暦がいよいよ年の終わりへと迫る頃合いともなれば、錦秋と謳われし華やかな山々の彩りも徐々にその力を失い。周辺の風景がくすんで寂れてゆくのをそのまま写してか、街へとそそぐ陽射しからも活気ある色調は失われ、来たる季節の冷たい足音を間近に実感することとなる。
「またぞろ面倒な季節になりやがるんだろうか。」
「はあ。」
この国の人々には珍しき、黄金の額髪のその下から。鋭い目許のその眦まなじりを早くも今から吊り上げて。恨めしげを通り越し、憎々しげに薄雲の垂れた空を見上げる年若き主人の言いようへ、もっと幼き家人が小さな顎を引きつつ曖昧に相槌を打つ此処は、毎度お馴染み、京の都の場末の辺り。暑いのは嫌いで、寒いのはもっと苦手という、相変わらずに我儘大王様でおいでのお館様こと、この若さでありながら畏れ多くも神祗官(補佐)様でもあられる青年がお住まいの。あばら家屋敷の奥向き、荒んだ庭先を望める広間の軒近く、だったりする。夏場の猛暑を思えばさほどに北寄りの土地ではなく、むしろこの国の丁度真ん中、程よい辺りに位置する都である筈なのに、この京都・山科の地の冬は、途轍もないほど壮絶に寒い。寒いなんてもんじゃあない、極寒、厳寒、酷寒にて、足元からの底冷えが襲い来て、凍てつき冷え込み、月も星も風も凍る。
「そりゃあまあ、家が埋まるほどもの雪に襲われるとかいう話の、若狭や越前、佐渡や陸奥に比べれば。ここいらなんぞは温暖な冬の空かも知れぬがの。」
それこそ“よそはよそで、うちはうち”だと、お館様の不機嫌を示す眉の傾きは緩みそうにない模様。
「お館様はそれでなくとも、御身が細うておいでですから。」
「んだよ。細いとまずいのか?」
ですから、寒いのがすぐさま全身へ回りやすいのではなかろうかと。書生くんがそうと噛み砕いて言い直せば、それを言うなら ちびっ子のお前だっていい勝負だろうがよと、なかなか瞬発力のいいお返事が返ってくる始末。とはいえ、確かにこのお館様は、錦の衣を重ね着していてもそれと分かりにくいほど、薄い肩やすっきりとした背中、しっかり強靭ではあるが細い腰をしておいでで。こうまでの痩躯でありながら、日頃のはた迷惑なほどのお元気な闊達さとか、邪妖成敗の折の、天にも届けと言わんばかりの恫喝を放てる迫力なぞなぞ。無尽蔵ではなかろうかというほどもの途轍もない活力、一体どこの引き出しに隠しておいでかと、間近にある瀬那でも時に怪訝に思うほど。福々しくもおっとりと、でんと構えたそのまんま。細かいことには動じない貫禄があってこそ、心豊かな“貴人”とされる当世にあって。身軽なまでに痩せぎすで、しかもしかも万事に抜け目がない機転の利きようは、いっそ煩いとされ、ともすれば“浅ましきかな”と軽い蔑さげすみの対象にさえ されかねないのが、言わば“定義”であった筈なのだが。この主人に限っては、そんな“定義”も例外であるらしく。
「そういえば、萩宮の女官の方から文が届いておりましたが。」
「?? なんだそりゃ?」
「ボクに聞かれましても…。」
契った後にやり取りするよな、艶っぽい文なんてもんにはまるきり覚えがないしなと。心当たりのなさへ盛んに小首を傾げる彼ではあるが、ただその姿を垣間見ただけで動悸がするやら意識が遠のくやら、胸騒ぐ乙女たちが殿中に町中に引きも切らないのもこれまた事実。瑞々しき若木のような、伸びやかですらりとした立ち姿には、重厚な押し出しは確かに添うてはいないが…その代わり。ただ黙って佇むその様子、この世のものではないほどに、玲瓏にして清冽なまでに麗しく。大陸からの使者である学者や仏師などなどが、あなたはいずれ名のある仙女の生まれ変わりか?と本気で問うたという話まであるとかで。はたまた、冷たく冴えたるその風貌の、常のこととて権高くも鋭く尖りし眼光と表情と。殊にその…大和の民には例のないほど、色淡き光を宿す双眸には、人の心を見透かすような怜悧さがあって。それをもって“奸計の泉のようだ”と陰で腐す者どももないではないが。そこに漲みなぎる力こそ、邪を探知し、追撃の切っ先から逃れ得ぬほどの真摯な槍となる、そういう意味合いでの“魔力”が備わってはいるのかも。
「人を勝手に化け物扱いしてんじゃねぇよ。」
聞こえてましたか、あっはっは…っ♪ 失敬なとばかりにとうとう憤然となさってしまったようですが。とはいえ…才気の鋭さに冴え映えながら、女性にも稀なほどに嫋たおやかで妖冶な深みをも保つ その顔容かんばせに。何を思ってのそれなのか、仄かな笑みを含んでじっと、誰ぞを見据える折の眼差しの強かさには。人を知らずに魅了する、月光のような冴え冴えとした鮮烈さのその陰に、人のものならぬ迫力や蠱惑も確かに潜んでいるような…。
◇
久方ぶりに、ちょいと周辺の事情なぞを浚ってみましたお館様こと、当世の長命安泰な朝廷の中央官職、神祗官(補佐)に就きしその人、蛭魔妖一さんでございましたが。その身辺の近況とかいうものには、秋が深まろうが年の瀬が迫って来ようが、さしたる変化もないらしく。暇といや暇だし、落ち着かないといや落ち着かないまま。時たま、世にも恐ろしき“邪妖”がらみの騒ぎが勃発しては、それを調伏せしめて一件落着…という事態とも対峙するものの、そんな得体の知れぬ恐ろしい奇禍でさえ、この屋敷の住人たちにはもはや日常茶飯の一つになりかけているというから、穿っているやら末恐ろしいやら。
「襪しとうすはまだお履きではないのですか?」
この時代に絹の足袋が何と既にあったのだそうで。但し、指の股を作ってはなかったらしいですけれど。白い爪先あらわにしている、そんなお館様だと見て取って、身の回りのお世話は自分の担当とばかり、立ち上がりかかった小さな書生くんだったが。その彼の羽織った袷の袖を素早く引っつかむと、
「まだ早かろうよ。」
今からそこまで着込んでどうすると、何とか引き留め、そのまま…小さな肢体を抱っこ。あああ、さすがは子供だ、ふくふくの頬が何て温ぬくといっ! やーですよう、ボクは温石おんじゃくじゃあありませんってば。冬の襲かさねの装束も愛らしい幼子と、袷に狩衣をふわりと羽織りたる綺麗なお兄さんとが、濡れ縁で絡まりあって“にゃんにゃんvv”と…。うわ〜〜〜、なんて夢のような光景だろうかvv(おいこら) 筆者の腐女子発言はともかくも、冗談抜きにそろそろあっても不自然ではないものが、そんな二人の鼻先へも到来し。
「あ…vv」
「あ"…。」
この反応の温度の差が、そのまま精神年齢の差でもあるのかも。ふわりちらりと最初のひとひら。ああそうか、それで殊の外、大気が冷え冷えとしていたのかと。納得したお館様の手からするりと抜け出て、
「お館様、雪ですよ? 雪vv」
「言われんでも判っとる。」
ひょいっと庭へ飛び降りて、小さな書生くんが空を見上げる。まだそんなには灰色の雲も垂れ込めておらず。ちろりと兆しただけのひとひらだろうに、
「もっと降らないかなぁ。」
おいおいやめれと、本気で嫌がるお師匠様をよそに、そりゃあ楽しそうに舞って見せるセナくんが、玉砂利の上、裸足のままだと気がついて、
「こらこら。せめて沓を履かんか。」
「平気ですようvv」
くるくる回るご本人は、ホントに楽しそうだったけれど。
“見ているこっちが寒いったらよ。”
ぶるるっと肩を震わせてから、
「………進。」
「おう。」
これは判りやすい召喚理由だったから。本来の主人ではない蛭魔の呼びかけにもあっさり応じ、作務服のような極めて簡素ないで立ちの、雄々しき憑神が音もなく出現したのへと。無言のままに庭を指差せば、それへもこくりと頷いてそのまま、指令通りに標的へと接近。やんやん・やーのと抵抗しかかったのも束の間のこと、大きな手にてひょいっと軽々抱え上げられ、柔らかな頬がぱふりと触れた憑神様の懐ろの感触に、
「…温ったか〜いvv」
あっと言う間に方針転換。無邪気に喜び、にゃごにゃごとばかり擦りついてまで来る小さな温みへ、今度は進の方こそが少々腰が引けかけていたようだったが、
「………。」
それでもこれで、任務は完了。お騒がせしましたと、小さな主人を抱えたまんま、庫裏へと向かって庭をすたすたと歩み去る。大きな背中を見送ったお館様はと言えば、やれやれと肩をすくめて、さてそれから。立っていた濡れ縁の先から回れ右をし、陽よけというより風よけに、御簾を半分以上も降ろした広間の中へと歩みを運び。奥まった壁沿い、一台だけを灯した燈台の傍らまで。それから、おもむろに腰に手を当て、相手をそこに見下ろして一言。
「ったく。お前、今日はいつにも増して何しに来てんだかだな。」
そんな言いようの蛭魔が見下ろした先。どこか力なく、壁に凭れかかるように座り込んでいたのは、誰あろう。我らが蛭魔氏に影のように付き従って行動し、手ごわき邪妖の数々を見事討ち果たして来たその相棒…とゆか、彼の頼もしき“式神”である、蜥蜴一門の総帥、葉柱さんで。
「毎日毎日、ご苦労なこったな。」
今日は随分と早めの“出仕”で、まだ明るいうちから此処へと運んでいた蜥蜴の総帥。だが、それにしては少々様子が訝おかしくて。
「そろそろ寒くなんのによ。」
「言ったろが。俺は冬籠もりしない種なんだって。」
主人の普段着もそうだが、この黒髪の侍従もまた、一風変わったいで立ちをしている。それがほぼ定番の漆黒の装束は、一番近いもので隋身装束の“狩衣”に似ているが、さして膨らみを持たせずに絞った着付け。内裏に通いし殿上人らの、上達部の中でも最上級だろうお役目、それは典雅な“神祗官(補佐)”というお勤めには、本来ならば必要なかろう荒事に、先頭立って当たらねばならぬ機会が多い盟主に追従する機会が多いからこその、言わば“戦闘服”でもあるからで。首の太さや肩の線の盛り上がり、強靭そうな厚みを誇る胸板に、頼もしいほど線の太い、されど機能的によく働く手のひらなどなどと。がっつりと力強く、いかにも男臭くて精悍な風貌には似合ってもいる装束ではあれど…その風貌の顔の部分がありありと。やっぱり何だが様子が妙で。口の端やら頬骨、眼窩の上縁の眉のあたり。気のせいでなければ少々腫れて、何とも痛々しい様相だったりし。言葉少なに来てそのまま、この壁に凭れ掛かって動きもしない。そんな彼だということもまた珍しく。ちょっかい代わりに軽口を叩くなり、そこからちょっとした口喧嘩になったり。いつものそんな応酬がなかったせいで、セナなどは彼が既に来ていることにさえ気づいてはいないのかも。それほどまでに覇気の足りない彼を、黙って見下ろしていたのも しばしのこと、
「………。」
すぐ間近の傍らへ、ひょこりと中腰、身軽に屈み込む蛭魔であり。
「???」
何だよ、どうした、内緒話か?と、視線の高さが合ったことへどぎまぎして見せ。葉柱からこそ怪訝そうな顔をして向けたれば、
「そういやお前、あの阿含と喧嘩したんだってな。」
「う………。」
そのものの実態・実情をすぱっと露にするのではなく、受け手の想像力に下駄を預ける部分があったり、それ故にそこまで理解し味わうには別な教養が必要だったりする“仄めかし”という文学的手法が粋だの美徳だのとされたのは、歌や物語や戯曲などなどが、それなりの熟成を繰り返すことで人々の感性に深みが増してからのお話で。平安時代の半ばに“あはれ”や“をかし”という感覚が生まれるまでは、結構な長きに渡って、素朴でピュアな“まこと”であるのが善しとされ続けていたのが日本の文学の傾向だったそうだけれども。絵画の世界で、印象派が生まれるまでは写実主義が昂然と幅を利かせていたのとも似てますが、それだけ…心の綾の複雑さをしみじみと堪能出来るセンスに人々が至るまでには、時間と歴史による錬成が必要だってことなのかも。そしてそういう経過を経て受けて、爛熟しまくった現代にあっては。そこまで不運が畳み掛けるかと呆れるほど、ヒロインがなかなか幸せになれない不幸話とか、気が滅入るばかりの展開が延々と続くばかりの愛憎ドロドロなメロドラマが、なかなか廃れなかったりしておりますが。
「…何か話が逸れまくっていませんか? もーりんさん。」
ああ、そうでしたね。セナくん、ありがとーvv …じゃなくってだな。さっき退場しなかったか、あんたわ。(笑) 相変わらずの脱線はともかく。ここのお館様の場合は、今がどういう時勢かどうかなんてのも実のところは関係なく。(こらこら) 少々どころか思い切り、仄めかすどころか隠しもせず前面に、堂々と押し出しているのが…
――― 対等な扱いをされたければ、まずはわたくしに勝ってから。(おーっほほほ!)
一部、効果音つきでお送りしました。背景に平等院鳳凰堂とか迎賓館とか、透過光つきの火の鳥の羽ばたきとか思い浮かべていただくと、ますます印象深い図となるかもでお薦めです。(笑) 何処の誰へも例外なく堂々と。いつもの彼の信条そのまま、それはそれは昂然とした態度でもって、実のところを見抜いて容赦なくすっぱ抜いた金髪の術師殿。だが、でも、だけど。葉柱がその住居としている古祠は、此処からは結構距離があり、しかも蛭魔は…よほどの集中による念じで咒を構えでもしない限り、彼の力だけでの次空転移や座標移動は出来ない身。だってのに、
「何でお前がそれを…。」
しかも昨日の今日というこんなにも早く、その事実を知っている彼なのか。そう、あれは昨日の黄昏どきで、こちら様へと通うのは、もはや当たり前の毎日の習慣になっているその葉柱が、日頃ひなかに住まわっている煤けた祠から出てすぐのこと。わざわざ待ち受けていたとしか思えぬ、絶妙な間合いと位置取りにて。あの忌ま忌ましい蛇の一門の邪妖の青年が、元はご神木だったらしきドでかい杉の幹に凭れるようにして立っており。胸高に腕を組んでの、まずはのご挨拶の一言に、
『なに、通りすがっただけだってば。』
いかにも何かしら含みがありそうな顔になって、にんまり笑ってそうと言ったそのまんま。最初の拳が視野のど真ん中に見えた時にはもう、こっちからの攻勢が二呼吸ずつはズレていたほど、相手の間合いにまんまと釣り込まれていたらしく。こっちの拳が相手へ触れることは結局一度もないままに、数刻後には…薄暗い木立ちの中、重なり合う梢の天蓋を、倒れたその身の真正面へと見上げつつ。枯れ落ち葉の中に半分埋まって、そりゃあ見事に倒れていた葉柱であり。
「まだそこここが痛むのだろうに。」
ほれ此処とか、と。胸板の真ん中、数本揃えた指先でぐっと押せば、
「〜〜〜〜〜っ☆」
「声も出ぬほど痛いってか?」
お館様ったら、意地が悪い〜〜〜。しっとりと重みのある黒髪を、肩から前へとすべらかし。かすかに俯いて前のめりの式神へ、
「今日までくらいは、塒ねぐらで休んでおれば良かったのによ。」
こんな痛む身なのに、何も無理して出て来ずともと。言葉を続けかかってたそこへとかぶって、
「………だ。」
「ああ? 何だって?」
俯いたままじゃあ聞こえねぇぞと、少しだけ顔を寄せ、わざとらしくも耳を欹そばだてて見せれば、
「…ホントは、昨夜の内にも来たかったんだよっ。」
あの野郎、これから此処に行くなんて言っててよ、俺が居ようが居まいが関係ないが、どうせなら綺麗どころばっかに囲まれてたいからなぞと しゃあしゃあとほざきよって。だから一刻も早く来ておきたかった。少しでも動けるようになったから、早めに来たんだ、今日はよと。相変わらずの直球にて、きれいに白状した総帥殿だったが、
「ああ。奴なら来てたぞ? 昨日。」
「な…っ!」
反射も素早く、顔を上げた葉柱へ、そろそろ冬籠もりに入るから、ご挨拶に来たんだよんと。琵琶湖で捕まえたっていう、カモとウナギのでっかいの、土産に提げて来やがった…と、それはすらすら語ってやって。
「そ、それでっ?!」
妙に息せき切って見せる葉柱なのへ、
「なに、ちびも進もいたしな。」
ひょろっと入って来て、そのまま少しばかり、いろいろな話を面白おかしくやりとりして。そういえば、セナや進は直接には逢ったことがなかったしな。人ではなさそうだくらいは感づいてたらしかったが、既にお前が出入りしている訳だし、ざっくばらんに話をしていた俺もさして棘々しい雰囲気じゃあなかったこともあって。今更警戒することもないと思ったか、一緒に話の座に加わって、笑って過ごしただけだったがよ。
「………ふ〜〜〜ん。」
和気藹々と過ごしたとの応じとあっては、総帥殿の機嫌の収まりがいい筈もなく。
「何だよ、そんな顔しやがってよ。」
「何だよ、じゃねぇだろうがっ!」
あんな物騒な存在だってのに、何て無防備なんだ、お前はよっ。いいか? あいつは蛇の邪妖なんだぞっ? それも、ああまで完全な人の姿に変化へんげ出来るということは、間違いなく俺と同じくらいの“総帥格”なんだぞ? 間違いなく肉食だから、人間の一人や二人、一気にペロリと飲めちまえるんだ、しかも冬籠もり前だぞっ?! 滋養を蓄えとかなきゃって時期だって、わざわざ本人が宣言してやがったのに、よくもまあ無防備にも柔らかそうなちびさんと一緒になって〜〜〜っ!! 最後は言葉にもならぬほど、妙に焦り、妙に怒っている総帥様へ、
「だから。何もなかったって言っとろうがよ。」
つか、これこの通り、ぴんしゃんしとるだろうがと、今にも吹き出しそうなほどもの苦笑が絶えない金髪の術師殿。どうして憤慨している葉柱なのかくらい、実はとわざわざ説明されなくたっていいほどに、重々ご承知だった彼であり。しかも…そっちの事情のみならず、
“奴なりの心遣いじゃあなかったのかねぇ。”
此処へと来る直前に、何でまたわざわざの寄り道をしてまで、葉柱を打ちのめした阿含であったのか。飄々としている態度のそのまま、大した遺恨もない蛭魔を、今更どうこうしたいという気はさらさらなかった彼であったに違いなく。ただ挨拶に来ただけだという言いようにも、嘘はなかったのだろうが。ただ…まるで蛭魔の守護ででもあるかのようなほど、騎士道精神旺盛な葉柱であることも、きっちりと把握していたもんだから。蜥蜴の天敵、警戒心も強くなろうぞという相性の自分が出向けば、どうしたって落ち着けなかろう、隋身の君であったに違いなく。そこで、黒の侍従さんに恥をかかせないように、若しくは…要らぬ粗相から犬も食わない○○喧嘩に発展するのを見せつけられても詰まらんしとでも思ったか。葉柱が同座出来ぬよう、一晩寝込む程度に叩きのめしといた彼だったと。………どっちにしたって、乱暴極まりない手の打ち方なような気がすんですけれど。そんな事情なんぞ全く知らないし、憶測としてでも思い浮かんだりしなかろう、怒り心頭の総帥様、
「〜〜〜〜〜。」
あやつだけでなく、肝心なこちらの彼にまで、いいように軽んじられたような気がしたか、せっかくの精悍な男ぶりを子供のように膨れさせ、むむうとむくれている姿が何とも言えず可笑しくて。しかもしかも、
「お前、どんな危急になっても俺の眞の名前を全然呼ばねぇじゃねぇかよ。」
全然まったく信用されてねぇみたいだしよ。だから、傍に行ってやらなきゃって思ったのにと、いつまでもぶいぶいと不貞腐れている様が、何とも言えず…愛惜しい。
“…ったくよぉ。”
いつからのことだろうか。守るものもない孤高にあって、やりたい放題の破天荒。誰も寄せず誰にも添わず。面白おかしく、好き勝手に生きて来た自分であったはずなのにな。こいつとの縁だって、単に利用してやろうと思っての接近で始まった代物、気位の高そうな奴だから、容赦なく顎で使われてせいぜい嫌ってくれてりゃあ良かったのによ。温かい懐ろ、頼もしい二の腕。言霊の誓約をそりゃあ律義に守ってやがって、どんな窮地も見捨てずに駆けつけてくれて。気がつけば…失うなんてとんでもない、死ぬなと身を張ってでも助けたくなる、そんな存在になっていた男。
“これって…俺の側の負けなんかな。”
だとしたらば、けったくそが悪いから。絶対にこっちからは言ってやらない。お前んコトが必要だとか、もしかしたらば…好きなのかもとか。向こうから言い出すまで、絶対に言わないんだからよと、妙な決意を決めて、さて。
「お前もサ、
これからもっと寒くなったら、此処まで来んのも ひと苦労だろうによ。」
溜息にも似た小さな吐息混じりという、もしかせずとも少々呆れてのお言葉を紡ぐ青年導師様であり、
「だから…っ。」
こんなもんも冬の寒さも、さして堪えはしないのだと、重ねて言い返しかかった総帥さんへ、
「いっそ、この屋敷で冬を越さねぇか?」
「…………え?」
あまりに突拍子もない文言だったもんだから。何を馬鹿なと、からかいの言いようと断じて、こっちからも笑って躱そうとしかかったが、
「なあ…。」
間近になってた小さめの顔、吐息がかかるほどにも近づけて。何かしら強請ねだってでもいるかのような、仄かに甘くて切なげな声が繰り返される。
「………。」
先程の小雪もとうにやみ、まだ明るい庭が背後になっており。顔が陰っていて表情は判りにくかったが、視線が…真っ直ぐにこちらを向いているのだけは嗅ぎ取れたから。
「…考えとく。」
ぽつりと短く応じれば、そっかとちょっぴり弾んだ声が、彼自身の温みと共にこちらの懐ろへとなだれ込み、
「だ〜から、痛いんだってばよ。」
「ああ、すまんすまん。」
もう気を張らずともいいだろう、こっちで寝ておれ。中央から少し外れた一角の、几帳を立て回した寝間までを、肩を貸しつつほれほれと誘いざない、あちこち軋んでいる身を気遣って、ゆっくりと寝かしつけてくれ。
「人の薬は効くのかな?」
戸棚まで向かって何やらあさり、打ち身の軟膏、傷薬に膿み防ぎ、一応一揃いあるがと声が飛んだが、
「効かねぇと思うぞ?」
治癒の速度が違うくらいだし、体の組成が微妙に違う。放っておいてもすぐ治ると返せば、そかと応じて…覗いていた文箱を乱暴に棚へと戻し、ぱたぱた傍らまで戻って来て。
「…おいおい。何だよ。」
「こないだ言ってただろうが。」
傍らに温みが寄るだけでも随分違うと。だからだと言って、くすくす笑い。同じ寝間へと横になるから…相変わらずに読めない奴で。
“………ま・いっか。”
暖めてやると言ったくせして、懐ろに強引にもぐり込んで来て“やあ温かいぞ”なんて笑ってやがる。猫の仔みたいに気まぐれで、兎の仔みたいにやわらかく、犬の仔みたいに温かい。気を張らないまま、屈託なく、笑っててくれるのが一番だよなと。鼻先に来ていた明るい発色の柔らかな髪、指にからめて梳いてやり。此処に居着くのもまんざら、悪くはないかもなんて、既に懐柔されかかってる総帥様だったりするのでした。
――― 本格的な冬はまだ先ですが、暖かい冬への準備はお早めに。
〜Fine〜 05.12.01.〜12.02.
*そういや、春先まだまだ寒の頃、
此処へなんて来なくてもいいなんて、
意地張って言ってたりしたお館様でしたのにねvv(笑)
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