アドニスたちの庭にて 夏休み、の前にね…
 


 東京都の郊外都市の、関東の奥座敷なんて呼ばれてる辺りのちょっと手前に位置する閑静な住宅街の、これまた少し奥向きに、その広大にして大規模な学園はあって。歴史は古いが特に厳格ということもなく、むしろリベラルな校風の、皆が伸び伸びと過ごしている総合学園。小中高大、それから大学院までの一貫教育を謳う、男子ばかりのミッションスクール。それが…皆様にはお馴染みの、私立"白騎士学園"である。歴史があるというところから、旧家や名家の嫡子、政財界の御曹司に、伝統芸能関係の眷属の子息など、それは綺羅々々しい方々が多く在学なさっており、中でも生え抜きの有名人たちが、生徒会を束ねるお三方。世界に名だたる大企業"桜花産業"の総家の御曹司である桜庭春人さんと、有名なお茶の宗家のご子息で、ご本人は高名な剣道道場の師範代を務めていなさる、進清十郎さん。それから、やはり高名な旧家の嫡男にして、チェスの世界大会で連続優勝なさってる、高見伊知郎さんというお三方が、高等部始まって以来という最年少での"一年生生徒会"を成立されてしまわれたのが昨年の秋のこと。卓越した事態把握力や人心統括力によって、破綻なく生徒たちをまとめ上げ、数ある学校行事をてきぱきと捌いて来た見事な手腕は、後年"伝説の生徒会"と名を残し、長く語り継がれることになるのだが、その実態は………あははのはvv ま、まあ、元気が何よりということで。
う〜ん




            ◇



 七月に入ってすぐに一学期の期末考査がある。国語(現代国語・古文)、数学、理科(生物・化学)、社会(歴史・地理・政経)、英語の基本教科と、保健体育に技術・家庭と選択芸術(音楽・美術・書道のいずれか)という実技教科の3つが加わるフルコースで。あまりの科目の多さに、一年生なぞは時間割表を見ただけで息が詰まってしまうほど。

  『中等部でも同じ形式だった筈なんですけれどもね。』

 なのに、ボクも何だか胃がきゅううってしちゃいましたと、困ったようなお顔で笑った小さな瀬那くんに、
『………。』
 体の調子が悪いのかと、凛々しい眉をぎゅっと寄せて見せ、本気になって心配してしまったお兄様へは、
"おいおい…。"
 周囲のお仲間たちがついつい苦笑したものだった。ふかふかの柔らかな髪に、こぼれ落ちそうな大きな瞳をした、小さくて愛らしい一年生のセナくんは、二年生で生徒会副会長の進さんと、この学園の高等部ならではの"絆の誓約"で結ばれた間柄。"絆の誓約"というのは、どこか心許ない年下の後輩さんへ"兄となって見守ってあげましょう"と上級生のお兄様が申し出る儀式のことであり、初等科からこの学園にいる二人は、ずっとずっと…1年分の年の差の境界線を挟んでいながらも、ずっと同じ学校にいた間柄でありながら、しかも、その間のずっと、お互いのことを憎からず思い続けていたというのに、これもやはりお互いの事を大切にし過ぎてか、必要以上に近づかないでいて。間違いなく"両想い"であるというのに、名乗りを上げぬままで8年も過ごした、ある意味"強者
つわもの"であり。おいおい ひょんな騒動が切っ掛けで、表立って宣言出来る高等部に上がってやっと、お互いの想いを告げ合って結ばれた………立派な似た者同士。

  "だって進さんは…。"

 本当に素敵な方だから、と。弟待遇になった今でさえ、憧れの想いに ぽうと頬が熱くなり、胸がきゅうと絞り上げられてしまうほど大好きな人。端正な面差しは、厳粛なる禁忌の緊張感に、常に張り詰め、冴え映えて。頑迷なまでに正道正義をこそ選び、モラルや決まりごとを順守する生真面目な人。よくよく鍛えられた屈強精悍な肢体をなさってて、剣道の道着の袴姿が凛々しくて。余計なことは一切口にしない、物静かで寡黙な人で。可愛がっている相手へくらいは気の利いたことを言えなくては、そんなの不器用に他ならないなんて、時々桜庭さんや蛭魔さんから揶揄されてもいらっしゃるけれど、そんな朴訥としていらっしゃるところもね、きゅんってなってしまうほど好きで堪らないの。そぉって眸を覗き込んで下さる、やさしい深色の眼差しとか、頼もしくて温かい、大きな手のひらとか、間近に聞くとドキドキしてしまう、響きのいい落ち着いたお声だとか。今までは遠くで見てるだけだったのに、今はね。男らしいいい匂いが判るくらい物凄い間近にいて下さるのvv 少ぉし首を傾げて"どうした?"って目顔で訊いて下さったり、大きなお手々で髪をぽふぽふって撫でて下さったりvv ボクの方からだけの一方通行じゃなくて。寛容にも受け止めて下さるというだけでもなくて。………あの、あのね? 期末テストのお勉強を見て下さってた時にネ、進さんがネ………。

  「………おいっ、セナっ!」
  「ほえ?」

 急にワッという歓声が周囲から沸き立って、それに揺り起こされるみたいにして我に返ると、すぐ目の前に白い物体があった。あまりに唐突なことだったもんだから、
「あっあっ!」
 どうかすると反射神経だけの動作。顔に、目に当たるっというのを避けるためにと手が動いて、ぶんぶんって目茶苦茶に振ったら、

  ――― tang!

 柔らかいようで硬質な。タンともトンとも、コンとも聞こえるような小気味のいい音がして。セナの手に軽い手ごたえを残して天空へと跳ね上がっていったのは、真っ白な羽根のシャトルだった。
「あやや…。」
 ああ、そうだった。クラスの皆とバドミントンをして遊んでいたんだった。そんな途中から、ふっと…ほんの何秒か、考えごとの方に没頭しちゃったんだ、ボク。皆と一緒に視線で追ったシャトルは、校舎の脇の大きなイチョウの木の枝に引っ掛かってしまった。
「あ〜あ。」
「あれは脚立でも出さなきゃ届かないね。」
 しようがないよ、予備ので続けよ。皆も けろりと諦めた。だって、お二階の窓くらい高いとこ。後で用務員さんに言って取ってもらおうってことで、新しいのを出して来て、それでまたシャトルのラリーが始まったのだけれど、

  "………。"

 セナくんには、あのね。緑の若葉が生い茂る、高みの梢にいや映える、真っ白なシャトルがどうしても気になって気になって…。









  「おい、セナ。危ないぞ。」

 ざわざわと風に揺れ、そのたびに模様を変える木陰の色も濃い、大きな大きなイチョウの木。その木陰から頭上を見上げるのは、野球部員のお友達で雷門くん。セナと変わらないほど小柄なのに、バネがあるからって見込まれて、早くもレギュラー候補なんだって。大きな声とお元気なところから、クラスの皆にも好かれてる人気者で、面倒見のいいところから、セナも随分とお世話になっている。期末考査の最終日。お昼ご飯を食べたら部活の方へ行かなきゃならない彼が、けれどこんなところにいるのも、イチョウの木に素手で登ってしまった小さなクラスメートが心配だったからで、
「大丈夫だよ。」
 駆けっこが得意で身が軽いセナは、木登りやハシゴ登りも実は結構得意であり、
"お家でも、屋根に上がっての大掃除はボクがやってるんだし。"
 大きくて太いイチョウには、案外と手掛かり足掛かりもあったので、制服に樹皮のくずを一杯つけちゃったけれど、それでも数分ほどで目的の枝まで到着出来た。さほど古くはない枝だったので、幹に片手を残しつつ片手を伸ばして引いてみると、一瞬大きく撓
たわんだけれど、折れそうな嫌な軋みはしなかったし、
「このまま弾いたら、シャトルが落ちないかな。」
 ゆさゆさって何度か、大きく撓らせたら、枝の先にぽそって引っ掛かってたシャトルは、ふあんって宙に躍ってそのまま下に落ちたから、
「やたっ。セナ、取れたぞっ。」
「うんっ!」
 下で受け止めたらしい雷門くんの声がして。ああ良かったってホッとしたセナくん。さあ、降りましょうと、帰路を見下ろして………。

  "………え?"

 木登りで大変なのは、登りよりも下りである。高さがまともに視野に入るし、見ないようにすると足掛かりを探せない。すいすい登れたのにそこから降りられないというのは良くある話で、

  「………セナ?」

 肩越しに地上を見降ろしたままの格好で"フリーズ"しているクラスメートに、雷門くんが怪訝そうに小首を傾げ、そして。

  「お前…まさか、降りられねぇってんじゃ…。」
  「ふええぇえぇぇっ。」

 この馬鹿っ!とついつい怒鳴ってしまったが、今は叱るより助けなきゃと、辺りをキョロキョロと見回した。自分が登るだけなら雷門くんにも容易いが、降りられなくなってる子をどうやってフォローするのかなんてのは知らない。試験の最終日だったせいか、皆、はやばやと帰宅の途についているか、部活まえの食事に向かっているかして、校庭には人影もないし、傍らの校舎にも誰の気配はない様子。あああ、頼れる人はいないみたいだ。
"えっとえっと、えっと…。"
 そうだ、ハシゴか何か。やっと頭のパニックが押さえ込めて、それから思い浮かんだ道具。
「セナっ! 用務員さんに言ってハシゴ出してもらうからっ。」
 だからお前はそこでじっとしてな…と、続けかけた声が喉奥で凍って止まった。しがみついてた幹の方。セナが手をかけてた部分の樹皮が、べりっと音を立てて剥がれたから。破綻がくるとしたら、若い枝の方が耐え兼ねて折れるんじゃないかと思っていた雷門くんと…セナだったので、この不意打ちは物凄くインパクトがあって。

  「………あ。」

 雷門くんは冷水をかぶったみたいにゾッとしたそうだが、セナの側は…信じられないことが起こって、そのまま幻の中に放り出されたような気がしたそうだ。妙に現実味がなくて…あっと思った時にはもう、重力が体中に しっかと絡み付いてて。もう一度掴まり直そうと もがいても遅かった。普通の家屋とは違う校舎の二階の窓ほどの高さだから、5m強くらいだろうか。あっと言う間に落ちて…打ちどころが相当に悪くなければ、命に別条まではなかろう高さだけれど、それでもね。

  "落ちるっ!"

 怖くなってぎゅうって目を瞑った。体も縮めてたと思う。咄嗟にしたこと。それが…結果的には功を奏した。

  ――― ぼそんっ、と。

 何かに背中が脚が当たって、その瞬間に"痛いっ"て思ったけれど。ごつんとか、どさりとか、そういう物凄い衝撃ではなかったの。自分の重さを堅いところへ叩きつけられたっていう、全身に広がるような痛さはいつまで経ってもやっては来なくて。グラウンドで柔らかいから? そんなのの比じゃない。もしかして…途中で止まっているのかな。アメリカのスラップスティックなドタバタアニメみたいに、ホッとして目を開けたら、続きを落ちて痛いのかな。ドキドキしながらそんなあり得ないことまで考えていたらね、

  「…大丈夫か?」

 小早川って。低くて優しい声がした。皆が"セナ"って呼ぶ中で、仲良くなったのに いまだにセンセイみたいに苗字でボクを呼ぶ人は一人だけ。

  "………あ。"

 ぎゅうって縮めてた体は、まだこちこちに固まってたけれど。そぉって眸を明けるとね、木洩れ陽を背景にして、こちらを覗き込んでいる人がいる。深色の男らしい眸、端正な口許の…大好きな人。

  「し…ん、さん…。」

 何でだろう、急に怖くなってね。息が苦しくなって、お鼻の奥がツンツンって痛くなって来て。気がついたら…進さんにしがみついてたの。


  ――― 怖かったな。
       はい。
       危ないことをしているなと思ってな。
       ………。
       これでも見かけてからすぐにと走って来たのだが、間に合わなくてな。
       ……………。
       すまなかったな。怖い想い、させてしまって。
       いいえ、いいえ、ボクがごめんなさいですぅ…。








            ◇



 いくら小さくたって人ひとり、それも高校生の男の子。それが降って来たのを、駆けつけたそのまま、立ったままにて腕の中へと受け止められた進さんであり。すぐ間近にいて目撃した雷門くんなぞは…あまりのカッコよさに凄っごくドキドキしちゃったそうで。

  『なんか、映画のヒーローみたいだったもんな♪』

 受け止められたセナ本人には、当然ながら見ることが出来なかったその勇姿。良いな狡いなと、羨ましく思う余裕が出来たのは、さすがに数日後になってからだったけれど。
「うわぁ〜、それは怖かったよねぇ。」
「お怪我はないですか? 手とか、擦りむいてませんか?」
 進さんはしゃくり上げるセナを叱りもせずそのままにしていてくれて。雷門くんとはそこで別れて…抱っこされたまま向かった緑陰館にて、桜庭さんや高見さんが事情を聴いてくれて、それぞれに可哀想にと宥めてくれた。窓辺のソファーに寝かされて、えぐえぐって なかなかせぐりあげるのが止まらないセナくんに、そんなに怖かったの?と桜庭さんが髪を撫でながら訊いて下さったんだけれど、

  「………ち、違いますぅ。」

 震える声で答えながら、セナはかぶりを振って見せる。んん?って。だったらどうしたのって。こういうのは話すと案外楽になる、気持ちも整理されるからって、訊いて下さった桜庭さんへ、

  「あのっ、あの…。進さんが…。」
  「うん。」
  「進さん、が、お怪我なさって、たら…どうしよって…。」
  「………あらら。」

 落ちた直後は、怖かったから震えちゃって涙も出たけど、それよりね。ボクが危ないって駆けて来て下さった進さんが、あんな馬鹿なことした自業自得のボクなんかを庇ってお怪我でもされてたらって思ったら、それが怖くなってそれで…。

  「涙が止まらねぇってか。」
  「おや、蛭魔くん。」

 今までいなかったもう一人。生徒会の隠密さんである二年の蛭魔さんが、その妖麗なお姿を夏の半袖制服に包んで、お部屋に入っていらっしゃった。くすすと笑うと、やはり窓辺にいて…今の弟くんの健気な一言に耳の先を赤くしている大きなお兄様の分厚い胸元へ、持っていた紙の箱をとんとぶつける。
「ほれ。英雄が渡してやんな。」
 彼が手渡したのは、駅前の商店街の"エルフィン"さんのケーキ箱であり。
「ああ、引き取って来てくれましたか。」
 高見さんがそれを見て柔らかく微笑う。
「試験が終わったら、頑張ったご褒美に、ここでケーキパーティーしましょうねって言ってましたものね。」
 中間テストの倍もある、セナには初めての期末考査。皆さんで得意科目のお勉強を見て下さって。音を上げなかったご褒美に何かほしいものはない?って桜庭さんから訊かれたから、

  『皆さんとお茶がしたいです』

 って答えたら、じゃあ最終日に此処でって、約束して下さった。エルフィンっていうのは、商店街の中にある小さなケーキショップで、お爺さんの代までは和菓子屋さんだったのに、今のご当主がどうしてもケーキ職人になりたいって言い出して両方を扱っていらっしゃるお店。雑誌やテレビで何度も取材されてる、それは美味しい評判のお店で、洋菓子も和菓子も予約しないと買えないくらいなの。セナとの約束のお茶会にって、皆さんがわざわざ予約して下さったんだって。それを間近まで持って来たくれた進さんは、

  「…よく頑張ったな。」

 何だかね。今日のこのドタバタの経緯を考えたら、妙に的外れな台詞だったのだけれども。ケーキの箱、持たせて下さった大きな手が温かくて。皆さんがあんまり優しくて。セナくん、やっぱりなかなか涙が止まらなかったみたいです。


  ――― でもね、セナくん。
       やっぱり危ないことはしちゃあいけない。
       大切な人や大好きな人が、危ないことをして怪我をしたら、
       それがどんなに辛いかは判るだろ?

       ………はい。////////


 高見さんからやんわりと叱られて、


  ――― 結構運動神経は良いんだな。
       どうだ? ウチのクラブチームに入んねぇか?

       あやや…。////////


 蛭魔さんからは妙な勧誘をされてしまって、それからそれから。


  ――― ………明日、迎えに行くから。

       あやややや…。//////////////


 あのね、進さんが…お勉強を見て下さってた時にこっそり約束してくれたのはね。夏休み前の試験休みに、進さんのお家にご招待下さるってお話だったの。////// ただ遊びに行くだけなんだけれど、桜庭さんのとことは違ったお花が、やっぱり一杯咲いてるお庭があるよって。それを観においでって。///// それを、こそって囁いて下さって。ああ、ホントに、進さんがお怪我なさらなくて良かったぁって。しみじみと思ったセナくんでした。



   ……………なんか、順番がおかしくないか? その感慨って。
(苦笑)




  〜Fine〜  04.7.13.


  *パジャマパーティーのお話の時に、
   さあ次は進さんチへのお呼ばれだと、前振りをしましたのでvv
   今回はそれへの"前振り"です。
   ………にしては、えらいこと紆余曲折してますが。
(笑)

  *本誌の方ではいきなり"ルイヒル"だったそうですねvv
   開会式に賊徒学園が出て来なかったそうで、
   肩透かしだなって思ってたら…そう来るか、稲垣・村田両センセイvv
   そんな丁寧にエピソードを描いてもらえたなんて、
   あああ、コミックスが出るのが待ち遠しいようvv(こんの浮気者っ/笑)

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