魔導世紀1030年 11月某日 ヘルハンプール

 ネバーランドではここと北方のネウガードでしか見られない無数の魔族が往来する魔皇軍王都ヘルハンプールの城下町。
その一角の酒場で、二人の青年魔族が深刻そうな顔で議論を交わしていた。

「イリューナは抜けるそうだ……」

 魔族である事を証明する青白い肌、そこに刻まれた二本の傷が目立つ片方の青年がそう呟いた。
 もう一方の、エルフと言ってもバレないような端正な造形の顔を持つ青年は、それに意見を述べる。

「当然だろう。あんな事を言えば、誰だってそうしたくなるさ……」
「アレクサンドラは保留、フォルティアは残留するつもりらしい……」
「……何だと?」

 グラスの中で、湖面が揺れた。
 それが端正な顔の青年が肩を振るわせているからだと、もう一方の青年にはすぐ分かった。
 彼の憎悪が、先の君主の演説を思い出す度に、憤怒となって吹き出すのだ。
 それも、仲間の一人がそれを聞いたにも関わらず残留の意志を固めたという、彼にしてみれば正気の沙汰とも思えない事例が、火に油を注ぐ。

「ふざけやがって……、人間共と仲良くしろだぁ? 本末転倒だッ!! 今までの戦いは何だったんだよッ!! 死んでいった連中はどうなんだよッ!?」

 だが、理性を凌駕して憎悪は爆発した。
 端正な顔の青年――リュンベルク――のこういった癇癪癖は前々からある事だったが、最近ではとかく激しくなっている。

「やっぱり抜けるぜ、俺もネウガードに行く!! そこなら、糞みたいな人間共を見なくても済むだろうしなァッ!! アレクサンドラだって、こんなところはオサラバだろうよッ!!」
「まあ、落ち着けリュンベルク」
「どうして落ち着けられる!!」

 親友である青年――ジェイダ――の制止も意に介さず、リュンベルクは更に激昂して拳をテーブルへと叩き付けた。
 グラスが跳ね上がって、宙に舞う。
 それを見ていた女性店員――彼女は人間であった――が怯えた表情でリュンベルクを見る。
 そんな彼女を、リュンベルクは親の敵でも見るかのような痛烈な眼光で睨み付けた。
 瞳の光沢に殺気が宿っているのを察し、ジェイダがその双肩を押さえ、力尽くで彼を止める。

「何を考えている! こんなところで騒ぎを起こす気か!?」
「人間の一人や二人……」
「その先は言うな、絶対に言うなッ!!」
「チッ!!」

 リュンベルクは傍若無人にテーブルを蹴り上げた。
 衆目の視線が彼に集中する。
 彼等の君主ロゼが人間との共存を説き、リュンベルク達が今まで行ってきたような行為を『今までのお返しなんて子供の理屈』と断じてからというもの、魔族が大手を振るっていたヘルハンプールの街中にも人間の商人が出入りするようになった。
 それ故、今、酒場の中にもウエイトレスをはじめ、複数の人間が居た。

「ジェイダ、行こうぜ! こんな臭い店じゃ、酒も不味くならぁ!!」
「あ、ああ……」

 これ以上、店内にリュンベルクを置いておくのは危険だとジェイダは察する。
 だからといって、今のヘルハンプールに人間のいない場所など、そうそうない。
 それでも、アルコールの香りが薄れれば、多少はマシになるだろうとジェイダは思った。
 最後に、一際鋭く店内の人間を睨み付けてから、リュンベルクは店を後にする。
 ジェイダも急ぎ足でそれに続いた。




 白昼の大通りには、リュンベルクの嫌悪する人間がうようよしていた。
 それに唾を吐きかけたくなる衝動に、リュンベルクはかられる。
 が、ジェイダがそれを必死で諫めた。
 リュンベルクは舌打ちをする。

「やらせろよ……」
「ここで騒ぎを起こすつもりか!? 俺達が魔皇軍の武将と知れたら、色々と不味いんだぞ!!」
「もう、そうではなくなるよ……」
「おい、本気で抜ける気か!?」
「俺の勝手だろ。お前こそ、どうする気だよ、ジェイダ?」

 リュンベルクは当然、ジェイダも抜けるだろう事を前提としてそう尋ねた。
 だが、ジェイダからは予想外の返事が返ってくる。

「俺は……、残るよ……」

 リュンベルクが普段、矛先を人間に向けている憎悪が、その時、ジェイダへと向いた。
 カッとなった彼は、拳の中に爪が突き刺さるほどに力一杯にジェイダを殴り付ける。

「馬鹿かお前は!? 人間と馴れ合ってる内に、誇りまで捨てたのか!?」
「俺はッ、ロゼの言っている事は正しいと思ってる……」
「あんなガキの言う事が正しいだと!? 馬鹿言うな、人間はゴミだ、クズだ!! どいつもこいつもウジ虫だッ!! 俺の兄貴は俺が十歳の時に肉塊にされた、自称・冒険者のゴロツキ共になッ!! あいつ等はそういう連中なんだよ、信用なんて出来るかよ!!」

 リュンベルクは顔を紅潮させ、今にも剣を抜きそうな顔でそうジェイダを怒鳴りつけた。
 ジェイダは言葉に窮しつつ――リュンベルクは説得する事など、彼には毛頭無理だと思いつつも――言葉を紡いだ。

「ロゼだって妹を殺されている。それなのに、いや、だからこそ、ああいう演説をしたんだと俺は思うんだ」
「あいつは元々が人間と馴れ合ってた半端者だ。俺のような純粋な魔族とは違う!!」
「違わない、皆、復讐の下に集った連中だ! だが、ロゼもフォルティアも、それだけではない道を歩もうとしてるんだ、分からないのか!?」
「分かる気もない! お前こそ、俺の何が分かる? 俺が冒険者に追われて安息のない日々を、怯えるだけの毎日をどれほど送っていたか? 俺はな、人間でも十歳までは保護される権利があると思ってる。俺もそうだったからな。だが、それ以上の奴は皆殺しにされるべきだと思っている!!」

 リュンベルクは断言した。
 白昼のヘルハンプールの繁華街は、その発言に騒然となる。
 しかも、リュンベルクは有言実行せんとしてか、剣を抜いた。
 怒り心頭で、完全に我を忘れていた。
 それを例によって、ジェイダは必死でなだめる。

「よせ! 俺も悪かった! 少し、冷静に話し合おう、な?」
「言いたい事はそれだけか?」

 リュンベルクは剣を振り下ろした。
 それを紙一重でかわしてから、冷や汗を拭いつつ仕方なくジェイダも剣を抜く。

「私憤に駆られやがってッ!!」

 リュンベルクの一閃を受け流しつつ、ジェイダは叫ぶ。
 だが、激昂するリュンベルクにはその声は届かない。
 ジェイダは覚悟を決める。
 ただ、負ける気はしなかった。
 怒りに突き動かされるリュンベルクの太刀筋が酷く雑であったからだ。

「そんな雑な剣で、俺に勝てると思うなよッ!!」

 案の定、軍配はジェイダに上がった。
 リュンベルクの剣を弾き返した彼は、互いに息を切らせながらも、うなだれるリュンベルクを見下ろす。

「考え直せよ……、俺、ここでなら復讐じゃない何かを見付けられそうなんだ」
「うるせぇ……、うるせぇよ、うるせぇ……」

 リュンベルクが呟く。
 その声は次第に大きくなっていった。

「うるせぇよッ!!」

 終いには半分泣き顔で、リュンベルクは叫んだ。
 そしてそのまま、脱兎の如く駆けだして裏路地へと消える。
 その姿はあまりに危なっかしく、痛々しかった。

「リュンベルクッ!!」

 ジェイダが声をかけても、彼は振り返りもしない。
 結局、ジェイダは彼を見失ってしまった。