シャングリア・ポインセチア
     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
            *セナくんBD記念作品(DLF
 



 今でも“咒”と呼ばれる魔法や精霊の存在といったような不思議な力を重用するその礎とも重なる、悠久の歴史を誇るのみならず、冬になれば港が凍るほどの極寒の地としても有名な北国である王城キングダム。されど今年はまだ、その“極寒”までは訪れてはいないのだそうで。
「随分と暖かい方なんだってな。」
 ほんのりと室温で曇っている窓ガラスを眺めながら訊いた相手へ、
「うん。去年なんか、今時分から山颪
おろしの猛吹雪が始まっててね。外へ出掛けるにしたって、それなりの装備は必要で、それがないままでは防護の咒が効力を成してる城下までが限界。僕らにだけ見える“旅の扉”まで、ノブがカチンコチンに凍りかけてたもんさ。」
 なめらかに語られた説明だったが。
「…後半は嘘だろう。」
 成長過渡期世代の健やかな青年としての伸びやかな肢体に、彫が深いのに優しげで溌剌と明るい、いかにも正統派という観の強い美貌をまとった白魔導師さんと、談笑用のリビングにて向かい合ってた黒髪の導師様が。こちらさんはちょいと鋭角的で精悍なその目許を ちろりんと胡散臭げに眇めて見せる。負傷疲弊の治癒回復や、邪気の封印浄化などを主たる専門とするのが彼らが得意とする“白魔法”であり、それを統べた者にだけ見えるのが、遠い土地同士を時空間跳躍にてつなぐ“旅の扉”というポイントで。本当に木材や金属などで組まれているものではないのに、実体のない代物が凍ってどうするかと、判りやすい突っ込みを入れたお兄さんへクスクスと笑って見せて、はい冗談でしたとあっさり認めた桜庭くん。
「でも、君がいたところだってかなりの極寒地帯じゃなかったのかい?」
 何しろ。生まれ育った土地はアケメネイという、一年中雪渓が残っているような寒くて峻烈な山岳地帯だった葉柱さんだ。ここの極北ならではな寒さにいちいち感心しているけれど、彼にとってはそうまで“珍しいもの”ではないんじゃないかと。その身の上をなぞってみたらしき美丈夫からの言へ、立てた人差し指を“チチチ…”と宙で振って見せ、
「確かに暖かいとは言いがたかったが、住まいのあった土地自体は、雪で閉ざされるほど大変な気候ではなかったからな。」
 何よりも、聖地を邪気にて冒す“侵入者”を防ぐためにという点をこそ、一番に尊重された土地だったから。こちらの存在気配を隠すため、周囲の山岳地帯にては、防壁も兼ねた吹雪が吹き荒れていたような環境だったらしいけれど。あまり聖域から外界への出入りはしなかった彼ら住人にしてみれば、そんな条件もさしたる“障害”ではなかったのだそうで、
「高い山々の尾根に取り囲まれた格好になってたから、それがむしろ“風よけ”になっていてな。」
 それなり寒くなりはしたが、何もかもが凍りつくというような、凄まじいほどの、そして不自由を強いられるような気候ではなかったらしい。
「ふ〜ん、そうなんだ。」
 元は魔神であったという桜庭でさえ知らない、伝説の聖地を守り続けた一族のお話は、いついくら聞いても興味深くって。相方さんが“光の公主”様の咒のお勉強にとかかり切っているその間、このところは彼からのお話を聞くのが日課になってる、亜麻色の髪をした魔導師さんだったのだが、

  「あのあの、桜庭さん、葉柱さん。」

 そんな彼らがいたお部屋へ、とたとたとやって来た気配があって。どなたでも気がねなく どうぞお入りという意味合いから半分ほど開いていた、天井まである大きな扉の陰から、そぉっと半身を覗かせて遠慮がちに声を掛けて来た人物がある。

  「あの…進さんを、見かけませんでしたか?」

 ともすれば聞こえにくいほどの小さなお声で、内緒のお話のように訊いて来たのは誰あろう。小さいけれど幼いけれど、これでも当代随一の陽白の力の持ち主、光の公主様、瀬那殿下であったから、
「? いや、今日はまだ。」
 葉柱がかぶりを振りつつ同意なり応じなりを求めて見やった先で、桜庭がちょっぴり肩をすくめて見せた。
「どしたのサ、セナくん。今日は進に休みをあげたって聞いたけど。」
「…はい。そうなんですけど。」
 それでもね、あのそのえっと…と。薄い綿の入った温かそうなキルト地の上着の胸元辺り、見下ろしたご自分の両手の指をいじいじと組んだり握ったり。厳格そうな大人の前にて、まだ覚束ない意見をちゃんと筋道立てて述べなさいと言われた幼子のように、何とも心許ない態度を見せるかわいい人。気持ちの芯はしっかりしており、腹をくくればそれなり、覚悟の上で結構大胆な力も発揮する御方なれど、普段は心優しく大人しい男の子なものだから。そんな彼の間近にあって、一時たりとも注意を逸らさず、いつもいつもやさしく見守ってて下さる人のこと、ついつい探してしまった殿下であるらしく。
「たまにはすっかりと息抜きをしたかった進さんなんでしょうけれど…。」
 セナの側にしてみれば、いつだってお傍に居たいし居てほしい人なのと。そう言いたげな、いかにも切なそうなお顔をした公主様。これほどのお城の中の、しかも奥の院“内宮”に居ながら、なのに…心細くて仕方がないと、しょぼぼんと力なく肩を落としたセナだったのを。小さな苦笑混じりに眺めやり、それからそれから、
「ちょっと待て。今日一日、奴に休みをやっただなんて話をお前が知ってるって事は。」
 おもむろに、そうと訊いて来た葉柱さんへ、
「うん。朝一番に逢ってはいる。」
 こちらさんも しゃあしゃあと応じた桜庭であり、胸の前あたりへと平らに広げた手のひらに、小さなビー玉のような宝珠をコロンと転がして見せて、
「まだ応答がないからね、御用が済んでないみたいだ。」
 そんなことを言って“くすす”と笑って見せたのであった。………って、それって?






            ◇



 事の始めは今朝早くのこと。ここいらの今日この頃は明け方が一番に冷え込む時間帯であったれど、毛足の長い毛布にふかふかな羽毛の布団、天蓋から降りたるは、目の詰まった緞子の分厚いカーテン…と、外の寒気から十分すぎる装備にて守られた、それはそれは暖かい褥
しとねにいた彼を、

  ――― ………………? 何なに? 誰だ?

 強い思念で叩き起こした者がいた。ふにゃ?と目覚めた、そのすぐ目前に。一緒に同じ毛布にくるまって横になっていた、愛しい人の無心な寝顔があったもんだから、
“今日も可愛いなぁ〜vv
 なんて やに下がってると、再び呼ばれて“はいはい”と、渋々ながらも身を起こす。相手は“能力者”ではないからね。そんな人物の、強いけれど特殊ではない、相手を選ばずな単純な思念だったから。放っておいたらこうまで熟睡中の妖一さんまでもが、それを拾って目を覚ましてしまいかねない。音はさせずに指先を弾く仕草を一つ。それだけで、あっと言う間に…寝間着から道着に着替え、髪を撫でつけという身支度を済ませ、

  「お待たせ。何か用?」

 寝室の向こう、居室の外へとまで足を運んで出て来たお廊下にて。自分を念じただけで呼び出した、ある意味で十分不遜な“訪問者”とのご対面。言葉づらだけではちょいと判りにくいながら、くだらない用件だったら承知しないよと言いたげな響きを含ませた訊きようをしたものの、
“相手が悪いな、こりゃ。”
 全然通じてないだろなと、誰でもない桜庭本人が胸中にて苦笑したその通り、
「お前にしか出来ないだろうことを頼みたくてな。」
 これでも。彼にしてみれば、きちんと礼儀を踏んだ上での物の言いよう。お顔は相変わらずに悠然と引き締まったままの恐持てながら、話し始めと話し終わりに、軽くながらも会釈以上にくっきりとした“目礼”つきだったから。不躾けに憮然とした態度を取られた訳ではないのだろうと…そこは慣れたもので、こちらから歩み寄って読み取ってやり、出来るだけ良心的に解釈してやる、これでも年長者の桜庭さん。少ぉしツンとして冷たい空気が満ちた、朝早い時間帯の大理石のお廊下に、どちらも結構な上背のある均整の取れた体躯と凛々しい風貌をした偉丈夫が二人、真っ直ぐ向かい合ってる構図は、なかなか目の覚める情景であって。
「で? 頼みごとって何?」
 朝っぱらからきっちりと、そのまま戦闘服になってしまう防具内蔵の…少々野暮ったい衣装を着つけた、セナ殿下直属の近衛兵。国王陛下から直々に、セナのみを最優先してお守りするようにと、それへ必要ならば 大概の緊急避難を許すとまでした特別な待遇を授かっている白い騎士様。訊かれるとすぐさま、身を動かし…こそりと桜庭さんへ耳打ちをした。相変わらずに質実剛健、単刀直入。手短に告げられた“それ”自体は、判りやすくてすぐに飲み込めたことだったけれど、
「それは構わないけど…セナくんの傍に居なくてもいいの?」
 桜庭が知る限りのずっと、この寡黙で武骨な男の行動や言の全て、あの可憐な殿下にまつわるものばかりではなかったか。光の公主である尊き方だからではなく、王族の眷属であらせられるからでもなく。実は自らに課せられていた使命に関わりがあった人なのだという“肩書”なんか、まだ全く知らなかった、気づかずにいた、そんな彼との最初の出会いの時から既に。それはそれは小さくて、儚げなのに一途で健気な、そんな存在だったセナを、その髪を掻き乱す風からでさえ守ってやろうと、心に決めていた騎士様であり。彼を巡っての大きな騒動に決着がついた今でさえ、すぐ傍らに身をおいて陰になり日向になりして守り奉っている彼らの信頼関係は、これ以上堅い物はないくらい続行中なのに。
「ああ。」
 昨夜の内にセナ殿下から1日だけお休みをいただいたという騎士様は、大丈夫、懸念はないと頷いて見せる。後で分かったことだが、近衛連隊長の高見さんに後は重々頼むと言い置いて来たのだそうで、
「了解。それじゃあすぐにも出発しようかね。」
 亜麻色の柔らかそうな髪を手櫛で後ろへ、掻き上げるように梳きながら、にこりと笑った白魔導師さんだった。




 そんな彼らが向かった先は…王城の城下に比べれば随分と暖かい風の吹く、かなり南下した辺りの土地だ。無論、いくら桜庭が随分と力の強い魔導師だといってもそうそう簡単にやって来られる距離ではなく。冒頭にちらりと触れた“旅の扉”という、遠い時空間同士を直接つなぐ不思議なポイントを通り抜けての大移動。
「此処でいいの?」
 何と言っても大陸の南端。これ以上の南となると、大陸の力が及ばない海上になってしまうから、移動手段である“旅の扉”もなくなるその上、咒の力も大きいのは使えないため大柄な彼を担いでは到底飛んでは行けない。魔法がらみで手伝えるのはここまでなのと言えば、ああと頷いた騎士様が見やったのは、随分と波の高い海を臨む海岸線だ。ゴツゴツと殺風景な岩場ばかりが黒々と広がっており、
“もしかして、時期が違えばカメちゃんの仲間たちが遊んでるのかもね。”
 いや、カメちゃんは元はオオトカゲじゃないんだってば。…あれ? ということは、此処ってもしかして?

  「この石を渡しておくからね。」

 大きな手のひらへと転がしてやったのが、ビー玉くらいの大きさの翡翠の玉。これへ向けて念じてくれれば、そこへ迎えに行くから。ただ、くれぐれもこの大陸にいてくれなきゃ無理だから、それは忘れないでねと言い置いて、これから何をか手掛けるようとしていた騎士殿を残して、城へと戻って来た彼であったのだそうで。







            ◇



「………それって。」
 そんなにも遠いところに行ってしまった彼だと聞いて、ますますのこと悲しそうなお顔になったセナ王子。せめて城の中であるのなら、隠れんぼではないが探しようもあったのに。旅の扉を使うほどの遠方に御用があった進さんだったなんて。しかもしかも、
“そんなこと、何一つ話しては下さらなかった。”
 これがあの朴念仁な剣士様の最も困った点なのだが、寡黙が過ぎて周囲へ何も言わなさすぎる。何か困ったことや悩み事があったとしても、あの鉄面皮によって決して外へは漏らさないまま、自力で解決してしまうかそのまま放っておくか。大したことでないのなら、本人が納得している以上、それでも構わないのだけれど、
「………。」
 小さく肩を落としたまんまの幼い殿下。何も言ってくれないということが、大切な人をこんなにも寂しがらせてしまうことだってあると、
「ちゃんと言ってやった方が良いんじゃないのかね。」
 こそりと、間近にいる相手にだけ聞こえるように小声で言った葉柱だったが、
「最初の内は僕もそう思ったんだけどもね。」
 省略された部分もちゃんと理解した上で、桜庭はひょいと肩をすくめて見せて、
「あの二人は普通の恋人同士じゃあないからね。そっちにしたって、僕なんかはそんなことにこだわることはないと思う要素ではあるんだけれど。」
「???」
 あまりに遠回しな言いようへ、何のことだと眸を見張った精悍なお兄さんへ、

  「進はあくまでも、セナくんに仕える護衛官だってことサ。」
  「………あ。」

 そんな一言だけでピンと来るものがあった辺りは、山奥から出て来た身の上の葉柱にも当たり前なものである“世の常識”の一部であったことだから。この時代に生きる者にはモラルの基盤のようなものとして馴染んでいること。すなわち、身分の差、である。
「だから、自分の都合なんてものを二の次にするのは勿論のこと、自分が思ったことや感じたことなんてな代物、主人であるセナくんに気さくに語るのは僭越でお門違いだって事にもなるらしくてね。」
 成程ねと合点はいったが、でも…だけれども。しょんぼりしているセナの側は、そんなものにはこだわっていないと見受けられるのだがとは、葉柱の見解。いつも今でも、進に傍らに居てほしいのとどこか甘えて頼っているような、彼の側からこそ手を伸べているような気色がセナの側にこそあって。だったら問題はなかろう、頼もしい人と慕われるまま、すんなり頼られて進の側からリードしてやっていれば良いのだろうに、
“そこがそうも行かないって訳か。”
 いつだって厳然とした表情にてそのお顔をきりりと引き締めていた、いかにも頑迷そうだったあの白い騎士殿を思い出す。棘々しいばかりの緊張感に、いつもいつも張り詰めてばかりいた彼だというのではなかろうが、上下関係だとか主従関係だとか、そういった決まり事には途轍もなく こだわっていそうな、融通の利かない人物だから。自分に厳しく、禁忌も山ほど強いてそうで。仕えるお方へ馴れ馴れしく振る舞ったり気さくに構えたりなんていう図に乗った態度なぞ、到底しでかしそうにはなく。
“ああいう折り目正しい不器用さもまた、素朴な個性ではあったが…。”
 その胸の裡
うちにて、柔軟で柔らかな感情が主として震える、それが恋愛。そんなジャンルが得意な、要領のいい人間には到底見えない。むしろ苦手で経験値も低すぎで、だからこそ戸惑いも多かろう彼ららしい、ぶきっちょで歯痒い恋路だということか。
“確かに。本人同士の問題だな、こりゃ。”
 桜庭同様肩をすくめて、傍観するだけな第三者にはお手上げなことだなと苦笑した葉柱であり。同じ想いを甘く酸っぱく胸へと転がしていた白魔導師さんも、それへと釣られて苦笑しかかったのだが、

  「…あ、ちょっと待って。」

 何かに気づいたような顔をすると、視線を天井のどこへか泳がせてから…にっこり笑って、
「お呼びがかかった…けど。あれれ?」
 勿論のこと、セナ殿下のお耳もお顔もこっちへと向いている。そんな彼へ安心なさいと告げる筈が、
「…何なに? 誰かが割り込んでる。」
 何だか雲行きがおかしいらしい。薄い胸元へ小さな両手を伏せるようにして握り込み、ハラハラとした心配そうなお顔になってゆくセナをこそ、案じてやるように見守っていた葉柱が、
「伝信珠だろう? その先へ、とりあえず行ってみりゃあいいだろうが。」
 何を思わせ振りな態度ばかり見せているかなと、ともすれば睨むように桜庭を見据えたのだが、
「それが、その先ってのが、今、物凄い勢いで移動中なんだよ。」
「はあ?」
 勿体振ってる訳ではなくて、彼自身にも何が何やら判らない、突発事態が起こっているのらしく、
「…あ、でも。こっちに飛んで来てる。もうすぐ…来る、来た、到着…っっ?!」
 桜庭の実況の声を飲み込んで、どんっという鈍い地響きがこのリビングにもどこからか届いたもんだから。
「…っ!」
 ひっと短い悲鳴を上げつつ、傍らまで歩み寄って来ていてくれていた葉柱のお兄さんに、きゅうっと掴まった小さな殿下。無論、この殿下を守ることはこの城にいる者全員の努めだということくらい、よくよく理解している彼だから。今は居ない進に代わっての護衛を務めて、その身を守るように抱いてやった葉柱であり、
「その珠の反応が近づいてたって事は、今のはそれの到達が齎したもんだってことか?」
 肩越しに桜庭へと訊いている。
「うん。位置はまんまだ。」
 眸を伏せて気配を辿っていたらしき白魔導師さんが大きく頷き、
「こっち、そんなに遠くはないよ。」
 そこから中庭へと出られる、テラスの大窓を指差した。確かに、一国の城がささやかな衝撃で簡単に壁や床を揺るがすほど安普請な筈はなく、間近いところで起こった事が伝わっての振動だったのだろうが、
「…判った。」
 自分が行ってみるから、この子を頼むと。傍らまで歩みを進め、間近まで近づいたところで腕の中に守っていたセナ王子を委ねようとしかけた葉柱だったのに、

  「…あ。」

 一体、何が見えたか聞こえたか。恐々と腰が引けていた筈のセナ殿下、テラスの向こうに何かしらの反応を示すと、二人のお兄さんの傍らから、一番乗りにて窓へと駆け寄り。冷たい取っ手をぐいと回して、凍りついてか堅くなってた蝶番も何のその、大窓を開け放つとそのまま真っ直ぐに、その先にあった温室へと駆け出している。
「セナくん?」
「おいっ。」
 あの反応は尋常ではない。さっきのとんでもない到着音といい、進に何かあったということか。出遅れた二人も慌てて後を追い、ひやっとお寒い外気の中、冬枯れしかけた芝生を横切り、彼が飛び込んでいった、インコたちを放している中規模の温室へとそのまま駆け込めば。

  「だ〜〜、こらカメ。懐くんじゃねぇよ。」

 彼には珍しいことに、く〜、くあ〜と懸命に泣き声を絞り出してまで、カメちゃんが足元にまとわりつくのを何とか遠ざけてやろうとしてか。よっこらせとその腕へ大きな図体のトカゲくんを抱き上げていたのが、
「…妖一?」
 セナくんの咒のお師匠様、黒魔導師の蛭魔であり。ついさっきまでそのセナくんと向かい合っての講義中という身であったろうに、こんなところで何やって…と訊きかけた桜庭の声を遮って、

  「進さん?」

 セナ王子がもう一人の方へと歩みを進める。少しばかり潮の香りがするその偉丈夫さんが、懐ろに大切そうに抱えてらしたのは。厚みのある深い色合いが、観る者の視線を捕らえて離さない、そんな素晴らしい存在感のあるポインセチアの株であり。だが、

  「なんで…何でこんな危ないことをっ!」

 事情が全て飲み込めているからこそだろう。喜ぶどころか、口許をわななかせたセナ殿下が続けざまに言うには、
「確かにこれは、ボクのいた村にしかない種のポインセチアです。村のお年寄りの人たちからだって“伝説の”と呼ばれているくらいで、ボクも実際には一度しか見たことがありませんし。まもりお姉ちゃんが、今にして思えば…咒の力で海を渡って行って、持って来れたんだと思います。」
 珍しい種の株だから、売れば凄まじい値がついた。確か、あの村へ居着いたばかりの頃合いで、いろいろと物入りだったからとそんな手段を取った彼女だったに違いなく。
「海を渡ったって…。」
 そこまでは見届けていなかった桜庭が呆気に取られた。こんな寒い時期だけに、いくら南国でも、それなりに海水温は下がっていよう。しかも、
「寒いだけじゃない、それ以上にとっても危険な場所にあった筈です。」
 セナが激高したままの口調で言うには、年中大きなサメがたくさん泳いでいる海域の先の孤島にだけ自生している株であり。人が寄らない浜だから尚のことなのか、相当に大型のサメばかりが居着いているので、よほど大掛かりな戦艦でも持って来ない限り、テリトリーを荒らしに来たものと解釈されて、ボートやヨット、ちょっとした漁船程度の船だと、何頭もからの体当たりを一斉に受け、間違いなく転覆してしまうのだとか。
「…そんな恐ろしいトコだったの?」
 全く気がつかなかったから。じゃあねと軽く手を振って、彼を置き去りにした桜庭だったのだが、
「海流だって速かった筈です。」
 そんな危険なところを、しかも咒は一切使えない彼がと、その先を考えるのが恐ろしいらしいセナであり、
「そっか。人が容易に上陸出来ないから、門外不出になってるんだ。」
 桜庭がしみじみとした声で言う。
「まもりさんてのがどのくらいの能力者だったかは知らないけれど、その島の方角には“旅の扉”はなかったよ。」
 よほどのこと、大地の精霊との深いつながりのあった一族の人だったんだろねと、桜庭が付け足して、
「何たってこの大陸の南の果てだもの。大地の力も外海にまではなかなか及ばないから、それを頼っての大きな咒は本来だったら使えない。」
 自分でも、鷲クラスの大きな鳥にでもなって、その足で株を下げて飛んで帰ってくるというような手でも使わない限り、咒での往復ったって限度があったはずだと、能力者である彼がそうまで言うに至って、

  「…なのに、どうしてそんな危険なことをっ!」

 今こうやって無事な姿で戻って来れているのが、神憑りな奇跡を通り越して、あり得ないことのように言い、今にも手足が実はもげてしまうのではないかと、そんな目に遭った彼なのではないかと、悲痛な声を出し、息が詰まりそうになっていたセナだったのへ、

  「ま、サメだの急流だの、物ともしないような奴でないと、
   到底、光の公主様の守護役は任せてられんがな。」

 きゅいきゅいと、これもまた珍しいことに短い四肢を振り回してじたばた暴れてくれているカメちゃんに手古摺りながら、蛭魔が苦笑混じりのお声を割り込ませて来た。
「凄まじいほどの遠隔から、この俺様を“迎えに来い”と呼びつけやがってよ。」
 そんな畏れ多いことをしやがるほどの不遜で頑丈な奴だから、
「寒中トレーニングだって思えば良いことだろうさ。」
「そんなっ。」
 勢い込んで言い返しかかったセナ殿下へ、そんな血気盛んな生意気が実は結構お好きな金髪の魔導師様、
「お前がそうやって目の色変えてこいつを心配するってのはな、チビよ。」
 対抗してか、ちょいとばかり凄みを加味した表情になり、爪の尖った指先でちょいちょいと王子様の胸元をつついてやって、
「こいつにとっては、自分はそんなにも不甲斐ないのだろうかっていう計りにしかならんのだ。」
「…っ。」
 大切な人だから心配だってするし、庇いたいし守りたい。自分が脆弱だから尚のこと、進さんには苦でないことであっても、危険なことに立ち向かっているのを知ればそれだけで目が回りそうになる。けれど、
「お前を守るのがこいつには至上の使命であり、それが完璧にこなせることこそが至福なんだぜ?」
 無論のこと、その身の無事安全をセナが案じてくれていることも重々理解してはいる。大事な人だと慕ってくれていることも、自分には優しい喜びであり、そんな情をおかけ下さっている彼へ、様々に報いたいと思って止まない騎士殿なのであり。なのに、危ないことに接して怪我をしてはいないかと案じ過ぎるのは、そんな苦難に彼が屈してはいないかと思うのと同じこと。
「心配するなとまでは言わねぇがな、頑張って耐えるのが待ってる側の務めだろうさ。信じているなら尚更に、そんな気丈さを鍛えるべきなんじゃねぇのか?」
 後足で蹴ってるのが痛いから、お前と。カメちゃんに“だ〜〜っもうっ”と癇癪を起こしかけつつも、なかなか深いことを説いて下さったお師匠様であり。やや乱暴な言いようではあったけれど、理屈は通った正論だったから。

  「…進さん。」

 ちょっぴり項垂れていた小さな王子が、そぉっとお顔を上げて見せ、
「ごめんなさい。まずは、最初には、ご無事で何よりですって、そう言わなきゃいけませんよね。」
 頭ごなしに。自分が心配したから怖い思いをしたからと、そればっかり言いつのっちゃったこと、素直に謝って。
「進さんのこと、信じてない訳じゃあなかったんですけれど。」
 あまりに突然のこと。どれほど恐ろしい場所なのかをよくよく知っていたればこその、叩きつけるような叱咤の文言がついつい飛び出してしまったセナであったらしくって。蛭魔から言われたお説が、あまりにごもっともだったことへ、まんまの直撃を受け“しゅ〜ん”としぼんだ王子様へ、

  「セナ様。」

 その眼前へとあらためて、大きな鉢が差し出される。鮮やかで深みのある赤が何とも味わい深い、大きな葉を幾つも広げた見事なポインセチア。いかにも南国の花なのに、魔よけのヒイラギに似ているからなのか、それとも雪の白と空のグレーしか目に出来ない極寒の地の冬が味気無いからか、多くの人々から持て囃される鮮やかに赤い鉢。
「勝手なことをしでかしました。ご心配までおかけして。」
 それはそれはよく響く、深くて低くて落ち着いた、セナの大好きなお声がそうと謝意を紡いで下さり、
「今日が特別な日だったものですから、それでの無謀を重ねました。」
 喜んでもらおうと、僭越なことを勝手に思っての所業です。どうかお気に病むことなく、むしろ至らぬ自分を叱って下さいと。静かに紡いだ騎士様へ、

  「………特別な日?」

 小首を傾げた黒い髪の導師様へは、桜庭くんがこそりと耳打ち。

  「今日はセナくんのお誕生日なんだよ。」
  「…っ☆」

 ちょっと待て。だったらお前、最初から…何とはなくながらにでも、進の思惑にだって気がついていたのではと。あっけらかんと知らん顔のまま、事を進める手助けをしていた白魔導師様を、このおとぼけ野郎がとちょいと斜
ハスに睨んでしまった葉柱さんであったものの、

  「こんな綺麗な鉢を、本当にありがとうございます。」

 小さな殿下の両手には重たげな、一番上の赤い葉の部分だけでお顔が隠れてしまいそうなほど、それは立派なポインセチア。祝福という花言葉とは別に、この特別なお花には、大きな葉っぱの真っ赤なところの付け根に、それはそれは甘い蜜が詰まっているという特徴があって。その花蜜は万病にも効くほど滋養があるのだとか。去年のクリスマスにそんなお話をして下さったセナ殿下だったものだから、まもりさんとの思い出も深いお花なら、自分が取って来てあげましょうと思ったらしき、結構ロマンチックな騎士様と、
「怒っちゃったけどホントはね、凄い嬉しいです。///////
 大変な難関をたっぷりと乗り越えて得た、こんな素晴らしいお花をもらってと。お花の価値とそれからね、辿り着くまでの冒険をも捧げられたのだとちゃんと理解して。頬を真っ赤にした可憐で愛らしい王子様に免じて、騒々しくも声を荒げて難癖をつけるのはよした葉柱さん。その代わりというのではなかろうが、

  「カメがその鉢に懐いているのは、食いたいからじゃないぞ。」

 蛭魔があんまり暴れるオオトカゲくんを持て余しているのへと声をかけ、
「確かに南方の花や果実が好物なトカゲのなりをしてはいるが、そいつはそもそも聖なる気配に敏感な存在だからな。」
 じたばた暴れて、まるで生きの良いカツオ状態のオオトカゲくんに くすりと苦笑し、
「その鉢がこれ以上はない神聖で純粋な想いが籠もったものだから、その傍にいたいんだ。ただそれだけのことだから、あまり邪険にしないでやってくれないか。」
「あ…。」
 このドウナガリクオオトカゲちゃん、元は“スノウ・ハミング”という聖なる鳥だ。オオトカゲが暖かい土地を懐かしむように、無垢で神聖な想いという気配に、心安らぐ性質があるのだろうから、それで一際敏感にも嗅ぎ取って、傍に居させてと懐いているだけであるらしく。
「そうだったね。」
 いかつい外見だからついつい忘れちゃうけれどと、桜庭が感心し、
“…なんだか、処女審判をする一角獣みたいだね。”
 おいおい、なんて例えを出しますかい。
(笑)
“進に負けないくらい武骨そうな奴に、そんなロマンチックなことを言われてもな。”
 こらこら、蛭魔さんですね、こっちは。
(笑) 手近な棚を大きく空けて、そこへと置いた綺麗な鉢。その傍らに降ろしてやると、カメちゃん、サササとそれは素早くにじり寄り、鉢の側面へ頬擦りをして“くう・くうん”と小声で鳴いた。そしてそれから、

  「…っ、あやや。///////

 ポンと弾けた反応ももはやお馴染み。長い尾羽根も麗しい、純白の聖鳥の姿に変化したものだから、
「これは相当に深い想いが籠もってるってことだろうね。」
 誰の誰へのというところは、わざわざ口にするだけ野暮というもの。桜庭さんの一言に、セナ王子はともかくも、

  “…おおっ。”

 寡黙で石部金吉な騎士殿までもが、耳の先やら頬の辺りやら、ほのかに赤くなったものだから。これはこれはと、皆して微笑ましげなお顔になった、春まだ遠き、温室内でのワンシーンでございましたとさvv












  ――― あのね、進さん。でもボクは本当に何にも要らないんです。
       進さんがいて下さるだけで、幸せだし嬉しいし。


 寡黙で凛々しくて、頼もしくて…優しい人。こんな凄いことをしても、もしかしたらば何も言わないで済ましたろう人。蛭魔さんや葉柱さんが居合わせなかったなら、僕が一方的に怒るばっかになってしまって、せっかくの想いを踏みにじっちゃったかもしれないのに。そうと思えば本当に、まだまだ幼くて視野も小さい自分なんかには勿体ないくらい、心根まで大きな人で。
“蛭魔さんに言われたからではないけれど。”
 そんな彼に相応しいだけの人にならなくちゃ。信じているなら動じない、腕力が非力であってもならば気骨を、頑張って強くしなくちゃと、お誕生日にこっそりと、誓った殿下であったそうですよ?



    
HAPPY BIRTHDAY!   TO SENA!



  〜Fine〜  04.12.17.〜12.20.


  *進さんがあんまり口を開かない話が続いているのは、
   原作の方でも余りお言葉をいただけない人だからです。
   筆者の中で、そういうイメージが固まりつつあるみたいです。
   コミックス派の辛いところで、
   早いトコ、焼き肉屋さんの店先での、
   進セナ2ショットの会話を読みたくて堪りませんvv
   “決勝で待つ”以来の直接的なコンタクトですもんねvv
(笑)
  


ご感想はこちらへvv***


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