ヨルダン・イスラムの教え

 ヨルダンのアンマンに滞在したときのこと。宿は共同で2人の同居人がいた。 一人はエジプト人のヒーシャームで、もう一人はヨルダン人のモハンムドだった。 基本的にシングルにしか泊まらないが、このときは仕方なく共同にしたのだ。 安いのが魅力だが、ヨルダンは特に共同部屋が多い。

 彼らとは2日間ぐらい共にしたが、これが大変だった。会話の中心は「アメリカ」と「宗教」。 まとめてしまえば、根本は「宗教問題」である。特にヒーシャームのほうがやっかいだった。 大げさではなく、本当に3分ごとに話しかけてくる。それも決まって宗教について。 観光して宿に戻ってくるとそりゃもう憂鬱そのもの。日記を書いている途中にも話しかけてくる。

 この地球上にあるものは誰が創ったのか、延々と説明された。俺は無宗教と言ったが、 そんなことにもおかまいなく、むしろイスラム教に入信させようと必死になっているようにみえた。 アッラーは唯一神で絶対的、ブッダは違う、と力説する。だからぁ、俺は仏教徒じゃないって。

 そんな宿をいよいよ離れる朝、俺より早く起きている男がいた。モハンムドだ。 そう、一日6回はやるというあれをやっていたのだ。彼に「イスラームはすばらしい」 と言われれば、説得力はある。しかし、そばでぐーすか眠りこけているヒーシャームに 同じことを言われても説得力はない。モハンムドの真剣なお祈りにしばし見入ってしまった。 宗教もあながち否定できないぞとこのとき思った。この人たちにとって重要な問題なのだ。 血を流してまでも譲れない問題なのだ。信じるってこと自体、それはそれですばらしいことではないか。 しかし、その方向性を問う。そんな彼らに いのり を捧げる。