◇
坊やのお母さんはよほどのことお料理が上手と見えて。だし巻き玉子やカボチャの煮物などは、保冷パックと一緒に入っていたがための冷め方をしていても美味しい、甘辛い味がしっかり染みていたし、綺麗な三角のおむすびの塩加減も抜群で。軽く塩で板ずりしたキュウリのスティックをマスタードマヨネーズとハムで巻いたカナッペ風のものや、うずらの玉子のスコッチエッグ、鷄の空揚げにさわらの塩焼き、キンピラゴボウにキャベツのコールスローにデザートのハウスみかんまでと。量も種類も至れり尽くせりのラインナップ。ペットボトルのままで凍らせてあったらしい、冷たい緑茶を片手に、しばらくは黙々とそれぞれの食事に専念していた二人だったが、
「………で? 何か用があって来たんだろ?」
がっつりと大きくて頑丈そうな手を口許へ寄せ、太い指先へくっついた米粒を丁寧に浚いつつ、世間話のついでのように訊いたお兄さんへ、
「………。」
これで妙なところが不器用なのか、小さな手でバッテン握りにしていた割り箸を、ついと、お膝に載せてた紙皿のところへと下げた坊や。見やるとお顔もちょっとばかり神妙な表情になっており、だが。
「大したことじゃあないんだ、うん。」
すぐにも顔を上げて、目許を細めると“にこぉvv”と笑う。
「今度の土曜から、俺、高校生の兄ちゃんたちの“合宿”についてくんだけどサ。その間…母ちゃんに何かあったら よろしくってお願いに来ただけで。その、今んトコはムサシが一番近くにいる大人だし。」
話しながらの視線は、だが、自分のお膝から動かないまま。上の空だというよりも、ここまで来て、まだ何かへ躊躇している気配がありありとする。言おうかな、それとも止(よ)そうかな。そんな“本題”が他にもありそな模様であり、お弁当まで持参しておいて何を戸惑っているのやら。お母さんにはどう言い含めてこれを作らせたのか。………ああ、そうか。その時点でもまだちょっと、踏ん切りがつかなかった彼なのかもしれないな。
「母ちゃんは構わないって言ったんだろ?」
「え?」
不意を突かれたように顔を上げ直した坊やのお口へ、ぽいっと、手づから摘まんで放り込まれたのは若緑のうぐいす豆で。むぐもごと薄緋色の唇を動かす彼へ、にんまり笑い、
「合宿とやらへお前がついてく話だよ。」
自分からそうと話をしておいて、何のことだというような反応はなかろうにと。くつくつ笑う大工さんに、
「………うん。」
ヨウイチ坊や、頷いて…またちょこっと黙んまり。お母さんも決して、あっさりと簡単に“了解承知”した訳ではない。年の差がかなり離れているというのに随分と仲よくしていただいている葉柱さんのところの坊っちゃんは、お母さんもようよう知っている身元のしっかりした人で。大きなオートバイに乗っていたり、ちょっと風変わりな制服を着ていたりもするけれど、気立ての優しい、子供あしらいも…得意では無さそうながらもしっかりと目を配って下さる、それはよく出来た人だという人柄の方も重々知っているのだが。そちらではなくこちらから…学校のクラブ活動の一環だろう“合宿”に、こんな小さな子供を連れて行って、練習のお邪魔にならないのだろうかと。それをしきりと憂慮していたらしくて。
『大丈夫っすよ。』
行き先は俺んチみたいなトコだから、気心の知れた管理人さんもいますし、ヨウイチ…くんはそんなに手がかからないしっかりした子だから、お家を恋しがって泣かれでもしない限りは大丈夫、なんて。そんな風に言って母を諭してくれた葉柱だったのだが、
『なんだよ、あれ。』
人んコト、乳離れしてないガキみたいに言いやがってよ。そうじゃないならって言い方だったろうがよ。…あ、さては、いまだにお泊まり先で泣くのか? お前。
「………。」
ああ、何か。その時の会話まで思い出しちった。
「ヨウイチ?」
「う…ん。」
名前を呼ばれてお顔を上げた小さな坊や。向かい合ってる頼もしい大工のお兄さんへ、意を決すると…こんなお話をし始めた。
「あのな、あのな? 俺、大好きな友達がいんだけどさ。」
そんな言いようへ“おや”と。武蔵さんの眉がかすかに動く。友達が全く居ない訳ではないが、あんまり同い年の子とは遊ばないおマセさん。この年齢で既に、誰ぞと一緒でなければ行動出来ないというレベルをあっさりと突き抜けて、孤高を好み、泰然としている不思議な子供。それが“大好きな友達”と来たもんだから、意外なことを言うと感じたのだが、
“…それって、その高校生のことなんだろな。”
話のつながりから考えれば、そう来るのが自然だし。だとすれば、物凄い取り合わせの相手を“お友達”と呼ぶ規格外なところなぞ、さして意外でもないかなと苦笑い。そんなこちらの様子には気がつかなかったらしくって。木洩れ陽のモザイクがちらちらと降り落ちる、白い白いお帽子を再び少しほど傾けて、
「そいつにさ、カノジョが出来たらサ。
やっぱ…俺ってば、そいつから見れば“二番目”にされちゃうのかな。」
坊やはしょぼんと呟いた。いつもの憎まれ口だったのにね。彼女もいない奴に偉そうに言われたかねぇななんて、ついつい偉そうに言ったらサ。ルイってばサ、いつもはムッとしつつも受け流すくせに、あの時ばかりは…ちょいと目許を眇めて見せてから、
『そうかいそうかい。そんなに言うなら、
カノジョでも女(レコ)でも作って来てやろうじゃねぇか。』
冷然とそんな風に言い返された。そんなの言ってすぐ出来るもんじゃないって、相変わらずの即妙さですかさずズバァッと言い返したけど。あのね、何だか…グサって来た坊やだったの。あんまり煽るもんじゃなかったってひどく後悔した。だって、
「やっぱさ、カノジョの方を優先するよな?」
だってもう高校生なんだしサ。ケータイで呼び出せば当たり前みたいにバイクで迎えに来てくれるルイだけど、それって今はフリーな彼だからで。こんな我儘なガキといるよか、一緒にいるだけで“ほわんvv”てなるっていう、愛しいカノジョといる方が楽しいに決まってるから。ルイがその気になって、カノジョとか作っちゃたらどうしよう。そしたらもう遊んでくれなくなるのかな。ルイってモテるもんな。一緒に“つーりんぐ”に行ったレディスのお姉ちゃんたち、ルイにばっかり“ぽややんvv”てなってたし。(って、おいおい)
「………。」
何とも微妙で切ないことへ、慣れのないこと、どうしたものかと。その小さなお胸を人知れず悩ませていたらしい坊やであり。その一方では、
「ふ〜ん…。」
こりゃまた微妙なことを相談されたよなと。武蔵のお兄さんが、目許を細め、奥歯を浮かせての苦笑い。一丁前に色恋沙汰がらみの相談とはね。何につけ怜悧な聡い子でも、だからこそそっちは遅かろうと思っていたのにね。口にするのへさえ ためらわれたらしき、お初の可愛らしき戸惑いであり、お母さんに持ちかけるのが憚られたのは…それだけ真剣度が高いせいかも?
“…おいおい。”
筆者の茶々にクギを刺しつつ、だが。思えばこの子が誰かに執着したなんて…もしかしたら初めての仕儀ではなかろうか。意地っ張りで自我が強くて。見た目の繊細そうな愛らしさを十分に相殺して余りあるほど、大人顔負けの逞しい気概の持ち主で。特に意固地な訳ではないながら、それでも誰にも頼らないところのある、いかにも強気でマイペースな坊やだからね。他人の思惑次第なんていう、自力では何ともしがたいものの究極の代物へと心迷わすことがあるなんて、こっちとしても思ってもみなかった。
“思いやりがない訳じゃあないんだがな。”
それこそ…そういう時は子供としての思慮の浅さや無慈悲なまでの傲慢さから、我を通す法しか知らなくて普通なのにね。必ず来ると信じて疑わない“明日”のことしか見えてはいなくて。そこへと目がけての一気呵成な全力疾走をしているだけの、がむしゃらさばかりが先に立つのが“子供”だのにね。どうしたら良いんだろうなんて、らしくもなく迷ってる。それこそ常の強引さを出しても良いことなのにね。
“もしかして…そうすることで嫌われるのが怖い相手、か。”
この坊やが強腰に構えられない相手だとはねと、そこもまた意外で…擽ったい。豪快で強気だった父親に瓜二つだっていうのにな。我儘も無茶苦茶も言い放題で、それに見合うだけの行動力や機転も持ち合わせてた、我の強い気性や周到さまで同じなのにな。けれど、
“…そういや、あいつも。”
色恋沙汰へは慎重だったかな、少なくとも…相手の気持ちを試したり弄ぶような策謀を巡らすなんてな、豪胆で傲岸なことはしなかった奴だったよなと。懐かしそうに擽ったそうに、益々のこと目許を細めてしまう武蔵のお兄さんであり。
「まあ、そんな深刻に考えるのは早いんじゃねぇのかな。」
お医者様からの診断を待つかのように、どこか神妙なお顔の坊やへと。自分としてもそういう方面の話はさほど得手ではないけれどと、ほりほりと後ろ頭を掻いて見せ、
「まだそいつはカノジョってのを作ってねぇんだろ?」
「うん。」
「だったら今から心配したって始まらねぇ。」
くすすと笑い、
「それとも、そっから“妨害”でもしてぇのか?」
前以て心配しているってことは、早いうちに手を打ちたいからだろう? お前がそうまで心配症だとは知らなかったが、まあ“周到なんだ”って解釈するとして、と。そう訊くと、ゆるゆるとかぶりを振って見せた“いい子”だというのを確認してから、
「こういうことはそん時になってみねぇとな。」
「…そうなのか?」
ああ。気持ちなんてもんは意外と曖昧だからな、相手と向かい合う前にどんなに頑張って堅く覚悟を決めてたって、あっさり どうとでも揺らいでしまうもんだ。
“それがその手の執着だってんなら、尚更にな。”
大人だって真剣に向き合うにはかなり辛くて覚悟が要ること。だから、坊やが先んじて怖がった気持ちも判らなくはないけれど、
“純粋な分だけ避け方・躱し方を知らないからでもあろうよな。”
そこまで考えてから、お子様相手に随分と真剣になっている自分に失笑し、
「…まあ、そん時はせいぜいゴネてやるんだな。」
「ゴネるの?」
「ああ。女ひとりのために男と男の友情を蔑(ないがし)ろにすんのかってな。」
にんまり笑ってやってから、ペットボトルに口をつけて ぐいっとあおる。引き絞られた筋肉の上へ鞣(なめ)した革みたいな堅そうな肌が張りついた、男らしくも精悍な喉元があらわになり、ごくごくと豪快に飲み下す動きに雄々しく上下して。
“ふやぁあ………。////////”
カッコいいなぁと、ついつい見とれる坊やである。大人の、頼もしくも充実させた体躯をした男の人の、何とも無造作ながら躍動感あふれる所作やら仕草やらには、綺麗だなと思うし、素直に憧れる。
“父ちゃんも少しは男らしかったけど…。”
様々な“大挑戦”をクリアし続けていた人なだけに、気概は勿論のこと体も強靭で強かな人ではあったが、この大工さんのように骨太ではなく。どちらかと言えば尖った印象が強い、怜悧に冴えた“頭脳派”な人だったから。自分としては…この彼のように、見るからに頼もしい大人に憧れる。
“…ルイも がっちりしてるもんな♪”
お腹の筋肉なんか、きっちりと幾つもに割れてるし。あんなに大きなバイクを、さして苦もなさげに引き回せるし。初めて逢った日なんてさ、駄々をこねた自分のことを、片手でひょいなんて抱え上げちゃったしさvv
“う〜ん。”
自分にはこうまで雄々しくなるのは無理なのかもしれないなと、そこは賢い子だからね、口惜しいながら何となく判ってるみたいだけれど。それとは別に、まだ気がついていないらしいことがもう一つ。そういうことへも いちいち誰かさんを引き合いに出し、彼が優れているのなら自分の誉れみたいに嬉しくなるっていう、その反応。どういうことかに気づきもしないまま、ご機嫌そうに小さなあんよをぶらぶら揺すって、大っきなエビフライをぱくりと頬張ったヨウイチくんでありました。
◇
ご飯が済んだからじゃあ帰るねと笑いつつ、携帯で呼び立ててから…ものの数分もかからずに。さすがにこの暑さでは、あの裾の長い白ランを着るのもキツいのか。今日はTシャツの上へ開襟シャツをオーバータイプのように羽織って重ねた、さっぱりしたいで立ちの葉柱ルイさんが、通りの向こうから現れて。歩いてのご登場には、駆け寄った坊やの細い眉がぴくりと寄せられた。
「あれ? バイクは?」
「向こうの大通り沿いの駐車場に停めて来た。」
ここいらは一方通行だからな、一旦入ると公道に出るのにだいぶ遠回りになっちまう。そうと付け足すお兄さんへ、
“な〜んだ。”
事故じゃなかったんなら良いやと、肩を落としつつ小さな吐息。それから“はいこれ”と荷物になるバスケットを当然顔で手渡して。じゃあ帰ろうかと相変わらずのマイペースを発揮する。そんな彼らのやり取りを、坊やが進み出て来た木陰から、微笑ましげに見ていた人物がいるのに気がついた葉柱は、だが、
“…誰だろ?”
覚えのない人だったことへ、怪訝そうに眉を顰める。いで立ちからして、ここで家を建てている大工さんであるらしく。相変わらず、随分と年上な知己がいる子だと、感心するやら呆れるやら。先日逢った金剛さんチの双子も坊やの年頃には結構な年長さんだったけれど、今日の大工さんはそのまた上を行く年配者ではなかろうか。中身は平らげたらしい大きなバスケットを持たされて、
「ありゃあ誰だ? また父ちゃんの知り合いか?」
いちいち詮索するのもどうかと思いつつ、とはいえ…怖いもの知らずな子供だからねぇ。下手な奴に いつぞやのようにひょいひょい付いてかれても困ると、そこは保護者のような心配から訊いた葉柱だったのだが。
「ああ。ムサシ…武蔵(たけくら)巌(ゲン)っていうんだ。」
少し先を歩いていた金髪の“小悪魔”王子様が振り返り、小さな両手は後ろ手に、そのまま真っ直ぐこちらを見上げての“後ろ向き歩き”になったから。腰近くまでの小柄な背丈のままにそんな可愛らしいことをすると、まるで…ご主人の足元で幅広なストライドに絡まるようにじゃれ付く仔猫みたいでもあって。
「あの若さで、ちょっとした現場だったら棟梁からすっかり負かされてるベテランなんだぜ?」
「あの若さで…。」
な? 凄げぇだろ? 葉柱が感嘆したと思ったそのまま、我がこと誉れのようににっぱり笑う坊やだったが…ルイさんの側の感慨はちょこっと違って。
「もしかして。こないだの二人と さして変わらないとか?」
この坊やの父親だとするには結構若い方だったかも…な、歯医者とその双子の兄。それと同い年だってことかな?と、確かめるように恐る恐る訊いてみたらば、
「おうっ。よく判ったな。」
ムサシってば“老け顔”だからな。父ちゃんの同級生仲間ん中では一番年上に見えるらしいけど、と。楽しそうに“ケケケ…”と笑った坊やとは違い、
“凄げぇ貫禄だったよな…。”
葉柱が意外に感じたのは外見云々へでなく、数間ほども離れていたのに…しかもこちらからは見通しの悪い“木下闇”の中にいたのに、その気配が届いたことへ。自慢しちゃあいけないが直接殴り合うような喧嘩をこなすことも多い立場だから、人の覇気というのには結構鋭敏な葉柱が。瞬間、ただならぬ存在感を得て、その有り処を探したほどなのだから…推して知るべし。さすがは自分の体や反射、それらを支える自信という実質的なもので日々の糧を得ている人の迫力という奴だろうかと、厳粛にも感嘆してから、
「大工にも友達がいるとは、顔の広い父ちゃんなんだな。」
学校が同じだった幼なじみって奴か? 何げなく訊いた葉柱へ、坊やは後ろを…葉柱の方を向いたまま。うんうんと気安く頷いて見せて、
「ムサシは 父ちゃんの昔の恋人だ。」(爆)
「………はぁあ?」
ちょっと待たんかと精悍な面差しの眉を眇める葉柱へ、だって母ちゃんが言ってたんだもん、間違いないと、こちらも平然としたまま付け足した坊やだが。それって………?
“意味分かってて言ってんのかよ?”
妙に嬉しそうな坊やなのへ、何だか確かめるのが怖くなった、こちらは妙に小心な賊学総長様だったりするのでした。(笑)
〜Fine〜 04.8.7.〜8.9.
*実は最後のやり取りが書きたかっただけだったりしてvv(笑)
お父さんのお友達はまだまだいるのですが、
まずは無難なところから、ムサシさんにご登場願いました。
実は坊やの両親は学生結婚だったため、
その同窓生たちも案外と若い。
前話の阿含さんと雲水さんにしても、まだまだお若いんですね。
開業医になるにあたって…大学出るのに8年くらいかかるとして、
なったばかりくらいのキャリアですんで、
26、7歳というところかと。
(こやって語り出すのって、いかにハマってるかが知れてお恥ずかしいですが。
*挿絵ご協力は 九条やこ様(『九家』さん)でしたvv
ありがとうございますvv
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