アドニスたちの庭にて  〜 The mermaid summer
 

 

 じ〜わじ〜わとどこかで蝉が鳴いている。開け放った窓の外に聞こえたそれは、鳴き始めに気がつかなかったことを思えば相当に長く鳴いており、
"………飽きないのかな?"
 ふと。そんなことを思った瀬那くんだ。期末テストも終わり、試験休みも過ぎ去って。七月半ばを折り返すとすぐにも、高校生としての初めての夏休みがやって来た。幸いなことに赤点は取らなかったので補習に出る必要もなく。それと、こっちはちょっぴり残念なことながら、生徒会の方のお仕事も…ちょっちお天気屋さんな会長さんを、高見さんと蛭魔さんとが上手に手綱を引いたり緩めたりして宥めた甲斐あって、試験休みをフルに活用して一学期の分どころか新学期の下準備まで、大方の決済は済ませてしまわれたので、

  "…う〜んと。"

 八月に入ってインターハイが始まって、出場する運動部への応援団のお手伝いに行くその日までは、ポカリと暇になってしまったセナくんなのである。

  "うう…。"

 思えば、高等部に上がってからのこっち、ずっとずっと生徒会の首脳部の皆様と一緒に、楽しくも忙しく過ごして来たものだから。こんな風にいきなり、特に何も予定がない状態に置かれても、
"何にもすることがないよぉ。"
 いや、宿題はおいといて。
(笑)
"雷門くんは野球部の合宿に行っちゃったし。"
 甲子園の出場は逃したが、次は秋の都大会と関東大会が待っている。春の選抜に選ばれるための大事な大会だし、まだ一年の雷門くんも頑張ればレギュラーになれるかもなので、それは張り切って出掛けて行った………ので。セナくん、一緒に過ごす人がいない。
"ふみ…。"
 決して"いじめられっ子"に戻った訳でも、きらびやかな方々に日頃可愛がられていることをやっかまれて仲間外れにされている訳でもなくて。緑陰館にいる時間が多い分、同級生たちと過ごす時間が皆無になってただけの話。何しろ、例の"セナくん争奪戦"なんてものに怯えてたところから救っていただいて始まった新学期…みたいなものだったから、ついついお兄様の傍に居たくなっちゃうのも仕方がなくて。他の皆様もあまりに可愛がって下さるものだから、ついつい入り浸ってしまってた感は否めない。部活動に参加していなかったのも、毎日のように執行部のお仕事だとかのお手伝いをこなしていたからではあるけれど。こうやって学校が休みとなると、そのまま…学校つながりなもの全部が"休止状態"な身の上になってしまうセナくんなのだと、選りにも選って本人が、今になって初めて気がついていたりするお暢気さよ。
"自業自得だもんな。"
 部活動は"参加しなければいけない"とまではされていなかったけれど、それでもね。何かに入っておけば良かったなって、今頃になって後悔してる。一人でいるのが居たたまれないほど落ち着けないということはないけれど、同い年のお友達ももっと沢山作らなきゃ、あの子は人付き合いが下手な子だよって…お兄様に恥をかかせることにもなるのだし。
「はふ…。」
 とりあえず。この七月中をどう過ごしたらいいもんだろかと、ビーズクッションを抱え込み、大きなベッドの上でごろんごろん。お母さんたら、ベッドまで"きっと大きくなるから"とセミダブルの大きいのを買ってくれてたりするもんだから、
「……あ、はいっ!」
 机の上で携帯が鳴り出したのへ、ありゃりゃ机はどっちだと、あたふたしちゃったセナくんだったりする。
「はい、もしもし。」
 軽快なロンドは、桜庭さんがセナくんの携帯へ自分の番号を登録なさった時に、ついでだからと設定して下さった曲で、
【セナくん? 桜庭です。元気してた?】
「あ、はい。」
 軽やかな声はとてもお元気そうで、
【あのね、今からウチに来ない?】
「はい?」
 相変わらず唐突な人だなと、小首を傾げてると、
【実はサ、今日は皆にウチへ集まってもらってたんだけど、進がセナくんを呼んでくれてなくってサ。】


   ………………え?


 あやや。何でかな。ちょこっとお胸がちくんとしたの。棘が刺さったみたいに。仲良しな同級生の皆さんだから、夏休みに入ってのプライベートを一緒に過ごされるのは当然のことで。そこへまでわざわざ年下のおミソな子を呼んだりはしないよね、普通は。なのに何をしょげてるかな、ボク。いつも一緒に居させていただいてたからって、ちょっと思い上がってない?
「……………。」
 携帯をぎゅうって握って頑張って、このくらいのことで泣いちゃわないようにって、自分に言い聞かせようとしたらばね、
【わっ☆ ちょっと…何だよ、妖一。いきなり叩かなくてもいいでしょ? あ☆】
 何だか二人分のお声が絡まって聞こえて、それから、
【セナくんですか?】
 あ、声が高見さんと交替した。
【進がセナくんを呼ばなかったのはね、学校行事でもない純然たる労働奉仕なんかにセナくんを駆り出したくなかったからですからね? そこのところ、誤解しないでやって下さいね?】
 あやや…挫けかけたこと、あっさり見抜かれちゃってる。相変わらず凄いな、高見さんて。お前はいつだって言葉が足りんのだとか何とか、電話口で桜庭さんのことを叱ってる蛭魔さんのお声まで筒抜けで、何だか…くすすvvって、すぐにも元気が出て来ちゃった。
【…っと。あ、ごめんね、セナくん。聞こえてる? そうなの、僕の言い方、悪かったよね。ごめんね。】
 元の桜庭さんへと電話のお声が交替して、
「あ、いえいえ。」
 あのその、気にしてませんからと明るいお声でお返事して。今からで構いませんか? うん、駅に着いたら電話してね? 迎えに行くから。優しいお声でそうと告げられ、それじゃあと会釈し合って電話を切った。嬉しいなvv お話がちょっとドキッとする順番になっちゃたけれど、詰まるところ、皆さんから"おいでよ"とお誘いされたことになるんだもの。うわぁvv 何だか凄っごく嬉しいvv 急いで着替えて、お出掛けしなくちゃ。今から出れば、向こうにはお昼前には着けるもんね。ベッドからぴょいっと飛び降りて、楽しげにクロゼットへ向かったセナくんだったけれど。扉を開いたその手が止まって…。

  "………でも"純然たる労働奉仕"って?"

 あやや、何をしに集まった皆さんなんだろか。うっかり訊くのを忘れたと、セナくん、ちょっぴり困惑の模様です。






            ◇



 労働奉仕なんて言われたもんだからと、学校で着ている夏用の半袖体操服の上下を入れた、小さめのボストンバッグを提げて出掛けたセナくん。自分のお家の最寄りの駅前の、結構評判の良い和菓子屋さんで、葛餅と水羊羹とをセットにした菓子折りをお土産にと買って、さて。快速に乗って何駅か。それから乗り換えて…郊外は山の手の駅へと降り立ったのが、11時ちょっと前。つい最近にも"パジャマ・パーティー"とかいう集まりで、お泊まりのお呼ばれをした桜庭さんのお屋敷は、駅前やご町内のどこの誰に聞いても、すぐに判って教えて下さるというほどに有名な大邸宅で。歩いてもそんなに距離はないのだけれど、指定されたのだからと言われてた通りに携帯でお電話を掛けると、
【はいは〜い。超特急で行くからねvv
 桜庭さんのお声が愛想よくお返事してくれて。でも、1分とかからぬ素早さでやって来た黒塗りのベンツには、運転手さんしか乗ってはいなかった。
『小早川さまですね?』
 春人坊っちゃまから伺っております、どうぞと。腰の低い運転手さんにわざわざ降りて来ていただいて、ドアまで開けてもらったりして。お父さんよりも年嵩な人なのにと、すっかりと恐縮したセナくんだったんだけど。………随分と後に聞いたこと。桜庭さんは進さんと高見さん以外のお友達を、これまでのずっと、あんまりお家に呼んだことがなかったんだって。それが、去年の後半から蛭魔さんが頻繁に来るようになり、今年はボクっていう小さな後輩さんまで来るようになったんで、これは喜ばしい変化だって、皆さんでワクワクしてらしたんだとか。それはともかく。ベンツはすべるようななめらかさで発進し、小高い丘の上の"山の手"へ向かって走りだす。他にも綺麗で大きなお屋敷が続く家並みを眺めていると、それがふっと途切れてから視野に入るのが、緑の多いお庭と、まるで博物館みたいな規模の大きなお屋敷。広大な敷地の中に古い洋館が見え隠れするという、初めて訪れた人は十中八、九、唖然とするよな。そんな物凄い邸宅が桜庭さんのご実家だ。とっても有名なカンパニーの宗家でいらっしゃるため、テレビのニュース何かで見るような政治家さんとか経済界の大物さんとかもおいでになるという、セナからすれば別世界の入り口みたいなところでもあって。中庭の一角、奥まった"後宮"部分からだけ出入り出来る私的な区画の中には、お茶室から四阿
あずまや、温室に離れといった、お屋敷ならではなオプションが点在しており。そんな中、離れと母屋の間にあるのが、ソラマメみたいな形をしたプールである。
「あ、いらっしゃ〜いvv
「準備が良いですね、セナくん。」
 奥向きまで案内して下さったお手伝いさんから、濡れますから靴下はお脱ぎになった方が良いですよと注意され。ああ、やっぱりなと納得し、お部屋をお借りして体操服に着替えさせてもらった。半袖の体操着と下のボトムも半ズボン。素足なので細っこい脚が剥き出しで、一際貧弱に見えるのがちょこっと恥ずかしかったけれど、とことこと歩き出て行って、こんにちはとご挨拶した小さなセナくんへ、
「とうとう労働力として呼び出されましたね、セナくんまで。」
 Tシャツに膝までまくり上げたトレパン姿の高見さんが穏やかそうに苦笑をし、
「あ、ひどいなぁ。僕はたださぁ、一緒に遊ぼうよってことで…。」
「遊ぶ下準備が、自分一人じゃ到底無理な"仕事"だからだろうがよ。」
 恋人さんの弁明を遮って、こちらも薄色のTシャツに化繊のゆったりした七分パンツという恰好の蛭魔さんが唇を尖らせる。そちらさんは学校指定のスェットの上下という恰好の進さんは、随分と深いところの底の汚れが気になるらしくて、デッキブラシを力いっぱい擦りつけてらしたけれど、セナくんの声がするとハッと我に返ったようにお顔を上げて、こちらを見て目顔で会釈をして下さった。

  ………で。

 何でも このプール掃除は、毎年の恒例の桜庭さんのお仕事なのだそうで。何たって当代の桜庭家で、春人さんは一人っ子の御曹司でいらっしゃり。そんなせいか、一番早くから一番の頻度でプールを使いたがる人だから、だったら自分でお掃除してお水を張りなさいと、中等部時代にお母様からそんな風に言われたのだとか。いくら…多くの人々を"使う"立場に将来なる人であっても、箸より重いものは持てませんではこの先困るからという、一種の"親心"だそうだが、
「こんな広いの、一人じゃ無理だっての。」
 確かにね。
(苦笑) 競技用のそれに比べれば小さいが、結構な深さもありそうで、しかも十人以上で楽々遊べそうなほどに広め。そこで、これまた毎年のように、進さんと高見さんがお手伝いに呼ばれて来た行事であるらしい。デッキブラシを杖代わりに凭れて、そんな風に説明して下さった桜庭さんは、
「プールの底は案外すべりやすくて危ないからね。」
 裸足の踵で濡れた底を擦って見せて、
「だから、セナくんはプールサイドの方をお願いね。」
 お家の側に近い辺りを指差されたセナの視野に入ったのが、2本のビーチパラソルと8台ほどのデッキチェア。倉庫から出して来たばかりだというそれらを、広げてから簡単にホースで水をかけて埃を落として下さいなと頼まれた。まだ水を張らないプールは降りるのに結構な高さがあるし、既に4人で駆け回ったのであらかたの汚れは落とされてもいて、それでということなのだろう。はいと良いお返事をして、シャワーノズルがついたホースを手に、セナくんも夏向けの大物洗いへと着手することとなりました。

  ――― どのくらいか、ごしごし・ざざあと洗い掃除を続けていて。さて。

「きゃんっ!」
 いきなり背中へお水を掛けられて。え?え?とびっくり。何が起こったのかしらと肩越しに振り返れば、銃のようなかたちをしたシャワーホースを片手に、プールから上がって来ていた蛭魔さんがそこには立っていて。こちらにホースを向けてにやにやと笑っていらっしゃる。

  "え?え? なんで?"

 いつだって結構唐突な人だけれど、理不尽に苛めるような、度の過ぎたことはしない人なのに。それどころか、セナには人懐っこくも、弟みたいに可愛がって下さる人なのにと。それなのにお洋服をすっかりと濡らされたショックから、一瞬固まりかかったセナくんだったが、

  「セナくん、ちょっとボ〜っとしてたろ。」

 桜庭さんがプールの方からそんな声を掛けて来た。高見さんも言葉を添えて、
「ごめんね、帽子をかぶっておいでって言わなかったね。」
「………あ。」
 皆さんは水遊びも兼ねて適当に水を蹴立てたあおりから、さんざんに濡れていらっしゃるが、セナくんは丁寧にお仕事を進めていたせいで、足元手元以外は濡れるどころか…髪の上で目玉焼きが焼けそうなほどになっており。日射病にならないようにと、それでお水を飛ばして来た蛭魔さんであったらしい。
"そういえば…。"
 びっくりしたけど、それ以上に…気持ち良かったなと。ほうと一息ついたセナくんで。それからクスクスと笑った後輩くんに、下にいた先輩さんたちもホッとしたような微笑みを返す。何のことはない、やっぱり極めつけに仲の良い人たちであり、そこへ、
「さあさ、皆さん。お昼の支度が出来ましたよ。」
 少し年嵩のお手伝いさんが、そんなお声をかけて来て、
「そちらのデッキにご用意しましたよ。」
 陽除けの張り出した涼しげな一角の方を示して下さる。やっと休憩かと安堵の気配が広がる中で、

    「じゃあ、セナくんと、妖一は着替えておいで。」
    「?? 何で俺まで?」
    「い・い・か・ら。」

 いつもは立っている金の髪がへちょりと大人しく寝ているわ、淡い色合いのTシャツも盛大に濡れていて、肌まですっかり透けているわ。鎖骨や胸板の輪郭はおろか、胸元の緋色の飾りまで浮き上がって覗いているそんなお姿が、目のやり場に困るほど眩しいからだ…と、論を尽くして言ってやっても"だからどうした"とばかりに理解しなかろうなと思っての力技。語勢の強さでねじ伏せた桜庭さんであり、
"相変わらず、ご自分のことへは ちょこっと鈍い人なんだな。"
 セナくんにまで思われていては世話はない。
(苦笑) お手伝いさんからバスタオルを渡されて、とりあえず上がって行った二人の背中を見送って、

  「蛭魔くんにはいつも助けられてますよね。」

 プールの中から昇って来て、足元や髪を拭いながら高見さんがそんな風に仰有った。
「ちょっと乱暴ですが、その分、セナくんから随分と萎縮の気配が抜けましたし。」
「そうだね。」
 もしも殊更丁寧に親切にと構っていたら、気を遣わせてすみませんなんて、ますますのこと遠慮の上塗りをしそうな子だ。かと言って、この顔触れの誰かがいきなりざっかけない態度を取るのは似合わないから、却って混乱させるばかりかも知れず。
「ちょっと恐持てがする蛭魔くんが親しげに構うから、すんなりと…反動がついたみたいに飛び込んで来てくれる。」
 さすがは妖一だよねという恋人自慢はともかくも、進には出来ない芸当だよねと、要らない一言を桜庭さんが付け足したものだから、

  「…はやや?」

 用意していただいた涼しげなオーバーシャツと半ズボンという、軽快で愛らしい姿で戻って来たセナくんを、進さんがついつい懐ろに匿うように引っ張り寄せたのは。世にも珍しき、進さんからの初めての"嫉妬"の現れだったのかも?
"あやや…。///////"
 あのね、お水の匂いが加わって、いつもよりも進さんの匂いがいっぱい感じられたものだから。セナくん、たちまち真っ赤になった。やわく包まれた腕の中から見上げれば、眩しい陽射しの下に進さんの優しいお顔があって。(注;優しいと見分けがつくのは慣れた人にのみですが。)
"えっと、うっと…。///////"
 何でまた、人目のあるところでこんな大胆なことをなさるお兄様なのかは、セナくんには判らなかったのだけれども。さっきくらっと目眩いがしかかったお日様からの攻撃よりも、よっぽど効果のある眼差しだと、大好きな深色の瞳をこちらからもじっと見上げたセナくんでした。


  ――― はい、そこ。これ以上、不快指数を上げないように。
       そですね。ただでさえ真夏日気温だっていうのに。
       公序良俗って知ってっか? N乃さんにbbsで注意されたろがよ。


 最後の、蛭魔さんのお言葉は何なんだか。
(笑) あやあや ///////と我に返ったセナくんが慌てふためき、片やの偉丈夫さんは"何だ邪魔をする気か?"と不機嫌そうなお顔になって。こちらさんもまた、相変わらずな人たちであるらしいです。




  〜Fine〜  04.7.27.〜7.28.


  *しゃれ劇場での腹チラ話から、濡れたTシャツネタを思いついたのですが、
   例によっていろいろ書き連ね過ぎたので、
   最初っから本編ものへと書き換えましたです。
   プールのカルキ抜きの匂いって、確かに夏が来たなぁという感じがしますよね。

  *そういえば、進さんチにお招きされたお話は
   どこへ飛んでってしまったんでしょうか。(えっとぉ〜。)
   こちらさんへは夏の行事やイベントが書き放題なので、
   あれもこれもと欲張ると却って大変でございます。

ご感想は こちらへvv**


back.gif