寡黙な “あなた”

 
 最近よく見かけるその人は、思いがけないほど端正な面差しのまま、いつも物静かで口数少なくて。なのに存在感は飛び抜けてあるものだから。気がつけば視線を奪われてしまっている。どうかすると何処かにその姿がないかと探している自分だったりする。それだけ目に馴染んだということか。切っ掛けは"その人自身"ではなかった筈なのにね…。




 よそ見をするのは、手をつないでいる安心感から。どこぞに腰を落ち着けて向かい合っているならともかくも、街歩きの最中に、すぐ間近にいる相手の顔ばかり見ているというのも妙だろうし。わざわざ顔が向いてなくても、いわゆる"一心同体"とでも言うのだろうか。身を添わせるほど"一緒"に居るんだから、言ってみりゃ"同じ存在"となって"同じ視点"から外を向いてるってだけの話じゃないのか?、と。何か見かけたら"ほらほら"って注意を促してもくれるんだろう?、と。どこか不満顔になっているといつもそんな風に助言をくれた、こういうことには物慣れた友人の言葉を思い出しはするものの、

  「………。」

 だがな、と。進は思った。必ず同じ人物が、その視線の先にいるのは、そういうのとはちょっと違うんじゃなかろうか。

  「………。」

 頭の上がちょいと撥ねてる柔らかな髪。そんなせいで…近間
ちかまになると直接顔は見えなくなる、眼下の真下という至近な位置に見下ろしても、どっちを向いている彼なのかは分かりやすい。いつもの雑踏の交差点。はぐれないようにとこちらの手に掴まってくれている小さな手から、ふっと力が抜けたので、立ち止まったその位置から何か見つけたのだろうか、何に気を取られているのだろうかと連れの顔が向いてる方向を、少しばかり上空から雑踏の中"点・点・点…"と辿ってゆくと、
"………。"
 またかと。そう感じて、ちょっとばかり口許に力が入ってしまう。通りの斜向
はすむかいに建つファッションビルの壁いっぱいにあったのは、この春から放映が始まったドラマの番宣用の大きなポスター・ディスプレイ。提供が大手の電機メーカーで、しかも番組中にそのメーカーの新機種携帯電話が重要なアイテムとして出てくるため、雑誌や駅の構内なぞにも同じポスターがべたべたと張り出されていて。だが、こうまで大きいのは、さすがにこういう場所でないとお目にはかかれない。そして、大きいからこそ、そこに使われているスチール写真も拡大されていて。主演の男女なんかは等身大以上の巨人並みなのだが、連れの視線が捉とらまえているのは恐らく………とある脇役の男性俳優の横顔だ。

  『ああ、カッコいい人なんだよね、渋くてさ。』

 全くと言っていいほどに分からないジャンルの話だが、幸いにしてその畑の人間が間近にいる。それで聞いてみたところ、桜庭春人もまた、その男優のことをえらく褒めちぎっていた。
『昔はアクションものにばかり出てた人で、本編
(映画)専門って感じの人だったんだけど、このごろではドラマにもたまに出てるんだよね。お互いがゲストでって形だったけど、ボクも共演したことあるよ?』
 武闘派系のVシネマにも沢山出てたから、そっちから人気がじわじわって出て来たのかもねと、進にはよく分からない"業界"の話もちょろっと聞かされたが、つまり…相手は、派手な人気はないけれど堅実な実力とそこそこの知名度を持つ、ベテランの芸能人だということで。
「小早川。」
「…あ。ははは、はいっ。」
 ぴょこんと肩が跳ね上がり、我に返った小さな連れ。彼が…自分と一緒に居ながらも、そうまで気を取られて見入っていたのが、その"渋くてカッコいい"男優の姿、なのである。ダンディにもかっちり撫でつけられた髪形と、レイバンのサングラスの映える彫りの深い顔立ちに、手入れの良い黒々とした口ひげ。年の頃は五十代前半くらいというところか。紙巻き煙草をくゆらせて、少しばかり伏し目がちに構えた、成程"渋い"男性であるが、

  "………。"

 何も自分と居る時に、こうまで見惚れることはなかろうと。そこはやっぱり、ただのお友達以上であるという意識の立った間柄なりに、引っ掛かる何かが腹の底あたりに幾つかふつふつと。…とはいえ、
「はい。」
 何でしょうかと。舌っ足らずな声と共に、ぐりんと顔ごと頭上へ向けられる大きな瞳は、いつものように屈託がなく幼
いとけない。同じ高校生とは思えないような童顔の中、くりくりと大きな瞳は日頃からも潤みを帯びて瑞々みずみずしく、顎から思い切りという勢いにてこちらへ仰向いたことで、薄く開いた小さな口許が…何とも言えず愛らしく。それらへ視線を奪われること幾刻か。…おいおい
「………どこかへ入るか?」
「あ、はい。そうしましょうか。」
 にっこり微笑まれて、ついつい本音を言いそびれ、呑み込んでしまう悪循環よ。………いや、具体的に何て言えば良いものか、その準備さえない進でもあるのだが。
「………。」
 どこにしましょうか、いつものコーヒーのお店で良いですか? 何事もなかったかのように、やわらかく眸を細めて話しかけてくる瀬那に、何とも複雑な思いで視線を向ける。緑のフィールドでは最強なれど、恋の道においてはまだまだ初心者な、ラインバッカーさんなのである。頑張れ〜vv






            ◇



 この街を歩く時はいつも立ち寄るようになった喫茶店がある。大通りに面してはいないせいでか、街路に向いた壁一面が大きな格子窓風になっているしゃれた作りだのに外からはあまり目立たない。どこか骨董品店のような味のある調度がさりげなく配された店内には、いつも流行に関係のない静かなインストゥールメンタルが流れている、それは落ち着いたムードのコーヒー専門店。客層も大人の男性が多く、若い女の子の黄色い声なんぞが聞こえはしないシックな店だ。この街に来ると必ず立ち寄るものの、特にどの席とまで決めてはいない、そこまではまだ"常連"ではない学生二人だが、マスターさんには印象深い客であるらしい。おやと柔らかく笑って迎えてくれるその上に、ブレンドコーヒーとカフェオレ、いつも同じオーダーのおまけにと"ごゆっくり"という一言と一緒にクッキーのおまけをつけてくれたりもする。だがだが今日は…何だか様子が変だなと、人生経験の豊かなマスターさんにも何かが届いたらしくって。二つのカップとおまけのお皿、それらを並べてから…心配するよな気配を向けつつ、カウンターへと立ち去った。
「………。」
 若い二人連れは、片やがたいそう背の高い、剣道か何か、和風の武道でもたしなんでいそうな凛々しい面差しと屈強そうな体躯をした青年で。マスターさんはそこまでは知らないが、高校アメフトの世界では"最強・最速の勇者"として知らない者のない実力の持ち主、名前を進清十郎さんという。初夏向けの麻地のジャケットと、インナーにシンプルなTシャツを重ね着た、何ともあっさりとしたいで立ちなのに、かちりと絞られていながらも雄々しくも頼もしい体つきがよく映えて。ただのワークパンツもこれほど長い脚がまとうと、そのシルエットのなんと軽快でスタイリッシュなことか。深色の冴えた光をおびた鋭い眼差しや、確固たる意志の強さを感じさせるくっきりとした口許という、彫りが深くて男臭い、鋭角的な面差しは、緊張感をほどよくたたえ。せっかく端正なのに少々表情が乏しいのを唯一の疵
きずに、物静かで寡黙なその大人びた雰囲気は、彼の重厚なまでの存在感を印象深く引き立てていて。
「………。」
 そんな青年の連れが、こちらはまた逆の意味で高校生には見えない小柄な少年で。一番最初に印象に残るのは、何と言ってもその大きな琥珀色の瞳だろう。こちらはアイビータイプの木綿のシャツの中に水色のボーダーTシャツを重ね、Gパンにスニーカーという軽快ないで立ち。細っこい腕や脚、薄い胸や小さな背中に小さな手…と、傍らにいるのがかなり大人びた偉丈夫であるがため、尚のこと小さく見える繊細そうな彼であり。やわらかそうな髪と肌の、どうかすると中学生よりも幼
いとけない雰囲気のする、なかなかに愛らしい容姿をした、小早川瀬那くんという男の子。日頃はどこか自信のなさそうな様子でいて、学校のクラブ活動もアメフト部の"主務"というセクレタリィ担当であるのだが、実は実はここだけの話。昨年度の高校アメフト界に彗星のように躍り出た、光速のランニングバッカー、超俊足の"アイシールド21"として大活躍中の目玉選手なのでもある。…皆には内緒だけどね。(笑)
"…えと。"
 学校が違い、所属するチームも違う。家も遠いし、同じ"アメフト"というスポーツに関わっていなければ接点なぞ全くなかっただろうというほどに、共通点なぞ1つもなかったろう二人だが、そのアメフトにて関心を互いに持ち合って。それから一年かけて何やかや掻いくぐった末、こんな風に…そうは見えないかもしれないが、文字通り"寸暇を惜しむ"という勢いにて、暇が出来ればせっせと逢瀬の約束を取りつけて、愛しい人とのひとときを過ごすようになった彼らであるのだが。
「…あの。もしかして、進さん。何かに怒ってませんか?」
 この、高校生にして"偉丈夫"と呼んで一向に差し支えない進青年。一見した印象が…無口ゆえ無愛想に見えるのは常のこと。そのきりりとした清冽な雰囲気を遠目に見やる分には、ああ今日も端正で凛々しくて…と、ぽわんと眺めているだけで済むものだから、それでこそ進くんだという"萌えポイント"でもあるのだが、直に接するとなるとそうも言ってはいられない。鋭い眼光、整い過ぎて冴えた表情。大柄で、しかもしっかり実力の伴われた、充実した筋骨隆々な体躯が相俟
あいまり、更にそこへ、常に油断のない張り詰めた緊張感をたたえた"いつも真剣、本気です"モードの人であるがため、どこか恐持てがする青年であり。その半径10メートルには常に静謐な雰囲気が立ち込めていて、逃げ場のない教室では、中途半端な準備しかない新米教師なぞは、その無言のままの凝視に自身の内面の弱さを見、知らず反省の涙を零すこととなる…などという、よく分からない不確かな噂まで流れている強者。おいおい

  ――― とはいえ。

 心得のある者には、そんなこんなも何処のお馬鹿の戯言
たわごとかという言い掛かり。表情が乏しい人であるのも口数が少ない人であるのも、言葉足らずから生じる些細な悶着や誤解は何となれば自分が引き取ればいいさと、どこか鷹揚に構えて来た習慣から身についた不器用さ。強くて正しい人であれという、幼い頃から言い聞かされて来た基本を常に忘れず、ただただ克己心が強かった彼だから、ともすれば"自分"とばかり向かい合って来た。その結果、目標としてでも好敵手としてでも"誰か"を見据えたことはなく、その必要がない"強さ"を保ち続けてここまで来た彼だったから、ずぼらにもそのままで通して来れたまでのこと。
「あの…。」
 恐持てのする"無表情"に見えても、何でもない普段のお顔と"ちょっと不快"と言いたげなお顔は全然違うのにねと、それを最も短期間で見分けられるようになった小さなセナくんとしては。今日の進さんは何かに怒ってるみたいだなと、敏感に気がついたらしい。何か言いたそうな眸になって、だけど、ふいって視線を外しちゃう。普段まずは見せない、ためらいというか戸惑いというか、そんな揺らぎが視線にちらりと見え隠れする。それが読み取れるものだから、あれあれ?と気がついたセナくんらしいのだが、じゃあその原因は?となると、こればっかりは言ってもらわねば分からない。小さな子供が腹いせの当てこすりにと"怒って見せて"いる訳でなし、恐らくはお母さんやセナくんレベルでなければ分からないほど、本人は"隠している"つもりのものなのだからして。

  「……………。」

 とはいえど。隠しているものをそう簡単に"実は…"と口に出せるものではないのも道理であって。成程動揺してはいるらしく、視線を合わせてくれない進さんが、まだ手をつけていないコーヒーカップの縁をじっとじっと睨み続けて幾刻か。
「………あの。」
 自分では相談に乗れないお話なのかな。それとも、自分へ何か怒ってる進さんなのかな。後のだったら遠慮なく叱ってくれれば良いのにと、そうと言いかけた丁度そのタイミングに、
「…あ、はい。もしもし。」
 カウンターに据えられた、ちょいと旧式の黒電話がころろんと鳴って。その受話器を取ったマスターさんに、二人の視線が同時に向いた。そして…、
"あ。"
 唐突な閃きだったけれど…もしかして。セナくん、何かに気がついて、
「あのあの。もしかして、さっきプラザの看板に見とれてたことでしょうか?」
 そんな風に訊いてみる。すると、
「………。」
 返事の代わり、ちらっと視線が泳いだ。融通が利かない潔癖な性格は、平等に…というより"自分へこそ"厳しく働く彼であるらしく、相手の言動に思い切り悪くこだわってしまうこと自体を、あまり見目の良いことではないと自覚してもいるらしい。そう。大人げないという自覚は重々ある。そうでなければはっきり意見する人性である。それが出来ないのは"瑣末なことだ"という自覚があって、その部分が疚
やましいからに外ならない。一方のセナとしては、
「あの人、進さんと声が似てるんです。」
 ただのよそ見で、こうまで空気が重くなるとは思えなくって。進さんは鋭い人だと常から思っているせいもあり、自分がそのディスプレイの"何に"気を取られていたのかもきっとお見通しだろうと踏んだ上で、そんな言いようをして見せた。…さすがは"大切な人"のことで、的確な把握である。とはいえ、
「…声?」
「はい。」
 意外な要素が飛び出して、似ているからだと言われた"御本人"はキョトンとしたまま顔を上げた。何せ自分はその伯父様の顔や姿しか知らない。それも、積極的にマークしてはおらず、何かの拍子に目に入るとささやかなムッカリを覚える…という順番なため、声などという"パーツ"で言われてもピンとは来ない。
「えっとですね。」
 セナ自身もあまり流行のドラマは観ない方。最近の俳優さんもほとんど知らない。ところが…つい先日の夕食後、忘れた本を取りにと居間へ降りて来た時に、母が観ていたドラマの中の会話がするっと耳に入って。
「このお店みたいな喫茶店のマスターさんの役で、物静かであんまり話さない人って設定なんですけれど、主人公の相談をじっと聞いてやって、短く一言二言答える声が、進さんのお声とそっくりなんです。」
 それで…何となくドラマを観るようになったセナであり。となると、先にも言ったが話題のドラマ。番組のCMもよく流れるし、家電会社のポスターもそこいらに溢れ返っているものだから、あ・この声…と意識してチェックするようにもなった。そしてそして…そうそう頻繁に逢える進さんではないものだから、
「なんか、この頃では姿まで進さんに重なったりするんですよ。/////
 渋いと人気のその彼が、掛かって来た電話を主人公に取り次ぐシーンがCMに使われてもいるらしく。そのせいで、ポスターや看板にもついつい眸が向くようになったセナであるらしい。
「………。」
 特に疚しいことでなしと、正直に答えたセナだったが、それを聞いたご本人は。

  「本物がいる時は、本物で間に合わせたらどうだ。」

 少ぉし伏し目がちになってコーヒーカップを持ち上げる進であり。その声音がいつになく堅いのに気づいたセナは、
「あ…。」
 もしかして、と。肩を縮める。
"…進さん、やっぱり怒っちゃってたのかも。"
 そうだよね、連れてる人がずっと他所ばっかり向いてたらムッとするよね。すぐ傍にいると視線が合いにくい身長差。それでも手をつないでいるからと、ついつい気を抜いていたのかもしれない。進さんて優しいし、だから…このところすっかり甘えてたんだな、ボク。反省材料がすぐにも集まって、そこから出た答えに素直に従う。
「…ごめんなさい。」
 小さな顎を胸元へと引いて、俯
うつむくように謝るセナだ。やさしい進さん。お行儀悪かったのに…少しくらいの我儘くらいならって、今まで許してくれてたんだな。だって、あの人が気になり出したのって、昨日や今日の話じゃないもん。
「………。」
 何とも声をかけてくれないのが、何だか辛くて。ああそんなに怒らせちゃったんだと、そう思うとますます顔を上げられない。図に乗ってたのかもな。ホントだったらこんな風に一緒になんて居られないほど凄い人なのに。膝の上、右手に貼った絆創膏が目に入った。練習中にボールを受け止め損ねて擦りむいた手。さっき進さんに訊かれてそう答えたら、ちょっとだけ目許を顰(しか)められちゃったもんな。そんな初歩的なことさえ出来ないような子が、行儀まで悪いんじゃあ、嫌にもなるよね。
"………。"
 その右手を左の手でギュッと握って。………………………どのくらい経っただろうか。

  「………………………その。」

 ぽそっと。やっとの一言が聞こえた。ああ、これから叱られるのかなと、肩を縮めて。
"………。"
 覚悟しつつも"そろぉ〜っ"と顔を上げると、
「………。」
 向かい側に待ち受けていたのは…表情はそのままながら、自分と同じように少し俯き気味になって、頭の後ろに大きな手を回し、ほりほりと掻く仕草をしている進さんで。その仕草が意味するところは…。

  "あ…。"

 こらこら、自分だけ納得して。
(笑) えと、つまりこれは進さんの"困った"と言いたげなお顔だそうで。
「怒って…ないから、その、顔を、上げてはくれないか。」
 途切れ途切れの声もどこかたどたどしくて、
「手、そんなに掴んだら傷が開くぞ?」
 テーブルの下でぎゅうっと握ってた手をちゃんと見ていてくれてて。あ…っと慌てて離した拍子に浮いた手を、なめらかに伸びて来た大きな手が静かに掴み取り、
「痛かったろうに。傷口があって湿布は貼れないのだな。」
「あ、えと。…はい。」
 ボールの尖った先が当たって擦りむいて。でも、傷より打撲の方が痛い怪我だった。染みるだろから湿布は貼れないねと、栗田先輩が気の毒そうに絆創膏だけ貼ってくれたんだけど、昨夜まで赤紫のアザが浮いてた手だった。さっきのお顔、怪我の説明をした時の進さんのお顔は、純粋に"可哀想に"と思ってくれたお顔だったらしい。
「グローブを忘れたのか?」
「はい…。」
 マネージャーのまもりお姉ちゃんにはまだ正体を明かしてはいないので。見られると話がややこしくなるからと、装備をつけるほどでもない練習をする時はグローブもまた付けないものだから。
「………。」
 まだ少し赤い、セナの小さな手をじっと見つめて。進さんはちょっぴり複雑そうな顔をする。
「すまんな。どうも俺は、口の利き方というものがよく判っていないみたいだ。」
 自分の一言にしょぼんとしょげたセナだったというのが、それまでの…よそ見をされること以上に堪
こたえた彼だったのだろう。だがだが、
「いいえっ。進さんの方が正しいです。」
 こればっかりは譲れない。
「進さんは優しいから、ボク、つい甘えてしまって。あ、こんな言い方もいけませんよね。」
 これでは進さんが厳しくないのが、甘やかすのが悪いという順番に聞こえる。えとえっとと言葉を探して、
「大好きな人へでも、お行儀は大切ですものね。本当にごめんなさいです。」
 そんな真剣な口調と表情に、
「………。」
 一瞬、呑まれた進である。真摯で一途で、清廉潔白。しかも、自分のように融通が利かない"潔癖"なのではなく、清濁合わせ呑める許容を持つがゆえ、つい、自分に非を集める性分をしているようで。誰かを攻撃するのが嫌いなのか、それとも…先に自分で棘を呑んでしまった方が、痛さも軽いと思うのか。

  「………。」

 小早川、と、名を呼んでから、

  「………俺を甘やかすな。」

 相変わらず表情も乏しいままに、青年はそんな言いようをする。それへ"はい?"と。やや怪訝そうに顔を上げた少年に、彼は考え考え、言葉を重ねる。
「闇雲に庇おうとするな。俺はそうそう正しい完璧な人間ではない。思い通りにならないことへはつい、我儘や独善的なことも言う。慣れのないことには不完全なこともする。」
 威張って言うことではないと気づいて、小さく吐息をつく。彼の言いようと正反対ではないかと、そんな自分へ微かに苛立つ。物には言いようというものがあると、常々、色々な人からも言われて来たのだが、意志の疎通さえ正確なら、むしろ端的な方が良しと思って改めなかった。誤解を生めばその時はその時。誰にも公正であり、間違ってはいないという自負があるのならそれで良しと、これもまた不器用の産物か、馬鹿のひとつ覚えで芸のないまま"真っ直ぐ真っ直ぐ"を貫いて来た。…そのツケが、こんな形で回って来たらしいと痛感する。ただでさえ無愛想で取っつきにくい人間を相手に、その繊細さから物の言いよう一つにもこんなに気を回す優しい子。自分のような鈍感な朴念仁には、いっそガツンと言った方がよほど堪
こたえて通じやすく、二度といたしませんという勢いで身に染むだろうに、

  「…まだ、そんなに怖いか?」
  「はい?」

 ああ、また馬鹿な言いようをしたと、瞬いた大きな瞳へ映る自分の間抜けた顔が直視出来なくなる。この子が気を回すのは…少なくとも自分に対してのそれは、畏怖や恐怖からのものではないとしっかり判っているくせに。心地よいまでに爽やかで清い心持ちをしているというだけでなく、懐ろ深く柔軟で、見かけ以上に打たれ強い、しっかりした子だ。そんな彼の清涼なところを、選りにも選って自分が貶
おとしめてどうするか。

  ――― ………っ。

 人間、追い詰められると何をするか判ったものではない。がくりと…いきなり電池でも切れたのかと思ったほど唐突に、そのまま膝まで真っ逆さまに落ちないかという勢いで、頭を垂れて見せた進だったものだから、
「あ、あのあの、し、進さん?」
 これにはセナくんもさすがに…それと判るほど驚いた。そんなにも意志が通じ合っていないのかな? こいつは もうもう…と、がっかりしちゃったのかな? ごめんなさいって言えば良いものじゃあないものな。それでは進さんが一方的に責めてるみたいじゃないかって思っちゃったかも? こちらもまた、そんな想いが…頭の真ん中でグルグルと回る"混沌の渦"を目指しての船出をしかかったそのタイミングへ、

  「悪かった。すまない。謝る。」

 ある意味"問題の"大好きな声が。そんな風に言い出した。
「小早川は1つも悪くはない。俺が子供じみた駄々を捏ねただけだ。不貞腐れて何も言わないままに不機嫌な顔をするだなどと、年端の行かない子供のすること。語彙が足りないばかりに選ぶ手段なのだから威張れるものではないのだし、こんな図体の男がそんな素振りをしても、ただ単に怖さを増すだけで鬱陶しいばかりだからな。」
「あ、あのあの…。」
 文字の羅列を目で追う分にはその違いが分かりにくいかもしれないが、語調というのか早さというのか、スピードまでもが当社比2倍。
こらこら 立て板に水。この寡黙な男がこれだけの言葉を一気に、しかもこのスピードでなめらかに滔々とうとうと喋るだなんて、少なくともセナはこれまでに一度も体感したことがない。やれば出来るのか、進清十郎。(こらこら、菱沼さんじゃないんだから。)
「俺がこれまで、間違ったことを言ったことがあるか?」
「あ、いいえっ。一度もないですっ。」
 勢いに乗せられたという観がある。体育会系っぽい、勢いに乗ったお返事を返したセナくんは、だが、あれれ?と矛盾を感じた。だってさっき、

  『俺はそうそう正しい完璧な人間ではない。』

 進さんはそう言わなかったか? その舌の根も乾かぬうちに"間違ったことを言ったことがあるか?"とは、訝
おかしくはないだろうか?
「???」
 物言えぬ小さな仔犬のように。意表を突かれて"きゅうん"と小首を傾げる小さなセナへ、
「………。」
 しばらくほど頭を下げたままでいた清十郎さんであり。
"えっとえっと…。"
 これはどういうことなのか。何か変だけれど、落ち着いて成り行きを振り返れば…進さんの側が悪いということで話はついたことにならないか? そうと気づいて、

  「…進さん、狡いですよう。」

 やや不満げな声をかければ。やっと得心がいってくれたかと、どこか晴れ晴れした顔を上げる彼であり、
「狡いものか。非を非と認めたまでのこと。そういう時は、すぐ素直にすみません、だろう?」
 それは"お姑様と同居するお嫁さんの心得"だってば。
(笑)
"ううう…。/////"
 何だか、あのその。してやられたなという感じがしてちょっと悔しい。でもね、こんな風に…ちょこっと策略めかして、けれども随分とコミカルに。堅物な進さんがこんな方向で機転を利かせるなんて、物凄い思い切ったことじゃなかろうか。おどおどとまだどこかで怖がる癖の抜けない小さなセナへ、いつまでも不貞て見せていてはきっと傷つくだろうと思い直して。それよりも…どうしたら萎縮しないかと、考えてくれた進さんなんだと思うと嬉しくて。
「…もうvv
 くす…と吹き出すと、進さんも仄かに笑ってくれるから、まあ良いかなと思うことにして。



  「じゃあ、あの俳優さんに目が行かないように。いっぱい喋ってくれますか?」
  「………う。」


   頑張れ、新世代の最強ラインバッカーっ!
(笑)





  〜Fine〜  03.4.21.〜4.28.


  *何をやっておるのだか。
   鬱陶しい話でごめんなさいです。
   バカップル、ここに極まれり…の巻でございました。
(笑)
   ウチの彼らが"喧嘩"をするとしたら。
   その理由や原因は下らないことで、
   だのにこういう"流れ"になっちゃって、
   自分が悪いという方向でどっちもが引かなくての
   言い争いになってしまうというところでしょうかしら。
   ………相変わらず"バッタもん"の進さんですみませんです。(涙)
   ウチではどうやら、進さんの方が嫉妬しちゃうタイプなようです。
   セナくんに関してだけは…色々と初心
うぶなので(ぷぷぷvv)
   自信が持てないのでしょうかね。


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