粗方、胃の内容物を吐き出して、やっと芙爾も永輝も落ち着いた。
赤く塗られたような教室の現状に背を向け、二人でこれからの事を話し合う。
後ろの光景はもう二度と見たくはなかった。
「とにかく下に行くぞ…」
「依存ねぇッス…」
結局、どう考えても二人にはそれしか出来る事がなかった。
いきなり学校が学校じゃなくなって、突然、異形が現れて、仲間が二人殺された。
どう考えろというのだろうか?
元々、世界はそういうモノであって自分達が気付いていなかっただけだ…とでも考えて納得すればいいのか?
芙爾がそんな事を考えていた時、廊下に一瞬、何かが横切った…ように二人には見えた。
否、何かがそこにいる。
二人は再び身構えた。
だが、入って来たのは小さな妖精であった。
「あれ?まだ、人間がいるのー?ねぇねぇ、逃げないのー?」
「な、何だテメェは…」
妖精は子供っぽい声で喋ったが、永輝は警戒を解こうとはしない。
妖精は体長10cmほどであろうか?
姿形は芙爾がその昔、某妖怪辞典で見た妖精のそれによく似ている。
だが、その服装は芙爾のイメ−ジとは大分、違った。
白い衣装と赤いスカ−フ、今時見ない服装だ。
どことなく、70年代の服装のような感じがする。
どこがどう70年代かと問われると困るが。
「ねーねー何やってるのー?」
「何やってるって…テメェ!!」
激昂した永輝がその妖精を捕まえる。
「キャッ!な、何するの!?」
「じゃかしい!俺は気が立ってんだ!!」
永輝は妖精を鬼の形相で睨み付けた。
このまま握りつぶそうかという勢いだ。
「や…止めてよ!アタシ、死にたくないよ〜!!」
「テメェら、裕一郎と重文を殺った上に、こんなに喰い残しまで残しやがって…どいつもこいつもぶっ殺してやるよ!!」
そんな永輝を芙爾がなだめる。
頭に血が昇ると、永輝は冷静な判断が不可能になる。
「止めた方がいいッスよ…そんな暇ねぇッス」
「んだと…見た目に騙されてんじゃねぇぞ!こいつもきっと、中身はあいつらと大して変わらねぇよ!!」
「いや、だから落ち着いて…お前も見逃してやるから、どっか行け」
そう妖精に云って、芙爾は永輝の腕を払った。
妖精は永輝の手から抜け出して自由になる。
何しやがる!?…と、永輝が怒鳴り散らす。
妖精はそんな二人の頭上を暫し飛び回ってから、何を思ったのか芙爾のズボンのポケットに引っ付いた。
「何だよ?」
「あ、あった!ねぇねぇ、おじちゃんってサマナ−?」
「サマナ−…?」
芙爾と永輝は顔を合わせた。
いきなり『サマナ−』と聞かれても何の事だがさっぱり分からない。
「あれー?サマナ−でもないのに、どうしてこれ持ってるのー?」
妖精は小首を傾げながら、芙爾のポケットから昨日拾った例の緑色の試験管を取り出した。
芙爾が慌てたのを永輝が訝る。
「何だよそれ…」
「いや、実は…」
芙爾は永輝に昨日の遭遇した事を洗いざらい話した。
永輝の顔は益々歪む。
「お前…何か変なのに憑かれてないか?」
「いや、分かんねぇッスよそんなの…」
「ふ〜ん…おじちゃん、本当にサマナ−じゃないんだ。でも、何か優しそうだから…ウン、ついていってあげる♪」
釈然としない二人の横で、妖精は能天気に無邪気にそう云った。
永輝の顔がまた真っ赤になる。
「何だと…ふざけるなテメェ!!」
「おじちゃんの為じゃないもん。アタシ、この人についていくのー!」
そんな永輝に対して、妖精は芙爾の背中に隠れてから挑発するように彼に云った。
永輝の怒りのボルテ−ジが上がっていく。
「テメェ…そんなに死にてぇか…」
「おじちゃん、取り敢えずこれで手を打つからね♪」
永輝は今にも飛び掛りそうな形相だが、妖精の方はそれを無視して試験管を抱えたままはしゃいでいる。
芙爾は冷静に妖精に尋ねた。
「そりゃ何だ?」
「本当に知らないのー?あのね、これはマグネタイトって言うんだけどね、アタシ達、これで生きてるんだよ〜」
妖精は笑いながら云った。
更に問い詰めてみたが、彼女もそれ以上は知らないらしい。
自分の生命源の事なのに呑気なものである。
「んー難しい事、分かんないよ。とにかく、アタシ、ピクシ−のフェイ」
「フェイ?」
「ウン、アタシの名前。覚えてね、おじちゃん♪」
フェイはそう云って、芙爾のポケットに潜り込んだ。
結構、くすぐったい。
しかし、この歳で『おじちゃん』呼ばわりされるとは…芙爾は溜息を吐いた。
永輝はともかく、芙爾はどちらかという童顔のカテゴリ−に入る。
『おじちゃん』は明らかに不適切な呼び方だ。
「オイ、芙爾!そんな奴、信用出来ねぇぞ!!」
「そうかなぁ…?」
不思議とフェイからは敵意、悪意は感じられない。
のほほんとした、いい加減そうだが根は優しいような感じを芙爾は抱いていた。
「まあ…毒を持って毒を制す、目には目を、歯には歯を…って、言うっしょ?」
「ケッ!勝手にしろ!!」
終始、機嫌が悪い永輝はそう怒鳴り散らしてから、教室を出た。
慌てて、芙爾もそれについて行く。
その時、フェイは芙爾のポケットの中で呑気に寝ていた。
芙爾はそのマイペ−スっぷりに呆れてしまった。
何とか異形、否、最早悪魔と断定していいだろうそれと遭遇せずに、芙爾達は四階まで辿り着いた。
目を覚ましたフェイが、蝿の如く彼等の周りを飛び回るのがうざいが、そんな事を気にする余裕は芙爾と永輝の二人にはなかった。
寧ろ、そんな事は二人には些細な事であった。
「もう何でも来いって感じだぜ…」
「ああ…俺も何かそんな気分だね」
二人は軽く苦笑いしながら、異界を進んでいた。
恐怖を感じ過ぎて、どこかのネジが二人共完全に外れてしまっている。
恐怖を克服した訳ではない。
空元気がエスカレ−トして、恐怖回路がショ−トしたような捨て鉢な勇気だ。
やけっぱちでも無謀でもない、妙な勇気と自身が沸いてくるのだ。
そんな二人の前に再び悪魔が現れた。
『グ…ゲゲ…人間、また居たのか?』
『運がいいぜ…もう、全員逃げちまったかと思ったぜ』
二人…いや、二匹の悪魔はそう云って芙爾達を品定めし始めた。
どっちが美味そうか吟味しているようである。
一匹…顎が長く腹が膨れた…芙爾の記憶では、仏教における餓鬼とかいう鬼がそんな格好であったと思うが、そんな感じの悪魔の方は芙爾を美味そうに見つめている。
一方で、RPGゲ−ムに出てくるコボルトのような、寧ろ、そのものといってもいい悪魔の方は永輝の方を美味そうに見つめていた。
どうやら、どいつがどちらを食べるか決定したらしい。
『グググ…じゃあ、俺はあのチビを貰うぜ』
『じゃあ、俺様は向こうの木偶の坊な』
「木偶の坊だと…」
永輝の側頭部に怒筋が浮き上がった。
こうなると、芙爾には止められない。
永輝は一気に相手との間合いを詰めると、コボルトを蹴り飛ばした。
コボルトは廊下の向かい側の壁にまで吹っ飛ばされる。
流石は馬鹿力である。
『グゲ!?』
『な、何だ!?』
もう一匹の悪魔はあまりにも派手に吹っ飛んだ相方を見て動揺した。
その隙に、芙爾はその悪魔に対して回し蹴りを食らわした。
『グギャッ!?』
悪魔の首が奇妙な方向に曲がった。
さっきの真っ赤な異形とは違い、今度の二匹はあっさりと死んでくれた。
芙爾と永輝は互いに手を叩き合う。
その仕草からして、単に空元気なだけではなく精神的にまともかも最早、危うい。
悪魔に対する恐怖心が薄れてきている。
「わ〜大きいおじちゃんと、小さいおじちゃん強い〜!」
パチパチとフェイが二人を拍手で迎える。
本当にぺ−スを狂わせるのが好きな奴である。
「誰が大きいおじちゃんだ!?」
さっきからずっとトップギアの永輝は、些細な事でも切れる。
まあ、実際に高校生とは思えない老け顔だが。
仕方がないので芙爾がそれをなだめていると、突然、二人の横にあった窓ガラスが割れた。
「!?」
『キエ−ッ!!!』
ガラスを蹴破って、突如、怪鳥が二人に飛び掛かってきた。
完全な不意打ちだ…飛んできたガラスの破片が芙爾に隙を生じさせる。
格好は梟に近いが、一本足で人面という極めて不気味な怪鳥は芙爾に狙いを定める。
「ヤバ…」
その時、フェイが芙爾の目前に出た。
芙爾は訳も分からず目を丸くする。
「お…」
「ザン!」
フェイがそう叫ぶと、怪鳥の周りに突風が吹き荒れた。
怪鳥を壁に叩きつけるほどの威力はなかったが、バランスを崩した怪鳥は床に落下する。
それを永輝が蹴り飛ばした。
『グフ…』
だが、怪鳥にはまだ息があった。
咄嗟の判断で、芙爾がそこに止めの飛び蹴りを叩き込んだ。
そこまでやって、怪鳥はやっと沈黙してくれる。
呆然とした永輝がフェイに尋ねた。
「な、何やったんだ…?」
「魔法だよー」
フェイは相変わらずの御気楽な声でそれに答えた。
悪魔の次は魔法ときたか、と芙爾は深い溜息を吐いた。
「あれ、怪我してるよ〜?」
「ん?ああ…さっき、飛んできたガラスで切ったかな?」
よく見ると芙爾の右二の腕から血が流れている。
フェイはその傷跡に軽く手を当てる。
すると、不思議な事にみるみると傷口が塞がっていく。
「これも魔法かい?」
「ウン、そうだよ」
「便利だねぇ…」
軽く腕を回してから、芙爾は呟いた。
それから、永輝の方を向いて二カ−ッと嫌らしい笑顔を見せてから云う。
「大将、こいつ役に立つッスよ」
「アタシ、役に立つよー?」
芙爾とフェイは顔を合わせて笑い合った。
永輝はそれを見て、地獄よりも深い溜息を吐く。
「勝手にしろ…」
呆れた顔でそう云ってから、永輝はトボトボと歩き始めた。
飛んでいるのが面倒臭くなったのか、フェイは再び芙爾のズボンのポケットに潜った。
そんなフェイを見ていて多少、気が紛らわせられた芙爾はいつもの癖で頭を掻きながら永輝の後に続いた。
彼等の受難はまだ続く。