アドニスたちの庭にて “来訪者たちの閑話”

 


 すっきりと晴れ渡った青空は、気のせいだろうか、間近い春のいよいよの到来を感じさせる甘い色合い。そんな青との拮抗も鮮やかに、手入れのいい緑の芝生が広がる庭を臨む一戸建て。二階家の上へと乗っかったスレート屋根が、いやにのっぺりと広く見えるのは、外国仕様で1部屋1部屋が広いからで、屋根に妙に様々な傾斜が付いている、小洒落たデザイナーズハウスと違い、どっしり風格ある落ち着いた家であり。一階部分も同様にゆったりした作りで、ほぼ壁一面が巨大な一枚ガラスという、とんでもない様式のリビングには、奥まったところに暖炉がでんと据わっていて、だが今は薪を詰め込まれて封がされている。これからぐんぐんと暖かくなるのだそうで、それでなくたって都心部近郊という立地だから、真冬でも床暖房だけで十分凌げる気候なのだとか。そこんところは計算し損ねたねと息子から笑われて、ちょいと不機嫌になった父上は、現在、木更津の方の支社へとプチ出張中であり、
『お前たちの入学式には出られそうもないみたいだ。』
 大人げなくも不機嫌になったこれも罰かなと、残念そうに苦笑していた。…それはともかく。

  “やっぱ、違和感あるよな。”

 二階の大屋根の一角に嵌め込まれた格好のウッドデッキから、彼にはずんと低い手摺りに肘を引っかけた上へ上半身を蹲
うずくまらせるようにして顎を載せ、時折 吹く風にぽさぽさした ざんばらな茶髪をなぶらせながら、眼下の庭先を眺めやっている人影が1つ。この時期に既にビロウドみたいな柔らかい緑を元気よく伸ばし始めている芝生の絨毯は、その縁取りにツツジや沈丁花の茂みが植わっていて。その向こうの道路沿いには、大人の腰の高さくらいの、黒塗りのよくある鉄柵が連なっている。そうやって仕切ってあるのが、何となく。閉鎖的というか、厳重といおうか、せっかくゆったりとした庭だのに、対外的に頑なな態度が露骨に現れてるような景色を感じさせてしようがなく。
『日本って治安のいい国な筈だのにな。』
 以前滞在していた時に寝起きしていたのは学校指定の下宿だったので、そりゃあ高い柵で囲まれていたのへも、安全に万全であるのが基本だった“学校の施設”だったからと、それも当然と不審は感じなかった彼であり。だってのに…一般の住宅街に建つ家屋まで、何でまたこんな柵で囲われてるんだろうかと怪訝に思っていたところ、
『仕方がないのよ。仕切って囲ってないと、私有地だと思われないの。』
 公共の歩道の延長だとか、看板を出してないステーキハウスとかって思われちゃって、散歩してる人とかがどんどん入って来ちゃうからね。筧
かけいさんチのお母さんが苦笑混じりにそう説明してくれて、
『???』
 ますます こんがらがったのは、彼が欧米のモラルや感覚の方に強く馴染んでいたからなのかもしれない。西洋文化の発祥の地、すなわち“欧州”は、日本と違ってそりゃあ広大な地域であり。遠い遠いところに全く異なった文化同士が発展したその上で、地続きだった訳だから、頑張れば歩きで 端から端まで踏破出来ない訳でもなくて。
おいおい そんな訳で、有史以前というずっとずっと昔から、様々な民族同士が征服したりされたりと入り乱れつつ、その長い長い歴史を紡いで来た地域でもあって。様々な民族同士…ということは、宗教も哲学も、モラルや常識だって微妙に違っただろうから、支配者はまず征服した相手の民衆にも自分たちの慣習を守らせようとし、混乱のない統一を目指したことだろう。共通の決まりごとというのがわざわざ作られ、それを守りましょうねと“契約”し合い、その折には“守れなかったら罰を与えるよ”という禁止令も発しただろう。きっちりと明文化された義務と権利と罰則と。知らないでは済まされず、自分でちゃんとチェックしておくのが基本。そこから発したモラルから発達したのが“個人主義”であり、よって正しい個人主義とは“自分の権利や安全を害されたくなければ、他人を害するな”が基本。
“権利よりもご近所付き合いを優先して、あらごめんなさい、いいんですようで曖昧に済ましちゃうような風土だから。敢えて侵されないようにって、こっちから囲わなきゃ気まずいことになるってか?”
 相変わらず掴みどころのねぇ曖昧な国だねと、しょっぱそうなお顔をしていたそんな彼の背後から、とんとんとんっと軽快に階段を上ってくる足音がして。それで我に返った青年が、腕の上から顎を浮かすと身を起こし、上がって来た華奢なご婦人へ、振り返りざまに にっかと笑って見せる。
「洗濯もの? 俺も手伝う。」
「あらvv ありがとね、ケンちゃん。」
 ゆったりしたウェーブがほっそりとした肩の上でくるんと巻いている、つややかで豊かな黒髪の。どこか少女のような屈託のなさを色濃く残した笑顔を振り撒いた、それは気さくな彼女は この家の奥方であり、
「駿
シュンちゃんたら、全然手伝ってくれないんだものね。」
 大きな籐の籠を促されるまま青年の長い腕へと手渡してから、まったくもうと小さな拳を腰にあてがうポーズも愛らしく、自分の息子へと憤慨して見せる。だが、
「しょうがないよ。駿は何でも出来るから、やることが一杯で忙しいんだ、きっと。」
 腕も長いから差し渡しの大きな尋
ひろを左右に張ってシーツを一気に広げつつ、あっけらかんとした声で…ともすれば我がことの自慢にさえ聞こえかねない言いようを返す彼だったから、あらあらと擽ったそうに苦笑をしたお母様、

  「ケンちゃんたらご機嫌ね。」
  「判るの? お母さん。」
  「判るわよぅvv

 時折パンパンと軽快に響くのは、しわを伸ばすために洗濯ものを叩いている音。それでところどころが聞こえなくなりつつも、楽しげなトーンは変わらないまま。頭上から降ってくる明るい会話を、グラフ誌を眺める傍ら、聞くともなく拾っていた、リビングにいた本来の息子の方もまた、その胸中にて“うんうん”と深々と頷いている。

  “昨夜っから同じトーンのニタニタ笑いが続いてるもんな。”

 それを思う自分の口許にも、微かな苦笑が知らず滲んでいるのに…気づいているやらいないやら。漆黒のレザーを張ったアームチェアに、ゆったりとその身を伸べたスタイルが決まっているのは、日本人離れした長身と、それに見合ったバランスの、鍛え上げられた体格のよさのせい。肘掛けへと肘をつき、頬杖をつきながらという読書のスタイルは、健悟が弁明してやったような“必要に迫られて”のものとも思えぬのんびりしたそれであり。さっきまではまだ、紙面を視線がなぞっていたのだが、今やページを捲るのさえ置き去りにされ、雑誌の内容とは違うどこかへ、その意識が浮遊中な、筧 駿くんであるらしい。







            ◇



 筧さんチの、そりゃあ綺麗で年若な母上を掴まえて“駿の おばさん”とは呼べないし、さりとてアメリカ流に名前呼びするのも何だしということで、健悟も“お母さん”と呼ぶことにしたのが紹介されたその日のうち。それからのお付き合いがご縁となっての今回の同居となった間柄だが、一緒に日本へとやって来たのは…たまたまこっちへ支店を出すプランへ父上が直々の采配を奮うこととなったからでもあって。ご飯も作れない、洗濯機の回し方も知らないあんたたちだけで生活できる訳がないでしょと、お母さんまでがついて来て、この春からの4人での日本暮らしと相成った。
『あんたたちってのには絶対に父さんも入ってるよな。』
『当然だよ。俺らは何だったら毎日コンビニの“ご飯”でも平気だし。』
 そんな一丁前で斟酌ない言いようをし合うほど、随分と小さい頃から、親戚同然、別け隔てなしの構い方をして・されて来た、駿の両親であり健悟であったので、特に支障もないままに、なかなか楽しい毎日が展開されている。
「学校に案外と近くて助かったよな。」
「ああ。」
 電車の乗り継ぎがややこしかったりしたなら、きっとお前は迷子になりまくるだろうからな。何だよ、駿が見失いさえしなきゃあ大丈夫だろうが。そんな他人本願な言いようを胸を張って言ってのける親友へ、何を履き違えたことを言い出すかなと思いながらも。ムキになっても詮無いこととあっさり見切って、はいはいといなすように相槌を打ちつつ読書へ戻れば、
「何だよ〜。そんで終わりか?」
 もっと構えと言いたげに、アームチェアの背もたれごとこちらの肩を余裕で抱え込む、こちらさんも体格のいい幼なじみ。この家はもともと筧さんのご一家が十年ほど前まで住まわっていたご自宅で、アメリカに移ってから向こうで知り合った水町健悟くんにとっては、お初にお邪魔することとなった“日本のお家”だったりし。とはいえ、アメリカ仕様の作りでありサイズであったため、生活する上での支障というものも全くないまま、あっさり馴染んだその次はと。彼らが取った行動が…現在までという保
ちのよさで健悟くんにご機嫌な状態を招き続けている、昨日の“お出掛け”だった訳なのだが。

  「まさか初日に逢えちゃうなんてな〜♪」

 四月からの通学用にと誂えた新品の制服が届いたのへと興奮し、試着しただけに留まらず、そのまま下見と称した“偵察”に行こうとばかり、初の登校をしてみたその日。入学が決まった人間ですという肩書では、まだ入れないかもと少々危ぶんだが、ガタイの大きさに似合わないくらい無邪気な健悟と外面のよさには自信のある駿との組み合わせは警備員さんや職員さんをあっさりと陥落出来たらしくって。あんまり奥向きにまでは入り込まないようにねと注意を授けられた上で、通行許可証を出して頂いて。そうやって入り込み、あちこち見て回っていたところが…本当に偶然から出会えた、懐かしい人。
「相変わらず可愛いかったよな〜vv
 思い切り相好を崩しまくってニヤけてる相棒へ、
「先輩を捕まえてそんな言いようはないだろう。」
 一応の常識から窘めれば、やんちゃそうな顔が“うん”と素直に頷いた。床の上へ直に座り込み、大股を開いたその先の、足の裏同士をくっつけて。胡座とも違う座り方をする彼を、以前“デカい座敷犬みたいな奴だな”と笑ったら、
『アフガンとか?』
 血統書付きなら構わないという言いようをして、笑い返したような奴だったのを思い出す。

  “やっぱ…とことん“ガキ”だよな、こいつ。”

 それも、お初に出会った頃から全く成長しとらん、永遠のガキ。だから…誤解だって受けやすかろうに、なかなか改められないまんまな。大胆なんだか不器用なんだか、厄介だけれど愛すべき デカいガキ。

   『デケぇなぁ〜。』

 駿の父親は、アメリカの主に東部、ニューヨーク界隈にてチェーン展開している和食レストランの初代社長の御曹司であり。彼らが渡米したのは、主要な支店の1つを父が任されることとなったからだったのだけれども。小学校に上がったばかりだった駿も、以前から英語には親しんでいたからさしたる支障はないままに、馴染んでいたつもりの生活の中。何を主眼目にしていたそれだったかはもう忘れたが、親に連れられて参加した、日系人コミュニティーの集いの場で出会ったのが健悟だった。彼もまた親に引っ張られて来ての参加であり、他の子供たちの遊びの輪からも離れて、どこか詰まらなさげにしていたものが。やはり小さな子供たちの輪の中には入りそびれていたこちらを見。そして…開口一番、こう言った。

  『デケぇなぁ〜。
   俺サ、俺と同じくらいの年齢
トシ
   背丈まで同じくらいっていう日本人のガキには初めて逢った。』

  『…お前だってガキだろうがよ。』

 いかにも日本人という風貌だった“器”に合わせた訳ではなかったが、ついつい寡黙だったりもした自分とはちょいと違う、異様なくらいにサバけた性格で限りなく屈託のない彼だったから。最初は随分と面食らったものだったが、しばらくほど付き合ってみてすぐに分かったのが、マセていてスレていての自信満々な口利きや態度だったのではなく、逆に…まるきり“子供”であったればこその、文字通り“天真爛漫”さから出ていたそれであったらしいということ。こっちが大人びた分別
モラルやら判断やらを持ち出せば、まんま大人に注意された子供みたいに素直に従ったりもして。結構 年齢以上のそれだという自負のあった能力的なところ、体力も器用さでも自分とさして違わないような彼から、幼い弟が年嵩な兄を見るようなノリで単純に感心されたりするのは、何とも擽ったくて…妙に嬉しいことでもあったから。気がつけば頻繁に逢う機会を作るようになっており、同じ趣味へと一緒に進路を選び、互いを競争相手と見なして頑張ることで実力もめきめきとつけていた。そんな矢先に、

  『日本へ?』

 いきなりの話だったのは、彼の側が話しといてくれなかったというような“ずぼら”のせいではなく、彼自身へも突然な話であったから。せっかく調子が上がって来ていた頃合いだったのに、彼が在学していた学校の方針とやらで“1年間の留学”という話が持ち上がり、当然のこととして本人の意思を尊重して“断ってもいい話”ではあったけれど…交換留学という催しを主催した協会に、健悟の父方の血縁が世話になったとかどうとかいう、大人の間での“しがらみ”があったらしくって。
『こんな厄介なやんちゃを引き受けさす方が、よっぽど大変だろうによ。』
『うっさいな。』
 いかにも不満げに膨れていた彼へ、まま、適当にこなして、どうしても合わないって思ったらケツまくって帰って来いやと、故意にそんな言いようを投げてやったので。負けず嫌いな彼のこと、まず半年は意地を出して務めるだろうさと踏んだのだが。やっぱり温度差があり過ぎたのか、愚痴ばっかりのメールを毎日のように寄越すようになった。一応は品格ある学校だそうなので、形のある冷遇やら理不尽な暴力やらが降りかかって来た訳ではないらしかったが、彼の側のオープンさや がさつなところへ、慎ましやかな周囲が一斉に閉口したらしく。こいつには“日本の常識”が通じないと決めつけられて、一ヶ月もしないうち、誰一人として親身には相手にしてくれなくなったのだそうで。何がいけないのかを直接指摘してくれない、揶揄もしてくれない、何とも湿っぽい“優しさ”が、却って彼を混乱させていた。そんな時に、

  『お弁当、一緒に食べない?』

 部活で知り合った小さな先輩さんが、彼をただの天真爛漫な明るい子だと、すんなり真っ直ぐ把握してくれた。煙たがられていた自分とは逆で、人気が有り過ぎて間近にまでは近寄り難いとされていたらしき可愛い人が、
『独り同士でお揃いでしょ?』
 なんて言って、自ら手を伸べてくれたのへ、どれほど救われたかしれないって、
“喧しいくらいメールで寄越して来てたしな。”
 当時のメールには必ず“彼”の名前があったほどだったっけ。
『ホントはさ、準備室の整理、手伝わせたかったからだろ。』
 ただ単に率直が過ぎるだけ。特に他意はなく、悪びれてというそれでもないのだろうけれど。少々思いやりに欠け、何より礼儀に欠けるような口利きをする健悟へ、
『えと、うん。棚にも手が届かないおチビだからね。』
 ちょっぴり及び腰だった彼には違いなく
(笑) 年下からのぞんざいな口利きにもいちいちムッとしたりはしなかったらしいのだけれど。それでも…そこは一応“先輩さん”だったから。叱責という形は取らないまま、例えば“此処なりのルール”としてのしきたりのようなもの、ツボを逃さずキチンキチンと授けて下さったのだとかで。
【目上には、へりくだって わきまわるんだってサ。】
 恐らくは“わきまえる”と言われたのだろうに、結局は何だか妙な言い回しで覚えた後輩くんだったが。
(笑) 実力主義と言いつつ…脚の引っ張り合いだって容認されてるアメリカ式の階級意識とは微妙に違い、人間性を問われる“美徳”なんてものも尊ぶ日本だってこと、その人からちゃんと教わったやんちゃ者。そんな“美徳”とやら、実地で貫徹出来ている彼なのかと問われれば、まだまだ全然ではあるのだが(笑)、それでも理解だけは出来たらしくって。そんな心根を教えて下さった“お説教”自体が健悟には相当に嬉しかったらしい。当初は半年も経たずに泣いて…もしくは不貞腐れて帰って来るのではないかと気を揉ませた留学も、予定の1年間をきっちり通いとおせた快挙を達成。ただ…それにしてはちょっぴり元気がなかった帰国をし、日本にまだ居たいとまで言い出したのが周囲を驚かせもした。

  “それがあの先輩さんからの影響だったってことか。”

 駿には初対面だった小さな先輩さん。聞いていたそのまんま、小さくて愛らしく、態度や言動の1つ1つが端正で繊細で丁寧な。自分にはないものだらけな要素で固められた、眩しいくらいの存在だったから。あれが女の子だったなら一発で堕とされてた健悟だったろうとまで確信した駿であり、
「…何だよ、ニヤニヤして。」
 こんなに立派な体をしていながら、それでも甘えたな幼なじみ。自分が座しているアームチェアの足元へと座り込んでる健悟が、怪訝そうに目許を眇めて見上げて来るのへ、何でもねぇよと、ちょいと伝法な言いようをし、

  「言っておくが、肝心な目的を忘れないこと。
   授業が始まれば、そうそうお前のフォローばかりしてもいられんからな。」

 少しばかり突き放すような言い方をした駿だったが、そんな乱暴さや冷徹な響きさえ、遠慮のない間柄だからこそのものと感じてだろう。

  「へ〜い♪」

 やっぱり屈託のない瞳が見上げて来て、子供じみた悪巧み、成功させたら楽しかろうという愉快な予感を目一杯たたえて、それは楽しげに“にひゃっ”と笑って細められたものだから。そしてそんな顔を向けられるのが…いつものことな筈だのにね、まるでご褒美をもらったような、胸にじんわりと暖かな“嬉しい”を齎
もたらしてくれるから。
“…まいったな。”
 いつだってそうだとまたまた思い知らされる。こっちが手綱を取ってるつもりが、気がつけば…彼の意志をこそ尊重し、それがために振り回されている自分でもあると。そして…そうやって振り回されることさえも、楽しみになっている自分だと思えば、こっそりとした苦笑が絶えない駿くんでもあって。
「駿?」
 不意に口を噤んだ相棒が、一体何に意を呑まれたのかにも気づかないまま。お〜いと伺うような声を出す無邪気なアフガンさんへ、何でもねぇよとわざとらしく髪をもしゃもしゃと乱暴にまさぐってやり、そのついでに手摺り代わりの支えにして、立ち上がりながら ぐんと上から押さえつける。何すんだよと、これにはさすがに怒ったらしいが、がっしと背後から捕まえられたのへ、それこそ楽しそうに笑った筧くん。新しい春を、何やらワクワクするプランの開始と共に迎える彼らであるようで。桜前線と一緒に学園へ上陸する二人が、一体どんな嵐になるやら。どかどか、もうしばらくのお待ちをですvv






  〜Fine〜 05.3.12.〜3.16.


  *新顔さんたちの閑話です。
   またまた悪い癖が出て、回想と説明に走っておりますが、
   何よりデタラメだらけですが、ウチなりの設定ということで悪しからず。
   やたら大きな彼らだってことをついつい忘れそうになるのは、
   今のところ、12巻の初登場と賊学戦しか知らないからでしょうな。
   ………やっぱ、無謀だったかなぁ。早まったかなぁ。

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