芙爾達が屋上に着いた頃、裕一郎は一人奮戦していた。
辺りには撲殺されたハ−ピ−の死体で山が出来上がっている。
裕一郎も頭から爪先まで血塗れだったが、左肩口の傷以外はその殆どが相手の返り血である。

『ヒ…き、貴様!本当に人間か!?』
「そうだと思うけど…そうじゃないかもしんない」

そう云いながら、裕一郎は右手で己の首筋をポンポンと叩いた。
自分自身をしっかりと保つ為の癖だ…と、個人的には解釈しているが、真実は己にも分からない。
とにかく、そうやって裕一郎は切れかけの息を整える。
それから、左手に持っている鉄パイプを握り直した。
裕一郎はサウスポ−である。

「とりあえず、お前等倒してから考えようかと思ってるけど、どうでしょう?」

裕一郎はハ−ピ−達との間合いをジリジリと詰め始めた。
何故、こうなったか?
芙爾達に見捨てられてから、裕一郎はハ−ピ−達に襲われながらも、狭い屋上を目一杯に逃げ回った。
しかし、結局、悪あがきも虚しく、すぐに追い詰められてしまった。
その時、奇跡は起こった。
あまりに裕一郎を舐めていたハ−ピ−達は、彼を追い詰めながらも攻撃を外したのだ。
それにより、屋上のフェンス…福石門高校ではそれは網状ではなく柵状で、その柵に使われている鉄柱が一本抜けたのである。
図らずして、裕一郎は手頃な武器を手にする事となった。
裕一郎は思った…これぞ神の思し召し、と。
そして、裕一郎の反撃が始まった。
運がないくせに悪運だけは強いのは、もう笑い飛ばすしかない事実だ。
ちなみに、芙爾達が聞いたのは裕一郎の最初の餌食となったハ−ピ−の悲鳴である。

「さてと…行っちゃうよ?」

裕一郎は、挑発的に右手人差し指をクルクルと回してからハ−ピ−達に飛び掛った。
その奇妙な動作にハ−ピ−達が同様し、微妙に不意打ちになる。
不審な挙動が初めて役に立つ。
最大限にチャンスを生かして、二匹のハ−ピ−の脳天を叩き割った。
最初は戸惑っていたが、迷いを断ち切り、躊躇いを殺した裕一郎には最早、ハ−ピ−達は敵ではなくなっている。

『チィ…なめないで頂戴!!』

一匹のハ−ピ−が急降下して裕一郎に襲い掛かった。
裕一郎は貧乏揺すりで有名なその長足を、相手の顔目掛けて思い切り蹴り上げた。
見事なカウンタ−になる。

『ギャ…!』
「毎度〜」

自分の足下に倒れたハ−ピ−に、裕一郎は鉄パイプを突き刺した。
もう、とっくに神経は壊れている。
故に、裕一郎の強さにも人ならざる力がある。

「フゥ…」
『ば、化け物…!』
「お互い様だーよ、そりゃ」

混乱の渦に巻き込まれているハ−ピ−に対して、裕一郎は呑気な声でそう云った。
その声は、余裕と自身に満ち溢れている。

「あれ…どしたの?オゥ…来ないのかよ?」
『ちょ…ちょっと、待って下さらない?』

気が付くと、ハ−ピ−は最後の一匹となっていた。
完全に弱腰になっているハ−ピ−は、云うに事欠いて裕一郎に話し掛けてきた。

『わ、私の命を奪うつもりですの?』
「イェッサ−」
『そ、そんな…酷過ぎますわ!!』
「オレを喰おうとしてたクセに〜?」

裕一郎は悪戯っぽく鉄パイプをブンブンと振り回した。
ハ−ピ−は多量の汗をかきながらも、交渉を続行する。

『何をおっしゃるのですか?人間だって、牛や豚を食べて生きていらっしゃるじゃないですか?』
「何の調理もせず、生のままで食べるのは家畜への愛情が足りん。せめて、焼いてくれよーしかも、食べる前に不味そうなどと言うのは甚だしい侮辱だ!」

裕一郎はそう云って、ハ−ピ−を睨みながらラジオ体操第一を始めた。
ハ−ピ−はそれでも粘り強く命乞いをする。

『そ、それは申し訳ありませんでしたわ…』
「分かればいいんだけど、まぁ…何か、オレも罪悪感が沸いてきたぞ?」
『そ、そうですわよ。私だって、生きる為に仕方なくやったのです…』
「フ〜ムゥ〜?」

裕一郎は薄汚れてカビが生えているという意味で灰色の脳細胞で暫し考えてた。
ここで、命乞いしている相手を殺したら自分は外道かもしれない…という結論に到る。

「ウン…そうか、ある意味、これも神の思し召し。ウシ、見逃しちゃる!」
『ほ、本当ですの!?』
「ウム…細谷 裕一郎、嘘付かない。これ、本当アルね」
『あ、有難うございますわ!』

そう云ってから、ハ−ピ−は裕一郎に背を向けた。
そして、軽く飛び立ったところで、再び裕一郎の方を振り向く。

『あの…ついでに、もう一つだけお願いがあるのですけど…』
「ム…これ以上、オレに何を望む?」
『簡単な事ですわ…』

ハ−ピ−は薄ら笑いを浮かべた。
雲行きが怪しい。

『死んで下さらない?』
「!?」

突如、飛んできた火の玉をかわし切れず、右半身が焦げた。
初めて見る魔法に、裕一郎は無防備であった。

「グッ…!?」
『オホホ…お望み通り、焼いてから頂きますわ』

信じたオレが馬鹿だった…と、裕一郎は深く後悔した。
だが、これも神の思し召しだ…と、勝手に自己満足して動揺を回避する。
目の前で起こるアクシデントの内、裕一郎は十中八、九はそれで片付けてしまう。
そういえば、いつから自分はそんなに安直に納得するようなボンクラになってしまったのだろうか?
不図、場違いな思考が裕一郎の脳裏をよぎる。
そういえば可笑しい…小学校二年の時、初めて描こうと思った絵がミルトンの『失楽園』の一場面だった。
自分はそういう無理にでも背伸びするようなガキだった…と、裕一郎は思い出す。
当時の裕一郎は、いつも心の謎に挑み、いつだって物事を敷き詰めて考えようとしていた。
何だ『神の思し召し』ってのは!?…裕一郎は、悩む。
いつ自分が考える行為を放棄したか…何か凄く悲しくて、凄く苦しくて、頭が真っ白になる事があったような気がする。
だが、そこで思考は一時停止をせざるを得なくなる。

『さあ、大人しく私に食べられなさい!』
「(このヤロ!!)」

裕一郎は飛来してきたハ−ピ−を咄嗟の判断で何とかわすが、焦げた右足が痛んだ。
次は避けられそうにない…裕一郎は覚悟を決めた。
実際、左肩の傷も決して浅くはない…出血からか、立ち眩みを覚えてきている。
足下もふらつく。
短期決戦で仕留める他、生き残る術はないと裕一郎は悟った。

『ホホホ…覚悟は宜しいかしら?』
「(ヌゥ…どうする?ど、どうなる!?)」

慌ててみたが、答えは出なかった。
その時、あるイメ−ジが浮かぶ。
世界の王 貞治の一本足打法である…何の事だがさっぱり分からない。
しかし、神の思し召しだと思いやってみる。
すると、突撃してきたハ−ピ−の飛来ラインが光って見えた。

「(長打コ−ス!?)」

何故だが、裕一郎はそう感じた。
根拠はない…しかし、勝てそうな気がする。
そう相手は硬球…ピッチャ−はビビリ君。
どこでその発想が出て来たかは全く持って不明だが。

『止めですわ!』
「(来た!)」

裕一郎は軸足の左足でバランスを取り、右足を痛みをこらえてギリギリまで引きつけた。
タイミングは絶妙…球はど真ん中…鉄パイプが光る。
この一球勝負、天佑は我にありと断言出来た。

『!?』
「銀河の果てまで飛んで行け!!」

裕一郎は鉄パイプを振り抜いた。
ハ−ピ−は鈍い音の後で、向こうフェンスまで叩き飛ばされる。
その顔の潰れ方に、自分でやっといて目をそらした。

「…痛いな…それに、眠い…」

裕一郎は目眩を感じながらも携帯電話を取り出した。
そして、とりあえず一番信用出来る番号にかける。
姐御こと、夢前 夏実の番号だ。

『…裕一郎?』

数時間会ってないだけなのに、懐かしくて涙が出てしまいそうな声が耳に届く。
裕一郎は薄れゆく意識の中で簡潔に云う。

「姐御…屋上にいるんで、迎えに来て下さい…」

それだけ云ってから、裕一郎は仰向けに倒れた。
消えゆく意識の中で見る空は、いつもの変わらぬ青であった。
その青さを目蓋に焼き付けてから、裕一郎は幸せな顔で気を失った。