? 躊躇わない事さ!!』と歌い出しそうな勢いで、ゾマフィートはグローゼンに吶喊した。
突然の、しかも予想外の方面からの急襲に、さしものグローゼンも面食らう。

「おのれゾマフィート、血迷ったかぁ!?」

反撃しようにも、まるでコアラのようにゾマフィートが密着している所為で、グローゼンは手足の自由が利かなかった。
それを良い事に、ゾマフィートの淡い唇がニュ〜、っと、グローゼン目掛けて一直線に伸びる。

「グ、グローゼンたん、ハァハァ……」
「ヒィ!?」
「(あ〜……、義理チョコにしといて良かった……)」

ハニーはその光景を眺めながら、ホッとした。
どうやら、ドレミアの媚薬は未完成であるらしい。
まるで卵から孵ったヒナ鳥にすり込みするかのような要領で、最初に目があった相手に対してドッキンバクバクアニマルと化すとか、ドレミアが言っていたのをハニーは思い出す。
とりあえず、面倒なのでそのまま放置プレイをさせておこうと、ハニーはしゅたっと敬礼風の手振りをして、言う。
 
「お幸せに♪」
「ハ、ハニィィィィィィィィィィィィィィィ!! 貴様の仕業か、ギャァ!?」
「アザンの贅肉とは違った、グローゼン様の引き締まったバディにモォンモォン……」

ラヴラヴな二人を残し、ハニーはヴァルトロのおうちを後にしようとした。
が、玄関先にいた真っ青な顔の少女に気付き、ふと足を止める。

何処かで見たような顔の、緑色の髪をしたあどけなさの残る少女だ。
その顔を確認した時、ただでさえ真っ青だったグローゼンの顔が更に美白されて、青通りこして白くなる。

「マ、マーミラ……」

少女はグローゼンの遠距離恋愛の相手であった。
そう、地上世界の腹ヘリコプターズと一緒に徒党を組んでやってきた少女だと、ハニーも思い出す。

「知らなかったです……、グローゼン様にそっちの気があるなんて……」

ポロリ、と少女─―マーミラが抱えていた小包が地面に落ちる。
恐らくグローゼンの為に作ったチョコレートであろう。
物凄いバットタイミングである。
魔術師の墓で怪しい儀式繰り返して静かに待っていれば良いものを、たまにやる気を出してアクティヴに活動した結果がこれでは、いたたまれない。
尤も、事態はここまで修羅場にしたのはハニーの仕業だが。

当の本人は悪びれもせずに、マーミラの両肩を叩くと言ってやる。

「駄目ですよマーミラちゃん。彼のそういうところも受け入れてあげないと♪」
「うぉい!? 誰の仕業だと……」
「グローゼン様は俺のものゾマァ!! 小娘はとっとと失せるゾマァ!!」
「黙れ! ち、違う、断じて違うぞマーミラ!! 私はノーマルだ、なぁアルトリオス!!」

冷たい眼差しを向けるマーミラ、コアラ状態からカンガルー状態に移行中のゾマフィート、完全に事態を楽しんでいるハニー……、四面楚歌に近い状況で窮地に陥ったグローゼンは、これといって何もせず、ずっと呆然と事態を静観していた部下二号に助けを求めた。
元々影は薄かったが、ムゲン打倒後、それが尚一層の薄さを発揮し始めたキャラの掴みづらい魔界軍武将アルトリオスは、しばし黙考した後、開口一番、言った。

「俺の方が愛されてるッ!!」

 場が文字通り凍り付いた。
 コールドが吹き荒れた。
 氷点下にまで冷え込んだ。
 グローゼンはマーミラの突き刺すような視線を一身に浴びる羽目になる。

「……アルトリオス?」
「グローゼン様、私だけだって言ってたのに、言ってたのに! そんな餓鬼と小娘にまで手を出していただなんて!?」
「……アルトリオス?」
「グローゼン様の馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

アルトリオスは泣きながら、ヴァルトロ邸を飛び出していった。
ハニーは見ていた。
その涙が、ついさっきギンギラギンにさりげなくかけた目薬(200G命中率+30%)によるものだと。

ハニーは見ていた。

泣いている癖に、口元には口裂け女顔負けに歪んだ笑みが浮かんでいたのを。

キャラが掴みづらいアルトリオスの人間性が、それだけでどことなく浮き彫りになった。

ハニーは確信する。
奴はゾマ目ゾマ科ゾマホン以上に、こちら側の人間だと。
これだけやれば、もう充分だった。
ハニーが起こした火に、アルトリオスは見事に油を注いで風を送ってくれた。
 
 前略、お袋様。
 グローゼンさんは、もう、どう弁明したところで無駄な訳で。

マーミラはニッコリと笑った。
笑って、必殺技のメイフィンノールをぶっ放した。
グローゼンと、半ばまで片足を突っ込み無性にそのズボンの中に潜りたがっている感じの有袋動物希望のゾマフィートが漆黒の闇に呑み込まれていくのを見送ってから、ハニーはヴァルトロ探しの旅に出た。
こうして、始まりすら歌えずに、グローゼンの春は夏も秋も通り越して冬となった……