寒の戻りに…
 

 
          



 三年生の方々がそれぞれの進路へと卒業してゆき、それを見送った在校生たちもそれと前後して春休みに入った三月終盤。

  「う〜〜〜、寒い〜〜〜。」
  「ホントだね〜〜〜。」

 暖冬を引き摺ってか、お雛祭りが終わった頃には"四月並み"と言われるほど随分と暖かだったものが、急な寒の戻りで厳冬の極寒もかくやという気温になって。新学期が始まったらすぐにも春大会が始まるから毎日の基本練習を怠るなかれとばかり、皆してグラウンドに集まりはするものの、体を温めるまでに随分と時間がかかる今日この頃。桜も早くほころび始めたとか何とか言ってなかったか? そうだよね、なのに昨日なんて雪も降ったし。小さな先輩さんたちが ふるると肩を震わせつつ出て来たグラウンドでは、人数も格段に増えた後輩部員さんたちがそれぞれに、ランニングを始めていたり、前衛、守備陣営の体つきの大きな面子がマシンを使ってのぶつかり合いの練習に入っていたりと、もう十分に"駆動準備"は立ち上がっている模様。

  "…何か壮観だなぁ。"

 最初の"助っ人頼り"だった構成や編成から思えば、大躍進にして大発展。それもこれも、大会での成績、つまりは実績が物を言ったこの成果であり、やってみればどんなに楽しいスポーツかという"糸口"を、これだけの人たちに伝えて惹き寄せることが出来たんだななんて………と、
"これは去年の今頃にも思ったんだっけ。"
 あやや、ボクって進歩ないやと苦笑いするのが、驚異の光速ランニングバッカーさん、こと、小早川瀬那くんである。何にも言わないまま小さく口元をほころばせたお友達へ、
「どした?」
 すぐ傍らから小首を傾げて見せたのは、昨年度主将の雷門太郎くん。ずっとずっと いじめられっ子だったセナが、殴られたくないからと腰が引けたままに甘んじていた"パシリ"なんていう待遇から抜け出せたのも、そして、彼のような…本音も言えば喧嘩だってしちゃう、元気一杯で思いやりのあるお友達が出来たのも、
"アメフトを始めたから、なんだろな。"
 痛い想いや怖い想いをしたくなくて、ずっと及び腰でいた。弱い子ばかりを選んで笠に着るような、弱い者いじめしか出来ないのに偉そうにしている薄っぺらな"いじめっ子"の方が断然悪いに決まっているのだけれど。そんな人たちがいなくなった訳じゃあなくて…何にも譲れないくらいに好きなものが出来て、何を言われようがどんなに辛かろうが構わないからって、胸を張ってしゃにむに頑張れることが出来た、そんな瀬那の側の変化も大いに関わっているんだよと、

  "桜庭さんに言われたんだっけな。"

 とってもカッコいい芸能人で、それだけじゃなくて…あのその…えっと。大好きで堪らない、高校最強と謳われた"あの人"とのことへ、とっても気を遣って下さった、やさしい桜庭さんとか、
「おら、そこの二人。そんなとこから悠長に見下ろしてんなよな。」
「そうだぞ、とっとと降りてこんかい。」
 グラウンドへと降りる石段の上で暢気に感慨に耽っていたらば、先に出ていたラインの面々から催促のお声が飛んで来た。小結くはともかくも、残りの面子は…入学したばっかの頃は、それこそ顎で使われて苛められかかっていた相手の人たちだったのにね。それが今では、早くこっち来て一緒に練習始めようぜと笑いかけてくれている。ただの"知ってる人"じゃない、お互いへの関心を持ちお互いを認めているほどの色んなお友達がこんなに出来たのもまた、自分で自分をちゃんと見据えて、そうそう俯かなくなったから。
「さあ、俺らもエンジンかけるか。」
「うんっ!」
 デビルバッツの誇る"弾丸オフェンス"のちびっこコンビ。ちょっぴり冷たい風の中、まるで競走するかのように高い石段を駆け降りたのだった。






 基礎的なトレーニングで体をほぐし、春季大会の間にそれぞれの正規ポジションを譲り受け、後を任されることになろう後輩さんたちへ、役割ごとの指導がなされて。そうそうキッチキチに根を詰めるよりも、今は素早く起動出来る体を保持することと体力をつけることが大事だからと、午前中だけで練習は終しまい。
「明日は筋トレだ。午後からな。」
 初年度こそ、ド素人の集まりがいきなり頂点を目指したがための…所謂"無茶"を沢山こなした彼らだったが、あれはそれなりの"芽"を持ってもいたからこそ敢行されたもの。本来は、重く激しい特訓で体力を擦り減らすより、連綿と続けることが今時のトレーニングの基本だってこと、重々知ってる彼らでもあって。ポジションリーダーたちが後輩さんたちにそんな声を掛け、主務としての後輩やマネージャーさんたちに資料整理や手配への指示を与えていたセナもキリのいいところでお仕事を終えて、さて。
「これからどうする?」
 ロッカー前に並んで着替えながら、そんなこんなと話していた仲良しさんな二人だったが、いつもならハンバーガーでも食ってこうなんて話があっさりとまとまる筈が、
「あ…や、その。」
 おやおや、珍しくも何かしら口ごもって見せるモン太くんであり、
「???」
 ひょこりと小首を傾げたセナの見つめる先、こんな時節でも浅黒さが抜け切らないほどに、よくよく陽に灼けた彼の頬が真っ赤になったから…ありゃりゃ、これはもしかして。
「そそそ、その、な? 受験勉強用にっていう参考書の話をしたら、いいのを一緒に探してくれるって、その。」
 おいおい、モン太くん。誰が…っていう"主語"が抜けてますぜ?
(笑) 照れ臭さのあまりにか、セナの顔さえ見られないらしき雷門くんのこの焦り様から察するに、
"…あっ。"
 そっか、と。セナにも遅ればせながら、そのお相手への予想が立った。
"まもりお姉ちゃんは文系に進んでっちゃったから。"
 それも将来は教師を目指すのか、教育学部。理数工学系ではないので、そんなにも畑の違う専門的なお勉強をしていた訳ではなかろうし、何かの話の拍子にでもそんな約束を取り付けていたモン太くんであったらしく、
"それをギリギリまで内緒にしとくなんてサvv"
 あの まもりがセナをどれほど猫かわいがりしていたかは、どこの誰の目にも歴然としていたこと。まもりを慕っていた雷門くんにしてみれば尚のこと、いやってほどに始終見せつけられていた"事実"であり。セナに恨みはないけれど…卒業してしまい、逢う機会も格段に減ることとなる、憧れのマドンナさんとの久々の逢瀬。そんなせっかくの機会だから、邪魔してほしくはないのかも。そんな可愛らしい胸の裡があっさりと伝わって来たがため、
「…あ、そうそう。そういえば、ボクも予定があったんだ。」
 急に何かしら思いついたような声を出す。唐突すぎてちょっと空々しかったかななんて危ぶんだものの、
「そっか〜、そりゃ残念だなvv
 全然"残念"そうじゃなさげな、満面の笑みで肩をバンバンとどやされてしまったセナくんだった。…判りやすすぎて可愛いぞ、モン太くん♪






            ◇



 さて。用事があるだなんてその場しのぎもいいところで、これからQ街まで行くというモン太くんが、丁度ホームに来ていた快速へと駆け込んだのを見送って。
"…どうしよっかな。"
 何だか時間が余ってしまった。途中でコンビニでお弁当でも買って、真っ直ぐ帰って、それから…何をしようか。受験用のゼミとか何とか、それこそまもりから薦められてもいたのが幾つかあったのだけれど。春季大会が終わるまでは部の活動を見てたいなと思い、毎日トレーニングがあることを口実にお断りしちゃったセナくんだ。進学に真剣まじめに向き合う気持ちは十分にあるけれど、それと同時に、体の方も鈍
なまらせる訳にはいかないもの。ただでさえ高校に上がってから始めたアメフトだから、少しでも怠ければあっと言う間に、あちこちの柔軟性や反射が固まってしまうのは目に見えている。持久力が足りないと指摘された自分は尚のこと、毎日のこつこつとした運動を続けての体力維持も必要で、
"そういうの、理由にしたくらいなんだから。"
 帰ってキチンと自分なりのお勉強を始めた方がいいのかな。そんなこんな考えてた目の前へ、各駅停車の電車がすべり込む。開いたドアから、ざわざわと降り立った人たちの間から、

  「…の取材なんだって。」
  「へぇ〜。じゃあ有名人なんだ。」
  「アメフトっていったら、ほら、桜庭くんもやってたしさ。」

 そんな会話の切れっ端が聞こえてきて。

  "………っ。"

 あまりに準備のなかったところへ聞こえた…されど馴染みのありすぎるフレーズだったものだから、

  「でも、その子って、まだ新入生なのでしょ?」
  「う…ん、でもほら。
   サッカーでも何でも"全日本ユース"とかってランクへ選抜されるのは、
   大学の一回生からが殆どだって言うじゃない。」
  「そっか。」
  「王城、だっけ? 優勝候補の強いチームのエースだったってよ?」

 不意を突かれたせいで…体が一時停止して凍ってしまったその割に、聞き漏らすまいと余さず拾い上げた会話のお声。え?え? それってもしかして? すぐ傍らを通り過ぎていったのは、寒の戻りに慌てて引っ張り出したらしきマフラーに重たげなコートという、どうかすると冬場よりも重装備をなさってた、女子大生風のお姉様たちで。この電車でこっち方面からやって来た大学生ということは…?

  "…U大学の人なんだ。"

 結構有名な大きい総合大学で、本校は反対方向の都心近くにあるのだけれど。こっちの方向のお隣り、F駅のすぐご近所にあるF学舎では、広い敷地に各種スポーツ用のフィールドが幾つも取られていて、各運動部の春の合宿が様々に展開中。そして、
"進さんも…。"
 卒業式のすぐ翌日からという気の早さで、早速にも春休みの合同合宿に参加して下さいという招聘を受けた期待のルーキー。いやいや"ルーキー"なんて可愛らしい形容詞を冠するには貫禄があり過ぎるかもしれない、高校生時代に"最強・最速"の名をほしいままにした怪物ラインバッカーの、進清十郎さん。その彼が、
"すぐ向こうに、居るんだ。"
 やはり同じ沿線上にあったとはいえ、彼の住む町も通う学校もちょこっと遠いというイメージがあったものが、今は何と…各駅でもすぐお隣りという至近の町にいる。お正月に一緒に見学に行った大きな学校。どうかすると此処から自分チよりも間近いところにいる進さん。

  "………。////////"

 そういえば。これまでの数日は一度も、そうなんだという意識をしなかった。メールでも、練習は大変ですか?とか、冷え込みましたね風邪引いたりしてませんか?とか、そういう当たり障りのないお話しかしてなかったし。
"………。"
 乗るつもりだった電車が無愛想なままにドアを閉じ、彼を置き去りにさっさと発車してしまっても、どこかぼんやりとしたままでいたセナであり。どうしよっかなと。グレーのコートの肩をすぼめ、スニーカーの足元を見下ろして、もじもじとしつつ考えること…数刻余り。

  「……うんっ。////////

 何故だか頬を赤らめて。何事か決意を固めたらしきセナくんであったのですが………もう何となくお判りな方も多いのでは。
(苦笑)










          



 渡線橋を戻って逆方向のホームへ降りたらば、瀬那にそれ以上の躊躇をさせないかのようなタイミングで、丁度各駅停車の電車がやって来た。それに乗ってお隣りの駅で降りて、案内板に"U総合大学F学舎方面"と書かれてある出口へ向かう。お昼休みという時間帯なせいか、大学生らしき人たちがぞろぞろと駅前までの道を行き交っており、
"あ…そっか。"
 もしかしてお昼休みかな、でもでも、だとしたらお食事中かもしれないな。もしかして微妙に"間が悪い"頃合いに来ちゃったのかも? 此処までは何となく勢いに乗せて一気に運べた足が、少しずつ少しずつ…萎えて来そうになる気持ちにつられて、何だか重くなって来そう。たかたかから とことこへ、そして段々と…ほてほて、とぼとぼへと歩調が変わりながらも、まだ何とか余力があったので校門を通過出来て。やっぱり広い構内の、確か奥向きだったよね。相変わらず広いなあと、先行きの遠さを感じて…まるで初めてのお使いに出された小さな子供みたいに、ちょっぴり萎縮しかかったセナくんだったものの。此処まで来ちゃったんだから、せめてこっそり見るだけ。もしも姿がなくたって、此処に進さんがいたんだって空気だけでも良いから感じて帰ろうって。頑張って気持ちを奮い立たせて歩き出す。
"えっと…。"
 練習試合なんかをする時にはそのまま観客席になるのだろう、フィールドをすり鉢状になった石段で囲まれた練習場は、遠くから近づく分には状況が見えないので…何だかドキドキ。誰も居なかったらどうしよう。お昼ご飯とか、ああそうだ、ミーティングってこともあるよね。進さんにお話聞いてなかったから、どういうスケジュールなのかも判らないままだもんな。

  ……………あ。

 色々と想いを巡らせながら、問題の練習場に近づきかけていたところが。そっちの"底"から上がって来たらしき部員の方が数人ほど、こちらへと歩いてくる。試合用の装備を半分ほど身につけたままというカッコの人とか、そうかと思えば普通のトレーニングウェア姿の人とか。着ているものもまちまちだし、体格もバラバラで。腹が減っただの、だからあれは無いってよだのと、軽口を叩き合いながら すいっと傍らを通り過ぎたすっかり大人の先輩さんたちは、

  「けどよ、あの調子じゃあレギュラーも間近いな。」
  「進だろ? パワーと切れが違うもんな。」
  「同じラインの○○とか●●とか、戦々兢々だろうよな。」

 セナくんのお耳がピピンと反応して立ち上がりそうな会話を残して、大股にさっさと立ち去られたもんだから。

  "あやや…。////////"

 どうしよ、どうしよ。さっきまでは逢えたら良いな、姿を見るだけでも、なんて思っていたものが。柔らかな頬を染めて、なんかもう…これで十分だようなんて、お手軽なことを思ってしまっているセナくんだったりする。
"凄いなぁ、進さん。"
 まだ入学式前だし、正式には籍を置いてない段階なのにね。もうレギュラー云々のことを、それも先輩部員の方々から取り沙汰されてるなんて。きっと相変わらず、それは生真面目に練習に励んでいるんだろうな。シフト練習では、容赦ない"スピアタックル"をご披露してもいるんだろうな。大人のXリーグの実業団チームからも"即戦力としてほしい"っていうスカウトが来てたってお話も聞いたものな。そんなこんなを思い出しつつ、ほややんと夢うつつになりながら、それでも足の方は止まらないまま。ほてほてと進んで辿り着いたるは…いよいよの、フィールドを見渡せる石段の縁。ボール除けのネットフェンスやら、投擲用のピッチングマシンやら。当たりの練習用の大きな器具や、緩衝材が詰まった等身大のグローブやら。様々な用具や器具があちこちに散らばってるところを見ると、今日の練習は試合形式のそれではなくて、ポジション別のトレーニングが主体だったのだろう。そして、

  "あ………。////////"

 さっきの方々が最後だったのか、他には誰の姿もないグラウンドに。ただ一人だけ居残っている人がいる。見覚えのある王城の校章がプリントされたトレーニングウェア。雄々しき肩に広い背中をこちらに向けて、ベンチの柱にくくりつけたラバーチューブにて、背筋力をつけるトレーニングだろうか、ただ黙々と弾力の強そうなゴムベルトを引いては戻しと何度も繰り返している人がいる。今日も相変わらず寒いのに、こめかみの辺りから前髪の端を伝って汗が滴り落ちており。時折首を振るようにして、前髪ごと ぷるりと払いのける仕草が、何とも男臭くてかっこいいけれど。そうまでも、随分と熱心に続けている彼だということを偲ばせて。

  "…凄い。"

 これまでにだって、彼がこんな風に…無表情になって一心不乱に練習に励む姿は何度も見て来たけれど。機械のように黙々と、無心で身体を鍛え続ける姿はいつ見ても壮絶で。もう既に堂々とトップクラスにいる人なのにね。それでも進さんにしてみれば足らないんだろうな。今に甘んじないで、もっと上をもっと強くと求め続ける、向上心の塊りみたいな人。皆さん、休憩に入ったらしいのに、まだ続けているなんてね。きっと休憩だぞって言われても気がつかなかったんだろうな。そんな無茶しちゃいけないのにね。

  ………どうしよう。

 このまま帰ろうか。あんなに熱心なところへ声を掛けるなんて、何だかお邪魔するみたいで気が引ける。お顔さえ見られたなら、もう満足って思ってたんだし。周りの人からの評価みたいなのも聞けたし。これで十分だよねって、小さく微笑ってその場で回れ右を仕掛かったその途端に。

  「ねえねえ、あなたもしかして。
   お正月に進くんと一緒に此処に来た子じゃない?」
  「はい?」

 そんなお言葉をセナへと向けて唐突に掛けて来た人がいる。汗止めのヘアバンドでさらさらの前髪を押さえ、ジャージの上にグラウンドコートを羽織った女の人で、コートの左の二の腕辺りには、此処のアメフトチームのマスコットを真ん中に据えたワッペンが縫いつけられているから、もしかしなくとも関係者さんであるらしい。
「ね? そうなんでしょ?」
「あ…や、えっと、はい。////////
 それでなくたって…小柄で童顔な男の子が、肩掛け
ケープのついた可愛らしいデザインのコートに、いかにも学校指定らしきバッグを肩に提げて歩いている姿は、周囲を行き交うむさ苦しい大学生たちの中からは…はっきり言って愛らしさで浮いていて。そんな子がとことこと、自分のお庭であるアメフトのグラウンドへと向かっているものだから。一体誰なのかしら、誰かの弟とか親戚の子? けど、大概の顔触れは見知ってる筈なんだけどな、それに不思議と どこかで見覚えがある子なのよね。誰だったかなと記憶をまさぐっていたところへ、居残り練習をしている期待の新人くんに ぽうっと見とれている横顔が目に入ったものだから。
『ああっ! 思い出したっ!』
 ふかふかな前髪の下に見開かれた大きな琥珀色の瞳と、柔らかそうな頬。ぷくりとした肉付きの口許という、その愛らしさにやっとピンと来たこの人は、新二年生のマネージャーさんであるらしい。
「良かったわ。あのね、お兄さんのこと止めてくれない?」
「はい?」
 お、お兄さん? 何ですて?と固まったセナのお顔をどう解釈したのやら、
「進くんたら、自分で納得するまで辞めないのよね。インターバルやクールダウンを取ることの必要性だって判っているんだろうに。彼なりのインターバルって、こんなに間合いが長いのかしらね。」
 まったく困った人だわいと、腕を組んで"うんうん"と頷いて見せてから、
「あんなに仲よかったあなたが言ってくれたら、手を止めてくれるんじゃないかしら。」
 ぽんぽんと、セナの両肩を叩いて"うん、そうよ"とすっかり決めてかかったお姉さんであり。

  「………はい?」

 な、何だか物凄く一方的な話運びなんですけれど。





            ◇



 ぎしぎしと、強い反発で戻ろうとするラバーチューブを、力強くも前方へと引っ張り伸ばし続ける単調なトレーニングを、もうどのくらい続けているやら。受験生となったこの1年の間、それなりのトレーニングを自主的にこなして来たつもりだったが、此処に呼ばれてあれこれと手をつけるうち、あれもこれも足りてないと気がつく要素の何と多かりしことか。中でも"試合から離れた"という緊張感や切迫感の低下が一番堪えていたようで。がつがつと貪るばかりが"ハングリー精神"だなんて短絡的なことは思わないが、それでも。何かに餓
かつえるように、あちらもこちらも叩きのめして鍛え直したいと思う情熱は、一旦火がつくとなかなか冷めやらず。ぼちぼちと進めなさいよと忠告されても、ついつい度を超してしまう、過度の練習好き状態が続いている。相変わらずに欲の深いことよと、そんな自分に苦笑するのは、一日の練習を終え、宿舎に戻って携帯電話を開く時。可愛らしいあの人からの優しい時候のご挨拶を目にすることで何とかお顔がほころんで、尖ってた気持ちも収まり、やっと眠りにつけている毎日で。

  "今からこれでは先が思いやられるな。"

 大切な人を、選りにも選って"精神安定剤"にしている。より高みを目指すべく、練習三昧になろうという予測はそもそもあったけれど、待ってましたとばかりのこの がっつきようは、あまりにも分かりやすすぎて。余裕を気取るような人間ではないけれど、こうまで余裕が無さ過ぎるのも何だか浅ましいかもなと。無心だった筈が、愛しい人を引き合いにして そんなこんなを考えてしまっていたのは、何かしらの前触れがあったのか。

  「………あの。進さん?」

 すぐ傍らから。ちょっぴり舌っ足らずな甘いお声がした。………え?と。ついつい引き合いに出したものだから、そして…そういえば数日ほども直には聞いていなかった焦がれる気持ちが現れてか、そんな幻聴が聞こえたのだろうかと。ぴたりと動きが止まった鬼神様。そのまま顔だけを声のした方へと向けて、

  「………小早川?」
  「はい。////////

 屈強な足腰自慢の進さんが。さっきまで軽快に引いていた筈のラバーチューブの反発に"ずずず…"と引き戻されて、あわやベンチの支柱に後頭部をぶつけかかったという珍事は、セナとマネージャーさんとだけが見た"秘密"である。






            ◇



  『今日は監督とコーチが会議に出張したんで、もう練習はないからね。
   夕方からのミーティングに戻って来てくれればよし。』


 さあさ、とっととお昼ご飯でも食べて来なさい、後はあたしが片付けとくからと。明るいマネージャーさんに追い立てられて、二人並んでグラウンドを後にする。びっしょりと汗をかいてる進さんは、体を冷やさないようにとウィンドブレイカーを羽織っているものの、よくよく見れば髪や襟足から湯気が立っているほどで。こんなにも熱心に励んでらしたのへ、
「進さん、すみません。」
 なんかボク、練習に水を差したみたいで。恐縮したような声を掛ける、相変わらずに気立ての優しい子。首に掛けたスポーツタオルの端にて、おとがいや首条などを流れる汗を無造作に拭っていた、精悍屈強な進さんは。その大きな手で…ちょこっとだけしょぼんと項垂れた、傍らの愛らしい少年の髪をぽふぽふと撫でてやる。ああ、こんなしてもらうのも久し振りだなって、反省中にもかかわらず口許がふにゃりと綻びかかったところへ、

  「こうするのも、久し振りだな。」

 響きの良い、大好きなお声がそうと言い。あ、凄い。今、進さんと思ってたことがシンクロしたんだ…なんて。ますます"嬉しいvv"って気持ちが反省を凌駕してしまう。近くても遠かった進さんは、でもでもすぐにも懐ろ近くへとボクを取り込んでくれる。思えば、アイシールド21になってる時とそれ以外のボクを、一番最初にきっちりと別物として把握してくれたのも進さんの方が先だったような。頑迷で不器用そうなのにね。実は一番自然に、全てをなめらかに把握出来てる凄い人なのかも。何だか嬉しくなっちゃって、にこりと見上げれば、進さんの方からも優しく和んだ"にこり"を返してくれて。

  "どうして、こうも…。"

 そんな笑みが自然に浮かんだのも道理。慣れない思い込みをあっさりと打ち払ってくれたセナくんから、胸の温もる安らぎと幸いをいただいて。ついつい負荷の大きすぎる馬力がかかってた進さん、何とか自分のペースを取り戻せそうです。厳しい寒の戻りもあと数日もすれば退散する筈。ホントの春の訪れを待ちながら、傍らで屈託なく微笑う愛しい人の温もりに、一息ついた清十郎さんでありました。




  〜Fine〜  04.3.24.〜3.25.


  *急に冷たい雨が続いて、春のお話が書きにくいこの何日かです。
   早く暖かくなってほしいもんですね。

ご感想は こちらへvv**

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