白い帽子と 路地裏のマリア。
 

 

 いくら刈ってもほんの数日で膝までの高さにまで育つ、エノコログサや何やの草むらがはみ出してる小道。思い切り駆け抜けたら、朝露に濡れてた草が剥き出しの脛にぺたぺたとくっついてヒヤッとした。テレビなんかで“素朴ですね”なんて取材されるほど、人里離れてて自然が一杯な“片田舎”じゃあないけれど。そういや建物より多く、緑の畑地が一杯広がってる土地柄だし、コンビニはあるけどそんでも、ちょっとしたお使いものとか大きい電器製品は、バスで30分かかるJRの駅のある隣町まで出ないと手に入らないってトコはあるかもな。あんまり暑いから、夏休み中はいつだってランニングと短パン裸足で過ごした。踝を踏みつぶしたズックで駆けるご近所一帯には、大人たちよりも知り尽くした小道も合わせて、そこいら中にこだわりの目印が一杯あふれてる。床屋の外壁の珍しい色をした綺麗なタイルとか、カド屋のお婆ちゃんチの庭のほどけかけた竹矢来の柵の微妙な傾きかげんとか。サト中学の隣に雨が降ると同じ模様が浮き上がるブロック塀があって、コージとショーゾーはお化けだって言うんだけど、俺にはそうは見えなかったんだよな。らしくない発想だろから誰にも言ってねぇのによ。

  『マリア様みたいだよね。』

 言った覚えはないのにな。ましてや、逢ったばっかだったのに。ね?って小首を傾げてこっちを向いた、曇りなく はっきりしてた笑顔が…何でだろ、やたら眩しくてじっと見てらんなかった。別にホントに光ってた訳でもなかったのにな。






            ◇



  ――― なあおい、知ってるか?

 顔を合わすなり、コージが早速言いたくてしようがないらしい話を振って来る。昨夜見た野球の話かな。そんくらいに思って、けど、こいつってばそういうの喋らすと面白いからサ。別に遮りもしないで顔を向けると、
『ピアノ教室の姉崎んトコに、大町から従兄弟が来るんだと。』
『……………へー。』
 まんが本から顔さえ上げないショーゾーの分まで相槌を打ってやったけど、あんまり興味の湧かない話題だったから。だからどうしたっていう、テンション低い言い方になったと思う。この辺で唯一の“習いごと教室”を置いているのが姉崎っていう家で、ピアノと英会話の教室を週に何日か開いてる。主には女の子たちが通ってて、コージんトコの姉ちゃんもピアノを習ってるから、それで話を聞いて来たんだろな。
『何だよ、そんな返事。』
『だってよ。』
 どうせ夏休みの間だけだろし、姉崎さんチのトコっていうとサ、
『お高くとまってるよな奴じゃねぇのか?』
 特別ツンツンしてるって言うんじゃねぇんだけれど。あすこの家は都会から来たお上品な一家でサ。俺らのイッコ上の娘も優等生で、通ってる中学じゃ そりゃあ人気もんならしいけど。そういうのがちょっと鼻につくってのかな。俺ら どうせ落ちこぼれだし、そんな家の子とは関係ねぇべと興味も薄れて。
『う〜ん、やっぱそっかな。』
 コージは姉ちゃんから“苛めちゃダメだぞ”とクギを刺されたらしい。ほら見ろ、どうせ なよなよっちい奴なんだって。そんな奴は女の子と遊べばいんだよ。そうと結論が出て、その話はそこで終しまい。さあ今日は何しよっか。鎮守の森で木登りしてて何となく盛り上がった“基地”でも作るか? でもなぁ、あすこって神主のおっさんが毎日見回ってからな。そんなもん乗っけたら、あっと言う間に叩き落とされるぞ。話しながらも何となく、体の方はもう動いてる。長い筈の夏休みは、でもな、毎年あっと言う間に終わるから。1分1秒だって無駄には出来ない。気がつけば たかたかと結構な勢いで走ってて、通りすがりの大人たちから“悪ガキどもが今日も元気だ”と笑われてる。そんな毎日を飽きもしないで夏の間中、繰り返し繰り返し過ごしてた。


  ――― そんな風に毎年同じ筈の夏休みが、
       ちょっぴり違った、その年の夏休みだったんだ。







  「………ねぇ、此処ってドコですか?」

 恐る恐るだったんだろな、シャツの裾に掴まった小さな手が震えてた。夜でもなけりゃあ、化け物屋敷の中でもない。カド屋のお婆ちゃんチの裏手。昼日中の路地の途中で、いきなり細い声を掛けられたもんだから、むしろこっちがビックリした。
「何だよ、お前。」
 女の子かと思ったからサ。視野に入ってても“背景”扱いになってたんだ。真っ白いツバ付きの帽子をかぶってたそいつは、セーラー服みたいな襟のシャツと短パンに靴下。土埃一つついてない、真っ白な靴を履いててサ。いっつも此処で立ち止まるのがクセんなってる俺んこと、自分に気づいて止まったって思ったらしくて、それで“えいっ”て声掛けたんだと。
「姉崎さんトコはどこですか?」
 何か教科書の棒読みみたいな訊き方されてサ。見れば今にも泣き出しそうな顔してた。やたらでっかい眸をした小さい子で、その目がやたら潤んでて…なんか猫の仔みたいに見えたけど、でも。頑張って、泣かないようにって眸をぱっちり開けてる。そんなトコは えれぇなって思ったからサ、
「何だ、迷子か。」
 ほれって手を差し出して、キョトンとしてる顔の前で何度か振ってやり、やっと掴んだその途端、
「こっちだっ。」
 たかたか駆け出して姉崎さんトコまで送ってやった。後で気がついたんだけど、ここいらでは一番足が速い俺に引っ張られてて、一遍も転ばなかったし、引いてた手があんまり重たくなかったってことは。そいつも結構足が速かったってコトだよな。そん時は全然気がつかなくて、今んなって苦笑が洩れてる。半分泣いてた子の手を引いてたもんだから、どんな無理強いして苛めたんだと、早合点した母ちゃんから叩かれちったけど。夕方んなって綺麗なおばさんと二人でわざわざ菓子折り持って訪ねて来てサ。そいからは、何だか妙な夏休みが始まった。

  『また来てんのかよ、あいつ。』

 お帽子かぶった小さな都会っ子。こっちの顔見ると“にこぉっ”て笑う。聞いたら何と、俺らと同い年らしくて、それじゃあ仲良くしてもらいなさいねなんて、大人同士で勝手に話が決まっちまって。それからはずっと、いつもの広場に奴も顔を出すよになった。何てのかサ、俺らとは毛色が違ったから、何して“遊んであげれば”良いのかが判らなくって。そいで最初の頃は ちょっちほど気が滅入ってたんだけど。紙飛行機を折らせたら物凄い遠くまで飛ぶのをいつも作れたし、歌が上手くて、恥ずかしそうだったけど色んなの教えてくれたし。あと、沢山本を読んでたみたいで、ショーゾーと話が合ってたみたいで。

  ………何でかな、それはちょっと面白くなかったな。






            ◇



 微妙なところで仲良くやってた。町内には同じ年頃の、しかも外で走り回ってるような男の子が俺らしかいなくって。それでのちょっと強引な仲間入りになっちまったんだと思うんだけど、病気がちだとかそういう事情はなかったらしいから、駆け回るこっちに頑張ってついて来てた。毎日どこかしらお洋服が汚れるのは何か気の毒だったけど、お母さんに怒られるどころか、だんだんと俺らと同じようなカッコになってくのが可笑しくて。靴下を履かなくなり、白い服が少なくなりして、気がつけば…お帽子以外はまるきり一緒になってたのがサ、楽しいやら可笑しいやらで。でも、何故だか帽子だけはかぶり続けてた。駆け回れば風にあおられて、首んトコにゴムで引っ掛かって肩で躍る。ふわふわな髪が躍り出して、おでこが全開になるのが凄げぇ可愛くて。待って待ってって一番後から追っかけて来るのが、凄げぇ可愛いもんだから、
『苛めたらダメだろうが』
 大人からいっつも誤解されてたな。俺らは乱暴者で通ってたからしょうがないけどさ。そんな風に俺らが叱られてると、はやや…って眉を下げちまうのがまた可愛かったから、気にすんなってこっちが気ィ遣ってたかな? 学校のない田舎の夏は、子供たちの王国で。雑木林や沢、原っぱに畑のあぜ道、裏小路の突き当たり。どこででも何かしらの遊びが始まったし、何からでも想像の種は育ったと思う。ただ…柄ってのかな、そういうの意識し出してた頃だったからさ。

  『マリア様みたいだよね。』

 中学横の小道の途中にブロック塀が続いてて。雨上がりの湿気が染み出すと、決まって浮かぶ影の形があった。大人は気がついてなかったみたいで、コージやショーゾーはお化けみたいだっていっつも入ってた。
《 サト中のお化けブロックんトコな。》
 そんな風に言って待ち合わせの時の目印にしてたくらいで、そいでその日もそこで待ってたんだけど。俺の次に来たあいつがサ。頭にベールをかぶったマリア様に見えるって、そんな風に言い出して。ほら、ここんトコがお顔でなんて説明しながら“にこぉっ”て笑ったのが凄げぇ可愛かったのに。

  ――― どうしてかな。

 なんか…知られちゃいけない恥ずかしいこと、陽の下に晒してばらされたみたいな気がしてさ。
『………見えるもんかよ。』
 変な奴だってムキになって言い続けちまった。後から来たコージたちにも言い触らして、こいつ変なんだぜと笑ってやった。自分がそうされるのがヤだったこと、だから黙ってたこと。………今から思えば、そんなのを恐れもしないで感じた通りを言えた奴だったのが、思わずのこと悔しかったのかもしれない。子供の世界の多数決はノリとか気分でコロコロ変わる。そん時はコージもショーゾーも“変な奴”の方に大きく傾いちまってて。そんな風に突き放されたのが初めてだったからだろう。その日は一日、あまり口を利かなくなってさ。それから………朝の広場にも ぱたりと来なくなった。







 悪いことをした。悪いことをした。それからずっと、そればっかりが喉の奥に引っ掛かってた。そんなに遠い家でもなかったから、近くまでは行けたのにな。どうしてもこっちからは逢えなくて…しまいには姉崎さんチが鬼門になった。いつも笑ってたのにな。自分たちにしか通じないよな、省略した物言いにも何とかついて来てたしさ。待って待ってって一生懸命について来た、ずっと小さい子みたいな笑顔がそれは可愛かったのに。


  ――― 夏休みが終わって、そいつも都会に帰ってったらしいって。
       そうと聞いたのは学校が始まってからだいぶ経ってからだった。














          ◆◇◆




  「覚えてるもんだよな、そういうのって。
   うん………判ってるよ。俺だってビックリしたしサ。」

 手の中で泳ぐほど小さい携帯でさっきからずっと同じことを話してる。早く切り上げたかったけれど、大事な幼なじみのダチだからそうそう邪険にも出来なくて。バス停の時刻表を眺めながら、何とか話を合わせる。
「こっちの新聞にも出てたしさ。………ああ、それが判んのは俺らだけだかんな。」
 今年の春に、国の展覧会に発表された油絵があって。古びた小道の情景を柔らかな筆で描いたその作品は『路地裏のマリア様』って題名で。他の…何処の誰にも判りはしない、ブロック塀に浮かぶマリア像。白い帽子と踝を踏み潰したズックとが引っ掛けられた、中学校の金網越しに夏の情景をコラージュしたというその作品が、堂々の最優秀賞を取ったのだそうで。そして………。

  『………あの。覚えてますか?』

 あれから何年経ったんだろうか。4年?5年かな? もしかして声変わりしてないんじゃないかってほど細い声のまま、懐かしい声での電話がかかって来て。居間にあった固定電話にだったんで、大慌てて辺りを見回しちまった。不覚にも家族が見てる前で醜態見せんのだけは避けられたけど………恥ずかしい話、何でだか声が詰まっちまって、全然会話になってなかったと思う。

  『カズキくん、あの後、毎日お家の前まで来てくれてたでしょ?
   なのにゴメンね、何だか怖くて…恥ずかしくて。
   もう遊べないって思い込んじゃって。』

   ――― 当たり前だ。俺が恥かかせたんだからサ。

  『最初にお友達になってくれたのにね。
   だから…遠慮しないで、口利いてくれたんだのに。』

 勝手に怖がって、勝手に遊ばなくなって、と。やたら“ゴメンね”を繰り返してから、
『久し振りにそっちへ遊びに行くんだ、今年。』
 電話の向こうで恥ずかしそうに笑った声が、信じられない事を言い出した。ホントはね、あの後も毎年行く予定だったの。なのにお父さんの仕事の都合で随分と遠くへ引っ越しちゃって。それで滅多に行けなくなっちゃって。でも、
『もう、高校生だから。』
 親がかりでなくの旅行が出来る年齢になったのだから、独りで伯母さんトコに遊びに行くことにしたんだ。だから、久し振りに逢えるよね? 毎年思い出してたんだよ? カブトムシ捕った林とか水遊びした沢とか。雨宿りした廃屋? あれって怖かったよね。え? まだあるの? わぁ〜〜〜。ほんの1カ月しか居なかったのにね。毎年思い出しては絵画教室の課題の絵に描いてた。………え? アレ見たの? うわぁ〜〜〜、何か恥ずかしいなぁ。//////


  ――― 何でだろ。
       柄になく、泣き出しそうになってたから、
       ほとんどあいつばっかりが喋ってた電話だった。








 やっと切れた浩二からの電話。息つく間もなくまた掛かって来たから、今度は誰だと、苛立ちながら出たところが、

  【あのあの。十文字くん?】

 あっ、と。思わずの声が洩れた。悪い、長電話してたから繋がらなかったろ。ううん。今まで電車に乗ってたから。え? もう着いたのか? あのね、それがね…。小さな携帯。それが伝えて来る細い声。それだけで、顔が自然とほころぶ自分に困って…さっきからずっと怒ったような顔になってる。ああ、こういうトコ治ってねぇや。また誤解されないようにしないとな。

  【あのねあのね。迷子になっちゃったみたいなの。随分と変わってたから。】

  「はぁあ?」

 駅前で待ってろって言ったろが、バスで迎えに行くからって。うんでも、ビックリさせてやろうって思ってサ。十分ビックリしたサ、で? イッコ前で降りちゃったみたいで、何処だか判らないって? えとうん、でもね………。






  仕方がないから、白い帽子を探しに行こう。
  緑の中に映えるだろう、真っ白なあの帽子。
  壊れかけの竹矢来の垣根に何か見覚えがあるんだけどって言ってた。
  馬鹿、お前、それって…って言いかけて、でも辞めた。
  覚えてないかも。そう思ったからだったんだけど。

  ――― ねぇ、もしかして。此処って十文字くんと初めて逢ったトコじゃない?

  そんな風に言われては、急いで行かざるを得ないってもんじゃねぇかよ。
  そっから動くな、すぐに行くから。
  白い帽子が目印だな、待ってな。
  国道をやっと来たバスを見切って、町内の方へと駆け出した。
  駆け出す先には入道雲が、
  あの夏と同んなじに、白い峰をむくむくと盛り上がらせてる最中で。
  にわか雨が降らなきゃ良いがと、柄にない気掛かりを抱えて。
  一夏だけの幼なじみに逢いに行く、十文字一輝である。



  〜Fine〜  04.8.24.


  *ウチってキリリクやってないもんで、
   こう言うの書いて下さいって言いにくいんだろなって思います。
   なのに、前作での十文字くんのあんまりな役回りに、
   救済のお話をと“拍手”でリクエスト下さった あなた。
   ………こんなもんじゃ足りないかとも思ったのですが、
   いかがなもんでしょうか?
   “進セナ”サイトではこれが限界かもです。
   微妙なパラレルでごめんなさい。
   瀬那くんの名前出してなくてごめんなさい。
   なんか微妙な十文字くんでごめんなさい。(それが一番問題だろーが。)
   また機会があったら何か書いてみますね?

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