秋 霖 〜Rain,rain U
 

 ちょっと切ない結末のドキュメント番組なんかを観たりすると、実在する人物の実話が題材なだけに、それが架空のドラマではなく"現実の真実"なのだという重みが何ともやるせなくなったりもする。今回は力及ばず少しばかり悲しい残念な結末になったけど、それでも次へと頑張るよ。うん、頑張れ。私たちも応援するからね…というような、前向きな結びになってはいても。胸の奥とか、腹の底だとかで未消化なままにされたものが、カタルシスを求めて"ううう"と唸っているのを持て余す。
「何か言いたくならない? こういうの観るとサ。」
 密着取材されていた主人公へと襲い来る試練の数々へ、ついつい感情移入してしまい、ハラハラした余燼から少しほど目許が赤い自分に比べて、
「ん〜、別に。」
 最後までずっと気のない様子で観ていた彼としては、やっぱり…気のない返事しか返せないらしい。あまりに強靭な根性の持ち主であるが故に他人の痛みが理解出来ない…なんていう、そうまで冷たい人ではないのだが、
「大変だよなと思いはしたがよ。こんな風に誰かの目にさえ留まらないまま、同じようなことへ独りで頑張ってる子なんてのは五万といるんだぜ?」
「…そりゃあ そうなんだろうけどサ。」
 こんな事へさえシビアな人なんだなぁと、感動しちゃった想いに水を差されたような気分になってしまい、むむうと膨れっ面になってしまったこちらへ、
「何て顔してやがんだよ。」
 細い顎を反らせるよにして見上げて来たそのまんま、喉を鳴らして"くつくつ…"と苦笑をし。その頭を乗っけて、枕代わりの背もたれにしていたこっちの胸板へ寝返り打って、浅い色合いのトレーナーへぽそんと頬を埋めてくる。こんな風に枝垂れかかってくるなんて…そろそろ眠くなって来たのかななんて、表面的には当たり触りのないよなことを思いつつ。心の奥底ではというと、
"………えと。/////"
 薄暗がりの中にぼんやりと見える白い顔の輪郭へ…何となく。胸の奥で何かが大きく波打ったのがありありと伝わって来て、ひとしきり たじろいでしまうのが恋する青年の性というもの。大きな大きなお手玉かお饅頭みたいな、ソファーサイズのビーズクッション。寝そべってテレビを観るのには丁度いいと、最近になって彼の家の広い居間のテレビ前に でんと置かれた"特等席"で。そこへと並んで…途中からは懐ろへと当然顔で凭れて来た相手をそぉっと背後から抱えて、重なるみたいに寝そべって。最初はNFL
(米アメフトリーグ)のビデオを観ていたのだけれど。テープを巻き戻していたその間の画面に、テレビ番組が映し出されて…。それでついついそれを観ていた二人な訳で。和紙のシェードが丸ぁく囲った、満月みたいな床置きのライトを傍らに据えてるだけの、広々としたフローリングのリビング。夕暮れ時みたいに仄明るいというか仄暗いというか、そんな空間の真ん中で二人っきり。ちょっとだけ人に慣れた山猫みたいに、こちらの懐ろへと擦りついてくる綺麗な恋人さんだとあって、
"ううう…。/////"
 甘えかかりの先手を取られて、柄になく たじろいでしまう。
"こっちが先に甘えかかったなら、たじろぐのは妖一の方なのにな。"
 一体どういう相性なのか。同じようなことを自分だって仕掛けるくせして、他愛ない睦言一つで真っ赤になったりもする"無垢
ピュアなところ"は…実はお互い様で。
"これも一種の駆け引きなんだろうかね。"
 他所では絶対に見られない、それはそれは和んだ表情の彼を懐ろに抱いて。考えようによっては…半年前の自分からすれば、途轍もない贅沢な待遇の中にいるそんな自分に、だのにちょっとばかり不満を覚えてる桜庭くんだったりするのである。そりゃあもう、つれなく振られまくってたってのにね。こんの贅沢者が。



  ――― だってさ。あれって、いつのことだったのかな。

     ……… はい?





            ◇



 陽が落ちるのが随分と早くなっていたから、そんなにも遠い日のことではなかった筈だ。夜更だったのにタクシーに乗ろうという気になれなくて。ただただスタジオから少しでも早く離れたくて、足早に駆け込んだ最寄りの駅。さほど派手な個性で売っている訳ではないことから、変装には大して困らない。背が高いから丸きり目立たない訳ではないけれど、こんな夜半の、それも郊外方面行きのJRには、自分に関心を持ってるような層の女の子はまずは乗っていないから。スポーツキャップにサングラス。今の時期ならスタジャンの襟を頬まで立ててしまえば、どこの誰やらちょっと目には分からない。人いきれの名残りと、ヒーターオイルのそれだろうか、少しばかり鼻につく匂いとが垂れ込めた、がらがらの車内。灯された明かりは煌々と眩しくて、けれどその明るさが…今まで居たスタジオの、いかにも人工的な昼を思わせて落ち着けない。外の闇を透かし見ているような顔でいたが、その実、視野には何にも入ってなくて。角を丸くした長方形の窓に額を押し当てて、ひやりとする感触にぼんやりと身を晒す。
"………。"
 疲れているのかな。空
から元気が限界に来てたのかな。そういえば何日くらい学校に行ってないんだろ。3日だっけ? 4日だっけ? 朝も晩もなかったもんな。ま、撮影は一区切りついたんだけど…。漫然と、どうでも良さそうなことを胸中に連ねてみる。何も考えたくなくて、麻痺したみたいに凍ってた気持ち。ちょっとずつ体温に馴染んで、我に返って来たところで、
「…っ。」
 凭れてたドアが いきなり"がーっ"と開いた。予期していなかったものだから、肩が跳ね上がるくらいビックリして。何だか背後から小さな笑い声が立った気がして、気まずくて駅名も確かめないでホームに降り立つ。しゅんっと背後でドアが閉ざされて、ゆっくりと離れてく各駅停車の最終列車。だが、春人の関心はもうそっちにはなかった。
「…此処って。」
 ぼんやりしていて、随分と先まで乗り過ごしてしまったらしい。蛍光灯を中に収めて駅名を明るく掲げている標示板をぽかんと見上げる。知らない町ではなかったが、一体どういう巡り合わせなんだろかと、彼に思わせたその駅は。泥門、という珍しい地名を素っ気なくも掲げていたのだった。




 静謐な室内に間断なく響くのは、ただただ"カタカタカタ…"という、至って無気質な…小刻みに軽快にキーを叩く音ばかり。最近時々かけている、細い銀色フレームの、度の軽いメガネをちょいと細い指先でずり上げて。コキンと首を傾けながら、無表情なままに視線をサイドボードの置き時計に走らせる。彼にはまだ さほどまで"遅い"という感覚の時間ではなかったが、
"明日は休みなんだしな。"
 根を詰めることもないかと、終了の手順を打ち込んでから、PCの蓋を閉じた。参加チームが8つだけとあって、始まってしまえばあっと言う間の"関東大会"で。そっちよりも粒よりのライバルが犇めき合ってて、むしろこっちの方が大変だった都大会を奮戦突破して来た後輩さんたちが、いよいよ乗り込む"クリスマスボウル"への道。油断はするなと檄を飛ばすまでもなく、天狗にもならぬまま、こつこつとした日々の鍛練も怠らず。それより何より、楽しげに溌剌とアメフトを堪能しているのが、見ている側にも心地よくて。それでついついお節介な助力、相手チームの戦力分析等というフォローに、こうまで熱心に手をつけてしまう"ご隠居様"だったりするのであるが。
"…ん?"
 不意なタイミングにて、軽やかなチャイムの音がして。だが、こんな夜半に来るような客の予定は勿論なく。
"なんだ?"
 酔っ払いが部屋番号を間違えた…などという事は、まずは起こらない高級マンション。規模の割に住人は少なく、この階にもフラットは2つしかなく。それに入り口のクロークには24時間態勢で警備会社の人間が詰めてもいる。だが、ということは、ちゃんとこの部屋を目指しての来客だということになる訳で。
「はい。」
 固定電話の子機がそのままインターフォンへの応対にも使えるため、手近にあったそれを手にし、誰何の声を掛けると、
【………。】
 何の応対もないままに、こうこうという風の音だけが聞こえて来て。不審な訪問へは、このまま転送ボタンを操作すれば受付のガードマンが対処してくれるのだけれど、
"………まさか。"
 細い眉をちょいと寄せた蛭魔は、溜息混じりに訊いてみる。

  「桜庭か?」

 そんな約束があった訳じゃない。けれど、そういえば…今日は彼からのメールがまだ届いてはいない。毎日欠かさず、まめに送って来る彼だのにと思えば、何かあったのだろうかという想定も簡単で。
【………。】
 何の応答もないけれど、かすかにかすかに、息を吸い上げる声がして。小さな子供が泣き出す寸前、鼻を啜り上げるようなそれにも似ていて、
「鍵は開けた。上がって来い。」
 手短にそれだけ告げて、回線を切る。こんなに距離を置いて宥め賺しても埒があかない。それよりもと、立ち上がって部屋を見回し、テーブルに広げてあった書類やノートをざかざかと掻き集め、ノートPCと一緒くたにサイドボードの上へと重ね、キッチンへ向かって電気ポットの湯を確かめ、
"後は…。"
 昼に本宅からお手伝いさんが来てくれたばかりだから、コーヒーにせよ夜食にせよ、ポンと出せる態勢は整っていることを確かめて。
「…っと。」
 玄関からのチャイムが聞こえ、たかたかとそちらへ機敏に足を運んだ。広めの三和土
たたきに降りてドアを押し開くと、項垂れた様子の"彼"が立っている。
"…あん時みたいな顔してやがる。"
 打ち拉
ひしがれて…力のない、暗い顔。それでも今回は…ちゃんと意識はあるようなので、
「ほら、上がれ。」
 身を譲って中へと導く。自分よりもたいそう背の高い彼だのに。肩幅や胸板だって、かっちりとバランスよく鍛えられていて、日頃なら結構頼もしいのに。今は…悄然とした様子が何とも頼りなくて。
「…ごめんね、こんな時間に。」
 小さな声でそんな風に言って、何とか笑って見せる。黄昏を思わせるような柔らかい光の照明の中にあっては、精一杯な笑みも尚のこと頼りない代物に見えて。良いからと背中をポンと叩き、広めの廊下を居間の方へと促した。自分の目線からはちょっとばかり高い位置を横切って行った明るい色の髪のところどころに、細やかな水滴が絡みついていて。雨という背景まで一緒かよと、こっそり溜息を零した妖一である。


 いつも通している居間の真ん中。上着も脱がないままに ぽそんとソファーへ腰掛けたアイドルさんに、
「帽子くらいは脱ぎな。」
 キッチンに向いがてらに低い声を掛けると、のろのろと手を上げて。どこぞのレーシングチームのロゴの入った つばつき帽を、掴むようにして取り退
ける。丁度漉せたばかりのコーヒーと、ミルクやら砂糖やらとを載せたトレイを片手に、居間まで戻って来た妖一は、だが、それらをテーブルに載せると…向かいではなく、客人のすぐ傍らへと足を運んで来て、
「ほら。」
 真正面に立って、手にしたタオルで肩口やら髪やら、微かに濡れているのを拭ってやる。相手が座っているために、いつもとは逆の高低差。こんな構図、前にもあったなと思い出し、
「雨…。」
「ああ。気がつかなかったのか?」
 さして強い雨ではないようで、この室内にも雨音は聞こえて来ない。それでも…帽子のつばがあったろうに、顔にも滴が少しほど飛んでいて。頬に手を添え、顔を上げさせて、鼻の頭やら頬骨辺りやらを拭ってやると、
「………っ。」
 間近に来ていたその顔を、ぱふっと…こちらの胸元へ伏せてしまう。腰辺りへと回された腕でも、ぎゅうとこちらへとしがみついていて。

  「…まただね。ごめんね。」

 彼もまた いつぞやの雨の日を覚えていたらしく。深々とした溜息をついてから、
「愛想尽かされても仕方ないよね。」
 小さく笑ったらしかったが、そんな気配もまた、何だか痛々しい。

  "…仕事先で何かあったな。"

 すがりつくような、今にも力尽きて崩れ落ちそうなそんな顔をして。でも、ここに辿り着くまでは何とか我慢したんだろうなと分かるから。雨の匂いに紛れかけてる花蜜の香り、鼻先を髪に埋めてそっと吸い込みながら、

  「…大丈夫だから。」

 しっかりとした声で、囁きかける。何も訊かない妖一だから、何があったかは知らないし。だから…彼の側からもそれが何へとは言わないけれど。それでも、くっきりとした芯の通った声音が、
「泣かなくても良いから、大丈夫だから。」
 まだ泣いてなんかないのにね。やっぱり優しいんだ、妖一って。凍りついてた胸の底の、深くて暗い奥の方から、温かい何かが染み出して来る。今更両親に甘えるなんて出来ないけれど、それでもね。呑み込み難いほどの辛い想いに触れてしまって、心が凍りかかった夜なぞは、人の温みに触れたくなる。どうしようもなく寂しくて居たたまれなくて。誰かの体温に触れたくなる。ねえ、そんなにも冷たいばかりな世の中じゃないよねって、確かめたくて…。
"…まだ何にも説明してないのにね。"
 何で分かったのかな、妖一って凄いなぁ。妖一くらい賢いと、そういうことまであっさり推察出来ちゃうのかなぁ…。
"………。"
 仕事場であるテレビ局やファンの目がある外出先では、いつもいつも基本的には笑顔でいなけりゃならない桜庭で。爽やかでソフトな人当たりの"好青年"というのを売りにしている春人だし、個性
アクの強さで身を立てるには、日常以上に特別な根性や気合いのいる世界。とてもじゃないけど…そこまでの集中を要する演技を日頃から し通してまで"芸能界ここ"に居るつもりはなかったし。多少は"馬鹿っぽく"軽く扱われたっていいから、ちょっとだけお人好しで穏やかな青年として、所謂"好感度抜群"というポジションを安定して保っているのだけれど。そうは言っても…時々はね。腹に据えかねるようなこととか、憤りを感じるようなこと、目の当たりにしたりもする。人間や個性、その存在がそのまま"商品"や"道具"な世界。知名度やチャンスを得るために、欲望を剥き出しにして明らさまな衝突をしもするし、下心や打算が錯綜する世界だから、利用し合ったり裏切ったりという修羅場も当たり前に繰り広げられていて。幸いにしてと言うべきか、自分は下積みの苦労とか理不尽な力関係とか、あまり体験しないままに上り詰めたクチだったけど、陰で泣いてる人や傷つけられてる人がいるってこと、目の当たりにすると…そこはやはり堪こたえてしまう。気の毒だと思いはしても、自分には何の力もなく、助けてなんてあげられない。そんな自分の非力さを思い知り、尚のことに辛くて歯痒くて…。
"………。"
 愚痴なんぞを押しつけるつもりはなかったけれど、それでも。この町に来てしまったと気づいた途端、足が勝手に向かってた。なんて顔してるんだと呆れながら、それでも、優しく迎え入れてくれる人。事情は訊かないまま、でも、大丈夫だからと強い声音で励ましてくれる人。その腕できゅうって抱き締めて、欲しかったもの、ちゃんと判ってくれる凄い人。こんな人が出来たことがとっても嬉しくて。それがこの、飛びっきり綺麗で強い妖一なのが、尚のことに嬉しくて。
"…うん。"
 安心することで、励まされることで、少しずつだけど自分も強くなれそう…な気がする春人くんだったりするのである。



  ――― もう電車もないしな。泊まってくか?


       えと…うん。お世話になります。
       …………………あの、そいでサ。


  ――― どうした?


       あのさ、何もしないから、あの…。/////////


  ――― ……………………………分ぁ〜った。
      一緒に寝てやるから、まずは…風呂に入って来い。


       はぁ〜い♪♪♪







            ◇



「他の誰かを可哀想だなんて思うのは、自分が満ち足りてるから感じる余裕の感情なんだぜ?」
 それを悪いとは言わないけどな、なんて。相変わらずに辛辣な人。自分に自信があって、しかもそれを支えてる行動力も凄まじいまでにある人だから、そんなこと堂々と言い切れるんだよなと、桜庭が内心で言い返していると、
「同情するより、尻を蹴上げてでも奮起させて、一緒に頑張ってやる方がよほど建設的だろが。」
「…そだね。」
 なんだ、結局は応援したいんじゃないのと。小さく苦笑し、こちらの胸板の上に顔を伏せてる彼の、ダークブロンドに脱色された髪をそぉっと撫でる。さっきシャワーを浴びたから、柔らかな猫っ毛がふにゃりと降りてて、ちょっと見には別人みたいな彼だけど、
「ねえ、妖一。」
「んん?」
「妖一の"満ち足りた気分"に、ボクも少しくらいは貢献出来てるの?」
 そんな風に訊けば…懐ろから見上げて来るのは、やっぱりいつものどこか冷然としたお顔であり。
「このっくらいはな。」
 人差し指と親指で、今にもOになりかけのCの字を作って見せる彼へ、
「ひっど〜〜〜いっ!」
 それはないでしょと身を起こして憤慨すれば、温かだった懐ろから"おとと…"とずり落ちかかった山猫さん、
「ば〜か♪」
 嘘だよと言いたげな、でも…言ってはやらない、相変わらずの強腰なお顔で、それは楽しげに笑って見せてくれたのであった。









  aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


     ところで、こういう御質問をメール等で複数いただきました。

     Q;ラバヒルの方の彼らは、
         もう一線を越えてしまった"そういう関係"なのでしょうか?


     これは恐らく、拙作『innocent-matter A』にて

      「エッチなことは今日はお預けだね。」

     などという意味深なことを"誰かさん"が言ったもんだから、要らない想像を皆様に招いてしまったものと思われますが、

     A;まだ全然です。(時々ちょっとディープなキスまでです。)


      「だって妖一ってば、服の上からしか触らせてくれないんだもん。」
    (くすん)
      「当たり前だっ、馬鹿者っ! //////////」
      「でもサ、まだってことは"いつかは…"ってことだよねvv」
      「う…っ☆」






  〜Fine〜 03.11.20.〜11.22.


  *すいません。ラバ○ル話が続きましたね。
   次に構えてる話がちょっとばかり長めなものなので、
   ついつい寄り道しちゃいました。
   次の"アイシールド"の更新は
   ちょっと間が空くかも知れませんが、どうか御容赦を。


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