ヒグラシの声
 



 例年の民族大移動、帰省ラッシュに海外脱出、お盆につきものの話題の他に、台風だの地震だのと、今年もまた色々とあった“夏休み”も今週でそのキリをつける終盤へと突入し、
“大人の世界じゃあ“夏休み”なんてとっくに終わっているんだろうにね。”
 これもまた“風物詩”ということなのか、勤めておいでの方々でさえ、そのモードが何となく“夏休み”というカラーを滲ませており。きっと、バカンス用の長期休暇は一斉に取れる訳じゃあないからとか、子供の休みに合わせる“家庭”からすりゃ、休日って訳ではないながら生活形態上の暦が一緒くたになっても当然だとか。そういった付帯条件があってのことなんだろうけれど。
“九月、かぁ。”
 その“夏休み”が終わればすぐにも、秋の大会が始まる。それも、春の交流戦とは違い、リーグ内での順位を決める総当たりの星取り戦で、成績如何で入れ替えの憂き目に遭いもする、正に真剣勝負のシーズンへと突入する訳で。
“ヨウイチとも連絡が取りにくくなっちゃうんだろうなぁ。”
 これからどころか、この数日から既にそんな様相を呈してもいる。3部リーグヘ上がりたてという新参チームであるのみならず、陣営も高校から進学して来たばかりの新顔たちを夏中通して叩き上げ、昨年までいた4年3年の選手と総取っ替えというから、大胆を通り越して無鉄砲が過ぎる編成にて、大勝負に挑もうという所存でいるらしく。そんな大博打を打つからには、チームのモチベーション確保にも余念がないに決まっており。
“…はぁあ。”
 判ってはいたけれど、それでもね。愛しい人と逢えないのは辛い。きびきびと動くシャープな肢体に、相変わらずの尖んがり金髪と笑えば牙が剥き出しになる不敵そうな顔。でもでも、挑発の必要がない場面だと、コロッと変わって妖冶にさえなる佳人でもあり。浅い灰色の透き通った眸を間近からじぃっと覗き込めば、
『…なんだよ、何か言えって。////////
 間が保たねぇだろうがと、もじもじ落ち着かなくなって。そこんところを“そぉっ”と捕まえて懐ろへと掻い込めば。一瞬抵抗しかかるものの、最近ではそうした方が顔を見られないと気がついたらしく、ぽそりと向こうから凭れて来てくれる、初心でシャイな恋人さんvv
“ああん、もうっ!”
 こんな想像していたら、ますます逢いたくなるじゃんかさと。ついつい沸き起こった妄想を振り払おうと、立ち止まってそのまま、いきなりトサカ頭をふりふりっと振り回した桜庭くん。往来で不審な歩き方をするのはやめようね? アイドルさん。
(笑)



 そんな夏の終わりに、恋人さんと変わらぬほど忙しい筈の彼が、こんな往来で何をしているのかと言えば。やっぱりアメフト部の合宿やら、ドラマとグラビアと来年のカレンダーの撮影やらでバタバタしていたのにやっと区切りがついたのでと、実家のある町へ久し振りに帰って来ていたのだそうで。今はと言えば、母からの頼まれごと。親戚から届けられた梨を“おすそ分けしていらっしゃい”と託されてのお使い中。このところはお外の町中などで逢う機会の方が増えた旧友のお家は、相変わらずの厳然とした佇まいのままながら、末子の背の高い幼なじみくんのお声を聞くと
【あらあらどうぞvv
 昔と全然変わらない、お母様の和やかなお声が優しく迎えてくださった。大きな門の傍らの、耳門
くぐりを開けてお邪魔すれば、
「あっ、桜庭だっ!」
「春兄だっ!」
 多少は顔見知りもいる、チビっ子剣士やミニチュア武道家たちに取り囲まれて、
「こらこら。お兄さんへ呼び捨てはいけないぞ?」
「あ、は〜い。」
「たまきセンセー、さよーなら。」
 早く帰りなさいと急かす師範代にはさすが逆らえないらしく、それぞれが頭を下げて、てことこ軽快に立ち去ってゆく。
「お久し振りですね、たまきさん。」
「ホントにね。」
 にっこりと笑ったのは、道着姿の御令嬢。当家道場の次代師範にして、Q街の某旅行代理店の看板娘でもある、進家長女のたまきさん。つややかな黒髪を肩に触れるか触れないか、うなじを擽るほどにてすっきりと切り揃えたボブカットにし、今時にはシャープでおしゃれな おめかしの、すっかりと大人びた雰囲気さえ漂うお姉様だが、
「何かに呼ばれでもしちゃったの?」
「はい?」
 逢ってそうそう、あまりに唐突なお言いよう。一体何のことでしょかとアイドルさんが小首を傾げれば、意味深な光をたたえていた切れ長の眸を瞬かせ、

  「だってあんまりタイミングが良いんですもの。」

 うふふと笑い、さぁさこちらへと玄関へ誘う。洗いざらしの生なりの道着に、深い紺色の袴という勇ましいお姿の後ろをついてゆきつつお話を聞けば、成程、確かにタイミングというのってあるのだなという行き会わせ。クススとお姉様とお揃いの笑い方をしたアイドルさんは、ちょっとだけ待ってもらうとどこやらへと携帯でお電話をした模様。それから、お家へと上がらせて頂いて………。





            ◇



 ちょっとしたお使いで訪れたお友達のお家には、彼もまた忙しいはずのお友達ご本人が在宅しており。
「夏風邪だって?」
「…暑さ負けだ。」
 どっちにしたって威張れるものではなかろうに、窓辺近くの寝台に横になったまま、憮然と言い返すところは堂々としていて偉そうなもの。
「だったら間違いなく“鬼の霍乱
かくらん”だよね、それ。」
「………。」
 丈夫な人が珍しくも風邪を引いたりするとたちまち繰り出されるこのフレーズだが、本来は、激しい吐き下しをするような病とか、若しくは陽に当たり過ぎて倒れるような病状のことを指すのだそうで。体の頑丈さのみならず、頑迷頑固な気性やら、練習に打ち込む気魄やら、何につけ“鬼のよう”とは言われ慣れてもいたからか、人に非ずという言われようにも…不満げな顔にはなったがそこまでで、反駁はしなかった進であり。
“口が立たないからん黙んまりか、それとも理解出来てる上での、ぐうの音も出ないって奴なのか。”
 間の抜けた擦れ違いトークが返って来てもそれこそ“どんと来い”だったほどの慣れがあったから。逆にこういう人並みの対応が来ると、相手が相手なだけに新鮮でしょうがない。これもあの可愛らしい恋人さんとの交流が育んだ“人並みの感覚”というものか。
“ホンット、進ってばセナくんには先々でも感謝しまくらなきゃあいけないよな。”
 世の中、型通りの礼節だけでは足りないって事を、この年齢になるまでずっとずっと知らずにいた男であり。年齢不相応な威容に加えて、やはり年齢不相応な感覚のズレが、周囲からの距離感を生み出していたのだが。そんな事態にも気づけずにいた…やっぱりズレまくってた辺りは、いっそ不公平がなくて良かったねといったところだろうか。何につけてもそんな調子で、ある意味、立派な“奇跡の存在”。同世代の普通のお友達が少ないことから生じるますますの世間知らずが嵩じた結果、悪い大人に良いように引き摺り回されでもしたらどうすんのと…。いや、そっちの方向は妙に堅い人だったので、妙な詐欺に遭うとかデート商法のキャッチに捕まるとかいうのはこの迫力だからあり得ないとされ、あんまり心配されてはいませんでしたが。
(笑) それが正しくとも面と向かっては言えない人や場合もあるとか、ズルいと判っていながら、でもでも、気の弱さからつい、嘘をついてしまうことだって人にはあって、
『進さんのこと大好きなのに、大好きだから…傷つくのが嫌だった。だから、突然痛いのよりはって思って。』
 もうお別れした方が良いのかもと、早合点のせいもあっての弾みがついて、倒れそうになるほど考えあぐねた揚げ句にそんな話を切り出したセナくんへ、とんでもないと頑張って、この朴訥な不器用さんが何とか説得したような修羅場もあるこたあったのだとかで、
“他所様のそういうのを全部知ってるってのも、お節介が過ぎる証明みたいで何だか…なんだけどもね。”
 そうでしたね。あの時は、桜庭くんとそのハニーとが、頑張って後押ししもしたんでしたっけ。そうやって少しずつ、大切な人を傷つけないようにと、そのために必要ならばと、人の世の融通だとか、何だとか。遅ればせながらも覚えていった仁王様。お陰様で、人当たりも良くなっただの、表情豊かになっただの、それって一体誰のことだと訊き返したくなるような評まで飛び交っとるぞと、蛭魔が笑って話してた。
“………それが一番最近に電話で話した話題だってのもどうかと、だけどもね。”
 こちとら、そのハニーともなかなか逢えないってのにサ。思い出したが、まま、それもこの彼に当たることではない。体調が悪い人間を苛めても始まらないので、
「退屈してるんじゃないのか? 進ってば、体が不調でも気力はピンピンしてるとサ、皆が止めるのも聞かないで。ほら、一度だけ小学生の頃に寝込んじゃったじゃないか。」
 その時も、寒くはない屋内でならば構わないだろうなんて、勝手な理屈を持ち出して。道場でスクワットだのうさぎ跳びだのガンガンやって、それでますますこじらせて。熱が下がらず肺炎になりかかり、生まれて初めての点滴を打つ羽目になったほど。無論のこと、ご本人様も覚えてはいるらしく、
「大事にしなきゃいかんというのは判っている。」
 そんな話を蒸し返されるとは、これでは体の良いおもちゃだなと閉口したものの、話相手が出来たのはちょっと嬉しいらしい。横になるほど疲れているのではなく、こんな風に臥せったなどと、あまりに久し振りすぎて。何をしていれば良いのか判らず、階下をうろうろしては母からしかられ、しまいには祖父と姉から自室へ強制送還されたほど。とはいえ、落ち着けなかったのも少しの間で。しばらくすれば、様々に聞こえる物音に気づき。これは道場からの声、これは階下で母が掃除機を掛けている音などと、一つ一つを拾って遊び。窓の外を流れる雲の形などを眺めて過ごす内、いつしかうとうと眠ってさえいた。そろそろ夕暮れが近いせいか、人通りの少ない当家の前へも、夕刊の配達だろうか、スクーターの走行音などが聞こえてくる。夏の環境音と言えば、何と言っても蝉の声で。当家には樹が結構植わっているため、朝方から昼までの合唱ににぎやかさは凄まじいものがあるのだが。蝉も暑いのは苦手なのか、昼からしばらくは大人しくなり、
「ほら、今頃になると…。」
 どこからともなく、じーわじーわと大人しめの鳴き声がして来た模様。晩夏だからか、アブラゼミやクマゼミのような勇ましい声のものより、間延びした鳴き方のツクツクホウシなどの声がしていて、
「もっと秋めいて来ればヒグラシの声がするんだよ。」
 桜庭が小さく笑って付け足した。
「ヒグラシ?」
 そういうセミがいるのと鳴き声を真似しかけて、だが。ちょいと言い淀み、そのまま視線をちらりと上げる。
「?」
 人と話している最中に、意識を逸らしてのよそ見なぞ、そんな行儀の悪いことをするような奴ではなかったはずだがと怪訝に思っていたらばそこへ、
「清ちゃん、お客様ですよ。」
 襖の向こうからの、母の声。実家に帰っていることなんて、誰にも話してはいないのだがと。なのに誰が来たのやら、ごくごく当たり前に不審に感じたらしい彼に代わって、
「どうぞ。」
 桜庭が勝手に声を返せば。廊下に向いた襖が開いて、そこから入って来た人物が、大きな瞳を何度も瞬かせて見せる。
「あ…。」
「えと…こんにちは、です。」
 ちょっぴり呆然としているのは多分、まだ明るいのにベッドに横になっている進の姿に少なからず驚いたからだろう。
「小早川?」
 半分くらいは上の空でのご挨拶をした小さなお客様へ、こちらさんもどこか呆気に取られていた仁王様であり、そんな二人の様子に満足しつつ、
「じゃあ、僕は帰るね。」
 くすすと笑った桜庭さん。ご挨拶もそこそこにお部屋を後にし、階下のお母様へも“お邪魔しました”のお声だけ。だって急がないといけないんだもの。手際良く靴を履いて、飛び石を伝って門のところまで辿り着けば、
「遅い。」
「ごめん、ごめん。」
 アイドリング状態のオートバイに跨がったままな、フルフェイスのヘルメットに薄手のパーカー姿の悪魔さんが待っており。さっきまではセナくんがかぶっていたのだろう、もう1つのヘルメットをほれと渡され、それをかぶりながら後部シートへ跨がれば、腰に腕を回すと同時ほどのせっかちさで発進させる。

  『あのね、妖一。もしかして今、練習中?』

 さっき携帯で電話を掛けたのは、何を隠そう、R大の構内のクラブハウスにいた彼へであり、
『U大のラインバッカーさんが、鬼の霍乱で引っ繰り返ってるの。可哀想だと思うなら、特効薬を届けてくれない?』
 そんな風に仄めかしたら…この結果。別にね、敵に塩を送るような立場でもなきゃ、そこまで何にでも寛容な人でもないのだけれど。いよいよの本番が始まるってのに何をしてやがると、この人が怒るのが一番物事が良い方へ回るような気がした桜庭くんであり。案の定、あれだけの伝言で、きっちりと特効薬のセナくんを連れて来てくれたし、
“そのままあっさり帰っちゃうのかもって思ったのになvv”
 ちょっとは鍛えて堅いけど、それでもまだまだ、自分の腕にすっぽり収まる細い背中。運転中の悪さはご法度だからと、大人しくしていれば、
「………ったくよ。人を御用聞きにすんじゃねぇよ。」
 今時“御用聞き”なんて言って、若い人には通じるんでしょうかしら。信号待ちで止まった途端、そんな言いようをする人へ、
「ごめんね。でも、あの進が寝込んじゃうなんて、やっぱ黙っておけなくて。」
 それにね、黙っていたらばセナくんにだって、何で教えてくれなかったの?って、辛い想いをさせるかも。
「だって、それこそ時間は戻せないからね。」
「………。」
 一旦取りこぼしたもの、そうそう何度もやり直しが利くとも限らないから。ささいなことでもおざなりにしたくはなかろう、気を回すセナくんならば尚のこと、こういうことは話してあげた方が良いと、
「僕だって妖一が臥せってるのに知らされてなかったら、後で凄っごい悔しいと思うからね?」
「…ふ〜ん。////////
 言葉とともに優しい腕が、きゅうっと抱きすくめて来たのへと、メットの中で頬を染めた悪魔さん。
「妖一、信号。」
「わ、判ってるっ!」
 ぼんやりしていたと慌てて発進し、しまった曲がるんだったのにと、R大への道を外れたことに舌打ち一つ。途中の駅前で降ろしてやるなり、大学前まで付き合わすなり、考えていた段取りがふしゅんと潰されてしまったもんだから、
「…妖一?」
 仕方がないかと頭を切り替え、ついでに…気持ちの方のギアも緩めて。このコースだと妖一さんのマンションではありませんかと、アイドルさんがやっと気づいた頃合いにはもう。そこらの街路樹の蝉たちも秋の使者とのバトンタッチを終えており。少しほど暑さがぬるまる風の出る中、かなかなかな…と寂しげに鳴くヒグラシの声に、皆様揃って ゆく夏を惜しんでしまった模様です。




    
 残暑お見舞い申し上げます。




  〜Fine〜 05.8.31.

  *NFLも9月から始まりますし、学生さんはいよいよの新学期ですね。
   学園祭やら体育祭の準備で大忙しでしょうけれど、
   どうか頑張って、楽しくお過ごしのほどをvv


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