何とか二階にまで辿り着いた時、二人は流石に息が上がっていた。
フェイはそんな二人の顔色を覗きながら云った。
「ねぇねぇ…諦めたら、そこでゲ−ムセットだよ?」
「お前何処でその漫画読みやがった!?」
叫んだのは芙爾の方であった。
『安西先生、バスケがしたいです』とか大声で叫びたい気分になる。
「あのねーこの頃、ピクシ−の間じゃ密かなブ−ムなんだよ」
「そりゃ、結構だ…」
何故だが、妙に人間の世俗に詳しいフェイは笑顔で話し始める。
三井がよっぽど好きらしい。
もう、いい加減に呆れるのも疲れたが、あまりの馬鹿らしさと場違いさに失笑してしまう。
何だかんだ云って、少し元気が戻った。
「じゃあ、行くか…人生ゲ−ムセットになりたくねぇしな」
「ああ…こうなりゃ、意地でも生き残ってやるぜ」
芙爾と永輝は互いに励まし合った。
その時、廊下の向こう側に見慣れているが、今となっては場違いな人影が視界に映った。
芙爾も永輝もそれには流石に身構える。
フェイは、ただならぬ気配を感じたのか芙爾のポケットの中に逃げ込んだ。
「か…川上先生…!?」
「…お前等、まだいたのか」
川上はいつもの表情を崩さずに、冷徹にそう言い放った。
そして、漆黒のス−ツの懐から黒い何かを取り出す…拳銃だ。
「!?」
「…」
川上は無言のまま、銃口を芙爾の方へと向ける。
有り得ない話しではない。
別に川上がこの事件の首謀者であったとしても…もう、今の状況では何でも有り得る。
否、銃刀法違反を犯してまで教員が拳銃を持っている…まるで、この事態を予測したかのように。
間違いないではないか。
芙爾も永輝も言葉を失い立ちすくんでしまった。
耳を劈くような銃声が響いた。
そして、芙爾の目の前が真っ暗に…は、ならなかった。
『ゲギャァァァァァッ!?』
銃声の後に響いたのは、人外なる者の悲鳴、断末魔であった。
咄嗟に振り向いた芙爾の視線に、脳天を撃ち抜かれ苦しむ事もなく死んでいる悪魔が目に入る。
いつの間に…芙爾は寒気を感じた。
芙爾は視線を川上に移す。
川上は相変わらずの高圧的な姿勢を崩さずに芙爾達を見つめている。
「ど…どうして?アンタ…何者だよ?」
「さて…何から説明するとするか?」
「そ、そうだ!重文と裕一郎が喰われて…!!」
興奮気味に永輝が語りかけたが、川上は特に動じずに『そうか…』と無感情に呟いただけであった。
その態度に永輝はカチンときたが、裕一郎の件を思い出して口篭もった。
そんな永輝を興味無さそうに眺めながら、川上は煙草を吸うような手振りで口を覆ってから話し始める。
口を覆うのは、川上の独特の癖だ。
「私は“サマナ−”と呼ばれる人種だ。まあ、云っても分からないだろうがな…」
「サマナ−…?」
「悪魔召喚師…と云った方が分かりやすいか?」
そう云って、川上はいつの間に取り出したのか分からない扇子を広げる。
そこに魔方陣が浮かんだかと思うと、突然、目の前に悪魔が現れる。
芙爾と永輝は思いっきり後ずさった。
「や、やっぱりアンタが…!?」
「話しを聞かんか馬鹿者。今度の件は、私がやった事ではない…」
川上は扇子を閉じた。
すると、悪魔も姿を消した。
扇子はどういう仕組みかは分かる訳もないが、その中身が悪魔を召喚するシステムなのは疑いようがない。
「私はこんな雑な事はしない…もっと、静かにやる」
川上の冷徹な言葉に芙爾も永輝も、ついでにフェイも背筋に強烈な寒気を覚えた。
まるで他人事であるかのようにそれを語る川上に、芙爾も永輝も恐怖感を抱かざるを得なかった。
そんな教え子達の態度すらも気にせず、川上は然して態度も改めずに彼等を見回す。
「誤解するな…サマナ−は闇の職業。世間の目に触れるのは下策中の下策…という事だ。だが、それならば今回の事件は有り得ない…こんなに派手にやる愚か者は私の記憶にはない。だから、一つだけ確かな事がある…」
「な、何ッスか?」
「この首謀者は…素人かそれ同然のサマナ−だという事だ。召喚された悪魔のレベルの低さが何よりの証拠だ」
川上はそう云って、再び口を覆う仕草をする。
それがどういう意味を持った癖なのかは、芙爾には分からない。
ただ、何故だがその仕草の中に死神のようなニュアンスを、芙爾は見出してしまっている。
「ただ、不可解なのは、この異界だ。これだけの広い範囲を覆うなど、素人に出来る所業ではない…」
「え…?」
「と、なると首謀者は異界化をした者と校内に悪魔を放った者…二人は少なくともいる事になるな」
それが、どうしたというのだろうか?…芙爾達には関係のない話しだ。
川上は自分の意見を整理する意味も含めて、芙爾達に話しているようである。
川上にとっては、大切なのは生徒の無事よりも事件の真相らしい。
「さて、それはともかく…お前達はどうする?」
突然、川上は今まで無関心であった芙爾達に問い掛けてきた。
芙爾は、
「先生はどうすんだ?」
と、川上に問い返した。
川上は二階の中通路の先にある旧校舎を眺めながら云った。
「この騒ぎを起こした奴を仕留める…そうしないと、外にも出れないのでな。異界化が解けないと、一生このままだ…」
川上の言葉を聞いた芙爾達は絶望した。
外に出ても仕方がないという事である。
ならば、今までの徒労はなんだったのだろう?
急にドッと疲れが舞い降りてくる。
そんな芙爾達を視線に捉えたまま、川上は言い放った。
「死にたくなければついてくるのが懸命だ…私を信用出来るならな」
「冗談じゃねぇ!!」
今まで沈黙していた永輝が叫んだ。
そのまま、怒りに任せて本音をぶちまける。
「テメェみたいに如何わしい野郎を誰が信じるかよ!!」
正直、芙爾も同意見である。
川上はそれでも態度を崩さず、またしても口を手で覆いながら不敵に云った。
「ほぅ…そうか。なら、これでどうだ?」
川上は芙爾と永輝に小型の拳銃を渡した。
ずっしりと重みがある…モデルガンとは違う、本物の鉛、鉄の質感のようなものを二人は感じた。
「もし私が信用出来ないと思ったら…それで私の脳天を撃ち抜いてもいいぞ」
「あ、アンタ…正気か?」
「私はいつだって正気だ…さあ、どうする?」
川上は脅迫的な口調で二人に決断を迫った。
芙爾は暫く考えてから静かに頷いた。
それを見て、永輝も渋々といった感じで承諾する。
「よし、決まりだな…旧校舎の屋上に行くぞ」
「旧校舎…?」
「そこから臭気の源を感じる…間違いなく、敵はそこにいる」
そう云ってから、川上は歩き始めた。
不意に川上の顔を眺めようとでも思ったのか、今まで隠れていたフェイが、ひょっこりと芙爾のポケットの中から顔を出した。
それに気付いた川上が懐かしそうに芙爾に尋ねる。
「ピクシ−か…どうしたんだ?」
「いや、何か勝手についてきて…」
「そうか…懐かしいな」
川上は思い出すように一人悦に入った。
フェイは小首を傾げながら、川上に聞く。
「あれ…アタシ達の事知ってるのー?」
「フム…私がサマナ−になった時、最初に仲間にしたのも矢張りピクシ−だった」
「へ〜それで?ねぇねぇ、アタシのお友達は今、どうしてるのー?」
興味津々といった表情でフェイは尚も川上に聞いた。
川上は微笑を浮かべながら、フェイにこう云った。
「役に立たなくなったから、合体の材料になってもらったよ」
「!?」
驚いて、フェイは芙爾のポケットの中に引っ込んだ。
川上はそれを見て、
「恐怖という名の薬は効能が強すぎていかんな…」
とだけ呟き、振り返って何事もなかったかのように歩き始めた。
芙爾のポケットの中のフェイは…震えていた。
旧校舎は、かって福石門高校が男子校であった時の名残である。
木目調のオンボロではあるがまだまだ現役で、共学になってからというもの膨張した生徒数を補う為に、一、二年時は新校舎を使えるが、三年になったら旧校舎に押し込まれるという伝統が出来上がった。
1,5流の進学校である福石門高校としたら、三年になったら無理に学校に来なくてもいいから勉強しろやという意思表示かもしれない。
ただ、唯一の利点として食堂が格段に近くなる。
何故なら、伝統ある福石門高校学生食堂は、旧校舎と共に建てられた施設であり、当然、旧校舎に合わせて造られているからである。
そんな四階建ての旧校舎の三階を芙爾達は歩いていた。
確かに、川上が云う通り、旧校舎の上に行けば行くほど匂いがきつくなっていく。
噎せ返るような人外の者達の匂い…裕一郎と重文を殺めた忌々しい者達の匂い。
「近いな…」
四階、そして屋上への非常階段への廊下の角で、川上は急に立ち止まり呟いた。
「来る…」
川上は扇子を広げた。
そして、懐から小刀を取り出す。
その行動を見て、芙爾と永輝もやっと気付いた…悪魔の気配に。
すぐに、廊下の角から片耳の奇妙な豚が現れる。
つい逃げ腰で後ろを振り向くと、後方からも追撃してくる影があった。
何やらビ−バ−を巨大化させたような悪魔と、口から煙を噴いている犬のような悪魔だ。
つまり、完全に挟み撃ちにされた訳である。
「フン…片耳豚(カタキラウワ)にア−ヴァンク、それに禍斗(カト)か。貧弱な身の上だが、一応考えているようだな。それにしても、このサマナ−はよっぽど獣が好きらしい…ならば、私も獣で相手をしてやるとしよう」
川上は周囲を見回ながら、その猛禽類を連想させる鋭い視線を終始、悪魔達に向け続けた。
そして、矢張り口を覆いながら叫ぶ。
「出ろ、八房!!」
川上の声に呼応して、首から二つの鈴を付けた白い犬が出現する。
川上は手にしていた小刀を抜き目前の豚に斬りかかる…それと同時に、召喚された犬も後方の二匹の悪魔に飛び掛った。
「な!?」
一瞬だった。
目の前の豚は川上によって文字通り一刀両断され、後方の悪魔達は八房という犬の前にあっさりと喉元を引き千切られ息絶える。
圧倒的な勝利であった。
「フン…他愛ない。行くぞ、鹿嵐、都馬」
目の前の小石を蹴飛ばしたかのような態度で川上は先を進んだ。
八房…確か『南総里見八犬伝』で人間を孕ませた犬がそういう名前だっと思うが、それを連想させる白犬は川上に大人しくついていく。
この時になって、芙爾は初めて理解した。
いくら銃を使ったとしても川上は殺せない…と。
それを自身が一番、分かっているからこそ、彼は芙爾と永輝に平然と銃を持たせたのだ。
芙爾は何だが詐欺にあったような気分になった。