唐間市の央夢町に、その広大で嫌味な西洋風の屋敷は建っている。
名札には『伊達』という文字が刻まれている。
この豪邸の所有者は、日本屈指の資産家である伊達グル−プの元社長・伊達 白鳳である。
伊達家が唐間に居を構えたのは日本が高度成長期の真っ只中だった時の事だ。
伊達家は戦後のどさくさに紛れて財を成し、同時な多くの罪もやってのけてきた。
主に不動産業と運送業、金融業をこなし、外道なまでの財を築き上げている。
時には良心を売ってでも金を儲けて来た…否、寧ろ常にそのスロ−ガンの下で商売をして来た。
そんな貪欲で虚栄家な伊達家が何故、都心の一等地や高級住宅街ではなく唐間のような片田舎を棲家にしたのかについては様々な風説があった。
しかし、それが風化した事により、この豪邸の存在は唐間市内における不自然な自然となったのである。
芙爾達が自宅で馬鹿をやっている頃、その豪邸の心臓部たる居間にて、二人の男が向き合っていた。
「…で?どこの馬鹿だね、あんな事をしたのは?」
薄暗い明かりだけを灯した荘厳な雰囲気の部屋で、二人の中で中年の方の男が口を開いた。
ビシッと決めた紺のス−ツ姿に、男の神経質な気質が浮き彫りになる。
首が締め付けられるのではないかというほどにきつく締められたネクタイが、そんな感じを益々助長する。
髪型は七三分けで、整髪剤のつやが艶やかだ。
だが、その表情の中には、多くの凡夫を背負って立つという威厳が満ち溢れている。
男は伊達グル−プの現社長・伊達 康生である。
しかし、実際のところ、会社の実権は終身名誉会長となった父親の白鳳が未だに握っている。
康生はよく、その事を愚痴る。
「只今、調査中だね。まぁ…僕の組にあんなヘマをやらかす馬鹿はいないけどね」
問われた三十代前後の男は、ヘラヘラとした態度ながらも云いたい事だけははっきりと云い切った。
軽く羽織ったコ−トの後ろに縫い付けられた『下剋上』の文字が、男の自己を強く主張している。
ショ−トともロングとも取れない多少、後退気味の前分けのストレ−トも相俟って、どこからどう見ても男は極道には見えない。
しかし、そんな男は最近、福石・唐間・契坂三市に根を下ろした新興のヤクザ『風間組』の組長・風間 願慈その人なのである。
暴力団新法の所為だろうか?
こんな珍妙なヤクザが台頭出来てしまうとは…と、康生は風間を見る度に訝しがっている。
「それにしても、派手にやったもんだなぁ…学校一つ異界化するなんてさ」
「全くだ…我等の計画に支障が出かねんぞ?」
苛立ちを抑えながら康生は云った。
組織内での地位は康生の方が上にも関わらず、そんな彼の前で胡座をかきながら耳に小指を突っ込もながら退屈そうに欠伸をかましている風間に憤慨しているのだ。
そもそも、康生は風間が大嫌いだ。
いつの頃からか、突如現れ組織に寄生したこの人間か悪魔かさえも分からない馬の骨を好む馬鹿など、組織には全くと云っていいほどいない。
しかも、風間には上司に対する気遣いも気兼ねも存在しない。
そんな変人、あるいは未確認生物の分際で大幹部の地位にまで登りつめた風間に、康生の心中は穏やかではない。
「今回の件が外部に漏れる可能性は?」
不意に風間が康生に尋ねた。
康生の心臓が跳ね上がった…が、表面的には冷静な上司の顔を繕って答える。
「東亜テレビを中心とした報道機関は堂島が抑えている…心配はない」
「堂島だから心配なんだよ…」
風間は問題の堂島 泰明を思い出す。
頭痛と目眩が更には胃液までもがこみ上げてくる。
風間とは別路線の変態だ。
「仕方がないだろう?プロデュ−サ−をしているあいつのコネを使わない手はない」
「…僕は一番、あいつが不安だ。何をしでかすやら…」
そう心配である…何故なら、この頃、組織内での指揮系統が上手く機能しなくなってきた。
その原因が大幹部である康生と風間の内面的な対立にある事は、当の本人達でさえ自覚していない。
「とにかくだ…これだけの人員と時間をつぎ込んだんだ。『はい、何も出ませんでした』…じゃ、お互い首が飛ぶぞ?」
「いや、確かに封印は出てるんだよ。だけど特殊過ぎて解除出来る奴がいない…」
「それを何とかするのが貴様の仕事だッ!!」
康生は我を忘れて、うっかり怒鳴ってしまった。
停滞しつつある計画に焦りを覚えているのだ。
そんな彼に、風間は冷ややかな視線を送る。
「まぁ…やっと解除の目途が立ちましたよ」
「本当か…?」
飄々と語る風間に、康生は半信半疑の眼差しで応えた。
風間は康生の疑念など眼中にないといった態度で話を続ける。
「扱い難い高給取りだが…能力は保証出来る奴でね」
「使える奴なら誰でもいい…平崎と天海のような失態は許されんのだ」
扱い難いのはお前だ…とでも云いたそうな険しい表情を康生はした。
風間はそれをおちょくるかのように煙草をふかす。
行き先が定まらぬ紫煙が、あてもないのに部屋の中を彷徨う。
康生の表情が更に歪んだ。
「真面目にやる気があるのか!?」
「失敗した奴等はその程度だったって訳さ。悪いが、この天才なる風間様は違うんでね」
風間は自分を完全に嘗めている…康生は、自分にとっての天災のようなこの男をどうにかしなければならないと確信した。
計画以上に、康生にとっては死活問題である。
そう…“大いなる存在”の為にも悪い芽は摘み取らねばならない。
康生は手前勝手な空論を頭に展開させた。
風間はそれを知ってか知らずか、彼の思考を崩すかのようなタイミングで言葉を切り出した。
「時間は使い過ぎたねー。もしかすると他の欲張り者や葛葉は動いてるかもしれない…」
「葛葉か…クソッ、忌々しい!」
風間が口に出した忌語を康生は反復した。
“葛葉”というのは、組織の計画を幾度となく壊滅に追い込んだ集団である。
組織にとっての天敵といっても過言ではない。
“葛葉”の連中は犬以上に臭いモノを嗅ぎ分ける鼻が優れている。
どんなに静かにやっても、いづれ奴等は計画を嗅ぎ付ける…その前に片を付けるのが二人の当初の予定であった。
それが…あまりにも狂っている。
正直な話では、風間も気が気ではない。
「市内にもっと目を光らせろ…封印の解除も急げ。物件の類は貴様に一任する…私は市内の浄化を進める」
「急いては事を仕損じる…とは言うものの、仕方がないわな。んじゃ、僕はこれで…」
最後まで康生に敬意を払わずに、風間は居間を後にした。
恨めしそうな瞳で、康生はその後姿を終始、睨み付けた。
「“夜明けの心臓”を呼び寄せろ…粛清を行う可能性があるとな」
風間の姿が消えた後、康生は近くに控えさせていた部下に云いつけた。
風間が外に出た時、あからさまな黒塗りベンツが伊達邸の門前に止められていた。
どこの馬鹿がこんな恥ずかしいモノを乗り回しているのかと思えば案の定、それは彼の部下の所有物であった。
「鬼藤か?」
「そうでっせ」
車の窓が開き、ちょんまげ髪の若い男、鬼藤 源次が顔を出した。
ヤクザというよりも、チンピラといった感じの風貌だ。
首からぶら下げたゴ−グルが珍妙である。
出鱈目なアクセントから、その関西弁がインチキなのは明白だ。
それでも、ムラのない仕事をする組員である。
その鬼藤の横、助手席には妙に時代遅れな帽子を被った男が座っている。
金田一 耕介が被っていたような帽子だ。
「古保里も一緒か?」
「へい…最上のいばチょ(居場所)を突き止めやチた…」
古保里 俊久が独特の口調で口を開いた。
別に彼はふざけている訳ではない。
先天的な異常(難聴?)で彼の耳はサ行とタ行の識別が出来ないのだ。
それさえなければ、自分の人生はもっとまともだったと、彼はよくこぼす。
古保里は自分を“バルバロイ”と称する。
古代ギリシアで異民族への侮蔑の呼称として使われた“バルバロイ(barbaroi)”…『聞き苦しい声をしゃべる者』という意味である。
世間から拒絶された自分と重ねているのだろう。
「いつでも殺れまツが?」
「フン…生きてるだけ無駄な男だ。だが、最後だ…少しぐらい遊ばせてやろう。まだ、生贄も足りないしな」
風間は煙草を取り出した。
咄嗟に鬼藤がそれに火を点ける。
「鬼藤…」
「何でっか?」
「事件屋の玖珂実に依頼をしてしまえ。地上げがスム−ズに運べる…」
「組長…伊達の野郎はどうツる気で?」
古保里が口を挟んだ。
暗がりなのでその表情は判別出来ないが、どうも自慢の顎鬚を引っ張っているようである。
風間は無情な笑みを浮かべながら云った。
「な〜に…最後にババを引くのはあいつの方だよ」
車の後部座席に乗り込む前に、風間は頭上に広が星空を見上げた。
「フフ…昔は見上げる必要もなかったなー。これはこれで綺麗だけどね」
何かを思い出し笑いしながら、風間は車内に入った。
それが何を意味するかは、本人以外に知る者などいるハズもなかった。
風間の真意は、計画とは別のところにあった。