夢を見ていた。
芙爾は夢の中で最上と笑いながら、楽しくバスケをしていた。
思えば、始まりからして悪夢だったと思う。
だが、それだけで夢は終わりではなかった。
『貰ったッ!』
芙爾はボ−ルをカットした。
そのまま、速攻でゴ−ルへと向かう。
そして、華麗ではないにしろ、半ばまぐれのようにレイアップシュ−トを決めた。
芙爾はガッツポ−ズをとった。
時間差で、ネットを揺らしたボ−ルが地面に落ちてバウンドする。
…ボ−ルは重文の生首だった。
『う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッつ!?』
そこで夢は終わった。
携帯電話の着信音で、芙爾は目を覚ました。
目をこらして確認すると、時計は朝の四時という事実を示している。
芙爾は寝ぼけ眼でメ−ルを見た…永輝からではなかった。
元中の悪友からだ。
こんな時間に起きていて、ロングメ−ルを平気でよこす奴を芙爾は一人しか知らない。
『おい、無事か?至急、返事よこせ』
芙爾はそのメ−ルに、
『まだ、無事だ。何とか生きてる』
と返信した。
すると。彼の悪友は、
『悪魔は見れたか?』
と、単刀直入に聞いてきた。
芙爾は多少、気分を害しながらも、
『その内、お前も見れるさ』
と、意味深なメ−ルを打ってやった。
ちょっと、脅しをかけた気分だ。
だが、悪友の好奇心は掻き立てられたらしく、とんでもないメ−ルを送ってきた。
『うぉー悪魔と戦いてぇ!』
『冗談じゃねぇ!!』…芙爾は無責任なメ−ルを見て、怒りがこみ上げてきた。
だから、彼ははっきりとそのメ−ルに返信してやった。
『馬鹿言ってんじゃねぇ!お前、死ぬぞ!?』
『カッカッカ…ぶぅわかめ、この俺様が悪魔如きに殺されるとでも?』
『コジコジ…人が死んでんだぞ!?』
『そのあだ名で呼ぶな!』
『ムゥ…!貴様はコジコジだ!それ以外の何とする!?』
『房尾風情が何をほざくか!?』
遣り取りの途中で会話の話題がズレた。
この悪友は、何故か自分を“房尾”と呼ぶ。
芙爾は昔から、変なあだ名を付けられやすい体質をしている。
中学では“房尾”で通っていたので、高校でもそれを定着させようとしたが、結果は“ふじっこ”とか“ボヘ”とか“フジッチ”とか新造語が増えただけであった。
本当にみんな、勝手に呼んでくれる。
しかし、久しぶりに聞く懐かしいあだ名に、芙爾の気持ちは落ち着いた。
『まぁ、お前も気を付けろよ』
『オゥ、お前もなー』
『じゃあな、コジコジ』
『コジコジ言うな!!』
最後の悪友の叫びで、メ−ルの遣り取りは終わった。
芙爾は二日酔い気味の五体を引き摺るようにベットから這い上がった。
二段ベットの上では、葉子は安らかに寝ている。
その横で、フェイも寝ていた。
昨日、現実だったモノが今日も引き続き現実であるという事を、それは物語っている。
「(潰されるぞ…)」
芙爾はそう思ったが、考えてみれば葉子は寝相が良い。
寧ろ、最悪なのは芙爾の方である。
家に初めて二段ベットが置かれた日の事を、芙爾は思い出した。
物珍しさからか、芙爾はベットの二段目で寝るのを希望した。
そして、芙爾が二段目で寝たのは、それが最後になった。
次の日、芙爾は激痛と共に目を覚ました。
あまりの寝相の悪さ故に、転落して足の骨を折ったのである。
以来、芙爾がベットの二段目で寝るのは、家訓で禁止にされた。
「(あ〜そういやぁ…)」
二段ベットの思い出に、小学校の時に初めて入った林間学校の思い出が追随する。
林間学校の最初の夜、芙爾はドラえ○んの真似をして押入れ睡眠にトライしてみた。
男はいつだって懲りた試しがない。
翌日、例によって芙爾は襖を蹴破っていた。
先生にこっぴどく怒られたのを、芙爾はヒシヒシと覚えている。
「ムゥ…」
自分で思い出したクセに恥ずかしくなって、芙爾は洗面所へと向かい顔を洗った。
川上との約束がある以上、二度寝は不可能だ。
芙爾は余計な眠気を取り除く為に、午前四時の朝風呂へと向かった。
何の変哲もない朝の風景が繰り広げられ、七時十分には両親が、十時には心配しながらも葉子が、それぞれに家を出た。
約束の十二時までに、まだ少し余裕があったので家の中を徘徊する…退屈だ。
芙爾は携帯を見るが、着信もない。
もう一時間もないのに、暇でしようがない。
「なーにし〜てるのー?」
目を擦りながら、フェイが尋ねてきた。
いつの間にか、服装が昨日と変わっている。
どこに着替えを隠していたのかはさっぱりだ。
でも、そのセンスは矢張り人間の流行とはどこかズレていた。
しかし、芙爾の方も流行外れの服装である。
下半身は作業着で、上着には真っ赤なスポ−ツウェア…下のシャツは灰色で、カエルがプリントされている。
カエル柄は葉子の趣味であり、よりによって特製のシャツなのである。
町中で会ったら、遠ざけたくなる格好だろう。
とても若者の服装ではない。
外見に対する芙爾の無頓着さがよく表れている。
「今頃、起きたのか?」
「ウン」
「ハァ…悪魔は気楽でいいね」
芙爾は呆れた顔でフェイに云った。
その時、机の中に置いてある緑色の試験管、マグネタイトの事を芙爾は思い出した。
「そういえば…」
芙爾は何気なくフェイに質問する。
「お前…マグネタイトはどうした?」
「飲んだよ〜」
フェイは変わらずの気楽な声で答える。
芙爾はその時になって初めて、マグネタイトが飲むモノだと知った。
飲めるのか…流石は悪魔だと、芙爾は適当に納得した。
「あれから大分経つけど、大丈夫なん?」
「あのね〜別に、マグネタイトが主食な訳じゃないから大丈夫♪」
フェイはそう云いながら、テ−ブルの上のミカンに手を付けた。
悪戦苦闘しながらもそれををむき始める。
「あのね〜悪魔によって、食べるモノは違うんだけどねー…適当に食べてれば、アタシ達とかは実体を保てるんだよ?」
「人間も喰うのか?」
やっと、みかんをむいて、その一割れを口に入れようと必死になっているフェイに、芙爾は嫌味っぽく云った。
フェイは口の中でみかんを転がしながら、それに答える。
「ウウン、アタシは果物好きだから肉は駄目ぇ〜」
「ふぅん…」
「でも、前知り合った娘が人間はおいしいって言ってたよ〜おいしいの?」
「…」
フェイがしたとんでもない質問に、芙爾は言葉を失った。
食べた事がないので、その味が分かるハズがない。
「まさか…俺を喰うつもりか?」
「ん〜冗談だよ、おじちゃん♪」
フェイは指をくわえながら、明るく笑った。
人を観察する事には長ける芙爾は、その発言に他意がない事を悟って安心する。
その刹那、チンケな呼び鈴が鳴った。
芙爾は時計を確認を確認する。
いつの間にか、針は12の数字を指していた。
芙爾は焦りながらも口についた果汁を舐めるのに夢中なフェイを放って玄関へと急いだ。
玄関のドアを開けると、温厚そうな青年がそこには立っていた。
フ−ド付きの薄手のコ−トに甚平のような和風のズボンを履いている。
髪はくせっ毛でふかふか、どことなくふんわりといった感じを抱かせる。
「初めまして神柳 茱萸と申します。鹿嵐 芙爾さん…ですよね?」
神柳 茱萸と名乗った青年は、礼儀正しく芙爾に挨拶と問い掛けをした。
柔らかな物腰が逆に、芙爾をうろたえさせる。
茱萸は顔は芙爾同様の細めだが、にも関わらず芙爾にはない温かみを感じさせる。
変に云えば、母性本能をくずくらせるような顔である(芙爾は男だが)。
とりあえず、芙爾はそんな茱萸に対して十八番であるメタメッセ−ジで応答した。
茱萸はそれを見て、微笑みながら云う。
「川上先生の使いの者として参りました。では、早速、願町の先生の下へ行きましょう」
「あ、ちょ…ちょっと待って下さい。今、準備してきます…」
芙爾はそう云ってから、ドタバタと部屋へと戻り愛用の赤バッグを手に取り、お気に入りのレッドキャップを被り、ポケットにはとりあえず携帯電話と財布とMDとフェイ(?)を突っ込んだ。
そして、突っ込んでおいてから、その途方のない違和感に気付く。
「フェイ!?」
「アタシも行くぅ〜ねぇねぇ、連れってー♪」
フェイはどうやら、何が何でも無理矢理ついてくる気であるらしい。
茱萸を待たせる訳にはいかないので、茱萸はフェイをポケットに入れたまま猛ダッシュした。
「すいません…待たせてしまって」
「いえ、構いません。私、待たされるのには慣れてますから…」
遅参を詫びた芙爾に対し、茱萸は笑顔で応える。
そんな茱萸の目の前で、息苦しくなったのかフェイがひょっこり顔を出した。
「あ…コラ!」
「ピクシ−…ですか?まだサマナ−でもないのに…?」
フェイを認識した茱萸が怪訝そうに芙爾に尋ねた。
芙爾は頭を掻きながら答える。
「いや、何だか懐かれちゃって…」
「へぇ…芙爾さんには案外、サマナ−の才能があるのかもしれませんね」
茱萸はまたしても笑顔で云った。
言葉の内容は嫌味っぽいのに、何故だがそういう感じは漂わない。
あの川上の使いの者というから、どんな悪人や変人が来るのかと身構えていただけに、芙爾は何だか拍子抜けしてしまった。
芙爾のこの茱萸という青年に好印象を持った。
「では行きましょうか。先生は時間にうるさい方ですし、怒ると怖いですから」
「はい」
茱萸に促されるままに芙爾は安全靴に履き替えた。
安全靴だが紐靴で、あまりそういった感じの労働者臭さを感じさせないカジュアルなデザインの靴だ。
一種の隠し凶器である。
帽子を深々と被り直し、自ら視界を狭めてから、隔離された家庭から広がる外界への一歩を踏み出した。