幕間D 〜五月嵐
メイ・ストーム
 

  五月の初めから中旬にかけて。連休に重なるくらいの頃合いに、物凄い突風が吹きつける時期がある。春一番ともまた違って、フェーン現象を招くのか招かれてか、芽生え始めたばかりの柔らかな新緑をはたはたと叩き、若い枝をぎゅううむと撓しならせるほどの強い風。

  「あ…。」

 アスファルトの上、低くすべって舞い上がり。何の前触れもなく、紙くずを躍らせる ざらついた風がやって来て。髪が額や頬に張りつくほどの突風に、思わず立ち止まって眸を瞑
つむったその拍子。バランスを崩したか、体がよろめきかかって、

  「おとと…。」

 信じ難いことだったけれど。立ち止まったその位置から"ずりり"と、体が風に押し負かされて後ろへ戻されそうになる。

  "えっ? えっ?"

 そんな、だって、人ひとりの重さが一応はあるのに? ビルとビルとの狭間の歩道橋。確かにね、女の子がスカートや髪の毛を押さえてて、大きめのトートバッグなんかに風を受けてたり、細いヒールの靴でよろけてたりしてたけど。ストレートの木綿のパンツに、足元だって履き慣れたスニーカーなのに。それに、これでも一応は。男で、アメフトなんていうハードなスポーツもやっているのに。スニーカーの靴底が砂を咬んで"ざりり"と軋みながら、ずるずる勝手に後ろへ滑りかかったものだから。なんで?なんで?って、妙に慌ててたと思う。そしたらね、

  ――― ぽふ…って

 背中に添えられたものがあった。添えられたというか触れたというか当たったというか。どれかなと思う間もなく、くいって軽々、風が押すのと関係ない方向のどこかへ引き込まれて。気がつけば…くるりと長い腕に巻き込まれ、浅葱色のTシャツ越しの感触も雄々しく頼もしい、もうすっかりとお馴染みの懐ろの中に"避難"させられてた瀬那くんで。

  「あやや。/////

 恐らくはボールを掴まえるみたいに、自然に、的確に。進さんのチームのQBは高見さんていって、蛭魔さんに負けないくらい正確なパスを出す人だけれど、それを受けるのでなく…敵のパスを中途でカットする"インターセプト"をするのが主なポジションの進さんだから。どんなにランダムでとんでもないコースのものでも、長い腕と鋭い反射で難無くキャッチ出来ちゃう人で。

  "うう…。"

 今も"反射的に"手が出たんだろうな。転びそうに見えたからって、支えるついで、懐ろまで迎え入れてくれた。冬場ならね、長いコートを着ているから。それで表面積も増えちゃって、風を孕んでしまって…って、ヨットの帆みたいに風を余計に受けちゃうから…って。だからだから、沢山の力に掴まれちゃうから、押し戻されちゃうんだろなって思って。進さんのコートの中に避難するの、何だか楽しいことだったんだけど。

  "こんな身軽なカッコしてるのにな。"

 着膨れてて動きが鈍い訳でもないのにな、風なんかに手足を封じられ、その上で易々と飛ばされかかっちゃうなんてな。

  "………。"

 びくともしない、他の誰かまで庇ってしまえる、そんな進さんと比べるなんて意味のないことはしないけど。それでもね。なんか…なんか堪
こたえるものがあって"しょぼん"てしかかったら、

  ――― ぽふぽふ…って

 大きな手が背中を軽く叩いてくれた。え?って見上げると、風が止
んだよって前を向き、歩き出すのを促しながら…もう手のひらは離れてて。

  "…あ、そうか。"

 元気出しなって。気にしなさんなって。何かそう言ってくれてるみたいで。もう離れた温かな手が、元気を分けてくれたみたいで。しょぼんって気持ち、どこかへ消えた。

  ――― 昨日とは逆さまだな…。





            ◇



 思い出したのは、昨日の放課後のこと。返しといてねって母さんに頼まれたDVDがあったから、レンタル店のあるQ街のモールで待ち合わせたら、何故だか桜庭さんも一緒に来てて。
「酷いんだよ、こいつ。発車しかかってた快速に無理から駆け込み乗車してさ、ボクんこと、追い払おうとしたんだから。」
 たまにはボクだってセナくんに逢いたいのにさ…って。いかにも意地悪をされたと訴えるように、小さな子供よろしく口許を尖らせ眉を顰める桜庭さんに、セナくん、クスクス笑いが止まらなかった。そんな桜庭さんが肩越しに指差してた、黒い短髪の大きな人は、
「すまんな、小早川。」
 抵抗空しく、とんだお邪魔虫を連れて来てしまったよと、こちらもいかにも真剣なお顔になって謝るものだから、
「ひっどーいっ。」
 ますます芝居ががってしまった桜庭さんだったけれど。何だか可笑しくて楽しくて、小さな声を弾ませて笑いながら、セナくんは"構いませんから"と桜庭に言った。途端に、
「やたっvv」
 大きな上背は進さんと同じ。いやいや数字では上だというほどの桜庭さんが、きゅうう〜っと抱きついて来たから、
「あやや…。/////
 あ、お花みたいないい匂いがするやと、結構余裕があったセナくんだったが、
「こら、桜庭。小早川を絞め殺す気か。」
「お前じゃあるまいし、加減はしてます。」
 べ〜っと舌の先を突き出す桜庭へ、
「何を、俺だって加減くらい………。」
「し…進さんっっ。/////
 日頃の寡黙で重厚な進の雰囲気が思いがけなく剥がれるのも、そういえばこのアイドルさんが同席してる時だよなと、今になって思い出してたセナくんだったりしたのである。
「このところ良い天気だよね。」
 めっきりと陽は長くなり、夕方、黄昏時だのに、空はまだまだ明るくて。オープンテラスのカフェに入った3人だったが、まだまだ十分、互いのお顔はくっきりと見える。
「勝ち進めたからだとはいえ、都大会でゴールデンウィーク潰れたじゃないか。」
 桜庭さん一人増えただけなのに、何だかとっても…いつもの倍くらい、話題が沢山取り上げられてて。
『試合が毎日あった訳じゃなかったのにさ、せっかくの祭日でも仕事がきっちり割り込まれてて、何だかばたばたとあっと言う間だったな。せっかる良い天気のGWだったのにね。…あ、そうそう。こいつってば、泥門と試合会場が同じな日はなんか落ち着かなくってさ。』
 アイドルさんがそんな話を持ち出せば。
『何を言うか、お前こそ妙にそわそわしてなかったか?』
 なんて。聞き流すことなく、進さんの逆襲がすかさずのようにかかるのが、いつになく新鮮で楽しくて。それでというのではないけれど、
 『ボクも"どこか"には出掛けられませんでしたけど。』
 セナくんも思ったこと、話してみた。

  「学校に行く途中の道とか、いつも乗る電車とか。
   いつも通りでなく、曲がる方向変えたらどこに行くのかなとか、
   もう何駅か乗り続けたらどんなところへ着くんだろうって。
   試合や練習が嫌だった訳じゃないですけど、そういうこと、考えてました。」

 だってホントに良いお天気続きだったし、試合や練習もむしろ楽しかったから。それで気分が浮かれてて、そんなこと、つい思ったんだろなって。そんな風に言ったところが、

  「迷子になるから、思うだけにしておくんだ。」

  「………え?」

 進さんてば、妙に真面目なお声でそんなことを言う。途端に、テーブルの下で"だんっ"て音がして、

  "お前はなぁ〜〜〜。"

 情けないと言いたげなお顔の桜庭さん。しっかりと足を踏みつけた上で、進さんが紋切り調で応じたことを責めてから、
「ボクはあるよ?」
 やわらかく小首を傾げながらにっこりと微笑ってくれる。
「天気が良い、暑いくらいの日が増えて来たからね。このままこの電車に乗ってったら、海とかに着いちゃわないかなとか。」
「海、ですか?」
 大きな瞳を瞬かせて反応をし、わくわくと弾む気持ちを乗せたまま"にこぉっ"と笑って見せたセナへ、
「そう。終点までずーっと乗って行ったら海とか、山の麓でも良いな。空気の良い、何にもないとこに着くんじゃないのかなとか、こんど暇が出来たらそういうトコに行ってみたいかなとか。」
 それはすらすらと。楽しそうに語る彼の言に、
「そうですね、良いですよね。」
 セナくんも"うんうんvv"と頷くが、

  「あの路線、そのまま乗っていても都心部にしか向かわないぞ?」

  「………。」×2

 だ〜か〜ら〜、と。もちっと夢のあること言えないの? ムードの欠片もない奴だな、例え話なんだよ これは、そんな現実的なばっかでいると、セナくんだってしまいには呆れちゃうぞ? と。畳み掛けるように言ってのけた桜庭さんに、進さん、むうと唇を引き結んでしまったが。

  "…ふふ。/////"

 当のセナくんは、何故だかちょっぴり………嬉しそうだった。





            ◇



 分かること、分からないこと。判ってくれること、判ってくれないこと。問わず語らず、なのに何も言ってないうちから判ってくれることがあるかと思えば。あんな風に…他愛のないことなのに、まるきり歯が立たないくらいに通じてないこともまだ幾つもあって。会話が噛み合わなかったことを歯痒く思うより、相手の中の"未踏の地"を見つけたみたいでちょっと嬉しいと。
"去年だったら、そんな風には思わなかっただろうな。"
 こんな凄い人が何を思って自分なんかに関心を持ってくれるのかが判らなくて。まだまだどこか怖じけてた、びくびくと腰が引けてたと思うし。それに比べたら今は、
"………ちょっと図に乗ってるのかな。"
 それはどちらかというと、反省しなきゃいけないことなのかな。風のない、モールの中へと入ってからも、どこか むむうと黙ったままで、物思いに意識を奪われていると、

  「小早川。」
  「…あ、はい。」

 声が掛かって…見上げれば、深色の眼差しが一心に覗き込んで来るのと視線がぶつかった。
「?」
 首を傾げる、やさしい仕草に、

  "………あ。/////"

 ほわほわって胸が温かくなる。途轍もなく怖い人だと思っていたのに。見とがめられたら困るからって、待ってる場所を変えてくれなんて言い出したの、すんなり聞いてくれた、ホントはやさしい人。判りたいって思って向き合ったから、見えて来た"いっぱい"。増えて来た"いつもの"や"知ってる"こと。

  「? どした?」
  「ん〜ん、何でもありません。/////

 五月の嵐みたいに、頼りない梢を揺らすよに、勇ましくやって来た人。大っきくて、なのに…実は朴訥で。気がつけばしっかりと、セナからの想いを攫ってしまった人。

  「進さんのこと、やっぱり好きだなぁって。」

 にこにこと笑って、そんな一言を紡いだら、

  「………。」

 お返事はなかったけれど、お顔の様子もあんまり変わらないけれど、

  「…。/////

 お耳が一気に真っ赤になって、そんな人なのがやっぱり嬉しい。間近に迫った二度目の夏を、さあさ どう過ごしましょうかと、それもまた楽しみなセナくんである。




  〜Fine〜  03.5.24.


  *ちょっとバタバタっと書いてしまいました。
   何だかいつも以上に未消化ですみません。


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