"苦手なもの=嫌いなもの?"
 

 

  ――― 苦手なもの、嫌いなもの、怖いもの。

      あなたには幾つありますか? それって誰かに話してますか?



 まだまだ明るい夕刻の空。ビルの屋上のラインで角々と縁を区切られているものの、それでも秋めいた透明感を早くも帯びているような。
"朝晩は涼しくなって来たもんな。"
 トレーニングにと走る土手の草むらなどでは、いつの間にやら虫の声もするほどで。異常気象だの何だのと言われていても、季節と季節のバトンタッチは着実に移行中であるらしい。新学期が始まった途端と言ってもいいくらいのすぐに、秋季都大会は始まる…とはいえ。最初の週の一回戦は、このところの活躍のお陰様にてシードがかかっていて免除されてる泥門デビルバッツだったから。それでも練習はきっちりとこなして、それからそれから、ここ…Q駅までちょっとだけ寄り道にと足を延ばした瀬那である。泥門と進さんのお家の中間地点の駅で、王城はその向こう。進さんは、
『これまで通り、泥門まで行くが。』
 そんな風に言ってくれたのだけれど。これまでだって時々はそうしてたんだからって、Q駅で待ち合わせしましょって、強引ながら変更してもらった待ち合わせ。もう部活から引退して、受験体制に入った進さんなのに。会ってくれるだけでも嬉しいことだのに。それ以上の負担をおかけする訳にはいかないもの。これだってお家のある駅を通り過ぎてもらうんだのに、これ以上は譲れませんて言って、それで聞いてもらえた…もう幾つめなのかなっていうセナからの"我儘"だ。…と、本人は数えているらしい。進さんからすれば全然我儘なんかじゃない"ノー・カウント"ものなんだろうにね。
(笑) これまでにも時々ご紹介して来たこの街は、結構にぎやかな繁華街で。お食事処も沢山あるし、ゲームセンターや映画館もあれば、大きな専門店も一杯あるし。これは最近気がついた…っていうか、雪光さんから教えてもらったんだけれど、市立図書館の出張所っていうのも此処にはあって、
『書名や作者、出版社が判ってる本なら、ここで申し込んでおくと取り寄せてくれるっていう、貸出の窓口なんだよ。』
 本だけじゃなく、ビデオやCDやDVDも所蔵ストックを一応探してくれるそうなので、スポーツ関係の古い記録ものなんかを探している時は、お店を回るよりも確実かも。
"あれ? 模様替えしたのかな。"
 幾つかある出口のうち、今日は一階、地上部の中央出口前での待ち合わせ。改札口を出ると、そこは広い舗道になっていて、人の行き来も待ち合わせの人出も結構多い。丁度此処がこのQ街の言わば"基点"になる場所だからであり、殊に駅ビルから真っ直ぐ真っ直ぐ伸びているのが、ガラスだかアクリルだかの透き通った"ガレリア"というアーケイドを天蓋に抱え持つショッピングモールまで届く、幅の広い歩行者優先の大通り。少し前まではグレーのレンガ敷きの素っ気ない道だったのが、秋だからと模様替えをしたのか、足元のレンガもセピアに変わっていて、通路の中央部には街灯と街路樹が交互に据えられている。よくは知らないがポプラだろうか、まだ紅葉は始まっていない青々とした梢には、時折吹く風を受けて、微かに木葉擦れの音を立てながら揺れる青葉の重なりが何とも涼しげで、
"綺麗だなぁ。"
 樹の囲いを兼ねた細丸太の柵が、丁度、凭れて座る格好のベンチ代りにもなるらしく。既に何人か、待ち合わせの人だろうか、ぽつぽつと凭れてもいて。やはり待ち合わせの自分もと、一番手前の、まだ誰も立っていない柵に ぽそんと凭れてみる。
"…ボクだと、腰になっちゃうな。"
 丁度背後のやはり柵に凭れている男性。あのくらい背の高い人ならば、お尻の下が軽く乗っかるのだが、セナだと腰骨の辺りが限界なようで。こういう時に"小さい"ということ、重々思い知ってしまいもするが、

  『小さいと何か困るのか?』

 腰掛けたお膝の上、正確には腿の上へと座らせてくれて、それでやっと目線が同じくらいになる愛しい人は、おでことおでこをくっつけるほどの間近になっての会話にて、そんなことを訊いてくれた。
『だってやっぱり、背は高い方が。』
 それと比例して体だって大きくなる訳だし、そうなればもう少しは、筋力だってついただろうし。小さいと、普通の人には大したことのない棚にも、精一杯背伸びしないと届かないし。
『進さんは十分過ぎるほど背が高いから、分からないんですよ。』
 ちょこっと拗ねたような言い方をしたら、

  『簡単には届かないほど高いところにある物なら、俺が代わりに取ってやる。』

 進さんは大真面目に答えてくれて。
『自分で取らなきゃ意味がないものなら抱えてやってもいいし、そんな助力もいけないのなら、取れるまで傍で待っている。』
『あ、えと…。』
 特に何かを例えたつもりはなかったし、進の側だって恐らくは、そんなつもりで返した答えではなかったのだろうけれど。生来の素養だからしようのないことと、少しだけ僻
ひがんだような言い方をしたのに。そんなことを言われてもと困ったりせず、僻んだことを叱りもせず。ましてや"そうだな、仕方がないな"なんていう、味も素っ気もないような応じ方もせずに。きちんと考えて、セナのことを考えた上で、こんな風な答えをくれた人。
"…えと。/////"
 それから、あのその。やっぱりほややんと見とれちゃった隙を突いて、そぉっと"ちう"してくれたのまで思い出し、知らず頬が かぁ〜っと火照ってしまったセナくんで。
"いけない、いけない。"
 手ウチワで顔をパタパタと扇ぎつつ、思い出したように改札口へと視線を投げる。いつもだと"先に来てはいけないよ"と言われているのだが、今日は学校帰りの待ち合わせだから、セナの方が早く着いてもそれは仕方のないことで。
「あ…。」
 乗換駅だから幾つもあるホームそれぞれへの階段の1つから、見慣れた姿が、大好きなお顔が現れて。ほんの数日前にも逢っているのにね。嬉しいようって、心の中で、小さい小さいセナくんがバタバタとはしゃぎ出す。カナリアが狭いカゴの中で羽ばたくみたいに、仔犬がお散歩をせがんで跳び撥ねてるみたいに。それが嬉しいドキドキに変換されて、セナの頬を真っ赤に染めてしまうのだ。向こうでもこちらに気づいたらしく、自動改札機に切符を通す間さえ、歩調は少しも変わらないまま。真っ直ぐ真っ直ぐ、セナの傍らまで、やって来てくれた人。
「進さん、こんにちは。」
 凭れていた柵から身を離し、足元に置いていたスポーツバッグを手に取って。ぺこりとお辞儀をしかかった、そんなセナの細い肩へと片手を置いて、
"………え?"
 夏服の綿サテンのシャツ。肩と袖との境目辺りを、進さんの大きな手が…いや、指先がゆっくりと撫で上げている。
"え? え? え?"
 何をしている進さんなんだろう。雑踏の中で迷子にならないように手をつなぐとか、急に雨が降って来たからとコートや上着の中へ入れてくれるとか。段差でつまづいて転びかかったセナを、ひょいって支えてくれる時とか。よく判らないけれど唐突に赤くなることの多いセナの、丸ぁるいおでこを撫でてくれるとか。そういう時以外は、こんな衆目の中で、馴れ馴れしく触ったりする人ではないのだけれど。…って、それって結構十分に いちゃついとらんか、人前で。
(笑)
「どうしたんで…。」
 そぉっとそぉっとという扱いだったから、全然痛くはないのだけれど。それでも気になって、くりって自分の肩口を見やったセナは、

   「………☆」

 そこにいた…進さんの指よりは細身の、だが、十分に大きめな毛虫と目が合って、
「…あ、やだっ!」
 咄嗟に逃げ出そうとしてか、すぐ真正面に立っていた進の懐ろへと、タックル並みの勢いで飛び込んでいる。
「イヤだ、怖いですっ。」
 こちらも似たような夏服の、サテンのシャツとTシャツだけという、至って薄着の胸板に…愛しい人の柔らかな頬が、いやいや本人の温み丸ごとくっついて来たものだから、
「…小早川?」
 きゅうっと抱きついて来て、ただただ怖いようとばかり。ぎゅうと瞑った目許も愛らしく、微かに震えている様子が何とも言えず愛しかったが、
「………。」
 だ〜か〜ら。相手に合わせて固まってないで、早く取ってあげなさいってば。
(笑)





 気を取り直して、問題のお邪魔虫くんを肩から取ってやり、元いた場所だろう適当な梢へと留まらせて。
「もう…良いですか?」
 隠れんぼの合図にしては、また随分と怯えの滲んでいた声だったけれど。顔を伏せ、自分へとしがみついたままなセナの、こちらからは眼下に見下ろせるふかふかな髪を撫でてやる。
「ああ。樹に戻したからな。」
 言った途端に、
「………。」
「小早川?」
 ぐいぐいと。ただ しがみついているだけでは足りないのか、もっと押して来る彼であり。体格差やら体力差から、全然功を奏してはいないのだが、
"…ああ、そうか。"
 これには素早く気がついたと同時、ついつい苦笑する進である。樹に戻したと言ったから、その樹から少しでも離れたい彼なのであろう。
「判った、判った。」
 こちらも数歩ほど後ずさりをしてやって、それでやっと納得したか、
「…すみません。」
 顔を上げ、はうとついた吐息が何とも頼りない。まだドキドキするのだろう、うつむき気味なセナだったが、ハッと何かに気がついて、
「あ、そうだ。」
 ズボンのポケットからハンカチを取り出して、さっき進が虫を退けてくれた手を取り、
「ごめんなさいです。」
 ごしごしと拭き始めたから、
「…☆」
 これには進も目を点にした。汚れもの扱いはちょっと酷いかも?
「そんなに苦手なのか?」
 どの指も公平にと、進の大きな手、全部を拭こうとするセナの手を上から押さえて。落ち着きなさいと穏やかなお声を掛けて訊くと、
「はい。何だか、あの。気持ち悪くって。」
 大きな眸を上げて来て、
「それと、小さい時に刺されたんですよね。大事には至りませんでしたけど、物凄く痛かったですし、何日かずっと手が腫れちゃって。」
 ははあ、そっちのトラウマが残ってのことであるのだなと、こちらもやっと納得に至った進である。
「進さんは大丈夫なんですね。」
「まあな。頬擦りしたいほど好きという訳ではないが、庭にたまに出るのでな。」
 そういえば、進家の広い庭には沢山の木々が植わっていた。途中の…彼にしては珍しい冗談はともかく、そうと言った途端に、
「…っ。」
 ひくっと、小さな肩が震えたので、
「ウチのは大丈夫だ。」
 そこは素早くフォローを入れた。毛虫が出るからと、そんな情けない理由に負けて、足を運んでくれなくなっては堪
たまらない。
「爺様とお袋とで小まめに手入れしているし、俺も見つけ次第、裏手の"虫の樹"へ移している。」
「"虫の樹"?」
 ひょこんと小首をかしげた彼へ、
「無闇矢鱈に殺してしまうのは可哀想だからな。蔵の向こうの奥まった塀寄りの何本かだけ、食っていいぞって樹に決めてある。」
 そんな対処だから、毎年毎年、そういった虫が減らないのではあるけれど、と。やはり苦手ならしい姉の たまきが、毎年のように煩いのだと苦笑すると。
「あ、えと…。」
 セナは…ちょっとだけ何やら考え込んでから、

  「…あのあの。
   もしも、さっきみたいに虫が出たら。進さんが取ってくれますか?」

 いきなり改まって思い詰めた割に、何を言い出すのかと。普通の人なら呆気に取られもしただろうが、

  「ああ。必ずな。」

 こちらさんもまた、それはそれは真剣に応じてやる進さんであり。
「だったら、うん。此処の待ち合わせも進さんのお家も、もう怖くないです。」
 やっとのことで"にっこり"と笑って見せてくれたセナくんである。とはいえ…この言いようだということは、

  "毛虫に負けるところだったな。"

 そうですね。高校最強、選りにも選って毛虫に負けるだなんてそれもどうかと。
(笑) 微妙なことへの感慨に、珍しくも"う〜ん"と内心で唸っているラインバッカーさんへ、
「早く行きましょ。」
 試写会、始まってしまいますよ、と。小さなランニングバッカーさんが腕を引く。街路樹から離れたがってのこととも受け取れて、相変わらずに幼(いとけ)ない彼の様子へ、ついの苦笑がほのかに頬へと浮かんだ進さんなのであった。





  aniaqua.gif おまけ aniaqua.gif


 「進さんの苦手は甘いものですよね?」
 「まあな。」
 「それだけなんですか? 凄いなぁ。」
 「いや…。」
 「???」
 「他にもある。」
 「え?」
 「クラシックを聴くとすぐに寝てしまう。」
 「あやや…。」
 「それと。」
 「はい。」
 「細かい作業が苦手だ。裁縫は合格点を取ったことがない。」
 「ま、まあ、それは…。」
 「それから。」
 「…はい。」
 「小早川に泣かれると、何も言えなくなる。」
 「あ…あやや…。/////




  ――― お後がよろしいようで。
(ちょんっ)



  〜Fine〜  03.9.5.〜9.13.


  *大した話でもないのですが、途中でぎょっとするよな事がありまして、
   それで筆がついつい止まっておりましたの。
   ええ、そう。例の"ゲンさん"ですがな。
(笑)

  *それはともかく。(今は何とか落ち着きましたので。)
   筆者も"毛虫、長虫
ヘビ"とムカデは嫌いですね。
   クモは何だか見慣れましたし、(多いんですよ、今の家。)
   ゴキブリも逃げるよりは立ち向かってく方ですが、
   何でだか、体の長いのは特に苦手みたいです。


back.gif