福石門高校の校庭で、校内から脱出した生徒達と教員は、一向に元に戻らない校舎を眺めていた。
何故だが、校内に出没した悪魔達は外まで追ってはこないようであった。
生活指導の飛島 敬が動揺している生徒達を落ち着かせようと苦心している。
その時、夏実は芙爾達の姿を探していた。
嫌な予感がしてくる。

「(やっぱ、あいつら屋上で…)」

胸が苦しくなった。
誰でもいいから助けて欲しいと彼女は思った。
そして、近くにいる教師に彼女は助力を申し込む事にした。

「樹下先生!!」
「オゥ、夢前〜!無事だったか!!」
「私はともかく、鹿嵐達が…」
「何!?」

出っ歯で後退気味な頭部の樹下 十之介(通称、福石の所 ジョ−ジ。まだまだ若いが、歳を取ったらきっと更に似てくるだろう)はいつものオ−バ−リアクションをとった。
夏実はその所為で不安を助長させられたが、怖気づかずに続けた。

「あいつら…いつも屋上で飯を食うから…」
「ヤバイじゃんかよ!ッチキショウ!行ってやらぁ!!」

開口一番、妙に空回り気味の熱血漢である樹下は走り出した。
が、目の前に立ち塞がった初老の男がそれを阻止する…飛島だ。

「飛島先生!?」
「馬鹿野郎…教員が生徒を動揺させてどうする!?オイ、お前等!出来るだけ校舎から離れろ!!」

そう云って、飛島は生徒達を校舎から離れさせ始めた。
しかし…と口篭もる樹下の頭を、飛島が手にしている竹刀が直撃した。

「状況が分かんねぇのか!?」

夏実は拳を握りしめた。
だが、それを振り切る事は出来なかった。
彼女にはただ、芙爾達の無事を祈る事しかする術がなかった。




校舎の中で、芙爾達三人は途方に暮れていた。
六階に着いたはいいが、五階への階段は消えていたのである。
校内は既に彼等の学校ではない。
未知の迷路と化していた。

「ハァ…ハァ…」
「な、何だよあれ…」
「し、知るか!!」

オロオロしている重文を永輝が一喝した。
かなり頭に血が昇っている。
しかし、どんなに腹を立てようと、裕一郎を見殺しにしたという事実は変えられない。
それら永遠に彼等に暗い影を落とすのだろう。

「とにかく…降りるぞ。ここよりは下の方がマシなハズだ…」
「こ、根拠は…?」
「うるせぇ!!」

永輝は、今度は芙爾を一喝する。
口答えは許さないといった態度だ。
それに重文が激昂した。

「何だテメェ!?勝手な事言ってんじゃねぇぞ!?」
「ああ!?テメェ、いつからそんなに偉くなりやがった!?」

永輝と重文は場違いな喧嘩を始めた。
芙爾はそれを止めようとせずにボンヤリと見つめていた。
芙爾は強い自責の念に駆られている。
仕方がなかったと割り切りたいが、世の中はそんなに簡単ではない。
親友を見殺しにしたという事実は変えようがないのだ…それでも、何とか出来なかったのかとひたすら自虐的に自分を攻め立てる。
一方で、永輝と重文の喧嘩はとうとう殴り合いにまで発展した。
二人共、後ろめたさを感じているのだろう。

「なあ、止めようぜ…?」

とうとう、芙爾が二人の仲裁に入った。
二人はハッと我に返り、血を拭って互いに相手に侘びる。

「とにかく下に行こうぜ…他にどうしようもないじゃないか?」
「分かったよ…」

芙爾もで云い出したので、多数決には勝てないとでも思ったのか重文も渋々、それに従った。
そして、三人はトボトボと歩き始めた。
だが、彼等が進む空間に安息はなかった。

『グルル…オレサマ、トテモトテモ、ウンイイ…』

三人の背後から、明らかに人間のそれではない人間語が聞こえてきた。
三人の中でも、芙爾は特に硬直する。
昨日、遭遇した人面犬と同じ系統の声だが、その声色は微妙に違う。
三人は身体の方向は変えず、首だけを背後に向けた。
そこには、真っ赤な異形がいた。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

三人は同時に悲鳴を上げ、同時に駆け出した。
真っ赤な異形…矢張り頭部は人間のそれだが、身体は真っ赤で四つん這い…恐ろしい姿をしている。
例えるならば、お盆の時に飾る茄子の牛に顔を付けて赤くペイントしたような感じである。
こう例えるとかわいいかもしれないが、実際のそれは醜悪な怪物だ。

『逃ゲルナ…オレサマ、ハラぺコ』

真っ赤な異形は物凄い速さで三人を追いかけてきた。
三人は異形の言葉を聞いて更に加速をする。
だが、異形は人間よりも断然に速かった。

「ま、待ってくれ…!」

次の被害者は重文であった。
バスケ部でのランニングをサボっていたのだろう。
いや、何かに躓いたような感じで彼は二人から遅れてしまった。
異形は当然、そんな彼にのしかかる。

『グフ…マルカジリ』
「ヒッ…!」

重文の悲鳴が校舎内に木霊した。
グチャ…という、耳に残る音。
ベチャ…という、何かドロッとしたモノが剥がれるような音。
それでも、芙爾と永輝は振り返らなかった。
だが、目の前に何かが飛んできた時、二人は足を止める。
それは…血まみれの重文の生首だった。
重文の生首は、まるでバスケットボ−ルであるかのようにバウントする。
二人は悲鳴を上げる暇すらも忘れ、一心不乱に走りを再開した。

『ニゲルナ…オマエラ、オレサマノ餌』

後ろで異形の咆哮が聞こえた。
闇雲に逃げ回っていた二人の前に、再びあの壁…この世の色ではない壁が立ち塞がる。
行き止まりだ。
神に見捨てられたとしか云い様がない。
二人共、神など信じた事などないのだが。
都合の良い時だけ神頼りなど、報われるハズもない。
否、触らなくたって神は祟るし、信じても報われず絶望だけがそこに待っている。

「クソが!!」

二人は咄嗟に横にある教室に逃げ込んだ。
そして、迷わずに中から鍵をかける。
異形は重文を食べるのに躍起になっているのか、すぐに追い掛けてくるような気配はない。
だが、いづれ襲撃してくるという事実には変わりがない。
そして、鍵をかけても無駄であろうという事も、二人には何となく分かっている。
焼け石に水というやつだ。

「ど、どうする…?」

芙爾は永輝に意見を求めたが、彼は無言で扉を見つめたまま、茫然自失としていた。
芙爾は頭を掻いた…少しでも冷静さを取り戻したかったのだ。
何がいけなかったのか?何がこういう事態を招いたが?これは何の報いか?…芙爾は一日を生きるので精一杯の頭で考えた。
答えは…ない。

「…ぶっ殺してやる」

突然、そう云って永輝が立ち上がった。
そして、扉の鍵を開けようとする。

「な、何すんだよ!?」

それを芙爾が死ぬ気で止めた。
しかし、芙爾に羽交い絞めされながらも、永輝は構わず鍵を開けようとする。

「離しやがれ!!あの赤茄子野郎、ぶっ殺してやる!!!」
「出来んのか!?」
「やんねぇと、どっちにしろ死ぬだろうがッ!!」

永輝に怒鳴られて、芙爾は気づいた。
その通りである。
現に既に二人も殺されている。
それしか、もうないのだ。

「…ならよ、待ち伏せした方が勝算があるぜ」
「…それもそうだな。じゃあ、そうするが…ビビッてんじゃねぇぞ」

芙爾が冷静な意見を述べたからか、永輝も多少、頭が冷えたようである。
その時、扉の方から激しい轟音が響いた。

「来やがったな…」
『アケロ!アケロ!!オマエラ、オレサマノ餌!!!』

異形は何度も扉に体当たりをしているようである。
次第に扉が変形し始める。
信じられない力の持ち主だ。

「いくぞ…覚悟決めろよ、芙爾」
「もう何も怖くねぇッス…最悪、死ぬだけッスから」

普段の『〜ッス』口調に戻っている辺り、芙爾も冷静さを取り戻していた。
寧ろ、完全に吹っ切れている。
どうせ死ぬなら、足掻いてやろうという心持ちである。
二人が各々、構えを取った時、扉が吹き飛んだ。
そして、異形の顔がそこから現れる。

『サア、オマエラモマルカジリ…』

だが、異形はその図体のでかさが災いしたのか、教室の入り口に身体を詰まらせていた。
この好機を芙爾と永輝は見逃さなかった。
一気に異形に飛び掛る。

『ガ…クソッ!!』
「死ね!!」

最初に永輝が渾身の力を振り絞った拳を振り下ろした。
鈍い音と共に、異形の頭部が下方向にズレる。

『グゴ!?』

すかさずそこへ、芙爾が目一杯の反動を付けた回し蹴りを叩き込む。
異形の頭が吹っ飛んで横壁にぶち当たった。
残された異形の胴体は、よく分からない液体をぶちまける。

『グガガ…ゲ…』

異形は身体を痙攣させた。
それでも、まだ生きている。

『マ…ゴフ…バカ…ナ…』
「気持ち悪ぃんだよ!!」

聞くに堪えない音を出し続ける異形の分離した頭を、永輝が思いっきり踏み潰した。
緑色の血液らしき液体が飛び散った。
異形はそこで、やっと沈黙する。

「ハァ…ハァ…畜生…裕一郎…重文!!」

永輝は叫んだ。
憤怒に彩られた悲しくも力強い声で。
その横で、芙爾はヘたれこんでいた。
うっかり失禁しそうになり、股間を必死に抑えている。
二人はそうして余裕が出来て初めて、自分達が今居る場所の状況が分かった。
噎せ返るような強烈な異臭…それは溶け始めている異形の身体から発せられたモノだけではなかった。
日本人はよく食べ物を残す。
外から輸入しておいて、よくもまあ残すものだなと芙爾は常日頃思っている。
何はともあれ、日本人の醜さの一つは大食だ。
そして、悪魔もそれと同じような事をしているようである。

「ウゲ…」

芙爾と永輝は口を抑えた。
だが、胃の逆流は避けられそうにない。
教室の中は食べ散らかされた人間の死体が散乱していた。
そして、それらは全て中途半端に原形を止めている。
頭を半分だけかじられたような女…
どういう力で捻じ曲げられたのか分からない男…
目玉が飛び出たり、臓器がはみ出たりするのは最早、当たり前の惨状…
人ならざる者達だからこそ出来る所業…
芙爾と永輝は昼に胃袋に詰め込んだものを全て吐き出してしまった。