ソーダ水の空、ラムネ瓶の碧。
         
〜白い帽子と 路地裏のマリア。続編
 

 

 
  『ソーダ味ってネ、レモンに砂糖を足して炭酸で割った味なんだって。』


 キンキンに堅く凍ってる水色のアイスキャンディの端っこを小さな口唇にくっつけて、ねぇ知ってた?なんて ちょっぴり自慢げに、舌っ足らずな声で可愛らしい蘊蓄を話してくれた小さな幼なじみ。ほんのひと夏だけを一緒に過ごしただけなのに、それは懐かしくて逢いたかった彼が、本当に久々の4年振りに帰って来て。全ての約束を後回しにするくらいに彼をばかり優先して、妙に浮かれて過ごしたもんだから、今年は本当にあっと言う間に過ぎ去った夏休みだったような気がする。そんなせいだろうか、
「な〜に腑抜けた顔してんだよ、カズ。」
 コージから丸めた新聞紙の筒で叩かれた“ぽこん”という衝撃にも、不意を突かれたにも関わらず…何だかぼんやりとした声で“あ〜?”と返しただけという始末。新学期が始まってもう2週間ほど経つというのに、どうにもしゃきっと出来ぬまま、魂が抜けたような…正に“腑抜けた”様子でいる彼であり、
“その割に、喧嘩の腕は鈍ってねぇのが凄まじいが。”
 Y高校を陰でシメてる一年の十文字が、何があったか…新学期早々何だかぼんやりしているという噂が近隣の他校のやんちゃたちの間にパッと広まったものの。そんな油断を幸いに、闇討ち朝駆け、奇襲に強襲を仕掛けた連中が…ことごとく、数人単位でかかったものもそ〜れはあっさりと蹴散らされていたそうで。
『ウチの校区には近づかねぇって誓約書かされた連中が、これで倍に増えたってよ。』
 その場に立ち会えなかったコージに、たまたま居合わせたショーゾーが見たままを話してくれたのだが、
『カズ本人はどこまで素面
シラフでいたんだか。』
『何だよ、それ。』
 飲んでやがったんかと訊けば、かぶりを振って、
『そんくらいボ〜ッとしてやがったんだよ。』
 上の空で居る方が強いんじゃねぇか、こいつってばと。相変わらずに少年誌を読むことに没頭しつつも、結構 的を射た言いようをしたショーゾーの声が、聞こえている筈な間合いに居ながら…やっぱり“ぼ〜〜〜っ”と宙を見上げていたりした十文字だったもんだから、
『…重症だな。』
『だな。』
 肩をすくめた連れの二人であったのだが。

  “そろそろ、いい加減に眸ぇ覚ましてもらわんとな。”

 行事の多い二学期は、まんま…羽目を外していい気になる輩も増える時期。図に乗ってやりたい放題する奴が出たならば、示しをつける意味合いから静めるのもまた自分たちのような人間の“役目”であり。今のところは全勝していると言われても、正気に返ってないままというのは…何となく心許なくて。
“夏休みの間に、一体何があったんだかな。”
 こんなことなら、親戚の家が経営している民宿の手伝いがてらのバイトになんぞ行かないで、夏の間中、傍らにいてやれば良かったかもと、少々見当違いな心配までしてやっている、気のいい黒木くんだったりするのであった。


  ――― そんなことしてたら、間違いなく馬に蹴られてましたわよ?
(笑)







            ◇



 小学生最後の夏休みに、都会から片田舎のこの町まで、親戚の家へと遊びに来ていた小さな男の子。自分と同い年とは到底思えなかったほど、小柄で華奢で童顔で。肌の色も生っ白い、いかにも“都会の子”という雰囲気の大人しそうな子だったけれど。あの夏だけは彼なりに精一杯の腕白ぶりを発揮して、悪たれで通ってた自分たちにちょこまかと頑張ってついて来てた。町の裏手にあった雑木林になってる小高い丘への探検とか、神社での虫取り、町外れの川での水浴びなどなど。おしゃれなお洋服を何度も着替える羽目になるような荒っぽい遊びにも、きっちりと付き合い、ついて来れていて。最初はちょっぴり“みそっかす”だったけれど、段々と…手を貸さなくともあれこれ出来るようになっていた頑張り屋さん。丸木だけを渡された橋だって渡れるようになっちゃったし、自分の背丈より高いところまでの木登りも出来るようにもなった。腕や足を草で切っては泣きそうなお顔になってしまい、しょうがねぇなと手を引かれて姉崎さんチまで帰っていたものが。すてんと転んで擦りむいても、もっと遊んでたいから平気なんて言い出すほどの“豪傑“になっていた。この田舎を埋め尽くす瑞々しい緑の中で、いや映えて良く目立つ真っ白い帽子に、小鳥のような軽やかな声。大きな瞳の座った、まるで女の子みたいな稚
いとけない面差しの小さい子が、ふわふわした髪を風になぶらせながら、懸命にたかたかとお兄さんたちの後からついてく様子は、町の人たちの目にもそれは微笑ましいものとして映っていたらしく、
『こらこら、苛めてるんじゃないぞ。』
 置いてけぼりにしちゃあ可哀想だろうがと、しょっちゅう勘違いされてもいたもので。そんな自分たちへ“悪いことをした、誤解させちゃった”と眉を下げてしまうよな優しい彼を、腕白小僧の3人組も“かわいい子分”として彼らにしては丁寧に扱っていたのだったが。

  『マリア様みたいだよね。』

 中学校の路地裏、お化けブロックの染み模様。雨上がりに浮かび上がる構図が幽霊みたいだということでそんな風に呼んでたけれど、実は自分も秘かにそう思ってた。いつだったかテレビで観たことがある、聖母マリアの肖像画。ベールをかぶって少しうつむいた姿に似ていると、思いはしたけど柄じゃないから。口になんか出さないまんま、皆に合わせていたのにサ。みそっかすだった小さな坊やは、臆しもしないで思ったままを口にした。それが何だか、自分のロマンチストな部分をも晒されたような気がして。それと、もしかしたら…自分は言えないでいたのにと、口惜しかったというのも加わってだろうか。そんな気障なことを言うなんて訝
おかしな奴だと散々に非難してしまい、それが原因で遊び場へふっつりと来なくなってしまった小さな彼は、

  『………あの。覚えてますか?』

 4年目の夏に、甘酸っぱい思い出と共に、再び一輝の前へ帰って来てくれたのだった。






 到着初日に迷子になりかかったのを迎えに行って。奇しくも4年前の夏に初めて出会った、カド屋のお婆ちゃんチの庭の竹矢来の垣根の前で待っていた少年は…さすがに背丈が伸びてはいたものの、稚い面差しも華奢な肢体も、優しげな雰囲気もそのままに、まるきり変わってはいない物腰でいたので、初見でそのまま彼だとあっさり見分けられたほど。なのに、彼の側はといえば、

  『カズ…、十文字くん?』

 昔呼んでた名前の方で呼びかけて、慌てて苗字を言い直し、
『うわ〜。何か大きい〜〜。//////
 妙な感動のし方をしてくれたものだった。
『だってサ、背も伸びてるし、声だって大人みたいだし。//////
 頬を真っ赤にして言いつのり、
『何か狡いなぁ。』
『何だよ、そりゃ。』
『だってサ。』
 4年の間にこっそりと、何か秘密の特訓とかしたんでしょ、なんて。良く分からない言いようをする始末。まま、確かに十文字は体格が良い方で、中学の半ばから急にぐんぐんと背丈が伸び、大人びた鋭角的な面差しの精悍さが鼻についてか、やんちゃな筋からガンをつけられることが多かった反動から…喧嘩に明け暮れていたもんだから。その上背、すっかりと鍛え抜かれて雄々しい限り。それを差して“狡い”と言われては返す言葉もなかったりする。
(笑)

  ………それはさておき、さてとてと。

 着いたその日は、逗留先の姉崎さんのお宅に送ってやってそこまでだったが、翌日からは早速のように、懐かしがる少年を連れて町の中をあちこちと歩いた。強い陽射しに容赦なく晒されて、舗装されていない地面が真っ白く目映いハレーションを起こしているよな炎天下だったが、真っ白な帽子を頭に乗っけた少年と二人、あちこち歩くのに疲弊は不思議と感じなくって。………そういえば。
「お前、あの頃から元気は元気だったよな。」
「???」
 今だって…小さくてか細くて、どこかひ弱そうに見えるのに。大人でも音を上げそうなこの猛暑の中、汗こそかいているものの、大してダレてもいないで溌剌としているお元気さは、もしかすると…かなり都会っ子離れしてないか? こんな儚げな見かけしていて、そりゃあ詐欺じゃなかろうかだなんて、妙な言いようをされたものだから、
「そんなの偏見。」
 小さなお口をちょいと尖らせる。
「スケッチとかでこれでも外は結構出歩いてるし、それに…っ。」
 何か言いかけ、だが、はたと口を噤んだ。
「???」
「う〜〜〜。」
 何でもないとかぶりを振って、踵を返した小さな背中を追いかけて。近道だからと勝手に入って横切ってた、他所のお宅の人気のないお庭とか、木に登っては神主さんに怒鳴られて逃げた神社の境内。秘密基地を作った雑木林に、夏休みの間だからと開放されてた中学校の図書館。夏は氷、冬は炭や練炭も扱うお米屋さんに、店先にアイスの冷凍ボックスを置いた駄菓子屋さん。たかたか足を運びつつ、1つ1つを指で差し、案外と覚えてるもんだねと明るく笑った少年の笑顔には、
“…ま・いっか。”
 ついつい十文字も丸め込まれた。
「そういや、毎日食ってたよな。」
 夏のおやつの定番のアイス。一通り遊んでから、休憩を兼ねて店先まで行き、銘々に好きなのを掴み出しておばちゃんに百円玉を手渡すのが日課みたいなもので、お釣りはいつも20円。
「消費税、取られなかったよね。」
 少年にはそれが不思議だったらしくて、小首を傾げて見せながら、久し振りなのに覚えていた田舎のメーカーのアイスクリームをやっぱり選ぶ。二人の会話を聞いていたおばさんは、
「小さい子がお小遣いだって握りしめて来たお金だのに、大人の勝手な税金とか取って、細かいのを返すのは忍びなくってね。」
 クスクスと笑い、たくさん買ってくれる大人からはちゃんと貰ってるから良いんだよと、彼らからも80円以上は受け取らなかった。ありゃりゃと肩をすくめつつ、近くの公園…とは名ばかりの広場まで足を延ばす。なけなしの木陰、草がぼうぼうの花壇の縁に何段か積まれたレンガの端っこへ並んで腰掛けて。当時もカップに入ったアイスクリームが大好きだった少年が、水色のアイスキャンディに食いついた十文字を見て“くすすvv”と笑ったから、
「? なんだ?」
 訊くと、
「うん。いっつもそれだったなって思い出した。」
「お前もだろうがよ。」
「だってサ、棒のって食べるの難しいんだもん。」
 そう言えば。最初は同じのを選んでみたが、モタモタしていて落っことしたのを思い出した十文字で。

  「…今、何か思い出したでしょ。///////
  「さぁな…。」

 空とぼけて視線を泳がせるものの、大人びた口許にはくっきりと“あの時は可笑しかったです”という笑みが浮かんでおり。
「うも〜〜〜。//////
 木のスプーンの先を咥えたまま、ぷうと膨れた童顔がまた可愛い。そのまま甘いアイスを堪能していた少年だったが、あんまりじっとこっちばかり見るもんだから、

  「…ほら。」

 一口だけだぞとアイスを差し出す。すると、ひどく嬉しそうなお顔になって。身を伸ばして顔を上げ、端っこにちょびっとだけ齧りついてから、ストレートに冷たい感触にぎゅうと眸を瞑って見せ、

  「ソーダ味ってネ、レモンに砂糖を足して炭酸で割った味なんだって。」

 知ってた?と、小首を傾げる彼であり。
「レモン?」
 何だか意外な気がして、十文字が手の中の水色の氷菓子をついつい見下ろす。そんな彼へ殊更ににこりと笑いかけ、
「まもりお姉ちゃんに教えてもらったんだけどネ。レモンて黄色いでしょ? レモンのシャーベットっていうのもあるし。それと水色のソーダとが一緒なんてそんなのおかしいって言い張って、最後には何でだか泣いちゃったの。」
 お姉ちゃんの意地悪、嘘つきって言って、ワンワン泣いちゃった。それまではネ、そういう口答えをしたことがなかったから、ビックリしたって言われちゃったよ?
「…ふ〜ん。」
 ちなみに。アイスキャンディの最もポピュラーな味として浸透している、清涼飲料水の“ソーダ”とは、そもそもは単なる“炭酸水”のことで、ウィスキーを割ったりする味のないものが始まり。欧米でも甘いソーダは当然普及していたが、それが日本では“ラムネ”という形で一般へ広く普及した。ラムネというのは“レモネード”が呼びやすいようにと変化した名前だそうで、炭酸水の“ソーダ”にレモネードの甘さと爽やかさを加味し、女性や子供にも気軽に飲めるものとして売り出したのだが、その際に栓抜きを使わずとも開栓出来、回収したままに再利用も出来る、あの独特の瓶の仕組みと形を考えた人って偉いなぁ。…って、そういう蘊蓄はともかく。
「まもりって、あの家の“姉崎”のことだよな。」
 何だか妙な言い回しになったが、彼女は有名人なので十文字もよくよく知ってる。少年の従姉妹で、自分たちよりは1つ年上の優等生。成績も良く性格も良く、学校でも人気があって、下級生への面倒見も良い。こんな可愛らしい従兄弟なら、それこそ猫可愛がりするところだろうし、至って優しい彼女が意地悪でそんな物言いをするとも思えなくて、
「何でそんなムキになったんだ?」
 自分には関係ないことながら、ちょいと気になって訊いてみれば、
「…だってさ。」
 ちろりとこっちを見上げてみせて。
「レモンのシャーベットって、お姉ちゃんが一番好きなアイスだったんだ。」
「うん。」
 それで?と促したが、
「………なんか、ヤだったんだもん。」
 溶けかけてるアイスクリームをサジで掻き回し、大急ぎでぱくぱくと食べ始める少年であり。

  「???」

 これだけではどういう意味だか判らなかった十文字くん。まだまだ修行が足りませんね、もっと頑張りましょう、です。
(苦笑)












 普段一緒につるんでた顔触れたちが、夏休み中をそれぞれの親の帰省に付き合って戻って来ないと聞いてた八月を目一杯、彼らはいつもそうして来たかのように、ほとんど二人きりで日々を過ごした。開放されてる学校のプールにも泳ぎに行ったし、課題だからと山野をスケッチする少年の傍ら、十文字の方は木陰でごろりと横になっての昼寝という日もあったりし。花火にと連れ出して、川面(かわも)に飛び交う蛍を見せてやったり、お返しにと宿題の苦手な分野を一緒にやっつけたりもして。ほぼ毎日どこかへ出掛けはするものの、高校生のそれとは思えないほどの健全無邪気な毎日を過ごしていた。そんな中、

  「………あ。」

 少し強い生暖かい風が吹いたかと思った次の間合いに、ぽつりと冷たいものが頬に当たって。周囲の葉や梢に“ぱた、ぱたぱたぱたた…”という小気味の良い音が撥ねた。
「まじぃ、降って来た。」
 頭上に入道雲が育ってたなんて気がつかなくって。二人、大慌てで飛び込んだのは、その前を通りかかってたお化け屋敷と呼ばれてた廃屋の軒先。間髪を入れずカカッと光ってドゴン・かっからから…と間近い響きで追って来た雷に、
「きゃっ!」
 小さな悲鳴を上げて少年が身を竦める。ぱさりとお帽子が足元へ落ちた。扉や壁のあちこちが朽ち果てているとはいえ一応は屋根があるところへ入ったにもかかわらず、肌を震わせるほどに大きな響きを上げて轟いた雷鳴をこんなにも間近に聞いて、心底怖がっている彼だと判る。薄い肩を自分で抱いて、今にしゃがみ込んでしまいそうな様子でいる。薄暗くかび臭い廃屋の不気味さよりも、質量があるのではなかろうかと思われるほどくっきりした光で地上を叩く稲妻や、その余韻が消えぬうち、乾いた音で“ぱりぱりぱり…”と間近に鳴り響く雷鳴の方が、断然恐ろしい彼なのだろう。気が萎えて座り込んでしまわぬ内に、
「ほら。」
 少女のように細い腰を引き寄せて、自分にしがみついてろと小さな温みを抱きしめる。どうしてそこまでしたのか、その時は自分でもよく判らなかった十文字だったのだけれど。ここいらでは珍しくもないにわか雨をあんまり怖がる彼を見ているのが、何だか居たたまれなかったからだと思う。昼とは思えぬ重い鈍色に塗り潰された空からは、大粒の雨が周囲を白く蹴立てるほどの激しい勢いで降りしきり、
「ふぇ…。」
 がたがた震えてしがみついてくる、ささやかな存在の、されどささやかななんかじゃない温みに、どうしてだか…頬や耳が熱くなった。世話を焼いてる小さな子供だと、そうと思えば良いのだと、そんな言い訳半分な建前や抗弁さえ思い浮かばない。アイスクリームの甘い匂いと、しがみついてくる小さな手やくっついている肢体の柔らかい感触。見下ろせばふわふわとした黒髪と、ちょっぴり強ばった白い童顔が望めて。

  「………濡れても良いから、走って帰ろっか?」

 こんな不気味な場所ではなくて。ここからなら自分の自宅が間近いしと、そう持ちかければ。何故だか…腕の中の小さな温みは、ふるふるとかぶりを振ると、そぉっとこちらを見上げてくる。わずかな光の中、色味の浅い琥珀色の瞳が、頼りなげにゆらゆらと揺らいで。
「あのね…あの。」
 何か言いかけて…ためらうように口ごもり、視線を落とすとこちらの胸板へと頬を寄せる。柔らかい感触が何故だか落ち着けない。薄いシャツ越し、うるさく高まりつつあった鼓動の音が彼に聞こえてしまわないかと、それが無性に気掛かりだった。けれど…もう二度と、考えなしな乱暴さでこの子を傷つけたくはなかったから、無理矢理に引きはがしも出来なくて。くうと息を詰めつつ、じっと我慢して耐えていると、
「…あのね?」
 もう一度、お顔を上げた少年が。雷鳴への怯えも何処へやら、意を決したという真摯な表情で真っ直ぐにこちらを見やってくる。小さな唇が真っ白な歯に何度も噛みしめられながら、何かを伝えたがって震えていて。その様子が…何とも可憐で愛らしかったものだから。

  「……………。」

 腰を、背中を、くるりと抱き締めていた腕に、ついのこととて力が籠もり。自分の懐ろの中、閉じ込めるかのように強く抱き締めると………。


  ――― 柔らかな唇に、自分の同じもの、重ねていた十文字だった。


 小さくて柔らかな頼りない肢体と、やはり小さくてふわふわで頼りない唇と。このまま溶けて消えてしまうんじゃないかと心配になって。唇を離してもそのまま…大きな手のひらで抱え込んだ小さな頭、髪の中へと指を差し入れ、きゅうと自分の胸板へ押しつけるように抱いていた。
「………あ。」
 さぞかしビックリしたろうな。またやっちまった。自分と違ってデリケートな子だってのに、重々そうだと判ってた筈なのに。こんな悪ふざけをしたりしちゃあ、また、いやいや…あの時よりももっと、傷ついちまうに違いないのに。胸板を上下させ、そぉっと腕を緩めてやる。力づくなんて狡いよなと、遅ればせながら気がついたからで。けれど、
「……………。」
 少年はその身をこちらに添わせたままで離れない。薄暗い中でも判るほど、頬を真っ赤に染めながら、それでもしがみついたままでいて。そして………………。

  「………何で判ったの?」

 小さな声がそうと訊く。え?と小首を傾げていると、
「ボク、が。十文字くんのこと、ドキドキしながら見てたって知ってたの?」
 そんな言葉を紡ぎ始める。
「嫌だよねって。そんなの気持ち悪いよねって。黙って、たのに…。」
 っく…と、小さくせぐり上げる気配がしたから。これには流される訳には行かないと。振り切られぬように、再びしっかと相手を抱き締めていた。
「何、早合点してんだよ。」
「………ぇ?」
 聞き返すような小さな声に応じて、腕の就縛、もっともっとキツくする。
「からかっての事だとか、そんな風に思ったんなら、それって俺に失礼だぞ?」
「えと…。」
 戸惑うように まだ少し、緊張に身を堅くしている少年へ。そのまま溶け合いたいかのように華奢な肢体を抱きしめたまま、告白を続ける十文字で。

  「こんなこと、冗談でなんか出来っかよ。
   お前んことを好きだからに…決まってんだろが。//////

 半分ほど喧嘩腰。でもでもお顔は真っ赤だから、あんまり迫力はないかもで。いつも精悍なお顔が恥ずかしさと、それから…ちょっぴり逃げ腰な照れ隠しの気色に塗り潰されているのを見て取った少年は、

  「………。」

 おずおずと、自分の方から手を伸ばして。広い背中のシャツのあそびへ、精一杯にぎゅうと掴まる。

  「あのね、あのね、ボクも…。////////

 か細い声で、何か言いかけたその瞬間に。カカッと、強い光が辺りを叩き、
「いやぁ〜〜〜っ!」
 雷鳴の音より響いた金切り声を上げる彼から、怖いようと思い切りしがみつかれて。…ああ、こんなどさくさに告白したのは不味かったかなと、小さく苦笑した十文字くん。何とか落ち着いた少年から改めての“お返し”を聞くまでの数十分を、雷鳴とか弱い悲鳴とを聞きながら過ごす羽目になってしまいましたとさ。






            ◇



 お元気で愛らしかった幼なじみくんと過ごした、それは楽しくも切なかった夏の日々はあっと言う間に通り過ぎ。あまりに充実していて楽しかった反動からか、新学期が始まってしまうと何をやっても張り合いがない。喧嘩を吹っかけてくる連中も、夏バテの後遺症でも出ているのか今ひとつ歯ごたえがない奴らばっかだしよと、一応は相手を分析出来るだけの余裕もあるらしいのだけれど。

  「はぁあ〜ぁ。」

 切ないなぁと、溜息が一つ。メールするからね? それと、冬休みにも来れたら来るからと、別れ際にそんな約束をしてくれたけれど、
“都会のガッコだもんな。”
 こんな田舎と違って楽しいことだって一杯あるのだろうし、あれほど性格の良い子なのだから、友達だってこれから沢山出来ようというもので。人目を忍んで抱きしめた細い肩の感触も、蜂蜜みたいだった甘い髪の匂いも十文字の大きな手からはどんどん薄れて。もはや記憶にも、名前だけに形骸化されたイメージしか残ってはいない始末。
“彼女でも作っちまうかな。”
 それか、部活でも始めよか。柄になくもそんなことを思いつつ、ガッコの屋上、乾いたコンクリの床にごろりと寝転ぶ。まだまだ目映い陽射しの中、真っ向から射して来た光の矢に目をしかめたその視野の端。

  “………え?”

 コージが広げていたスポーツ紙の、小さな小さな記事が目に入り、そこから目が離せなくなる。
「どした? カズ。」
 訊いた同時、がっしと新聞を下から掴まれてギョッとした。
「な、なんだよ。」
「ちょっと貸せ。」
 奪い取って眺めたのは、下の方へと組まれてあった小さな小さな特集記事。高校生たちの秋大会が始まったアメリカンフットボールの特集が組まれてあって、

  《 東京地区の目玉はこの彼!》

 ヘルメット姿の選手が、先輩さんだろう別の選手と共にインタビューを受けているものと、ゲーム中のフィールドを駆けているロングショットの写真で紹介されていたのだが、
“泥門高校?”
 あの少年が通ってる学校と同じ名前だ。それに…。
“この体格って…。”
 いやいや、あいつは国展へ作品を出品するような文科系の子なんだ。こんな激しいスポーツなんかをこなすような、そんなタイプではない筈で。
“でも…。”
 そういえば。結構丈夫だと感心した時、何か言いかけて口ごもった彼ではなかったか?
“あれってまさか…。”
 この韋駄天選手はどういう綾があってのことか“謎の存在”扱いになっている。秘密兵器ということで、巧妙に素性を隠し切っているのだそうで、だとしたら。
“他言しちゃいけないから黙ってた?”
 まさかそんな、でもなあ…と。一気に目が覚めたはよかったものの、今度は別口の思案の種に取りつかれることとなった、十文字くんの秋が始まるのであった。


   秋の青空は真夏のソーダ水色よりもっと透明で天高く、
   風の色さえ少しずつ透明になりつつある今日この頃。
   遠い町でのあの子は今頃、どんな毎日を送っているやら…。






  〜Fine〜  04.9.16.


  *サイダーってのは三ツ矢の登録商標なのでしょうか?
   英語で言うところの“サイダー”はリンゴ酒のことだそうで、
   ややこしいからか日本では“シードル”なんて呼ばれてるアレのこと。
   日本の“サイダー”は英訳すると“ソーダ・ポップ”だそうです。

  *そ〜れはともかく。
   “路地裏のマリア”は結構反響がありまして。
   続きも読みたいというお声がありましたので、
   ついつい調子に乗ってしまいましたです。
   このお話の十文字くんはアメフトやってませんですが、
   セナくんが某主将さんから脅されてやってるんなら、俺が守ってやらにゃあと、
   上京して来かねなかったりして?
(おいおい)
   某主将様、思う壷ですな。
(こらこら)

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