おかえりなさい

      a-i-shi-te-ru 後日談
 



 ほどなくして退院した彼は、何事もなかったかのように元の生活へと戻ってゆき。相変わらずの忙しさを思わせる頻度で、テレビやネットや雑誌の表紙や何やと、様々なメディアに顔を出すようになり。こちらはもっと呆気なく、いつもの日々へと立ち戻り、時々…心配してだろうか、何かと気を回してくれる小さな韋駄天くんに、余計なことを気にしてんじゃねぇよと逆に発破を掛けてやり。去年よりも暑いらしい夏の盛りに向かって、世間の慌ただしさを乗せて、時間は無表情のままに流れていって………。

  「………っと☆」

 ドアの内鍵を解くと、焦るでない、でも素早い間合いでドアが外側から開く。そして。自分の手の先で、ノブが動いたことへ。あっと思って手を引っ込める。思わぬこととて、こちらからも手を伸ばしてことに気がついて、だ。いつもなら…仕方がないこととして、面倒そうに鍵を開けたらすぐにも背を向けて居間へと戻っていたのにと、それを思い出すと同時、らしくない素振りをしてしまったらしい"今日の自分"に気がついた。
「妖一。」
 そんなこちらの内心なぞ知りもせず、かちゃりと開いた扉の向こうから、廊下に満ちる自然光と共に姿を見せた、背の高い来訪者。このくらいの間が空くよな逢瀬なんていつもの事だのにね。何故だろうか、視線が合うのがお互いにちょっぴり照れ臭くて。それを振り切るように、そそくさと背中を向けて踵を返して。先に廊下を奥へと進もうとしかかった蛭魔さん。そんな彼に素早く気づいて、上背のあるアイドルさんが長い腕を伸ばして来て。
「………っ☆」
 大きめのかっちりとした手が、薄い肩を捕まえて。すらりと細い肢体を軽々と懐ろへ掻い込むと、手際よく振り向かせてから。何だどうしたと問う間もなく…端正なお顔がふわりと近づく。

  「………。」

 そのままやわらかい緋色の口許への"ただいま"の口づけを、しっかりと交わさせていただいた桜庭くんで…あったものの。当然というか何というのか、

  「………退院して来て、いきなりそれか。」

 じゃきりと。二人の狭間にいつの間にか割り込んだいた白い手に握られていた、コルトパイソン、4インチ。リボルバータイプの、メジャーなハンドガンだ。
「…勿論、モデルガン、だよね。」
「なんなら、試すか? 実弾かどうか。」
 眉ひとつ動かさないで冷然と言い放つ蛭魔さんであり。お互い様で油断も隙もないところも、相変わらずなお二人みたいです。
(笑)





  ――― あの騒動から、今日で丁度1週間が過ぎている。


 3日ほど入院し、そのまま予定のあった2時間枠のドラマの収録にと、病院から直接スタジオへ直行したという売れっ子タレントさんは。数日ほどは終日のこととして芸能記者たちに追っかけ回されたらしいけれど、特に意味深に振り切ったりせず、訊かれることには大概"はいはい"と素直に答えていたがため。何の非もなく心当たりもないままに、突然襲い掛かられた側の彼からは得られる情報もすぐに尽き。犯人も既に捕まったいるのだし、原因も経緯・経過も明白ということで、衝撃的だった割に、ワイドショー的にはあっと言う間に 隅から隅まで語り尽くされてしまった感があり。それよりも…今年の殺人的な真夏の暑さや、それが引き金になったかのように次々と起こっては世間を騒がせる数々の殺人事件。はたまた、地中海での開催も間近い、世界的なスポーツの祭典の方へと視聴者たちの関心もすぐさま移って。お陰様で、事件がらみの突っ込みインタビューは、たったの3日で声を潜めてしまったのだそうで。
「こういうのを"トコロテン式"って言うんだってね。」
 何もしないままに関心が逸れてってくれたのと、ふふと小さく笑いながら変装用のスポーツキャップを脱いで、いつもの壁の掛け具へと引っ掛ける。白いTシャツの上に重ねたピンストライプのシャツに浅青のジーンズ。ざっかけない恰好が似合う、その自然な動作の末として、こちらに向いた背中があんまり大きくて。ついのこと、木綿のシャツに そおとしがみつく。
「…妖一?」
 不意なこととて、予測がなかったか。ふわりとくっついてきた温もりへ、反射的に振り返ろうとしかかった桜庭だったが、撓やかな腕が胸の方へまで回されたのへ気がついて。ただ凭れるように身を寄せて来たのではなく、その腕に捕まえるかのようにしがみついて来た彼だと判って。

  "妖一………。"

 彼にしては直情的で幼い行為へ、擽ったさを覚えてついつい頬が緩んでしまう。いつだって一歩は離れて相手の全体像を見ようとする人。慎重だったり臆病だったりしてではなくて、気安くするな、馴れ馴れしくなるなと、親しい間柄になればなるほど意識してそんな一線を必ず引く人。相手への警戒ではなく、自分へ近寄るとロクなことはないぞという"無言の威嚇"を必ず見せる…なんていう、悲しい習性が身についていた人だのにね。格別に親しくなればなったで、やっぱり…こんな風に素直に接してなんかくれなかった、意地張りな人だったのに。背中のちょっと上辺りに柔らかな感触。そこへ頬を伏せた彼だと判る。逢いたかったし触れたかった、でも。正面からひしと抱き合うなんて、アメリカ人じゃあるまいし出来るかってのと、彼の中で甘えたい衝動と理性とが戦った末のことなんだろなと。そんな推察をしてしまう、こちらさんも十分に"幸せモード"に耽っている桜庭くんで。自分の胸元へと回された、綺麗な白い手をそぉっと見下ろす。心配かけたのは失点だったけど、それでもね。大切な彼へ傷ひとつ拾わせなかったのは自分の手柄だと、それもまた嬉しい桜庭だったが、
「………。」
 背中に触れていた温みが浮き上がって、でも。身動きは…止まったまま。
「???」
 いくら感慨に耽りたいにしたって、あんまり間合いが長すぎる。どうしたのかなと思ったのも束の間、ああと気がついて"そこ"へと手を伸ばした。まだ一応の絆創膏を貼っている、片方の耳の裏と首条と。ガラスで切った、唯一の目立つ傷。殴打された背中の痣もそろそろ消えるが、こちらは恐らく残ると言われた、痛々しい傷跡のあるところ。
「…気になっちゃうね。」
 身長の差から、却って目につきやすかったのかも知れなくて。
「見えるとヤでしょ? 髪の毛、伸ばすからね。」
 柔らかな声がさりげなく言うのへ、

  「………馬鹿。」

 小さな声がそうと応じて。再びぱふんと、背中に温み。もしかしたら失うところだったかもしれない存在を、思う存分堪能したい妖一さんであるらしかったが、

  「ねえ…。妖一ってば。」
  「んん?」

 少しばかり、焦れたようなお声が響いて来て、
「このままじゃあ、僕の方からは妖一が見えないよう。」
 言われればどんな我慢でもするけれど、こればっかりは耐えるのが辛いと。そんな甘えたことを言うアイドルさんへ、

  「罰だ。我慢しな。」

 くくっと笑って もっとギュギュウッとしがみつき、そんなぁ〜と嘆く愛しい人の声の甘やかな響きを堪能した、金髪痩躯の悪魔さんでございますvv







            ◇



 面識を持ち合ったのは3年前の高一の春からだったけれど、意識し合って付き合い出してからはというと…1年とちょっと。ばたばたと公私ともに色々あって、最近ようやく桜庭くんの粘りが功を奏して来た気配…というところな彼らであり。大好きだと臆面もなく囁いても、照れ隠しに殴られることが少なくなったし、それどころか…機嫌がいいなら、心音を確かめたいとするかのように、懐ろへもぐり込んで来てぐりぐりと、向こうさんから甘えて擦り寄ってくれたりなんかするほどでvv
「何か久し振りだよね。」
 時には日参したまま入り浸るくらいの勢いで、頻繁にお邪魔している妖一さんのお家のリビングだが、ばたばたと慌ただしいままに過ぎた1週間だったものだから尚更に、随分と日を空けてしまったような印象がある桜庭なのだろう。勝手知ったるキッチンにて自分で淹れてきた
(笑)アイスコーヒーのグラスを、テーブルに2つ並べてから"ふぅう"と安堵の溜息。小さなカップからミルクを注ぎいれる彼より先に、ブラックのままグラスへ口をつけた蛭魔はといえば、
「そっかな。そんなに間があったか?」
 さっきまでは再会の感慨に耽っていたくせに、もうそんな可愛くないことを言い出す人であり、
「テレビはそうそう観ねぇが、ああ…そうか。ネットつなぐとニュースウィンドウにしょっちゅう名前が出てたんだよな。」
 接続先によっては、トピックスのウィンドウが勝手にぴろりんと表示される。リアルタイムで世間様を騒がすあれこれが判るというやつで、そんなのに出てくる"桜庭"という名前に接していたから、そんなに久々という感じはしないよなんて、強がりを言い出すお人だが、
"…こ〜の意地っ張りが。"
 ちょいと口許を歪めつつ、マドラー代わりのストローをくるくると回す桜庭の手元からは、氷とグラスが立てる涼やかな音。それへと目を細めた妖一さんは、

  「…で。熱愛発覚の方はどう片付けた。」
  「………っ☆」

 危うく最初の一口で噎
せるところだったタイミング。そうでした。あの襲撃事件の際に、昏倒した桜庭くんへと取りすがった妖一さんを、その場に居合わせた目撃者の皆さん、口を揃えて、

  ――― 金髪美人の外人モデルだった

 そんな風に認識しており。事件に関する報道も、どうかすると…アイドルが殴り倒されたことよりも、そちらの詮索の方への比重が高かったような気もしたりして。ある意味、しっかり"当事者"である蛭魔にしてみれば、そんな格好で身辺がややこしい騒動に波立つのは迷惑だと言いたいらしく、ちろりと斜
はすに投げられた視線に"あやや…"と肩を竦めた桜庭くん、
「まだちょっと面白がられてはいるけどね。綺麗な人と一緒に居たには違いないにしても、スケジュール的にお付き合いするよな暇はないって思われてるし、今、取り掛かってるドラマが局を上げてって力の入れようだから、芸能記者の牽制にもスタッフの皆して物凄く協力的でサ。」
 そんなせいで、執拗な言及というのには遭っていないと、とりあえずの現状報告。
「ま、女っ気がないってのは事実なんだしな。」
 疑わしげにちょいと眇めていた目許を何度か瞬いてから、薄い肩をすとんと落として見せて、
「どうしても振り切れないような取材に遭ったら、そん時は連絡して来な。」
 小さく口の端でくすんと笑った妖一さんだ。迷惑なんだよと不機嫌になってたように見せて、その実。面倒に振り回されてはいないかと訊いた彼だったらしくって。
「…妖一。」
 もうもう、なんて優しい人なんだかなと。ちょっぴり照れが滲んでいる今のお顔も、なんて可愛いことかと。向かい合う色白なお顔にぽうと見とれたアイドルさんで。芸能界なんていう、髪や爪先に至るまで手入れの行き届いた綺麗どころが、見回した右にも左にも当たり前に立ってるような華やかな場所に居ることの多い桜庭でさえ、ついついうっとりと見惚れるほどに。妖冶美麗にして存在感のある、それはそれは印象的な美人さん。我を忘れて感情を剥き出しにしていたあの非常時でさえ、初見の方々に"美人モデル"と思わせてしまったほどなのだから、その飛び抜けた美しさはもはや世間の折り紙付きというものであり。怒らせると消防車でも呼びかねないほどに
(?)過激で、興に乗って楽しませ過ぎても…機関銃の乱射モードに入りかねないくらい乱暴だったりするお人だが。静かに和んでいる時の、白く冴え映えた横顔に漂う玲瓏さと言ったらもうもうっ!

  "お月様が黙って逃げ出しちゃうかもだよねvv"

 ………はいはい、判った判った。
(笑) あんまりうっとりしていると不審がられるからと我に返って、
「マスコミの方は大丈夫だから心配しないで。」
 あらためて気に病まないでと念を押し、
「ファンの子たちは…その、ちょっと。カノジョ発覚って報道には、まだ食いついてる子もいるみたいだけれど。」
 本当に、明けても暮れても"桜庭春人くん"で日を過ごす子というのが結構いるようで。そんな子たちには、突然降って沸いた"熱愛疑惑"が、足元で不発弾が見つかりましたクラスの衝撃であったらしい。自分で言い出しておきながら、向かい合う妖一さんが少しばかり眉を上げたのへも…こればっかりはご機嫌とりに誤魔化せないことであるのか、真摯な表情を隠さない彼であり、
「今回に限った話じゃないけど。ファンの子たちからのお手紙にはね、時々後ろめたくもなる。」
 頭の中も何もかも、妖一のことでもうもう一杯だから、他には誰の入る余地もないのにサ。思わせ振りに微笑って見せて、調子よく"応援ありがとう"なんて言ってるのって、
「これって彼女たちの気持ちを弄んでることになるんじゃないのかな。」
 ああ、こいつってば根が善人だからなと。妖一さんが思わず内心で苦笑したほどに。相変わらず…競争激しい業界に向いてないことを、しんみりと言い出すお人であって。

  "まあ確かに…。"

 誰かを想うという気持ちは特別なものだから。甘いとか辛いとか、暑いとか寒いとか。そういう、万人に一斉に共通して感じられる種のものでは決してなくて。とんでもないバイタリティの糧になるかと思えば、相手に知られるのが怖くなるほど繊細微妙なものだったりもして。そんな想いを山と引き受けている天下のアイドルさん。もちょっとお天狗様になって、やっと丁度いいのかもしれないな…なんていう、しょっぱい気分を感じつつ、

  「安心しな。」

 ぼそりと。だが、真っ直ぐな。声を掛けてやっている。

  「…え?」
  「俺も共犯者だからよ。」

 それって、つまり。両想いだから…妖一さんの方からだって譲れないことだから。それで彼女らが報われないなら、その罪は自分にもあると?

  「…そう思って、いいの?」
  「ああ。」

 照れ隠しにそっぽを向くでない、真っ直ぐな淡灰色の眼差しに射竦められて…体中が熱くなる。ああきっと、自分のファンの子もこんな思いに身を焦がしているのかな。だってもゴメン。こればっかりは譲れない。妖一に"好きな人はいない"という嘘をつき続けると言ったくらいだ。だから、この先も絶対に、他の誰へも振り向けはしないと確信しちゃった桜庭くんであるらしく。



  ――― なんか、凄いな。嬉しいことばっかだ。
       へぇ〜。あんま甘やかすのも何だよなぁ。
       え? ヤダよ。こんな幸せなのに、今更突き落とさないでよね。
       さぁて、どうしよっか。
       妖一ってば〜〜〜っ。



       ………やってなさい。




  〜Fine〜  04.7.25.


  *定例の"後日談"でございます。
(笑)
   最近、波乱が来るごとにラブラブさが増すこちらさんですが、
   他のシリーズの彼らが、妙に弾けているせいもあるんでしょうかね。
   おかげで、こちらの蛭魔さんのヲトメ度数が増すこと増すこと。
(苦笑)

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