夕刻。
 ヘルハンプール繁華街一の酒場で、ジェイダはアルコールの暗い誘惑と情熱に身を委ね、果実酒のラベルに描かれた少女に恋をしていた。
 雑踏の中で彼の存在はあまりに矮小だ。
 誰の目にも止まらないほど静かに、故に深く彼は酒を飲んだ。
 昼間、リュンベルクと喧嘩別れした事が、胸を締め付ける。

「(何でこうなっちまうんだ……)」

 会話がロゼの演説の件になる度に、激怒するリュンベルクとなだめようとするジェイダで喧嘩になってしまう。
 それが、今日はジェイダの言葉で決定的になってしまったのだ。
 リュンベルクがどれほど人間を憎んでいるのか、ジェイダは分かっているつもりである。
 そして、リュンベルクが魔皇軍に在籍していたのは、偏に同じようにして身内を失ったロゼと自分を重ね合っていたからに他ならない。
 そのロゼが自分の理想から外れ、求めるものとは逆の意見を打ち出した時、リュンベルクには恐怖が生まれた。
 理想など他者に求めるだけ無駄である。
 人間排撃が理想のリュンベルクは、変わってしまったロゼに自分も変えられてしまうのではないかという恐怖心を抱いたのだ。
 だから、残留を頑なに拒否し、ネウガード行きをうそぶく。
 それでも、ジェイダには彼に残留の意思があるという気がしてならない。
 本当に出て行くつもりなら、イリューナのように口数少なく、ヘルハンプールを後にする筈である。
 ああいう風に四方八方に当たり散らして、あれこれと怒鳴り散らす辺りに真意が図りかねるところがある。

「(何とか仲直り出来ないかなぁ……)」

 ソフト・ホモなジェイダはそう思った。
 リュンベルクのいない魔皇軍には、彼もいる気が起きなかった。
 彼はロゼの事は信望しているし、仲間も信頼している。
 しかし、それ以上にリュンベルクを友として、そして恋人として大事に思っていた。

「おう、どうした? シケた面しやがって」

 そこへ絶妙な助け船が入った。
 リュンベルクと基本的なパーツが一緒な、緑玉色の髪に鋭角的な耳、端正な顔立ちをした男。
 ヴァンパイアの王にして魔皇軍の重鎮、そして御意見番にして愚痴の掃き溜め。
 魔皇軍アンケートによると『抱かれたい男No.1』。
 そんなナイスな兄貴バイアードがそこには居た。
 ジェイダは彼に泣きつき、事情を説明する。
 そして、その代金として、彼に酒を奢った。
 バイアードは喜んで、相談に乗ってやる。

「つまりリュンベルクと仲直りする上に、奴を魔皇軍に残留させたい、という訳だな?」

 ほろ酔い加減で上機嫌のバイアードは『青春だなぁ……』と呟きながら、腕組みをして二、三回、うなる。

「古典的な方法だが、拳で語ったらどうだ? 肉体のぶつかり合いで感じる他者の意志というものは、意外とあてになるぜ?」
「それ、いつもやってます」

 拳で語り合うのは、ジェイダにとっては日常茶飯事である。
 何せリュンベルクは、よく癇癪を起こす。
 そんな歩く瞬間核融合炉と仲良くやっていられるのも、ジェイダの性格の良さと愛があってこそだ。

「じゃあ、何か感じるものがあっただろう?」

 バイアードは躊躇もせずに、そう言った。
 ジェイダは少し考えてから、答える。

「あいつ……、本当は魔皇軍に残留したいんだと思うんです」
「拳で語り合い、そう感じたならば真実だろうな、ウン」
「でも、あいつは迷ってるんです……、魔族狩りに遭って、兄が死んだのがトラウマになってるような奴ですから……」
「……そうか」

 魔族狩りと称して、自称冒険者のようなゴロツキが魔族を迫害するというのはよくある事である。
 バイアードにもそういった経験があった。
 彼等はヴァンパイア――中途半端な魔族――故に、魔族からもそういった待遇を受ける事が多々あったが、増長した人間のそれはよりおぞましかった。
 そういう経験をすれば、容易に人間不信になれる。
 人間という存在は、他種族に対しとことん残酷になれるからだ。

「なるほどね。奴さん、それで悩んでいる訳だ……、ロゼもイリューナが抜けたのがショックだったらしくて、リュンベルクについても俺に相談してきたんだぜ」
「え? ロゼ様が?」

 ジェイダはロゼを、一応、君主なので他人との会話の際では『様』付けする。
 波風を立てないで暮らす、生活の知恵だ。

「おう、ロゼは心配してだぜ。リュンベルクも抜けるんじゃないか、って」
「……抜けるなら、とっくに抜けてますよ。でも意地も捨てられねぇ……、そういう奴なんです」

 ジェイダは親友をそう称した。
 その人物評は80%以上、的中している。
 要はひねくれ者で、寂しがり屋なのだ、リュンベルクという男は。

「だから、何とか踏ん切りを付けさせたいんですよ……」
「ん、よく分かったぜ」

 バイアードは頷き、それから自信満々に言い放つ。

「それなら、俺が拳で語り合おう。熱き心はきっと奴に通じる!」
「はい!?」

 『散々、語り合った結果の答えがそれか!?』と、ジェイダはツッコミたい気持ちで一杯になった。
 バイアードの性格は繊細さとは無縁で、リュンベルクとは水と油のように相性が悪い気がジェイダにはした。

「それなら、俺がいつもやってますよ!!」
「フ……、俺の拳はお前なんかよりもよっぽど熱いぜ? きっと、想いは通じる!!」
「(何処からそんな自信が……)」

 これだから、ノリで生きるテンションの高い人間は救いようがないとジェイダは感じた。
 今のリュンベルクにそんな事をしたら、火に油を注ぐようなものである。
 まあ、尤も、バイアードならばリュンベルクに敗北するような事もないだろうが。
 相手がひねくれリュンベルクなだけに危険だ。

「止めて下さい、アニキに殴られたらリュンベルクの奴、ホントにスネちゃいますよ……」

 バイアードの事を普通に『アニキ』呼ばわりする辺り、ジェイダは相当に酔っていた。
 同じように酩酊の域に達しつつあるバイアードも、アルコール摂取故の饒舌で答える。

「そこが上手くいくから、青春な訳よ」
「上手くいきますかねぇ……」
「青春は当たって砕けろだ! フォルティアにもそう言ったッ!!」
「何故にそこでフォルティア……?」

 ジェイダは突如挙がった青髪童顔の同僚の顔を思い浮かべる。
 酒の飲み過ぎて秘密の錠が開いて、あけすけな軽口になっているバイアードは言った。

「フォルティアはなぁ、イフの事が好きなんだってよ……」

 まるで男子学生がするような、下世話な話題になった。
 バイアードの恐ろしいところは、愚痴の掃き溜め故に、その情報量が近所の噂好きのおばちゃん以上なところにあった。

「マジですか!?」
「おうよ。だから、ぶつかれーッ!! と、言ってやった」
「でも、それとリュンベルクをぶん殴る事がどう関係が?」
「殴るのが駄目なら、俺の胸板で包むまでよ!」

 バイアードの発言の真意は全くもって不明だったし、本気とも取れなかったし、そもそも訳が分からなかったし、それはジェイダがしたい事だった。
 大体、バイアードに抱き締められて赤面するリュンベルクを思い浮かべると、ジェイダの心には酒に浸っている状態以上の暗い情熱が灯るのだ。
「心底、止めて下さい。アニキがやるくらいなら、俺がやります……」
「ああ、まあ、当事者同士で解決出来ればそれで良いんだよ。うん、まあ、それが一番良い。だって、青春だもの……」
「青春ですかぁ!?」
「甘酸っぱいんだよッ!!」
「ラヴレター書きましょうか!?」
「青春度高いなぁ、おい!!」

 最早、会話の筋道など二人にはどうでも良くなっていた。
 面倒な事は、全てオールマイティーなシンボル“青春”で片付けられるからだ。

「青春すんだよ!」
「青春ッスね!! コクるッス!!」
「酸っぱいな、お前!!」
「酸っぱいッス!!」

 本当にやるのかと問われれば、どうせ朝になったら微妙に鮮明な昨日の記憶に苛まれ、後悔して終わりだろうとジェイダは答えるだろう。
 実際、そうなる事は酔っていても理解が出来た。
 バイアードに相談しても無駄だろうという事も。
 酒を飲んで、勢いだけになっているので相談の効果がなくなっているのだ。
 それでも、ジェイダは泥酔している間は強気になれた。

「ひねくれた野郎は青春のオーラで包み込んでやればイチコロだ!!」
「バイアードさんのいいとこ見てみ〜たい、はい、一気ぃ一気ぃ!!」

 調子こいたジェイダは『青春』と連呼するバイアードに、更に酒を勧める。
 こうして、大学のコンパより低俗になった酒宴は、明け方まで続いたという……