前略 進さんへ
 

 思わぬ事態から急な入院となり、チームの皆さんにもご迷惑をかけ、お友達にも心配させ、そして何よりも大事な人への連絡が出来なかったことに"しゅ〜ん"としょげていた小早川瀬那くんだったが、どうやって突き止めたのやら、一番会いたかったその人がわざわざお見舞いに来てくれた。遠い学校から放課後の練習の後に来てくれて、逢えたのはほんの少しばかり、数分ほどのことだったのに。そうなるだろうと分かっていたのだろうに、ただでさえ疲れている身で、それでもわざわざ足を運んでくれたのが嬉しくて嬉しくて。
"こんなくらいで しょげてちゃいけないんだ。"
 お初の体験だらけで、実は少しだけ寂しかったりもしたのだが、そんな気分はぶるると春の夕暮れの中へ吹き飛ばし、
"よ〜し頑張るぞっ!"
と気合いも入って、とりあえずは抜糸までの入院生活があと数日。

  "…でも。何をどう頑張れば良いんだろ?"

 おいおい。
(笑)




 学期が始まったばかりでいきなり入院という身になってしまったが、ゴールデン・ウィークまでは短縮授業が続くから、授業から置いてかれるという恐れはあまりない。雷門くんが授業のノートは見せてくれるし、まもりお姉ちゃんも
『退院したら中間テストに向けての臨時の家庭教師を請け負ってあげるからね』
って言ってたし。だから今は回復に専念しなさいとも言われたけれど。せっかく気合いが入って盛り上がったのに、やることがないなんて何だかどうも。
"…う〜んと。"
 ここはやっぱり。思わぬサプライズ・プレゼントをくれた進清十郎さんへ、何かお返しがしたくなった。何かお話がしたいなって思った。だって、せっかく来てくれたのに。心配してくれてすみませんとか、凄い嬉しかったですとか、入院中なのに"元気です"は訝
おかしいが、経過は良好ですと伝えたい。春季都大会が始まってしまって、ライバル校同士だからと逢えなくなっても、毎日メールでお話し出来るから平気だと思っていたのに。それが出来ない今、却って…ますます何かお話しがしたくてしようがない。
"でも、電話はダメだし…。"
 携帯電話の出す電磁波が、医療機器に内蔵されたマイクロコンピュータへ影響を及ぼすというのは結構有名な話。メールなら良いじゃんとか、よく判らない事を言う人がいるが、ただ電源が入っているだけでも、そこへの着信で心臓用のペースメーカーに影響を出すことがあるそうなので、気をつけましょう。(っていうか、最低限のマナーだと思うんですが。)
"う〜んと。"
 退院してしまえば、何の支障もなくメールでも電話でも出来るものを。でも、無理なものは仕方がない。じゃあ他には何かないかなと、考えて考えて…。
ぽくぽくぽくぽくぽくぽくぽく…ち〜ん☆

  "…あ、そうだ。"

 何か閃きましたね、セナくん。





            ◇



 昨日のやっとの再会がよっぽど嬉しいものだったのか、本日の進清十郎くんはここ数日の異変をすっぱりと拭い去り、本来の静謐さを取り戻した。彼がいるだけで空気が引き締まると評される、落ち着きに満ちた清冽さという冴えた雰囲気が、その周辺、半径10mに音もなく復活し。各教科の授業のそれぞれに於いても、教師からのご指名にきっちりと応じて的確で優秀な解答を示し、渡り廊下を移動中には真後ろから不意に飛んで来たバレーボールを易々とキャッチし、昼休みには窓から落ちて来た鉢植えに気づいて難なく受け止めて見せたほど。
"極端から極端へ まあ…。"
 この変わりようの裏書を唯一知っている桜庭くんとしては。大人びた重厚さが頼もしくて素敵と、こそりと人気の高い進くんの…初恋のあれやこれやにたどたどしいまでに振り回されまくっている、実はあまりにも可愛らしい一面をも知っているが故、ついつい苦笑なんぞも洩れたりするところだが、
"あのセナくんが相手ではね。"
 あんなに小さくて…ちょっと臆病で繊細そうな少年が相手では、この武骨者、相当に気を遣わねばおっつかないのは事実だしねと、納得してはいる。それに、彼
の人の ほこりとした笑顔の温かさは、成程、大きなその身を小さく屈めてでも間近に見たいと感じるだけの価値はある。まるで思わぬところに開けていた陽だまりみたいな、優しくて柔らかなその笑顔は、恐持てさえするホワイトナイツの騎士殿をあっさりと陥落させてしまったほど。確かに以前は過ぎるほど臆病だったらしいけれど、今ではすっかり"強い"子になった。脅威に迫られても突発事に急かされても怯まない。"痛い"とか"怖い"から逃げたりしない、粘って頑張る気勢を身につけた彼だから。そしてそして、大好きな人を理解したいと、小さな腕、精一杯広げて。この野武士みたいな武骨男を、ちゃんとちゃんと判ってやれる素晴らしい子だから。朴訥で不器用な幼なじみをやはり"良い奴だ"と思って止まない桜庭くんとしては、この愛らしくも切なる恋路、出来る限り応援してやりたいと思うところであるらしい。
「…あ、そうだ。」
 数日後に迫った今季初の試合に向けての最終調整…にしてはかなりハードな練習を消化し、ガタゴトと列車に揺られて帰りついたる彼らの地元。春宵の薄暮の中を歩きつつ、桜庭が何事か思い出したような声を上げた。
「母さんに言われてたんだ。お前んチの紫陽花、株分けしてもらう事になってるんだって。帰りにもらって来てくれって。」
 旧家なせいで庭にもなかなか丹精な手の入っている進家だが、精悍なお顔を"判った"と頷首させた総領息子、昨年までは紫陽花もツツジも、咲くまでそれと見分けがつかなかった野暮天である。見分けのついた桜やヒマワリも、だからといってわざわざ注意を留める存在ではあり得なかったものが、ガーベラなんていう洒落た花がいきなり好きになり。ポスターやディスプレイなんぞで飾られてあるのを見かけると、妙に視線を奪われていたのが記憶に新しい。そうと変わったのが…恋心を告白する日を境にしていたものだから、
"恋の山には孔子も仆
たおれってか?"
 桜庭にしてみれば可愛らしいやら微笑ましいやらという範疇であるが、そんな変化を帯びつつある彼だと、一体どのくらいの人たちが気づいているやら。鉄面皮はこういう時にもある意味便利であることよ。
おいおい

  「?」

 自宅の長い板塀を横手に歩んで、正門へと辿り着く。耳門を開けて入ったそのまま、いつもなら振り返りもしないで玄関へ向かうところだが。今日は連れがあったため、彼を通してから閉めた扉の傍ら、使い込まれた郵便受けに、ふと眸が行った。ここいらは昼頃に配達される地域だが、速達なのか葉書が一枚、その端を覗かせていて。何の気なしに抜き取ったそれが、

  「………。」

 シルバーグレイの詰襟制服も凛々しき偉丈夫を、その場にカチンとフリーズさせた。
「………? どした? 進。」
 帰りついたる自宅の門口でいきなりエンコした
(笑)親友へ、怪訝そうに声をかけた桜庭だったが、
「…っ。」
「あ、おいっ。」
 やはりいきなり、今度はざかざかと玄関へ向かってしまった進であり。
"何だ何だ?"
 妙な案配にて置き去られたお友達。我に返ると…後ろ頭をほりほりと掻きながら、再び門の外に出て、お邪魔しますと告げるため、インターフォンを鳴らすに至った。





   ――― 前略、進さんへ。
       お隣りの子供部屋の子がおすそ分けしてくれました。
       金魚草っていうお花だそうです。

 サインペンのやわらかなタッチにて。奔放に描かれた、赤みの強いオレンジ色の愛らしい花。それを真ん中に、丸々とした見覚えのある字がほんの少し並んでいて。

   ――― 思ってたより早く退院出来そうです。
       一回戦に出るのはやっぱり無理みたいですが、
       主務として応援に回って参加します。

 愛らしい便り。こういうのを"絵手紙"というのだと、紫陽花の鉢を桜庭に渡して居間へと戻って来た母上が教えてくれた。伸び伸びとした絵を描き、そのまま絵の一部みたいに、ご挨拶や近況を書いて送る葉書やお手紙。気の置けない人へのお礼状などにと、最近、はやっているらしい。元気ですと、そうと伝えたい彼なのだなという文面だが、左の端には こそりと小さな字。


   ――― 逢わないのを我慢するのは頑張れますが、
      "逢えない"のは ちこっと寂しいですね。


 そうだなと、寂しいどころか不安だったお兄さんが小さく苦笑。季節は春爛漫から爽やかな初夏へと移行中だが、愛しいあの子のお便りからは、いまだ春の香りがして。切ない宵をなお甘く、噛みしめてしまう進さんであった。






   aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


 濡れ縁の板張りに胡座をかいて座り込んだ大きな背中。庭の方を向いて…時折手元を見下ろし、何かしら書き留めているらしき彼に気がついて。
「あら、案外と上手いじゃない。アジサイでしょ?」
 そんな手元をいきなり覗き込むためにと、わざわざきっちり気配を消して近づくところは、さすが…実は有段者のたまきさんで。突拍子もない"襲撃"を受けたにもかかわらず…姉のこういうところには、もう二十年近く付き合って来たせいですっかり慣れた弟さんとしては、
「………。」
 黙ったまんまで庭を指さす。少し節の立った大きな手で指さされたのは庭先の、今はもう若葉の茂り始めた、
「サクラなの?」
 今は緑の樹であるが、先日までは…彼の手元のこの淡彩の絵のような、緋色の花が確かに枝々に満ちていた。けれど、
「でも、この大きな葉っぱは?」
 訊かれて、やはり根元を指さす彼で、
「あ…茂み、ね。」
 成程、言われてみればそういう構図だというのが分からないでもないが。でもでもね、同じ庭にその桜よりももっと似ている植物の茂みがあるものだから、そこはやっぱり…何だか何だか。
「でもねぇ。」
「たまきちゃん、余計なことは言わないの。」




   ………さて。


「…♪」
 すっかり回復し、学校にも通い出したセナくんは、朝の通学路にて何だか嬉しそうに1枚の葉書を眺めている。
「おはよう、セナ。」
「あ、おはよう、まもり姉ちゃん。」
「あら、絵手紙ね。上手なアジサイね。」
 淡い緋色の群雲を綺麗にぼかしたピンクの紫陽花。そうと見えたのだが、
「違うよ、これはサクラ。」
「え? だって…。」
 何の説明もなく、文面はちょいと剛筆の丁寧な楷書で『退院、おめでとう。』と一言だけ。誰からのものなのか、大人の人からみたいよねと感じつつ、
"…どう見てもアジサイなんだけどな。"
 ニコニコと笑うセナくんには判るらしいです、やはり。



  〜Fine〜  03.4.13.〜4.16.


  *バカップル噺は書いてて楽しいですねvv
   先のお話の続きですが、いかがなもんでましょ。


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