アドニスたちの庭にて “春の日和の”

 


 カレンダーもほぼ新しいお顔になる、三月弥生。特に寒冷地でなくたって、風も冷たく雪も降るよな、肌を刺すほど身も凍るほどだった厳寒期が少しずつ、そこここで芽生えた春の息吹に追いつ追われつしながら北へと去ってゆく時期であり。あっさりと一気に塗り替わる訳ではないながら、陽だまりにいるとホカホカ暖かいし、眸にも優しい緑も増えて。待ち遠しかった居心地のいい風景が、やっとのことで帰って来つつあるというところだろうか。そんな嬉しい“お帰りなさい”を感じつつ、一方では…進学や就職などという形にて、新しい世界への旅立ちを前にしての悲喜こもごもに、心の揺れる季節でもあって。
“…でも、あの子はお兄様と仲直り出来たって言ってたし。”
 お隣りのクラスの男の子。瀬那くんにとっての進さんみたいに、大好きな“お兄様”が彼にもいて。この高等部ならではな古くからのしきたり“絆の誓約”でお兄様になってくれた人じゃなく、昔から仲が良かった、大好きな幼なじみのお兄さんで。でも、そのお兄様は何とアメリカの学校に進学するってこと、ギリギリまでその子に内緒にしていてね。そんな大事なことを黙ってたなんてって、春から寂しくなるって、そりゃあしょげてたお友達だったのだけれど。彼を放ってく訳じゃあないよ? もっと小さかった子供の頃に、彼と約束していたことを果たしに、夢を叶えに行くお兄様なんだよって判ったからって。打って変わって そりゃあ嬉しそうにしていたもんだから、気を揉んでたセナも何だかホッとしたっけね。

  「…あ。」

 高等部の校庭には、伝統ある学園の一番最初の学舎があるほど古い敷地だからか、なかなか凝ったお庭の跡とかがあって。そんな一角には…例えばお茶室の庵の傍らに見事な枝振りの楓の古木があったり、池や旧校舎に寄り添うように、絶妙な味を呈している梅や柳の樹々が配置され、季節になると艶やかな花や緑に息づいたりし。今は丁度梅の季節だからか、仄かながらも甘い香りが風に乗ってそよいで来たの。春の香りと言えば沈丁花もいい匂いだけれど、それはまだちょっと早いかな? 今時は寒い季節でも、ポインセチアとかシクラメンとか、華やかなお花には事欠かないけど。色々な産地からだって一足早い切り花が届くからって、お花屋さんの店先にはフリージアからスィートピーに、バラやチューリップ。すっかり春めいた花たちがしっかり開いてお出まししてるけど、それでもね。ずっと寒風吹きすさんでた同じ道筋に、ちょっぴり華やかな印象のする春の兆しが見つかるのって、格別に心沸き立つ“出会い”だから。知らず知らずウキウキとしてしまうし、口許や頬にもついつい微笑が浮かんでしまう。
“桜並木は中等部のも結構見事なんだけどもね。”
 今はまだ裸んぼうなままの桜の並木が、こちら側の木立ちの連なりを透かしたその奥向きの、フェンスの向こうに黒々と見えており。あれが一斉に咲くと眸も眩むようなほどなんだよねって、今から“ふふふvv”と、やはり御機嫌なお顔になっているセナくんで。濃紺の詰襟制服に包まれた、ちんまりと小さな肩や背中が、陽に暖められてホカホカなせいでかな? こんな時だのに、珍しくも気を逸らしての寄り道をしてしまってる。そう、ホントはね。こんなして立ち止まってちゃ いけないのにね。
“うん…そうだった。急がなきゃね。///////
 これでも実は“お仕事中”。胸元へと抱き込むようにして抱えてた、筒に丸めた大きな模造紙何枚もにプリントアウトした“式次第
(仮)”を、講堂まで持ってく途中だ。ここ、白騎士学園の高等部でも卒業式が間近に迫っていて、生徒会や執行部の皆様は相変わらずに大忙しで。お手伝いをしているセナくんも、やっぱりパタパタ駆け回ってるほど大忙しという身の上だ。今週末の土曜日、3月12日に大々的に催される予定の式典であり、
『何も僕の誕生日に重ならなくてもさ。』
 一日丸ごと使って 誰かさんと濃厚に楽しみたかったらしき桜庭さんが、殊更にぶいぶいと文句を言っていたけれど、まま、それはともかくとして。
(苦笑) 卒業式の準備には、担当の運営委員会が設立されていて、筆頭責任者は学長であり、他の先生方にも進行や手配などの段取りを指導して下さる担当の方々が一応はいらっしゃるのだけれど。実際の進行とか当日までの準備など、実質的な手配や何やは生徒たちの手で進められるのが伝統であり、これも代々のしきたり。なので。運営委員会の頂点でやっぱり采配を奮うこととなるのは、生徒会の皆様ということになる。たかが卒業式と侮あなどるなかれ。ただ単に…招待客への案内状の手配をし、進行の手際を在校生の関係各位へ通達し、卒業生には当日さながらの予行演習をしてもらえばいい…というだけでは勿論済まなくって。会場の設営や、卒業生徒とその父兄の方々を案内する係への式次第手順の徹底などの傍らに、学校関係者や卒業生など特別にかかわりの深いことからお招きする来賓への招待状送付や卒業生たちへの記念品の数量確認と申し込み、式の模様を撮影するスタッフの編成と手順や配置の打ち合わせ…などなどと。細かいものまで数え上げればキリがないほど様々な、手配や申し送りや刷り合わせが山のようにあり。しかも1つ1つの確認や変更の連絡を逐一整理し、最新の情報が間違いなく関係者の隅々にまで、素早く間違いなく伝達し尽くされるようにと徹底させねばならずで。
“これまでは生徒は形だけの関わりで、実際は…それぞれの手配を専門の会社へと委託して来たそうだのにね。”
 設営専門のイベント会社、丁寧なお知らせの通知を出し、参加出席者を確認してくれる配送事務所、式当日の模様を撮影し、DVDへの焼き付けまで請け負ってくれるスタジオなどなどへ、分野ごとに“発注”するだけ。近年では、全てを一括してまかなってくれる総合企画会社へと全部お任せしていたそうなのにね。そういう運びを取ったとしても、打ち合わせを積み重ね、綿密に連絡を取り合ったりして、当日まで相当に忙しいものを。今年の生徒会は何と…全ての手筈や運営状況を一つ一つクリアに呈示することを前提に、山のようにある全ての作業や手配を生徒たちの有志たちの手で進め、それらへの決済事項へは自分たちの手や耳目を必ず通して管理し責任を取るという、そりゃあ無謀な大作戦に出ているのだとか。当然のことながら、外注ものへの発注先の選択も、見積りを取っての入札制。よって総合的な統括が、そりゃあもうもう大変なのにね。
“出来るっていう自信があるからなんだろな。”
 当然、公正、且つ、厳正に進めることを職員の皆々様と約束しての着手であり、そして…そんな“一大事業”とも言えるほどの大作業が、ほんの一握りの担当者たちの采配下にて、式当日を週末に控えている今日の時点で、何とかほぼ消化され切っているというから恐ろしく。
“勿論、授業だってあったのに。”
 そういった“学生の本分”もきっちりこなしてのことだっただけに、周囲の皆様としては…作業進行よりも当事者たちの健康の方が心配だったそうだけれど、誰一人として席次を下げることもなく、仕事の方もお勉強も溌剌とやっつけちゃったから物凄い。
『お前ら、実は人間じゃないんだろ。』
『前々から怪しいとは思ってたけどな。』
 お手伝いの有志の方々から“わははは…”と笑いながらとはいえ、そんな憎まれを言われたほどの豪傑さんたちは、それぞれに涼やかな風貌も全くやつれさせぬまま、ただ今 大講堂にて、式典を通してやってみての最終予行演習中。会場内の設営は明日から本格的に取り掛かるのだが、照明との兼ね合いが見たいからと言われて、式次第を張り出す位置を決めるべく、仮のそれを持ってくところだったセナくんだという訳で。やっと話が現状へ追いつきましたです、はい。
“いけない、いけない。”
 急がなくっちゃと歩き出しかけ、
「…あ。」
 その進行方向から速足でやって来た人に気がついて。こちらからも…ついのこととて、弾むようにその足を速めてしまう。
「進さん。」
 すいません、遅くなってと駆け寄れば、
「いや、急がなくていい。」
 駆け寄り合った小さな弟くんへ、表情も真顔に近いそのままに、そんなお声をかけて下さる。
「照明操作のプログラムとやらがバグとかいうのを起こしたそうだ。」
 それで今は、これもやはり式典にかけることとなっている、様々なBGMのタイミングの確認の方に取り掛かっているのだそうで。
「プログラムの復旧の方も、PC研究部の部長が取り掛かっているので手は掛からんとのことだしな。」
「そうですか。」
 ちょっとしたミスであっても、時間を食えばそれだけ次の進行や作業に食い込む。どんなに優秀であれ体力自慢であれ、何ともしがたいのは“間に合わなくなる”という時間的な障害(トラブル)であり、アクシデントが起きたと聞かされて冷やっとしたセナだったが、大丈夫だぞと付け足していただいてホッとした。きっとね、焦って慌ててバタバタと駆けてて、弾みでコケたりしてないかって わざわざ見に来て下さったお兄様なんだと思うから。そんなお気遣いへこそ、頬が熱くなったりもして。
「うっと………。///////
 まるで規律ごと羽織る軍服みたいに堅い直線ばかりで構成された、濃紺の詰襟制服がよく映える、屈強精悍、鍛え抜かれて絞られた がっしりした体躯に、頑迷そうなほどの強い意志がくっきり反映した鋭角的なお顔。きびきびとしていて動き惜しみをしない、そりゃあ頼もしい人ではあるけれど、そんな反面、鈍感で気が回らない、野暮天だってのが玉に瑕で。白か黒か、正か邪か。正しいならそれで良いではないかときっぱり断じて、事情や背景までは透かし見ない。物事を深く慮
おもんばかることが苦手な、悪く言って大雑把なところのある人でもあって。基本的には優しい人ではあるのにね、あまりに清廉潔白だから、真っ直ぐ真っ直ぐな人だから。心の弱い人には時に眩しすぎる、無垢純白なところが扱いに困る人。同級の方々からそんな人だと評価されてる、ともすれば取っつきにくい人だのに。セナくんへだけは そりゃあ濃こまやかに心を砕いて下さるお兄様で。小さくて繊細な弟くんだから、うっかりしていて傷つけたり壊したりしてしまわないように。大きな温かいその手で髪を撫でて下さる加減の、何ともまろやかに優しいことか。
『極端なんだよな。』
 そういう心くばりは、セナくんのためにだけって取っといたんだよ、こいつ。日頃はどんだけズボラで荒くたい奴なことか。幼なじみの桜庭さんが斟酌なしにすっぱりと言い放ち、そのまんま…その進さんから睨み殺されそうになられたこともあったっけ。
おいおい
「………。」
 セナくんがこんな中途半端なところで立ち止まっていた原因。柔らかな風にふんわりと乗ってやって来た、どこかに咲く梅の花の香りに気づいてだろう。進さんもまた、少しばかり眸を見張り、それから…辺りをゆっくりと見回して見せる。その視線が小さな弟くんの上へと留まったのへ、
“進さんも気がつきましたか?”
 そんな風に言いたげな、嬉しそうな やわらかな笑顔を向けられて、
「…っ。///////
 こちらもまた、あっさり真っ赤になってる判りやすい人。ホント、日頃は鈍感どんがらがったなくせにネ、こんな些細なことへも反応するなんて…極端から極端へと網羅しまくっておりますな。
(苦笑) そんな外からの雑音も、耳に届かぬまま(いやん)、風の音でも聞くかのように佇んでいた二人だったが。ふと、腕に抱えた模造紙に透けている“卒業”という黒々とした字を見下ろしたセナが、

  「進さんも三年生になられるんですね。」

 ぽつりと呟いた。
「ああ。」
 この一年は特に、何だかあっと言う間だったなって、そんな気がするセナくんであるらしく、
“だってさvv
 ただただ遠くから見ているばかりな人だったのにね。年の差があるからどうしても、上の学部へ進学された進さんの姿を、フェンス越しにもなかなか見ることが出来ないままの1年間が挟まってしまう。初等科の時はね、それほど意識はしなかったの。でも、その1年を挟んでから、中等部でますます凛々しくおなりの進さんを見かけるようになり。ああやっぱり素敵な人だなって、視線を奪われてしまってて。そんな2年間が過ぎてから、卒業してしまわれる日が近づくと。すぐお隣りなんていうご近所に進学されるんだって判っていても、それでも…何だか寂しいなって思ったもの。そんな三年生時代を過ごしてから進学して来た高等部であり、
“同じ一年、365日なのにね。”
 去年はオリンピックイヤーだったから1日多いのだけれども…じゃなくってだな。
こらこら その前の1年間はすごく長かったような気がするのにね。楽しい日々ほどあっと言う間だっていうの、ホントだよなって。しみじみ・じ〜んと噛み締めてたセナくんであるらしい。そこへ、

  「去年の今頃というと。」

 見下ろしていたセナくんの髪に何かついていたのか。そぉっと伸ばして来て、やさしく触れて下さった温かい手。その感触へ、逃げるどころか眸を細めて嬉しそうに笑った弟くんへ、こちらからもその眸を和ませて見せ、
「中等部の卒業式の日に。あの木の下で下級生に泣かれていたな。」
「あ…。」
 進さんが視線で示したのは、木立ちの向こうに見えている、中等部側の桜の並木の取っ掛かり。高等部のとは違って、ネクタイにブレザーというタイプの制服がよく映える、セナよりも随分と背丈もあって大人びた雰囲気の少年だったのに。何か苦いものでも噛み締めてるような、そんなお顔をしていたこと。セナが見上げるようにして何か話しかけたら、そのままほろほろって泣き出してしまって、慌ててハンカチを出してやってたこと。
「あやや…。///////
 そんな細かいことまでを言われて頬が赤くなったのは、それがセナにも忘れがたき思い出だったから。そんなことを見ていて、しかも覚えてた進さんだってこともまた、セナには驚きで。
「あのあの、その子は1年間だけっていう交換留学生だったんですよね。」
 セナが中等部時代に、必修だったからと籍を置いていた部活の“歴史研究部”での後輩さんで。ご両親はともに日本人でありながらも、彼自身はアメリカで生まれて育ったっていう男の子。日本の学年で二年生になったばかりの春先からの編入生だったのだけれど、自分が卒業するのとさして日を置かず、彼もまたアメリカへ帰ってしまうことになっていて、
「随分と元気な子だったけれど、大人っぽい外見をしていたのと…物怖じしなさすぎてたものだから近寄り難かったのか、同い年のお友達も少なくて。」
 それで…というのも妙な順番だが、当時の最高学年生でありながら、妙に ちまっとしていたセナへと、どういうバランスが働いてのことか、それはそれは親しげに懐いていたのだとかで。日本流の作法とか、先輩後輩という間柄での礼儀とか、一緒にいる時にちょっとずつ教えてあげていたのだけれど。セナが卒業するからってだけでなく、自分も日本を離れる身だからって、
「それで逢えなくなってしまうのが、彼には寂しかったらしいです。」
 日頃はお元気で本当に大人びた子だったのに、もう逢えなくなる、お別れするのが寂しいなんて言い出して。そりゃあ可愛かったんですよ? うふふと懐かしそうに微笑ったセナくんだったのだけれども、

  「でも…。」

 中学校の卒業式というのは、進学先への入試時期の違いから、大概は高校のそれよりも日程が後であり。殊にこの白騎士学園の場合、内部進学生がほとんどなので、今年と同じでやっぱり三月の半ばより後という日程になるのが通例。既に生徒会の副会長さんだった進さんだとはいえ、
「そんな時期って…高等部は もう春休みに入ってなかったですか?」
 剣道の部活があって、それで登校してらした進さんだったのかしら。それとも…四月の最初の行事、新入生を迎えるための準備にと登校していて、今のようなお忙しい日々を過ごしてらしたのかしら。素朴に不思議を感じたらしいセナくんへ、
「まあ…そうだ。」
 ………おや。質実剛健、白黒はっきりの進さんには珍しいほど、歯切れが悪いお返事ではありませんか?
「???」
 きょとんとして小首を傾げたセナくんだったのだけれども、

  『中等部では、卒業式の予行演習から予餞会とか部活ごとのお別れ会まで、
   そこのフェンスに真近い講堂へ
   やたら出入りすることになる三年生だってことを思い出してサ。
   それで…ちょっとでも姿が見られれば良いななんて思って、
   用事がない日まで足繁く通ってたんだよね? 進の奴。』

 桜庭さんが暴露してくれた真相へ、あやあや ///////と真っ赤になってしまうセナくんなのは…随分と後日のお話なので悪しからず。
(笑)
「そろそろ行こうか。」
 大きな手のひら、そおと背中へあてがって下さり。そんな優しい仕草で促され、
「あ、はいっvv
 やっぱり にっこしと笑って、小さなセナくん、歩幅の大きなお兄様と歩き始める。胸に抱えてた模造紙をついと引っ張って横取りされて、慌てて手を伸ばして追いながら“そのくらいは持てますよう”って言ったのに。ダメだと首を振り、聞いて下さらないお兄様。もうもうって小さな拳を振り上げたのを素早く避けて、先へと行かれたその後を追おうとして、
「あ…。」
 今日は駆け回ることになるからと、革靴から履き替えていたスニーカー。その紐がほどけたのに気がついて。その場へ屈んで結び直していたらばね、

  「…小早川サンっ。」

 はい? 何か…ちょっとだけ妙なイントネーションでのお声がかかったような?
「え?」
 紐を手早く結び終え、肩越しに顔を上げながら、声がした方を振り返ったのと。そのお相手が背後からガバッと…こちらの肩を両腕でくるみ込んでしまい。軽々と引っ張り上げるようにしてセナを立ち上がらせつつ、抱きすくめて来たのがほぼ同時。

  「え? え?」

 何だか大きな人みたいで、振り向かされつつ…濃色の壁みたいにセナの視野を塞いだのが、真新しい制服の藍色だと分かるのに少しばかり間が要った。こちらだって立ち上がったのだから、それで向かい合わせになったれば。相手の肩口からの斜面や制服の襟元が視野に入る筈なのに。進さんや桜庭さん、高見さんという、随分と背丈のある人たちに毎日のように囲まれて過ごしているから、視線の置き場には相当に慣れていた筈のセナが…あれれぇ?と戸惑ったほど、体のスケールが違う人?

  「久し振りだね、小早川さん。」

 繰り返されたご挨拶。間違いなく、頭の上から自分へと降って来ており、え〜っとと怪訝に思いつつも上げてみたお顔の真ん前に、向こうからも真っ直ぐ注がれていた視線の持ち主は………、

  「あ………もしかして、水町くん?」

 以前は もちょっと短かくて、額だけ覆ってた前髪を、鼻先までかからんというほど えらく伸ばして、しかも茶褐色に染めてもいたりして。体つきもまた、1年前に比べれば かっちりと男らしく育っているような?
「そうだよ。思い出してくれた?」
 腕白坊主そのまんま。軽快で表情豊かなお顔に、にっぱしという音がしそうなほどの悪戯っぽい笑みを浮かべて。ご機嫌ですと言わんばかり、セナくんの小さな体を長い腕の中へと掴まえてる男の子。
「丸まる1年振りだもんね。俺もすっかり大きくなってるから、判らなかったんだろ?」
「う…、それは…。」
 確かにネ、最初の一瞬、一瞥だけでは判らなかった。でも、打てば響くという即妙さで思い出せなかったのは、精悍になったとか面変わりしたとか、そういうところからのことじゃない。
「だって、水町くん、夏ぐらいからメールのお返事くれなくなってたじゃないか。」
 あんな仲良しだったのに半年も経たずのそんな仕打ちなんだもん。こっちばかりが薄情なんじゃないんだからねと言い返せば、
「ああ、うん。そうだったね。」
 自分の側の非を認めてか、眉を下げてたちまち“ごめんなさい”のお顔になったから、図体は大っきいけれど中身は昔とあんまり変わってないらしい模様。で………。
「その制服って…。」
 あらためて まじっと見直せば、
「うん。俺、四月からここの高校に通うんだ。」
 あっけらかんと言い切って、

  「また後輩だから、よろしくね。」

 あらまぁと。あまりの呆気なさに、ぽかんとお口が丸ぁる〜く開いちゃったセナくんであり。いくら彼のことを思い出していたからって、この間合いの良さは物凄い。大きな樹の幹に留まったセミさんのように、軽く抱え込まれたまんまにて。向かい合ってたそんなところへ、
「小早川?」
 先に進み掛けていた進さんが戻って来て。しかも、

  「健吾。」

 突然の来訪者がやって来たらしき方向から、また別の声が。やはり白騎士学園高等部の制服を着た、しかも…こちらもずば抜けて背の高い男の子であり、
「おお、こっちだ。」
 声を掛けられた水町くんとやらが顔だけ向けて呼び招いた彼も、そして進さんも。向き合ったお相手が初対面な人物だったからだろう、ちょっとばかり怪訝そうに眉を顰めて見せており、
“ふわわ…。”
 一体何を食べたらこんな大きくなれるのだか。3人ものノッポさんたちに取り囲まれて、セナくん、首が痛くなりそうです。
(笑)
「あ、えっと。」
 この場面では、どう考えても…お互いを紹介するのはセナくんのお役目。ちょいっと腕を伸ばして身を引きはがそうとしたのへ、ああごめんと気がついてようやっと腕を緩めてくれた無邪気な彼を、
「進さん、この子がさっき話してた水町くんです。」
 どうかすると進さんよりも大きいかもしれない相手を“この子”と差して呼んでしまうセナくんだったが、ままそういう彼の天然さは今更だからさておいて。
こらこら
「水町健吾です、よろしく。」
 にっこり笑って、手を差し出したのは。セナから聞いていた話から察して、彼がアメリカ育ちであるからだろう。一礼しかかったのをこちらも手を伸べ、軽く握手。
「こちらは進さん。ボクの先輩さんだよ?」
「じゃあ、学年が上の人だね?」
 セナからのあらためてのご紹介へ、にひゃっと笑った子供のような青年だったりしたのだが。そんな彼の名を呼ばわって、こちらへ出て来たもう一人は…セナにも覚えのない人であり。物問いたげなお顔に気づいて、
「筧
かけいです。」
 ご本人が自らそう名乗って下さった。こちらさんも真新しい制服を着付けており、しかも、
“こんなに存在感があって目立つ人なら…。”
 やんちゃな悪戯っ子のような水町くんとは対照的に、それは静謐そうで冷静な、いかにも凛々しい雰囲気のする大人っぽい彼であり。こんな子がずっと在学していたなら、中等部にいた去年までにセナの眸にだって入っていた筈だから、
「もしかして、高等部からの入学ですか?」
 中途入学の枠はそれほど広くはないけれど、毎年十数人ほどずつ受け入れている。ミステリアスな佳人として名を馳せている蛭魔さんも中途入学者だし、セナくんのお友達の雷門くんも、野球の技術を買われての推薦という格好の、やはり中途入学者である。セナからの質問へこくりと頷いた筧くんを不躾けにも指差して、
「こいつのところにホームステイして通うんだよ?」
 凄いだろうと言わんばかり、あくまでも楽しげな水町くんの醸し出すムードに、残りの面々もまた呑まれたか。指を差された筧くんが“しょうがない奴だなぁ”と言わんばかりに小さく苦笑し、その笑い方の柔らかさに釣られてセナもクスクスと笑ってしまった。
「そうなんだ。」
「うんvv あ、そうそう。俺もこいつと似たようなもんで、中途入学扱いだからね。そうでなくたって何にも判らないから、またよろしくね? 小早川サン。」
「あ、うん。」
 こんな大きい子から“さん付け”されるのは久々で。彼の真似ではないが、それでなくたってこの1年は、すっかりと生徒会の“マスコット”扱いをされていたからね。
“そっか。ボクも先輩になるんだった。”
 目に見えて何かが急に変わるという訳ではないのだろうけれど。いつまでも甘えていてはいけないのもまた事実。お兄様が恥ずかしい思いをしないように、しっかりしなくちゃと、その小さなお胸の中で秘かに決意を固めたセナくんだったりしたそうです。



  ――― 穏やかな空気がただただ暖かく満ちていた学園ですが、
       これから迎える新しい季節には、
       果たして一体どんな風が吹くのやら。
       その予兆に震えてか、
       甘くて華やかな梅の香が、
       彼らの髪をくすぐって、それは軽やかに吹き抜けてゆきました。











   〜 おまけ



 さてとて。桜の蕾も随分と膨らんだ花曇りの中に催された卒業の式典も、何とか滞りなく片付いて。
「三学期は何にも行事がないって言ってたから、余裕で気を抜いてたってのによ。面倒な大仕事が控えてたもんだよな。」
 いかにも“やれやれ”というお声を出した金髪の諜報員様へ、参謀様がくすすと笑ったらしき気配。
「それでも獅子奮迅、そりゃあ頑張って下さいましたよね。」
 正式な関係者ではないのだから、俺は知らないと蹴ったって良かったのにね。実務のお手伝いのみならず、アルバムやら書状の印刷&発送、記念品発注などをした外部業者の仕事ぶりへの監督やら、在学中の権勢一門のご子息たちの動きへの監視やら、お外への鋭い眸を向け続けて下さっていた一番の働き者。疲れた疲れたと背伸びをしつつ、ゆったりとしたソファーに撓やかな肢体が無防備にも伸ばされているのを、こちらさんは うっとりと横目で見やりつつ、
「一旦 手をつけるとなると、今度は絶対に手を抜かなくなるもんね、妖一は。」
 妙なところで頑固なんだからと苦笑する会長様であり。ひょいっと手を伸ばして髪や頬を撫でてあげれば、いつもなら煩げに払われるものが…今日はそのまま甘えてくれるのへ、ますますのことお顔が緩んでいらっさる。そんな二人だというのが見えていないからか、分かってはいるが意に介さぬまま無視してか。モニターの両サイドに据えられたスピーカーからの高見さんのお声は続いて、
「蛭魔くんも監視していて気が付いたでしょう?」
「ああ。苦々しい顔した古株の手配師連中が、あちこちで姿を見せてやがった。」
 これまでの例年の“卒業式”で、様々な手配を一括して引き受けていた業者というのを、今回は完全に無視して運んだため、向こうさんも“これはどういうことだ”と慌てたのだろう。理不尽な横槍が入らぬようにと監視していた蛭魔の視野にも、その業者の社長さんが未練がましく ちょくちょく姿を見せていたらしいが、学校側からの依頼による正式正当な契約に乗っ取ってのことなだけに、強引乱暴な手出し口出しまでは出来なかったらしい。
“まあ、あまりにも胡散臭い業者とは、そもそもの契約も結びはしなかろうけども。”
 それでもね、去年の卒業式を担当した彼らが“…おんや?”と怪訝に感じたことがありまして。

  “毎年の卒業式には、
   関係業者の不正な談合がね、付いて回ってたらしいんですよ。”

 インチキな入札や任意発注、受けた注文を子会社へ丸投げした親会社への不正なキックバックとか、etc.…。所詮は“大人たちの世界”の話だし、それに今更 特に珍しいものでもないのだろう。でもね、そういうのが自分たちの鼻先でのうのうと行われてるだなんて、何だか気持ちが収まらないじゃないか。世間知らずな坊ちゃんたちが相手だからって高を括られて、足元を見られて好き勝手をやられちゃあ詰まらない。
「そんな胡散臭いもんが、僕らの主催なんて名の下に行われるなんて冗談じゃない。」
 という訳で、これまではそんな例がなかった“2回も卒業式を仕切る生徒会”だったからこそ分かる“違い”が、今年のやり方を通して立証出来たことになった。OBの息がかかったどこやらかが異議申し立てをしてくるかとも思ったが、そういう動きはなかったそうで。
「生徒たちにもそんな動きはなかったぞ。」
 政財界でそれなりの派閥に籍を置くような、そしてそういう権力をいまだに学内へも及ぼさんとしているようなクチの家柄のご子息には、今回でなくとも常に諜報員さんのマークがかかっているのだが、
「いくら義理やら縁やらがある業者から泣きつかれたところで、逆に言えば…そうまでの財閥や権勢企業からすりゃあ、取りこぼしたところでさして支障はない規模の利権だからだろな。」
 そんな些細なものへと固執し、息子をけしかけて揺すぶるなんて馬鹿をやって、結果、桜花産業から睨まれるより割が良いことじゃあないって判断くらい、そういうお偉いさんなら秘書から助言されずとも すぐにもつくことだろう。問題の業者にしたって、そもそも やりたい放題をしていたから悪いのだし、どうせ…今回泣かされちゃった分だって、そういう贔屓筋から別の仕事を回してもらえて、埋め合わせなんて簡単に出来るのだろうしね。
「僕らだって、別に“正義の味方”を気取って頑張った訳じゃないんだけれどもね。」
 単に、自分たちの関わるものへ良いように好き勝手をされるのは気に染まなかったという“気分の問題”だったのだけれども、
「今回の経費に関する書類一式を提出すれば、これまで秘密裏に何が行われていたのかは明白だろうから。今後にだってかなり影響することと思いますよ。」
 高見さんがクススと笑った声に重なって、手元の書類をめくる音。実際の経費がどの程度かかったのか。いくら経験豊かな一流どころは人件費や何やが違うと言ったって、限度があるだろうというほどの。とんでもない“どんぶり勘定”だったことが明らかになる筈で。
「来年のことは僕らには関係ないんだし。」
「そうですか? セナくんたちが関わる、しかも僕たちが送られる式ですよ?」
「そこはそれ、セナくんたちに頑張ってもらおうよ。」
 真面目でお堅い進や、無垢で純粋なセナくんには内緒のこの“反省会”に使っているのは、特別な直通ライン。そこで交わされているこの音声チャットは、彼らにすればただのお喋りに過ぎなくて。じゃあね、また来週と回線を切ってから、
「さ、お仕事は済んだんだ。プライベートを楽しもうよ。」
 何たって今日は僕のお誕生日なんだしねと、傍らのソファーへ擦り寄って、一大事業をともにやり遂げた大好きな人の痩躯を抱き寄せれば、
「それはそうだが…。」
「なぁに?」
 何だか浮かないお顔になってる妖一さん。今回はたいそう頑張ってくれたから、さすがに疲れちゃったのかなと案じつつ、そぉっと腕の中へと取り込めば、

  「ちょっと気になる奴がいてな。」
  「…何だよ、それ。」
  「妙な声を出すな。絡んでたのはチビに、なんだがな。」

 数日ほど前の放課後のこと。見覚えのあるお顔が二つを、選りにも選って意外なところで見かけてしまった。あんまり戻って来ないもんだからと迎えに出た先で、お仲間の朴念仁さんや可愛いマスコットくんと一緒にいた、それはそれはタッパのあった二人連れ。やっぱり中途入学者の蛭魔さんには、1年だけ中等部にいたという水町くんの方にしても、そうそう見覚えはない筈なのだけれど。

  “一体 何をしに来たんだろう…。”

 どうやら彼らを知っており、しかもしかも―とんでもなく意外な場所へと現れた二人連れだと、それが気になってる蛭魔さんなようであり。おやおや、あの人たちってば、公的な次元ででも何やら孕んでいらした模様? 一体どんな嵐が吹き荒れることやら。風雲急を告げるようなお話に…なるのかなぁ、果たして。
こらこら





  〜Fine〜  05.3.07.〜3.10.


  *さあさ、
   一体どういう人たちなんだか、
   コミックス派の筆者にはまだ未知数なばかりのお二人さんですが、
   そんな方々を、こんな色物で扱おうという無謀を考えてしまった
   とんでもない奴でございます。
   しかも、いきなり“年下設定”にしていてすみません。
   純粋に彼らが好きだという思い入れがある方には、
   叱られまくりなんでしょうね。
   相変わらずののほほんペースながらも、
   何とか頑張りますので、どか よろしくです。

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