魔導世紀1030年5月 ゴルデン南端ベクトリア
エキゾチックに生い茂る草木の中に、まるで古代遺跡のように城があった。
シンバ帝国が異民族(カエル)侵入防止の為に建設した要塞――といっても、規模は標準的な帝国要塞のそれよりも小さいが――それの上で一人の男が雄叫びを上げた。
「眼下ば広がる湿地、そこン群がる敵! まさに絶景じゃのう!!」
帝国の主要民族であるコリアス人とは明らかに異なった褐色の肌にダークブルーの髪、そして男の性質を象徴する赤ハチマキに筋肉質な身体。
おまけに、奇っ怪なペトゥン訛りまで付いてくる、アクの強さ。
そんなシンバ帝国ベクトリア駐在武将グラーツ(通称“ベクトリアの暴れん坊”)は、帝国総司令官アフランから発せられた宣戦布告令に血肉湧き踊っていた。
「戦じゃ、戦支度じゃ!! 儂は短気じゃけんのう、興奮して昨日は眠れんかったわい!!」
「楽しそうなところ、非常に恐縮ですが……」
興奮してバーサーカーモード一歩手前のグラーツに水を差すように、クールな女魔術師が声を掛ける。
その声を聞いただけで、グラーツはテンションダウンした。
「何じゃ、サーシャ……」
エメラルドグリーンの髪にルビーのように煌めく赤い眼、なかなかに端正な美形ではあるが、笑みは少しも漏らさないサーシャは、鉄面皮なまま続ける。
「我々が何故、ここに駐留しているか答えられますか?」
「そげんこつ簡単じゃ!!」
グラーツは自信満々に断言する。
「カエル共を徹底的に痛め付けてやるけんのう!!」
「違います」
有無を言わさずにサーシャはグラーツに稲妻を落とした。
グラーツはこんがりと、良い具合に焼けて、ただれた。
「我々の任務はあくまでカエル達への牽制であって、その撃退ではありません。ゴルデンを発つ際に説明があったでしょう?」
「じゃ、じゃっど、カエル共が攻めて来たらどけんすっど?」
「我々に与えられたのはあくまで戦線を維持するのに必要最低限の戦力です。もしカエルを倒すつもりなら、いかにカエルといえど四個連隊は必要でしょう。ですが、現にここには二個連隊しかいない。お分かりですね?」
「わ、分かりもうした……」
グラーツはやたらと崩れた口調で言う。
「速攻で奇襲をしかけて、一気に殲滅するとね?」
「……」
サーシャは深く溜息を吐いてから、もう一度、稲光を光らせた。
黒コゲになったグラーツを脇に、サーシャは不平をこぼす。
「ティータめ……、私をこんな場末に配属するとは。まったく、腹立たしい……」
彼女は今回の人事に不満であった。
グラーツは気付きもしないが、ここに配属されたのは左遷のようなものである。
何せゴルデンからは大分離れた片田舎で、敵らしい敵といえば暢気なカエルだけ。
連中ときたら時々、威嚇しているつもりなのかたまに軍事演習をしたり狼煙を上げたりするが、こちらを攻め取ろうという気は全くない、例え、攻め取る気で来られても敵にはならないような種族である。
大体、実際のところは攻め取る気どころか、優雅に釣りなどをしているのが殆どである。
グラーツはそんな緊張感の欠片もないような連中に睨みをきかせる為に、わざわざベクトリア配属になったのだ。
彼のあまりに好戦的な性格や、ペトゥンの蛮族出身という経歴からすれば、それは仕方がないといえる。
しかし、
――何故、私がこんなのの見張りをしないといけないの!?
サーシャは違う。
ガレーナで正式な魔術の施しを受け、シンバ帝国軍師のティータの副官として先月までは帝国中枢で辣腕を振るっていた。
それがこの仕打ちである。
ビジネスライクでやってきた関係の中で、ティータの悪意が見え隠れする。
――自分の地位が危うくなるのは避けたいという訳か……
――身体だけで今の地位にいるような女が!!
かなり辛辣に、サーシャはティータを罵った。
当然、いかに激昂しようとも言葉には出さない。
アフランを懐柔する手腕にかけては、圧倒的にティータの方が手練れであるから、迂闊に口を滑らせる事も出来ない。
だが、いつかはティータを抹殺して、軍師の地位を手に入れようとサーシャは思っている。
それが如何に困難かは知りつつも。
一つ、溜息を吐いてから、サーシャは半ば諦め調でビジネスへと戻った。
「まあ、とにかく。グラーツさん、我等は当面、ここで待機任務ですよ。分かりましたね?」
「お、おう……」
感電して麻痺した手をピクピクさせながらも、グラーツは呻き声を上げた。
サーシャは部下達にそんな野味溢れるグラーツの監視をきつく言い付けてから、執務室へと戻っていった。