大和だか日本だかいう“国家”の中枢部、京の都の大内裏にて、一応は神祇官(補佐)なんてなご大層な役付きの上達部(かんだちめ)であるのにも関わらず。定期祭礼さえ滞りなくこなしゃあ良いんだよとか何とか、いい加減なことを言っちゃあ、都の外れの荒れ屋敷で、日がな ごろっちゃしている怠け者。時折“博士”格とかいういやに背丈のある切れ者そうな男が巻物や書を一抱えも携えてやって来れば、あめ玉や玩具を貰った子供のように判りやすく喜んで見せるのを例外に、あまり訪ねる人影もないまま、寂れた屋敷に相応しくのんべんだらりと日が過ぎるのを、庭に向いた広間から他人事みたいに眺めてる。まだずんと若い筈だが…そういえば正確な年は聞いてない。あんまり身の上にまつわることは知らないな。訊いたところで“そんなもん訊いてどうすんだ”とか言われそうだし、確かに訊いて何かがどうなるって訳でもないしな。
――― はぁあ、退屈だなぁ。
何も俺が来てそうそうに、しみじみ言わんでも良かろうが。
――― 誰もおらんのに ぶつぶつ言うほど、こちとらボケてねぇんだよ。
ああ言えばこう言うのな。
――― はっはーvv それを“問答”というのだ、覚えな。
言われんでも知っとるわっ!
威勢の良い応酬の気配は庫裏まで届いて、
「…あ、葉柱様がいらしたようですねvv」
「ほんに。ようやっと、話し声が致しましたな。」
そろそろ陽が落ちようかという黄昏時になってから、この屋敷は目を覚ます。生き生きとした活気の灯がともり、勘気の強い主人を少しほど遠巻きにし、ただ黙々と仕事をこなしていた家人たちまでもが和やかに微笑い合う。
「ちびっ! 酒(ささ)はまだか?」
「ただ今 お持ちいたしますvv」
年寄りの白髪や銀の髪とは次元がまるきり異なる、金色という神々しい色合いの髪に、月か天界の住人のように透けるような白い肌。ほっそりとした肢体は深窓の姫御のように、どこかしら品があって臈たけており。この世のものとは到底思えぬ、それは華やかな風貌は、天下無双の自負に満ち、どこかしら近寄り難い存在でありながら、なのに…人の注意を惹いてやまない、挑発の香をたたえてもいる。才気煥発にして、隠しようのない若さの勢いを孕んだ気勢は清冽。なのに…夜陰の淵に佇めば、妙に妖しき気配をまとって闇夜の漆黒をさえ易々と従えてしまう。柔らかな細い線でそぉっと撫で描いたような造作の面差しは、あくまでも玲瓏ながら、同時に目許に力みを口許に奔放を苛烈に含んで、対峙した者を良いように躍らせる。身元家柄も不確かならば、褒賞も記録には残っておらぬのに、突然現在の役職官位を帝から直々に授かって。恵まれていると言えばこれ以上恵まれている者もおらず。そんな“特別扱い”を周囲からは嫉(そね)まれてばかりで、味方が余りにいない身の上。次代の帝・東宮との親しさをまでやっかまれ、刺客さえ放たれる危険な日々を送らねばならなくなったことを思えば、不運と言えばこれ以上の不運な者もいないのかも知れないが、
「須磨からの澄酒をお持ちしましたvv」
「おお、持って来たかっ!」
「…俺、それ遠慮する。」
「何だ何だ、情けない。」
「お前の方こそ、そんな強いの、よく飲めるよな。」
「葉柱様、こないだ引っ繰り返られましたものね♪」
「…お前も楽しそうに言ってんじゃねぇよ。」
「トカゲの総帥は甘い酒しか飲めんそうだ。」
「うるせぇよ。体質の問題なんだっての。」
これから後の時間はというと、灯火の油も安くはないし、明日も朝が早いからと、普通一般の民は安らかに眠りにつく頃合いなのだけれど。他の貴族の若者のように女のところへ繰り出すでなし、さりとて月を望んで風流にも一首ひねるでなし。際限のない やりとりで他愛ないことを語り合い。夜陰が露を滲ませるような、ほのかな涼しさに身を寄せ合っては、
「でけぇ手だよな。」
「お前の手が小さ過ぎんだよ。」
「何言ってる、標準だ。」
「そうか? あのちびさんと、大して変わらんのじゃないのか?」
「なら、較べようじゃねぇか、せ…。」
「よせよせ。もう寝てるだろうに起こすなよ。」
「…今 来られては不味いかの?」
「俺は構わんが…あとあとシンに恨まれるのまで引き受けるのはかなわん。」
「ん…。」
ゆるゆると互いの衣の帯紐ほどき合い、なめらかな肌の感触へ舌が這い、筋骨の確かな充実に爪を立て。苦笑がこぼれる懐ろの中、やさしい温みにほろほろ酔って。割りない仲を確かめ合って。時間を止めて、世界中に二人だけという至福へと身を浸す。
◇
街よ都よと言ってもそんなに広いものではなく。駿馬で駆ければすぐにでも、田園やら山野やらが広がる鄙びた風景。今時はどこでも新しい緑が滴るような瑞々しさで煌めいており。夜陰が住処(すみか)の黒の従者も、この風景には眠気を振り切る。大津へ向いた山科方向、特に向かうあてもないまま、風に誘われ出て来た遠乗り。狩衣姿のいずれ名のある貴公子に見えたか、通りすがりの娘御が白皙の美青年へ見ほれて頬を染めるが。それを微笑ましげに眺むれば、何が不評か口許を尖らせ、先を急ぐぞと従者を置いて駆け出す“若君”。
「お前、ホンットに“天気もん”だよな。」
「うっせぇよ。」
何処の何方とも知らぬのに、ああまで純な魂の娘御が彼を惚れ惚れうっとりと見やったのが。何だか我がことの誉れのように誇らしかったし、嬉しいと思った。なのに、当のご本人は、乱暴者さを発揮してくれてよ。あの娘ががっかりしていたら、せっかくの誉れも玉なしではないか。…などと思ったあたり。この従者殿、野趣に富んだ風貌と屈強精悍な体躯という、いかにも申し分なく男臭い容姿をしておきながら、案外と…繊細な感傷などを理解し、大切にしたがるところもあるらしい。そんな彼の心持ちも知らないで、適当な木陰を見つけて馬から降りると、木洩れ陽の下、柔らかな芝草にごろりと寝そべる。
「せめて駒を繋いでおかんか。」
「平気だ。こいつは何処へ行っても呼べば戻って来るからの。」
くくくと笑い、手枕に頭を乗っけたが、首をあちこち傾けてから、
「ん。」
ぱんぱんと手のひらで芝を叩いて見せる。
「?」
何だと、こちらは二頭の馬を繋ぎ終えた従者が問えば、何も言わずに同じ動作。ああ、呼んでいるのかと、傍らへ膝をついて屈めば、伸びて来た手がこちらの腕を掴んでぐいと引く。日頃なら滅多な油断もしないから、そんな程度では揺るぎもしないが、間合いが余程に悪かったのか、体の均衡を崩して前のめりに倒れかかった。わあと反射的に空いてた手を地へとついたが、どこかで齧って来たらしき体術の応用か、術師がひょいと腕を回すと、こっちが断然大柄だというのに案外あっさり体を返され、
「でっかい枕、も〜らいっ!」
「こらこらこら。」
同じ技の反動でか、そちらは身を起こしていた金髪の術師がこっちの懐ろへばふっと飛び込んで来る。
「人を布団の代わりにしてんじゃねぇよ。」
「いーじゃん。お前、地面との相性は格別に良いんだろうが。」
まあな、だって俺、人間より自然に近しい“精霊”だし。何カッコつけてんだ、せーかくには“邪妖”だろうがよ。途中が子供のような呂律になったのは、昨夜も結構夜更かしになったせいだろう。木陰を夏ほど涼しいと、感じるにはまだ少し早い気候。大地にじかに転がると覿面(てきめん)に体を冷やすから、まあいっかと主人の傍若無人を受け流す。それよか寝れ寝れと、大きな手でゆっくり髪を梳いてやれば、地肌に触れる温みが気持ち良いのか、くふふと笑った吐息が胸元には擽ったい。
……………………………………………。
何処かでしきりと囀(さえず)る揚げ雲雀。ぴちゅく・ちゅくちゅくと果てがない繰り返しを、ぼんやりと意識の端でなぞっていれば、
「………なあ。」
寝たと思った坊や…もとえ、術師の呟くような声が、顔を伏せてる胸板にじかに届く。
――― なんだ?
お前サ…。
声に言葉を載せたなら、もうそこからは迷いはしない豪胆な奴が、ちょっと逡巡してからという珍しいほどの躊躇を見せてから訊いたのが、
……… 俺の前に盟主とか、いたのか?
まーだ、こだわっているのかと。直感的な反射で思ったのは、つい先日にもそれで丁々発止をやらかしたから。人間と精霊では寿命が遥かに違う。要らんことへは余計なほど賢いくせして、そんなことへと今更気づいて。怒ったんだか拗ねたんだか、一方的にギャーギャーと駄々を捏ねやがってよ。ったく甘え方の下手な奴だと思ったが、自分の懐ろへと視線を降ろせば…淡い玻璃玉みたいな双眸が見やっていたのは、なだらかな斜面の下、この木陰の少し先にひっそりと盛られてた塚に佇む何かの気配。寂しげに項垂れた少女の影だが、向こうが透けてて陰もない。
――― あれって精霊だろ?
ああと頷き、葉柱もそちらを見やる。今は丁度、日陰と日向の狭間になっている武骨な塚に寄り添って、じりとも動かず佇む少女は、人の姿をしているから何の精霊かは判らない。気配が余りに薄いからで、さほど強烈な“化け物”ではなさそうだが、
「こんな昼日中(ひるひなか)に現れるなんてのは、サ。」
見た目ほどにか弱い訳じゃあないんだろ? 訊かれて、
「まぁな。」
妥当な返事を返す。精霊にも色々いるが、殻を持たない種の陰体なら、月夜見の光にのみ安らぎを得る存在だから。仮の姿や寄り代から離れて、あんな風に無防備にそうそう出ては来ない筈。ひ弱そうに見えるけど、日輪からの生気あふれる昼日中を物ともしないなんて、結構 頼もしい娘さんかも。だが、
「それか…あの塚が身を削られても良いほど大事か、だな。」
街道からの人目を避ける、あんな陰にこっそりと立っているもの、京や大津までの道程を刻んだものとは到底思えない。
「盟主、が眠ってる?」
さあなと気のない声を出し、こっちの胸板へ起こしていた細い顎を引くと、ぱふんと顔を伏せてしまう。さわさわ吹き抜ける風が梢を揺らし、草を鳴らし、髪をなぶり。木陰が揺れて日向をゆらゆら招いては、少女の影がそこに居られぬようにと、追い立てるように苛めている。きりりと結髪している訳ではないし、まといし衣紋も何処か粗末で。そこから いつの時代の人物に憑いてた精霊かを断じることは難しかったが、何だか寂しげな横顔なので、いかに慕っていた相手かが忍ばれて。それで気になった蛭魔なのでもあろう。
「俺らはあんまり人からは好かれねぇ一族だからな。」
風が草を鳴らす。伏せているから尚のこと、ざわめきが間近に鳴り響く。此処から遠い遠い果てで大地を区切る、海で鳴り響くという潮騒のように。彼らを包んでそのまま、何処かへ運んでゆきそうな勢いで。
「親父までの代の話は知らんが、俺にはお前が初めての盟主だよ。」
そか…と。口許をこちらの狩衣へとくっつけたままで短く応じ、むぎゅと頬を押し潰すように擦り寄せて来る。彼にはらしくない、ムキになったような子供じみた所作は、認めていない不安を誤魔化したいという、屈折が過ぎた心情の混乱の現れだろうか。置いて行かれるのはこっちだと、いつぞやの喧嘩の折りに葉柱がそうと言ったのを覚えていた彼であるらしく。あんなにも悄然と佇まれては遣り切れないとでも思ったか。何十年も先の話へ、今からしょげてしまった彼なのだろう。お前のような憎まれ者は、きっと運も要領も良いだろうから。心配せずとも長生き出来ようと、言ってやっても良かったが。余計な深読みの方をこそ、要らぬ世話だと怒らせそうで。口を開けず、そのまんま。よしよしと宥めるように、再び髪を梳いてやり、風の音を聞いて………幾刻か。
「わあ、お馬さんがいるよ。」
妙に幼い声がして、え?と首だけ上げれば、塚の傍らに3人ほどの子供の姿。一番年嵩らしき少女が、こっちに気づいて…恐縮し、声のないままペコリと頭を下げて見せる。それへと笑ってパタリと首を戻せば、
「なあなあ、さっきの人、お馬さんの飼い主かなぁ。」
「2匹いるから、もう一人いるよ。」
一応はこそこそと声を潜めているが、興味津々な口調なのを、
「余計なことは言わないのっ。」
きっと姉なのだろう、さっき目礼を寄越した少女が窘める。わざわざ直視せずとも気配で大体の所作は判って、塚へと野花と団子を供え、手を合わせてなむなむと何事かお祈りし、さあ行こうと来た道を戻ってゆく。手際が良いのは慣れているから。
“手向けの花、か。”
縁のある者なのだろうか。墓には見えないし、そうだったとしても…あんな平民の子らが、関わりを持つ人物のものとも考えにくいが、
……… お。
吹きつける風に木陰が揺れて、今度は濃くなったそのあわいに。再び浮かび上がった少女が…心なしか微笑んでいて。
「寂しいばっかでもないらしいな。」
「……うん。」
少女はそのまま掻き消えて、同じ位置に小さな影が一つ。メジロだろうか小さな小鳥が、蒼穹を目指して軽やかに飛び立った。塚の傍らには青い紫陽花が、群雲のような茂みになっており。今はまだ葉ばかりだけれど、もう少しすれば艶やかな瓊花が咲く。その頃にもう一度来てみようか。盟主はそういう湿っぽい感傷的なことは苦手だろうから、独りで…と思っていたら、いつの間にか金茶の眸がこちらをじっと見やって来ており、
――― お前、また此処に来ようと思ってるだろう。
何だよ。そんなもん…俺の勝手だろうがよ。
長雨になる前にしろ、それだったら俺も付き合ってやれるから。あくまでも尊大に、そんな言い方をした俺の盟主殿は、やっぱり子供のような所作でこちらの胸元へ頬を擦り付けると、くつくつと楽しげに笑って見せたのだった。
おまけ 
「大丈夫ですようvv
お師様が亡くなられても、ボクや進さんがいるじゃあないですか。」
「…だそうだ。」←ちょっと不愉快。
「………。」
「良かったな、寂しくはないぞ。」
「セナ坊はともかく、進と茶飲み友達になる気はねぇよ。」
「そんなことは言わずに、俺が先に死んだら こいつらを頼むな。」
「後生だから、死ぬ時は一緒に連れてってくれ。」
〜Fine〜 05.5.24.
*なんちゅう縁起の悪い締めだか。(笑)
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