イギリスの宿荒らし

 初めての海外旅行として第一歩を踏みしめた国がイギリスだった。ロンドン滞在3日目。 雨降りしきる朝7時半頃にその事件は起こった。

 何かの物音にふと気がつき、半分寝ながらも横目で天井を見上げると光が射し込んでいる。 寝ぼけていた俺は不思議に思いながらも数分間そのままにしておいた。また物音がして、 やはりおかしいと感じたのでバッと飛び起きた。その瞬間、物陰がサッと消えた。 よく見るとドアが開いている。朝食の箱にひっかかるようにして開いていたのだ。 心に不安がよぎった。あわててベットから飛び出し、自分の荷物を確認した。 どうやらスーツケースは無事のようだ。が・・・ない、ナップサックがない!

 ナップサックには大事なパスポートやカメラが入っていた。「俺はまだ寝ぼけてるんだ」と 現実から逃れるように、もう一度あたりを探した。やはりない。連れのユージ(仮名)のものは 一見して何も盗られてないように見える。あせった気持ちをぶつけるようにユージを起こした。 何事かとまぶた半開きの彼に事を説明したが、半信半疑のようだった。

 ツアーコンダクターの田代さん(仮名)の部屋に電話をかけようと思ったが、あせっていて番号が 思い出せない。しかし、次第に落ち着きを取り戻し、思い出すことができた。 部屋番号「5240」に電話してみた。けどちっとも出やしない。どいつもこいつも 事の重大さをわかってないと思いながら、必死に冷静さを保とうとした。 その頃、ようやくユージもなにか盗まれてないか自分の荷物をチェックしはじめた。

 何をしていいのかわからなかったので、とにかく田代さんの部屋かフロントにこのことを 言わなければと思い、通路に出た。踊り場に行き、エレベータで下に降りようとしたが、 何故かこのとき階段を使おうと思った。何故かは未だにわからない。ただ結果的にはこれがよかった。 このことがこの旅での、そうこの初めての海外旅行での重要なターニングポイントになったのだ。

 5階を駆け下り、4階の踊り場に来たところで、ドアのガラス越しに男の姿を見つけた。 見つからないようにこっそりとドアに近づくと明らかに俺のナップサックを持って歩いていくのが見える。 怒りのあまりドアをバンッと押し出したとき、男がこちらを振り向いた。 まだ俺が誰だか分かっていないようだった。俺は男のジャケットの腕の部分を握り、 「これは俺のだ」とあっているのかどーかわからないような英語で声を荒げながら指をさした。

 男は俺の勢いに完全に圧倒されていた。よくみれば男は武蔵丸のような大男だ。 しかし、ひるむことはなかった。取り返したい一心だったのだ。男は体に似合わず、 素直にナップサックを俺に手渡した。しかし、パスポートの居場所がわからない。なおも男を問いつめる。 「パスポート、俺のパスポートは?」 そう繰り返していたと思う。男はひたすら 「パスポートは中に入っている」と身振りで示した。信用しなかった俺は、男が出てきたと思われる部屋から、 ドアを半開きにしてこっそり事の成り行きを窺っていた相棒らしき裸の男を問いつめようと思ったが、 その男は目が合うなりすぐさまドアを閉めた。仕方なく男を離さないようにしながら、 「おまえが中をあらためろ」と身振りで言ったが、依然として「中に入っている」の一点張りだった。

 そうこうしているうちに男が踊り場の方を指さしながら「あっちでやろう」と言った。 おれは頑としてその場を動くつもりはなかったが、ここで初めて男が動いた。 逃げようとした男を逃がすまいと必死になって袖をつかんではいたが、やはり体格通り男は強かった。 踊り場までもつれ合うようにして進み、そして最後にはふりほどかれてしまった。 追いかけようとしたが、恐怖と興奮のせいか、足がもつれてしまい、こけてしまった。 ナップサックを見ると明らかに自分のものでないものが一緒に入っていた。 パスポートは男の言うとおり、中に入っていた。

 俺は部屋へと戻った。その間、胸はドキドキし、足はガクガク震えていたように思う。 部屋にはいると、開口一番「俺のウオークマンもない!」とユージが叫んだ。そのとき、 ナップサックに入っていた知らないものがユージのものであると初めて気が付いた。

 そのあと田代さんがやってきて、俺は事の成り行きを説明した。彼女はとても驚いている様子だった。 結局、パスポートもカメラも、自分のものはすべて取り返したのだが、ユージのスピーカー1個( 何故かフタと電池はあった)と、お気に入りのジーンズ、ベルト、ハンカチが盗まれた。ホテルに そのことを言うと、警察に半日もいなければならなくなるので、そうすることは避けることにした。 田代さん自身で盗難証明を書いてくれるという。スピーカーぐらいは保険が利きそうだ (ユージは何故かジーンズなど衣類が盗まれたことを言っていない)。

 そんなこんなで、あわただしく朝がはじまり、高鳴る胸を押さえながら朝食を食べた。 実はナップサックのチャックには南京錠をかけていたのだが、それが開けられないと見るやチャックを 巧みに壊したようだ。その壊し方から見て、とても通りすがりの人間の犯行とは思えない。 あとで気付いたことだが、この部屋「627」のドアは普通に開閉しても建て付けが悪いため、 ドアを強く押さないとカチャリと閉まらないことが判明した。けれど、開けようとしなければ 開かない程度のものなのだ。内部事情に詳しいものが仲間にいるとみた。 俺はコロンボのように推理しながらも、自分のものが実際盗まれかけた動揺を隠せないでいた。 ちなみにここはケンジントンクローズホテルである。