ペルー・困るほどモテた夜

 ペルーの観光地と言えば、やっぱりまずクスコやマチュピチュが思い浮かぶだろうが、 リマ北部も捨てたものじゃない。そのうちのひとつ、ワラスで起こった奇妙な物語。

 日中、モンテ・レイというワラスに程近いところの温泉プールでのんびりと過ごしていた。 すると、男がこちらに近づいてくる。
「今何時?」
こう声をかけてくるとき、本当に時間を知りたかった人が今まで何人いただろうか。 知らない人に声をかけたいときに使う手段として何度も耳にした台詞だ。もうひとつ、
「火ある?」
も典型的なパターンといえよう。もちろん、中には本当に知りたくて、もしくは欲しくて 聞いてくる場合もあるが、俺のような異国人に近づくには確かにもってこいの質問のような気がする。

 さて、話がそれてしまったが、結局、この彼が摩訶不思議な世界へ俺を誘った張本人であることに、 当然の如く、この時点では知る由もなかった。そこで彼-ホセ-とはかなりの時間、話をした。 先住民族ケチュアの言葉のレッスンまで始まった。

 「じゃあ、今夜ディスコテカにでも行こうよ」そうホセが誘ってきた。「最近行ってないな」と思っていたので、 その話を受けることにした。待ち合わせ時間と場所を決め、とりあえずそこで別れた。

 そして夜。ラテン時間。案の定、ホセは遅れてやってきた。何軒か行ってみるから、気に入ったとこに 決めればいいと彼は言った。まず一軒目。俺の好みははっきりしているので迷うことはなかった。 この店は明らかにアメリカチックで俺の嫌いな雰囲気だった。音楽的にも、装飾的にも、 客層的にも「現地色が強い」ことが条件だ。スペイン語と英語の割合が7:3ぐらいの店が好ましい。

 ホセにそう言うと、3軒目としていい感じの店を紹介した。フォルクローレも演奏され、個性があった。 スペインに滞在したときも、途中、フラメンコが入ったりして、なかなかいい感じの店があったのを思い出す。

 欧米の観光客も混じっていたものの、8割以上が地元の人で、雰囲気もそれなりによかった。 基本的に「踊る」というよりは、「雰囲気」を楽しみたいと思っているので満足していた。

 しかも金曜の夜だったので、店内は大盛況だった。ホセには御礼の意味も含めて 「おごるから好きなもの頼んでいいよ」と言ったが、彼は遠慮したのか、そんなに頼まなかった。 夜もじっくりと更けた頃、動きがあった。

 「火ある?」
ディスコテカでは特によく聞く言葉だ。その女性はそれをきっかけに一緒に踊って欲しいと言ってきた。 断るのも失礼なのでその誘いを受けることにした。
「積極的なんだね」
「いいえ、わたしは内気よ」
笑ってしまう。内気な女性が自ら一緒に踊って欲しいって言うかぁ? 

 結局、この台詞のやり取り、このあと別の女性陣たちと何回交わしたことか。 本当になんで俺に?っていうぐらい、女の子が次から次へとやってきた。 決して大袈裟ではなく、自慢に聞こえるかもしれないけど、自慢しているわけでもない。 こういった状況に慣れていないので、困り果ててしまったのだ。断り方もわからない。

 「日本人国籍狙い」が存在しているのも知っていた。 だから、俺が本気で好きにならない限り、どうにかなることはなかった。 が、・・・最後まで俺の逃げにあきらめもせずについて来た女の子が二人いた。見た目、対照的な二人。 21歳の女の子は本当に可愛いかった。 しかし、そうでもない20歳の女の子(ごめんなさい)がより積極的な攻撃を俺に、 と同時にもうひとりの女の子をけん制して、俺の「どっちかといえば」思考を打ち砕いた。

 ホセはホセで、そんな状況を嬉しそうに見つめていた。ちょっとは助けてくれよ。 彼は女の子の味方だった。どうにかさせようと俺にあの手この手で攻めてくる。
「ミルベソス、君は内気だなぁ」
「あぁ、確かにそうだ、でも好みじゃないんだ」
その台詞を何度ホセに言ったことか。彼にとって女性を拒むということが信じられないようであった。

 「俺は明日リマに行かなければならない」
とちょっとした嘘をついた。本当は明後日だった。しかし、ここはしかたがない。すると、 最後に残った20歳の女性がぼそりと口にした。
「リマの女の子は積極的だから心配」
いやいや、君こそクイーンにふさわしいくらい積極的だよ、とはもちろん言わなかった。 それにしても、彼女は何でもう「付き合ってる」気分になってるんだろう、やばいな。

 それもそのはず、ホセに「彼女を外に連れ出せ」とその場を追い出され、彼女とキスをしてしまったからだと思う。 これは明らかに失敗だった。好きでもないのにしてしまったのは、相手にも大変失礼なことだった。

 「ワラスに残って欲しい」
彼女はそう言った。
「リマ、そして最終的にクスコに行かなければならない」
きっぱりと答えた。彼女は住所と電話番号の紙を渡し、
「連絡して」
と悲しげに言い、手首から金属のアクセサリーをはずし、俺に手渡した。 受け取れないと言ったが、どうしてもということで仕方なく受け取った。

 大変な夜だった。ホセは他人事のように笑っていた。キスなんてすべきじゃなかった。 好きでもないのにキスをするのはもう二度としないぞと誓った夜でもあった。

 結局、彼女に連絡をとることはなかった。ただ、もらったアクセサリーだけが残された。 半分に割られたハートの形片。それがチェーンにぶら下がっている。 そして、そこには短い文章が刻まれていた。
「siempre juntos」(いつも一緒)
それを見るたびに心が痛む。