俗に言う“暦の上で”のみならず、
実際も春の気配がそろそろお目見えする頃合いになって来て。
殿上にて執り行われる厳粛な国事儀式や、
宮廷で催される瀟洒な宴などなどに加えて、
下々が出て働く野辺や田畑にも、
春を前にした様々な行事や例祭、
それらがなぞらえる、耕作の下準備が始まっており。
「まあ、畿内ではまだ、ずんと南の地方までらしいけれど。」
「あらあら宮様、
東大寺の“お松明”はもう始まっておりますよ?」
お水取りと呼ばれる東大寺の習わしは、
正確には仏教寺院で行われる“法会(ほうえ)”の1つ、
“修二会(しゅにえ)”というものだそうで。
奈良時代にあった“十一面悔過法”というのが正式名称、
悔過とは、本尊への罪の懴悔という意味だそうな。
インドでは、旧暦二月に入滅なさった釈迦如来への供養が行われるが、
日本のこれがそれに相当するかどうかは記録がはっきりしないので不明。
文献によれば、平安時代から始まったそうで、
厳重なしきたりに則り 禊斎した行者らによる、罪障懴悔の法会が行われ、
その功徳によって、
仏法が広まりますように、国家が安泰でありますように、
万民が豊かで幸せでありますように、
五穀豊饒でありますようになどなどと祈る法要であり。
大きな松明に明々と灯した大きな炎を、
夜陰の中、二月堂の舞台で振り回す“お松明”が特に有名。
行を始める練行衆らを先導する道明かりとして焚かれるもので、
現代は新暦の12日のみ、一際大きな籠松明が焚かれるため、
その勇壮さがニュースなどで取り上げられ、
古都の春を呼ぶと冠されたりするのであるが、
「そうなんだ、そんな頃合いなんだねぇ。」
そういえば、蔀(しとみ)や木戸、御簾を上げても
そうそう“おお寒い”と震え上がるまでではなくなったし、
妙な言いようだが、山野辺へ出れば初音の声も聞こえると訊く。
先だっては“上巳の節句”にて曲水宴も行うたが…と、
そこまで数え上げた宮様、
「………(ぷ♪)」
ふと何を思い出したものか、
桧扇の陰で優美な拵えの口許たわませ、小さく吹き出しておいで。
“出て来れば来たで、騒がせる人なんだから、もう。”
多少は縁起も関わるとはいえ、
彼への職務義務とされよう国事式典には 微妙にあたらぬ行事であるがため。
時期的に忙しい身ですのでとか、
私ごときがそんな栄えある場に身を置くなんて勿体ないとか、
回りくどい言い訳なんぞ一切せず。
すぱりと“面倒だから”と言ってのけ、
華やいだ宴の類には出て来ないのが
もはや慣例になりかけていた、うら若き神祗官補佐殿だったが。
このところ妙に上司様との交流を温めておいでならしく、
その曲水宴へも出て来た彼であり。
あくまでも上司の代理という格好での参加だったが、
出て来たからには歌を詠まねばならぬわけで。
おおこれは、神祗官様直々に こやつの鼻っ柱を折ろうというものか
せいぜい野暮な歌でも詠んで 赤っ恥をかくといい、と
日頃から何かにつけ、
学才でも法力ででもやり込められるばかりだった面々、
意地の悪い権門らが注目していたそんな中。
福々しさこそ豊かな佳人とされるご時勢、
よって、浅ましいと悪態をつかれもする
ほっそりとした風貌肢体を包むは、
春めきを映えさせた色襲(かさね)も小粋な、
狩衣や指貫の着こなしもそれは嫋やかに。
一見、楚々と構えて座についた彼だったが、
『………。』
さらさらと、水茎の跡もうるわしく、
手持ちの短冊へ連ねられたる歌はと言えば、
匂いの強さが鼻持ちならぬとされつつも、
そんな雑花の沈丁花のほうが、
せっかちな春好みには、いっそお似合いかも知れぬ。
こそりいつの間にか咲いていたりする桜には気づかぬくらいだし…。
そんな意味合いの、他愛ない春の心持ちを詠んだ無難な代物で。
『そうか、早く春にならぬかとそわそわする、
誰にでもある せっかちな心情を詠んだのですね。』
清涼殿の間際へ居合わせた東宮、桜ノ宮様が、
そんな風に誰より先んじて解釈を述べ、
この春先には何とも相応(そぐ)うた歌ですねと褒めたものだから、
他の顔触れもまさかに真っ向から腐しも出来ず、
しぶしぶと、これは即妙と頷いて見せるしかなかったのだが、
“蛭魔の言動が派手なのを忌々しいと煙たがるくせに、
そんな存在を意識せずにはおれぬ俗物がと。
どっちが野暮で、どれほど泰然としていないかを
きっちり揶揄してもいたのにねぇ。”
詠み間違いや作法の過ち、
そんなボロをこそ見透かしてやるぞとばかり息巻いていて、
そんな誹謗、当てこすりが含まれていた歌を、
ただ平凡なとしか受け止められなんだとは。
“やはり大した器量の権門は居合わせない当世であるらしい。”
そういや以前にも、
何を見ても“この世のものとは思えぬ…”との通り一遍な言いようしか
褒め言葉を知らぬ上達部へ、
『…おお、それはもしやして“黄泉の住人”と?』
そのような妖異を見顕す才をお持ちとはと、
大仰に驚いて見せたこともあった蛭魔であり。
年寄り連中から恨まれるのもしょうがないかも、
でもでも そんなやくたいもないことでというのは
何とも大人げないよなぁと。
居室の縁に座し、穏やかな陽気の降りそそぐ庭を、
やや退屈そうに眺めておわした桜ノ宮様でいらしたが。
やわらか嫋やかな線の細さに縁取られた、
それは端正で甘い横顔へ
ついつい“ほうvv”と見ほれた女官がハッと我に返り、
「宮様、献上の品が。」
「?」
旧暦でなら、涅槃会とか初午とかあったかもしれないが、
先に“上巳の節句”があったよな暦の今日この日には、
これという式典もない身。
なのに何が供されたのかと、
心当たりがないながら、数人の女官らが次々捧げ持って来た
高脚のついた塗りの膳を眺めておれば、
「おお♪」
大和芋を蒸したそれ、じょうよ饅頭が大小幾つか載っており。
仙人が食した桃を模してだろう、
底へとぼかして仄かな緋色に染められてあったり、
はたまた、柑子の実を模してか、
橙色に染められてあったりと。
愛らしい中に見事な工夫を凝らした菓子たちで。
最後に進み出た女官は、奉書に包まれた手紙を差し出しており。
「文でございます。」
「うんvv」
何とはなく予想もついてたらしい宮様、
仄かに丸みのある、丁寧な筆致の、
だがだが難しい言い回しにはやや不慣れならしい、
いかにも幼いお便りへ にこにこと眸を通しておいで。
書いたのは瀬那であるらしかったが、
このような子供の遊びもの、仰々しく届けてからかってやるべえなどと、
悪気満載なように装って、その実、
宮様の生まれた日を祝ってくれた小癪な術師の青年へこそ、
“ありがとねvv”
対等に扱いの、本音のままに遊んでくれてと、
感謝の絶えない宮様であられたようでございます。
桜庭春人くん、お誕生日おめでとうvv
〜Fine〜 14.03.13.
*一日 出遅れちゃってごめんなさい。
ウチのややこしいカルテットを辛抱強くお世話してくれて、
いつも感謝しておりますよvv
めーるふぉーむvv 
or *

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