旧校舎の屋上で、その男はほくそ笑んだ。
彼の見下ろす先の校庭では、人間がまるで蟻のように逃げまわっている。
それが、彼にとっては至上の快楽であった。
だが、そこへ招かれざる客達がやって来る。

「最上!?」

見慣れた顔が彼の名前を呼ぶ。
少し動揺を覚えながらも、最上はその憎々しい男を睨み付けた。

「芙爾…テメェ、どうやってここまで来やがった!?」
「お前がやったのか!?お前が…!?」




川上は屋上の中央部分で睨み合う二人を静観していた。
永輝は唖然とそんな光景を見つめている。

「最上テメェ…何人死んだと思ってやがる!?」
「ケッ…テメェらのようなエセ・エリ−トが国を駄目にするんだよ!数が減って良かったじゃねぇか!!」

無茶苦茶な理屈を最上はほざいた。
永輝はもとより、芙爾もその発言に怒りを顕わにする。
そんな一瞬即発な二人を、川上が扇子で制した。
そして、その扇子をそのまま最上に向けて話す。

「お前がサマナ−か?だが、お前如きにこの異界は作れまい…背後に誰がいる?」
「何だテメェ…?何でそんな事が分かるんだぁ…?」

舐め回すように川上を見ながら、最上は喧嘩腰の下品な声で云った。
相手を明らかに見下した態度だ。
しかし、そんな事は意に介さないといった強硬な姿勢で川上は最上と問い詰める。

「云え…お前のようなクズに狩場を与えた外道は誰だ?」
「ク、クズだと!?テメェ、俺様を誰だと思ってやがる!?」
「誰でもいい…お前の名前など聞くに値しない。いいから云え…この学校を異界化させたのは何者だ?」
「うるせぇ!!」

短気な最上はそう怒鳴ってから、携帯電話を取り出した。
川上が怪訝そうにその動作を見張る。
すると、最上は携帯電話を使って犬のような悪魔を二匹召喚した。
それを見た川上は、興味深々な顔付きになった。

「面白い型のCOMPだな…新型か?しかし成る程、今の日本でそれほど世間を欺けるアイテムはない…お前のボスはなかなか賢いな。だが、使う者がクズでは話にならん…本当に勿体ない」
「ねめやがって…行け、ガルム!ヘルハウンド!!そいつを食い千切れ!!!」
「愚か者め…」

飛び出そうとした八房を川上は片手で押さえた。
そして、手にした小刀で二匹の悪魔の首をいとも容易く刎ねた。
しかも、ほぼ同時に…速過ぎる。

「な!?」
「実力の差も理解出来んか…その傲慢さは愚の骨頂だな」
「テ、テメェ何者だ!?」
「質問しているのは私の方だ。少し痛い目を見ないと分からんか?まぁ…答えようが答えまいが、どちらにしろ消えて貰うがな」

今、芙爾は世界で一番、川上が怖くなっている。
悪魔の数倍、今の川上は怖い。
露骨な殺気が芙爾にまでヒシヒシと伝わる。
恐らく、永輝も同じ思いであろう。

「クッ…」
「フム…お祈りの時間かね?」
「…っ!うるせぇ!!これでもくらいやがれ!!!」

最上は懐から拳銃を取り出した。
躊躇わずにそれを川上に向け、発射する。

「!?」
「無駄だ…分からない奴だな、本当に」

川上は飛んでくる弾丸を平然とかわした。
本当に速過ぎる…人間じゃない。
強化人間だって、そんなに速くはない。

「ば、化け物め!」
「私は人間だよ…一応な。さて…そろそろ、お前の終焉の時だ」
「チィッ…芙爾、テメェとの勝負はお預けだッ!!」

そう叫ぶと、最上は出鱈目に悪魔を召喚し始めた。
地面には大小様々な異形の獣。
そして、空には裕一郎を襲った半人半鳥の怪物…恐らくはハ−ピ−が無数に飛び回る。
その内の一匹に最上はしがみ付く。

「…逃げられると思うのか?」
「へッ…死ぬのは御免だぜ」

最上はそう云うと、更に悪魔を増強した。
一体、何匹召喚出来るのだろうか?
相当な数の悪魔が芙爾達を取り囲んでいる。

「あばよ!」

最上の身体が浮いた。
ハ−ピ−が彼を持ち上げたのである。

「最上!!」
「芙爾…覚えとけ。いつかテメェは絶対殺す!!」

その捨て台詞と共に、最上の身体は校舎を離れた。
川上は拳銃を最上に向けるが、一瞬、躊躇してからそれを下ろした。

「フン…」

殺す価値もないと、川上は最上に対して思った。
それよりも、ああいうクズは泳がせていた方が役に立つと判断したのである。
川上は隠れるように後ろにいる二人に云った。

「鹿嵐、都馬、出来る限り自分の身は自分で守れ…来るぞ!!」

川上の掛け声に呼応するかの如く、悪魔達は一斉に芙爾達に飛び掛った。
それを待っていたかのように、川上は落ち着いた素振りで扇子を広げる。

「八岐大蛇!!」

突然、芙爾達の視界が塞がった。
川上が巨大な八頭の大蛇を召喚したからである。
絵本で読んだ昔話の『やまたのおろち』そのままといった外見の悪魔だ。
八岐大蛇そのものなのかもしれない。

『グギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!』

今となってはそれほど真新しくもない、悪魔の悲鳴が響いた。
芙爾達の盾になるように召喚された八岐大蛇が、殆どの敵を駆逐しているようである。
それでも、何匹かがその防衛網を抜けて芙爾達に襲い掛かる。

「八房!」
『ワカッテイル!』

その事態に、川上の横で静かに喉を鳴らしていた八房が悪魔の集団に飛び掛った。
しかし、全ての悪魔を噛み殺す事は出来ない…最上が召喚した悪魔の数が多過ぎる。

「フン…小癪な」

川上は、目前に悪魔が迫っても微動だにしない。
右手に持つ小刀と左手で握る拳銃で、気持ちが良いほどに悪魔を蹴散らしていく。
だが、銃の方は暫くして弾切れになる。

「しまった…!」
「ゲ!?」

その一瞬の隙を突いて、数匹の悪魔が川上の横を抜けて芙爾と永輝に向かった。
ひょっこりと、フェイが顔を出す。

「フェイ!」
「分かってるよー」

フェイは、さっきと同様に魔法を唱えた。
空から迫るハ−ピ−達は、突如、巻き起こった旋風にバランスを崩して、各々墜落する。
そして、八房の餌食となった。
しかし、下から来る魔獣達はそれすらも突破してきた。

「上等だッ!!」

永輝はその悪魔達に対して発砲した。
銃を撃つのは始めてだが、その引き金を引く手に躊躇いはない。
殺らなければ殺られる…永輝はそれをよく理解していた。
だが、一方で芙爾は引き金を引けずに震えていた。

「!?」
『グガァッ!!』

毛むくじゃらの黒犬が、そんな芙爾に飛び掛った。
悪魔という強大な存在の力に、芙爾の身体はフェンスに叩き付けられる。

「ガハッ…!」
「芙爾!?」
「芙爾おじちゃん!?」

永輝とフェイが同時に叫んだ。
芙爾の耳には届いていない。

『オレサマ、ヤケクソ!コウナッタラ、オマエダケデモ道ヅレ!!』

そう云って、その黒犬のような悪魔は大口を開けた。
芙爾は無意識のままに銃をその悪魔の口に突っ込んだ。
閉じた悪魔の口に銃口が挟まる。
ガチッ!…と、火花の散るような音がした。

『ナ…!?』
「なぁ…悪魔も、恐怖ってのは感じるのか?」

呆気に取られた悪魔を目前に、芙爾はエアガンを撃つのと同じ要領で引き金を引いた。
緑色の血が飛び散り、その返り血が芙爾にも降り注ぐ。

「何だ…やっぱり、感じるんじゃねぇか」
「大丈夫か!?」

ホッと肩を撫で下ろした芙爾に、永輝が駆け寄った。
芙爾は不恰好な作り笑いで永輝に答える。
どうやら、芙爾が倒した悪魔が最後であったらしく、周囲には試験管…マグネタイトが散乱している。
それを、川上が黙々と回収していた。

「生き残ったよ…運が良いんやら悪いやら、もう分かんねぇッス」

自虐的に芙爾は己を嘲笑した。
不図、見上げると空の色は普通の青に戻りつつあった。

「でも、とにかく終わった…」
「残念だが…終わりじゃないぞ」

魂が抜けたような芙爾に、川上は狡猾な表情をして云った。
芙爾は生まれてからこの上ない不吉な予感を抱いた。

「な、何ッスか…?」
「勝手で悪いが…お前達には私と同じサマナ−になって貰う」

川上はサラッと言い放った。
この日を境に、福石・唐間・契坂の三市はその様相を変え、歪み始める。
そして、芙爾の運命の歯車…それを、『宿命』と考えるか『使命』と考えるかは本人次第だが…も、静かに回り始めていた。