花 闇

 
とうに陽も落ちた春の宵。
不思議なくらいの静謐の中。

  ――― …?

何かしら"音"が聞こえた訳ではないのだが。

  ――― ………。

強いて言えば"風"の気配がしたような。

  ――― …。

風だけではない"何か"の気配もしたような気がして。

  ――― …。

微睡
まどろみ誘う 温みの中からそろりと抜け出し、
小さな歩みを数歩ほど、わざわざ運んだ青い窓。
からりと。
軽いサッシを引き開ければ。

  ――― あ。

二階の高さのこの窓からは、少ぉしばかり脇になる辺り。
小さな小さなお庭の片隅の、
花が咲かねば何の樹か、分からないほど小さな木。
それが今、
梢に枝にと、たわわな綾をまとって揺れている。
枝の幹皮さえ見えぬほど、
練り絹の陣幕をみっしり広げた、純白の春の使者。

  ――― …サクラだ。

毎年変わらずそこに観ている筈が
何だかとっても意外なものを見たような。
呆気に取られてでもいるかのような響きの声に、

  ――― ………。

その薄い胸元へ、背後から
そぉっと伸びて来た雄々しい腕。
頼もしいまでに精悍な両の腕が、
やわく包み込むように。
それでいて、しっかと掻い込んでしまうように。

  ――― ………。

そうやって、そこへ彼を封じ込めたいかのように、
小さな体ごと、懐ろの中、抱きしめて。

  ――― 気が、つかなかったのか。

この国で"花王"とまで呼ばれる艶やかな花。
宵の闇にも負けぬ、絢爛豪華な存在感を呈す花。
まだ若く、その分だけ威勢がよく、
花々の重なりも、それによる奥行きも尋深く。
降りそそぐ月光の、蒼みをおびた真珠色が、
そこへとばかり蟠
わだかまり、
内からまでも発光しているかのような。
こんなにも鮮やかな花手鞠に、
毎日のように傍らに居ながらも気がつかなかったのかと。
くすぐったい温かさで、
やわらかな髪の中くぐって、耳元へそおと囁く低い声。

  ――― はい。

声の響きのやさしさへと含羞
はにかみながら、
細い髪小さく揺らして 頷首した少年の声が、
宵の薄闇へと甘やかに紡がれる。

  ――― だって…。

愛しい人を肩越しに
そぉっと見上げて何かしら
吐息のような小さな声で、囁きかけたその先が…。

  ――― …。

そよいだ風に撫でられて、
ほろほろ攫われた花びらのよに。
包み込まれた懐ろの中、
やはり やさしい眼差しの深みに吸い込まれて、
春宵の淡い闇へと呑まれて消えた。


   “だって。進さんのことばかり、想っていたから…。”


呑み込まれたは、睦言ひとつ。
春宵の軽やかな風に乗り、
花冷えの夜陰に ぽわりと灯ったささやかな想い。
東風
こちの細波に蹴散らされてしまうその前に、
の人の胸へと届きますように…。




  〜Fine〜  03.3.26.


   *………春ですねぇ。(脱兎っ)


戻る