政庁周辺は騒然としていた。
 それを執務室の窓から見下ろしながら、リュンベルクは人質を眺める。
 アシュレイ・ロフの動きさえも止められる、最高の人質を。

「気分はどうだ?」
「一体、どういうつもり?」

 臆せずに、人質として単身残った魔皇軍君主・ロゼは気丈にもそう問い返した。
 だが、リュンベルクは窓の外の群衆を見ながら答える。
 
「一度、お前と二人きりで話がしたくてね。いつもイフやバイアードが邪魔しやがるから、少しばかり強硬手段を取らせて貰ったよ……」
「大騒ぎになったわ……」
「なに、簡単な話だ……」

 言葉は発せども、リュンベルクはロゼと視線を合わせようとはしない。
 それから暫しの間、ずっと魂のこもっていない虚ろな表情で、窓の外を見る。
 さして興味もなさそうに、騒乱の様を見ては、皮肉めいた薄ら笑いを浮かべる。

「しかし、お前が人質になっただけで、この大騒ぎだ……、偉くなったもんだよな」
「……皮肉は止めて。それに、私は今でも貴方達とは対等な立場だと思っているわ」
「そうですか……、では、対等な立場で話すとしましょう」
「それなら、手錠を外してくれないかしら?」

 ロゼはニッコリと笑って、手錠をかけられた両手を差し出す。
 リュンベルクはそれを睨み付ける。

「馬鹿言うな、逃げる気か?」
「逃げないわよ。だって、話をするだけでしょう?」
「お前を殺して逃げるかもしれないんだぞ!?」
「そうしたら、イフもバイアードも、決して貴方を許さないわ。その覚悟が、貴方にあるの?」
「……照りつく太陽の下で死ねるなら、構いやしねぇ」

 無愛想にリュンベルクは答える。
 その懐疑的な仕草から、彼がけして手枷を外す事はしないだろうと、ロゼは認識した。
 ロゼは仕方がないのでそのまま、彼との対話を試みる。

「これでも良いわ。いい加減、話とやらを始めましょう」
「馬鹿げてやがる……」

 刹那、リュンベルクがそう呟いた。
 徐ろに剣を抜きながら、彼はロゼの首筋にそれを突き付ける。
 話し合いと言いつつ、明らかに話し合いとは思えない雰囲気が場に流れた。
 脅しではなく殺気がこもっている事がロゼには自覚出来た。
 冷や汗が、彼女のあどけない頬を伝う。

「……リュンベルク」
「人魔共存だと? お前、本気でそんな事、考えてるのか?」

 リュンベルクは悲壮な顔をロゼに向けた。
 葛藤や憎悪が、顔中から吹き出している。
 何かを成そうとする意志と、未来には決して繋がらない、しかし強大な束縛力をもって背中を押す過去の記憶が混ざり合って、彼の顔をそう見せていた。
 ロゼは息を吸い込み、そしてリュンベルクの瞳を覗き込んで、冷静に、且つ一片の迷いもなく言い放った。

「本気よ」
「妹を殺されてるそうじゃないかッ! それで、どうしてそんな事言えるんだよッ!!」

 リュンベルクは激昂した。
 ロゼは今にも自分を切り刻もうとしている相手が目前にいるにも関わらず、その瞳を見つめ続ける。
 魔王の直系としての威厳が、そこにはこもっていた。
 その高貴な血を前にし、リュンベルクはたじろく。

「な、な、何だその眼はッ!!」
「私は妹を……、エミリアを奪った人間を決して許しはしない。でも、私がやらなければいけない戦いは、ただその復讐の為だけじゃない……」
「復讐以外に何がある!? 俺達に穴ぐらでの生活を強要した人間に、俺達が魔族というだけで散々追い回した人間に、復讐するというから俺はここに来たッ!!」

 リュンベルクはロゼのプレッシャーに押し潰されるのを嫌い、叫ぶ。

「俺は、俺はお前やジェイダやフォルティアのように、ここで人間共とよろしくやって来たんじゃねぇんだッ! 小さい時はずっと穴ぐら生活で、それが終わったら人間共に追われる毎日ッ!! 初めて光を見たその場で、兄貴は肉塊にされたッ!! 俺の全ては復讐なんだよッ!!!」
「でも復讐は新たな復讐を呼ぶわ。この世界は、ずっとその繰り返し……、それを私は止めたいの」
「お前が!? だから、人間と仲良くしろ、ってかぁ!?」
「馴れ合いはいらないわ、分かり合えるとも思えない。でも、互いに平等だと認め合う事は出来ると思っている……、これ以上の悲劇を起こさない為に」
「違うッ! 違う違う違う違う違う違う違う!! 俺達が復讐するのは当然の権利だッ!! これまでの借りを返してやるだけだッ、正統なんだッ!!!」

 リュンベルクは頭を抱え、頭痛に顔をひきつらせながら、必死で否定する。
 うなだれるその姿は、痛々しいほどであった。
 ロゼは決して視線を逸らさずに、ただ真っ直ぐにリュンベルクを見つめ続ける。
 純粋な眼差しで。

「リュンベルク、そう思うなら、どうしてイリューナのように何も言わずに出て行かなかったの?」
「それはッ、それはッ……!!」

 リュンベルクの中で何かが壊れた。
 その時、顔を出したのは身を寄せようとした暖かい光ではなく、散々に彼を苦しめ、それでも彼がしがみつかずにはいられない、過去の光景だった。

 ――あんな連中と手を組める訳ねぇよなぁ……

 安易な答え、故に誰もが選んで抜け出せなくなる道が、リュンベルクの前に広がった。

「俺がここに残った理由……」

 その瞳が不気味に輝いたのを察して、ロゼは身構える。
 とはいえ、両手を塞がれた状態では抗う術もない。

「それは、お前を殺す為だよ……」

 ゆらり……、と、おぼつかない足取りでリュンベルクが一歩踏み出す。
 ロゼはそれに呼応して、一歩退く。
 
「……ッ! リュンベルクッ!!」
「許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない! 人間と仲良くしようとしやがってッ!!」

 リュンベルクが今まさに、ロゼへと凶刃を振り下ろそうとした瞬間……
 ドアが蹴破られた……