「何で…?」
川上の言葉に芙爾は沈黙してしまった。
それが真実だと認めたくないという願望が強く作用する。
「何で、俺がサマナ−になんなきゃ…」
「死にたいのなら強制はしない…」
川上は冷淡な口調で云った。
一見、無責任な発言に思えるが、意味的には強い強制力を持った言葉だ。
「理由は?」
いつもとは違う冷静な口調で、永輝が川上に尋ねた。
川上は永輝を上目遣いで見ながら話し始める。
「そうでもしないと、お前達の命の保証が出来んのでな…」
「どういう事だよ?」
「あのサマナ−…最上とかいったか?奴は恐らくお前達をまた狙うだろう…その時、お前達はどうやって自分を守る?」
川上は中背で、永輝とは頭半分くらいの身長差がある。
だが、その迫力は永輝を圧倒している。
「それに、悪魔を知ってしまったのならば、そうそう普通の生活には戻れまい?」
「なるほどね。だが、一つ腑に落ちねぇ…芙爾、テメェあの野郎を知ってんのか?」
勝手に納得してから、永輝は芙爾を睨み付けた。
芙爾を責めるような顔付きだ。
八つ当たりでしかないが、そうでもしないと気が済まないといった感じである。
「ちょ…俺はまだ、納得もしてないぞ…!」
「愚鈍な奴め…悪魔を、自分が知らなかった世界を知って、元に戻れるとでも思ったのか?」
「み、見たくて見たんじゃねぇ!!」
芙爾は憤怒のあまりに叫んだ。
自分が自分でなくなってしまったような感触を、芙爾は覚えていた。
引き金を引いてしまった瞬間から。
それでも、納得したくなかった。
この覆せぬ現実、有り得なかった現実、存在してはいけないハズの現実を。
「なら、勝手に死ね…」
「う…」
「死にたくないなら、サマナ−になれ。毒を制するのもまた、毒なのだから…」
川上は脅迫するかのように芙爾を問い詰めた。
その威圧感に、芙爾は言葉を失う。
「さあ…二人共どうする?答えは敏速に、そして明瞭にな」
「俺はやるぜ…じゃないと、やられるからな」
意気揚々と永輝が云った。
どうすれば、そんなにすぐに割り切れるのか、芙爾には分からない。
だが、永輝はいつだって判断力には優れている。
裕一郎を見捨てた時だって躊躇わなかった。
それが最善の策という自信が、永輝にはあったのだろう。
永輝はいつだって自分を疑わず、見捨てない。
「芙爾…いつまで悩んでいる?答えは二つだけだぞ?『はい』か『いいえ』…躊躇うな」
「お…俺は…!」
「躊躇いは恐怖を呼び、死を招き入れる…躊躇うな」
心の中にまで響き渡る声…川上の言葉は重く、深く芙爾の心にのしかかり、それを圧迫する。
そう、避けられない運命というものはいつだって頭上で待ち構え、その瞬間を待ちわびているのだ。
言葉など要らない。
芙爾はゆっくりと…今までの自分を振るい落とすかのような仕草で、肯定を意味する縦に首を振った。
「言葉で表せ」
「…やります」
芙爾は小声で云った。
それを見計らってから、永輝がさっきの質問をぶり返す。
「芙爾…テメェ、あのモガミとかいう糞とどういう関係だ」
「それは…中学の時の…」
「中学の時の何だよ?」
攻め立てるような口調で、永輝は芙爾を追い詰める。
そうする事で、自身の後ろめたさを少しでも拭い去りたいのかもしれない。
傷を広げるだけだというのに。
芙爾は悩んだ…しかし、叩きつけられた現実は彼に言い逃れを許さなかった。
仕方がないので、芙爾は全てを話す事にした。
自分を苦しめてきた過去の事を…
「…」
話を聞き終えてから、永輝は暫く考え事をしているかのように沈黙していた。
それから、何らかの結論に至ったらしい永輝は芙爾に詰め寄る。
芙爾はその永輝の形相に寒気を抱いた。
「じゃあ、何だ?学校がこんな事になったのは半分はテメェの所為か…?」
「そ…」
反論は出来なかった。
立ち竦む芙爾の頬に、永輝の拳がめりこんだからである。
「!?」
「テメェの所為じゃねぇかよ!!」
永輝は吼えた。
怒りからというよりも、向ける方向が定まらない憤りからの叫びであった。
故に、その拳も行き場のない憤りを全てぶつけるかのような悲しいストレ−トであった。
芙爾の身体が一瞬、地面を離れた。
永輝は本気で芙爾を殴っていた。
芙爾は何が起きたのか理解し難かった。
そして、理解してから行き場のない悲しさを感じる。
一方、永輝の方も自分の拳をまるで異質な何かのように見つめていた。
川上は興味がなさそうにそれを静観している。
「…チキショウ」
殴ってしまってから何かを後悔したかのような台詞を吐き捨てて、永輝は茫然自失の芙爾と川上に背を向ける。
それから、何かに押されるかのような足取りで階下への階段へと足を運ばせた。
そんな永輝を、川上が扇子で制した。
「唐間高校にでも殴り込むつもりか?」
「アンタには関係ねぇよ…」
持ち前の長身から発生する威圧感をフルに発揮して、永輝は川上を睨んだ。
更には、川上を押し退けてでも先に進もうとする。
川上は特に永輝を止めようとはしなかった…が、彼の背中に向けて冷淡に言い放った。
「今度は唐間校の生徒を巻き込んで最上との戦いか?そして、お前はただの無駄死にか?」
「テメェ…!悪いがそこまで俺だって馬鹿じゃねぇよ!!」
「じゃあ、止まれ」
川上は再度、いつもの冷淡な口調で云った。
だが、永輝が止まる気配はなかった。
「あのモガミとかいう野郎を殺せるなら、俺はサマナ−でも何にでもなってやる」
屋上の扉に手をかけながら永輝は呟くように云う。
その声には、激しい憎悪が含まれている。
本気で最上を殺そうと思っているのだろう。
そう…最上が重文や裕一郎をそうしたように。
「ただ、芙爾…テメェと組むのは金輪際、ごめんだ。俺は俺だけでやる…」
「それはお前の勝手だが…一つだけ守れ。私の事は他言するな。何か聞かれたら『悪魔から逃げ回っていた』…ただ、そう云えばいい。守れなかった時の命の保証はないぞ?」
永輝に対して川上は芙爾と永輝の関係を考慮せず、無感情に、だがどこか脅迫的なニュアンスを含んだ音程で二人に云った。
二人は竦み上がった。
川上が垣間見せた冷酷な表情が二人の心を圧迫したのである。
「分かったな?」
永輝は無言で首を縦振りした。
声は川上の重圧に封じられている。
それでも、永輝は階段へと姿を消した。
後には、芙爾と川上、そして、彼等を興味津々に眺めるフェイと彼等と同居している空虚な感じだけが残る。
「お前も早く行け…遅れると怪しまれる。詳しい話は明日としよう…後で電話をかける」
それだけ云うと、川上もまた、屋上を去った。
そして、涙目の芙爾だけがそこに残る。
「ねぇねぇ…何で喧嘩してたのー?」
状況を呑み込めていないフェイだけが一人、明るい声で芙爾に尋ねた。
芙爾は乱雑に頭を掻いた。
何故、こうなったのか?
果たして、それは自分の所為なのか?
これが自分の性なのか?
それが、自分の人生なのか?
答えは…見付かる訳もない。
途方にくれてから芙爾は、屋上を下った。
フェイはそんな彼を不思議そうに見つめていた。