Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    葛の葉、ひらり
 


 昨日は昼から少し涼しい雨が降った。温気の籠もらぬ、いかにも秋の午後に相応しい、さあさあと静かな こぬか雨であり。その名残りだろうか、庭先に生い茂る芒種の長い葉へは幾つも露がまといつき、今日も何だか涼やかな佇まい。あれほどまでに厳しかった夏の猛暑が、いつの間にやら…するすると。板の間へでも広げた絹の風呂敷、一気に引き抜いたかの如く。どこやらへ引っ張り込まれてしまったような勢いで遠のいてしまって、もうどのくらいになるのやら。朝晩の涼しさは特に格別で、脛の出ている短い袴や、ついつい仕舞い損ねてた単
ひとえ一枚、もしくは帷子かたびらだけなんて、そんな軽装や素足のまんまでいたりすると。何かの拍子に“…っくちん☆”とクシャミが飛び出すような、そんなお日和がもうやって来た。
「米どころではそろそろ収穫の時期ですものね。」
「そうさの。」
 芋とか栗とか柿だとか、お前の好きなものも、じきにたんと送られて来よう時期だしな。にやにやと笑いながら付け足すと、やですようと一応は照れて見せる坊やだが。色恋沙汰やら趣味への傾倒なんてのはまだまだ先のお話で、今は何たって“育ち盛り”真っ最中な書生くん。その小さい身の一体どこに入るやら、甘いものは別腹ですものと、水菓子や煮物、少し練りを強くしたキントンを丸めた“練りきり風”生菓子もどき…と、季節の風味は大概の一通りを堪能しちゃう、これでなかなかの食いしん坊さんでもあったりし、
“…の割には太らないから不思議よの。”
 まだまだ幼い和子のように潤みの強い大きな眸をし、柔らかそうな小鼻に頬に、口許もぷるりと愛らしく。薄い肩先の小柄な肢体に、そんな幼げな風貌と来て、見かけは子供のようだけれど。これでもパタパタと屋敷内を駆け回っている働き者だし、お館様やその他、そっちの筋の関係者の皆様からも、持ち前の霊力の高さには折り紙が張られている身であるがゆえ、
「新陳代謝が良すぎんのかも知れんな。」
「はい?」
 この時代にそんな言葉や概念が、果たして既にあったのやら。まだまだ鋭意お勉強中の書生くん、小早川家からの預かりっ子の瀬那くんが、馴染みの薄い言葉を耳にし、素直にきょとりと小首を傾げて見やったは。この、ちょっと手入れの悪いあばら家屋敷の若きご主人、皆様方には“お館様”で通っておいでの、金髪金眸をした玲瓏華麗な…ついでに過激で乱暴者で、とっても威張りん坊な。蛭魔妖一とおっしゃる御方でございまし。まだ二十歳前後ほどという、人の寿命がたいそう短かったであろうこの時代でも十分に若輩者でありながら、既に“神祗官補佐”という…大内裏でも上位にあたる大層な役職に就いており。しかもしかも そうなるにあたっては、家柄・血統といった肩書も、はたまた有力貴族の後押しや推挙などという、所謂“コネ”も全く持ち合わせていなかったというから前代未聞。それなりの知識や能力が必要とされる役職ではあれ、技術はそれを持つ優秀な手駒を率いておればいいだけのことというよな考え方が公然とまかり通ってもいる、良く言って爛熟していたご時勢であり。都や街では、職人や工人も、農民たちと同様、どんなに秀れていようが、自分のその手で一番何に出来ない連中から見下ろされてもいた時代。だってのに、選りにも選って“今帝から”という、今世最高にして最強の推挙にあっての取り立てで、氏素姓さえ誰も知らない、そんな怪しい青年が、いきなり…国事でもある神事を扱う神祗官の籍に名を連ねたものだから、当時の殿上人たちは そりゃあもうもう大驚愕したとかしないとか。
『よもや、今帝は魔に見入られでもおわしましたか?』
 それこそ畏れ多くも、帝は正気かと言い出す者まであったらしいのは、そんな引き立てを受けたご本人の風体風貌がまた、この日之本は大和の国においては まだまだあり得ない、きらきら輝く金の髪と、こちらも上等な玻璃の玉を思わせる金茶の双眸をなさっておいでだったから。よもや白蛇様の変化(へんげ)ではなかろうか、伏見で神位正一位を冠されたおキツネ様かもしれんぞ。いやいやあの神々しさは、唐の国の仙女の生まれ変わりかも。帝への遠慮もあってかそんな風に言う者もあれば、あんな怪しげな姿、間違いなく魔物の眷属に違いない、キツネなら退治せねばなりますまいよと、それこそ畏れもなく言い立てて。真に術師として熟練の徳行者であるのなら、雨を降らせの雪を降らせの、無理難題吹っかけて来た厚顔者もおったけれど。それも…今では黙して語らず。宮中などで鉢合わせれば、上辺だけでも“神祗官次官様よ、こんにちは、ご機嫌麗しゅう”と頭を下げてる間柄に落ち着いてるから…推して知るべし。
“ま、そんなこたぁ、俺にはどうでもいいんだがよ。”
 特にぎらぎらした野望があるでなし、または今の大和の有り様を軟弱・堕落と憂いて、特権階級を総浚えしてぇと思っている高志な者という訳でもなし。毎日を面白おかしく過ごせればいいじゃんと、肩から力抜きまくり、そのついでに宮廷への出仕もサボりまくって。日がな広間でごろっちゃしてばかりいる、天に仇なす立派な不良ぶりの上達部
かんだちめ様…ということに、

  ――― 表向き なってはいる人だけれども。

 そもそもからして北摂や山城に居た、古
いにしえよりの先住の者らか。はたまた、人々があまりに多く集いしその弊害で、分厚い欲や深い恨み、人心に潜みしそんな闇の部分が歳月を経て育ったものか。物の怪・妖あやかしといった魔物やら、地の精を吸って肥太った悪霊なんぞが、時に人へと悪さをするから。そんな輩を宥めたり抑えたり、あまりに性たちが悪ければ、てぇーい面倒だとの一気呵成に、封印滅殺、問答無用で浄化してしまう、当代随一の陰陽師。それが、このお師様の本当のお顔。セナのこと、涙目になるまでからかったり、式神の葉柱さんを、いつもいつも容赦なく蹴飛ばしたりもする人だけれど、ホントは・あのネ? 小さき者を愛惜しみ、健気で一途な、それは可愛らしい“一生懸命”を、微笑ましげに見守るのが好きな、お優しい方。

  “………あ。それってちょっと持ち上げ過ぎでは?って、
   今、ちょろっと疑ぐりながら思いましたね? そこのあなた。”

 彼もまた、先にも述べたが結構な咒力を持つがゆえ、何かの気配・誰ぞの想い、感知したり察したりが人並み以上に鋭くて。ギャラリーの皆様の胸中に浮かんだ疑念へか、それとも………別の何かを拾ったセナくん。ひくりと薄い肩を震わせて、お顔をお庭へ向けたところが、

  「気づいたか。」
  「………はい。」

 さすがはお師様で、蛭魔の方でも察していたらしく。ほとんど顔も口許も動かさぬまま、そんなお声をかけて来る。いつもの広間の周縁を巡っている回廊の、庭とは名ばかり、草ぼうぼうの空間へと向いた、明るい濡れ縁に出ての差し向かいになり。咒にまつわる巻物やら冊子やら、教本の数々を間に広げてのお勉強中だった主従の二人。同じ気配を庭へと感じて、だが、
「…小さいですねぇ。」
「ああ。」
 お館様がその日頃から、扱っているモノがモノなだけに。例えば、退魔成敗した魔物の眷属が敵討ちにと来るかもしれない。はたまた、徳の高い術者を喰えば寿命が延びると信じてのこと、これもまた向こうから、闇の住人が急襲をと構えて躍り込まないという保証もないので。この屋敷には帝のおわす宮中内裏と変わらないほどの、結構 強固な退魔対策用結界が張ってある。当代随一という名代の陰陽師が直々に、自分と家族の身を守るためにと張り巡らせた代物なだけに。見栄も外聞もあったもんじゃあないくらいの強力なのを、せいぜい気張って仕込んであるが、但し。とある邪妖のお頭さんと、これも とある憑神様という二柱さんたちにだけは。どれほどの咒力の持ち主であってもこれを害さぬよう、効力を果たさぬようにと、特別に例外規定をされており。
「二柱さんって?」
 葉柱さんでなきゃ何でしょかと、聞き馴れない言い回しへ小首を傾げたセナくんへ、
「神様とか遺骨、所謂“仏様”ってやつの数え方だ。」
 筆者に代わっての解説をどうもです。
(苦笑) それからそれから、尚且つ…の対処。あまりに ちまいのまでがいちいち引っ掛かっては、そのたびに警報めいた反応が出の、それへと一応は緊張してみのと、全く全然落ち着けなくなるのでと。上限への警戒レベルは無制限だが、非力な邪妖へは…実を言うと、網の目がデカ過ぎていくらでも通り抜けられるような、妙な部分へ余裕あそびのある、ちょっぴり変則的な咒でもあったりするので。
「擦り抜けられるくらいですもの、さして怖いものではないのでしょう?」
「まあ、そういう理屈にはなるかの。」
 そんでもな、人でも物の怪でも、小さいものほど本来は臆病者だから。それで…結界をすかすかにしていても、向こうから勝手に怖がって避けてくれての結果として、きっちり防犯効果はあったって順番なんだがの、と。蛭魔にすれば、そこが不可解。だとしたら、怖い者知らずにも もぐり込んで来たとある存在。
“あのままの向こう見ずで、そこいらを無防備にも ふらふらしとったら…。”
 もっとでかくて抜け目のない、人間なんて比じゃないくらいに非情な邪妖に見つかって、あっと言う間に食われちまうぞと。ほらね・やっぱり、根はお優しいお師匠様。そっちの心配がついつい浮かんだらしかったのだが、
「………にしても。」
「はい?」
 あ。誤魔化したわね?
(笑)
「何の用もなくて迷い込んだって様子じゃあないようにも見えるのだがの。」
 ちろりんと、視線だけをそちらへ向けている蛭魔へ、
「そういや、そうですよね。」
 風の悪戯で起きたものか、草の葉の擦れ合う音がして。かささ・かささと細波が立つ。その音の起きた辺りを、こちらは少々首を回して…それでも出来るだけ“別の場所を見てますよ”という素振りを保って見やったセナが相槌を打ち。お館様のお知り合いですか? 馬鹿を言え、俺があんなチマいのに縁があると、本気で思っとんか。結界への侵入者についてを推量していた術師の主従二人。どっちにも心辺りが全くない相手であるらしいと判明し、

  「…ってことは、だ。」

 すっくと立ち上がったお師様の所作の、何とも無駄なく洗練されていたことか。音もなく、揺らぐこともなく。ただただ清冽にして鋭。白い小袖の上へ重ね着たは、淡い藍の薄縹
はなだの単ひとえ。秋の襲かさねで“花薄はなすすき”となる倣い、一応は踏んでいるものの。腰から下は指貫さしぬきではなく、濃色の袴と略しており。なのに不思議と、凛としていて麗しい。しゃんと立った背条が、だが、雄々しいというよりはやはり麗然とした趣きで、広間の奥向きへと向かうのを見送れば。うら若きお館様が向かったは、几帳を立て回して仕切られた一角であり。
“…え?”
 あらら? あのその、そこって…もしかして? 今はまだお昼前という時間帯。朝型のセナなぞにとっては一番活動しやすい、お元気満タンな頃合いだけれど。陽が落ちてからこそが一日の本番。月光を浴びてこそ、夜陰に頬を浸してこそ、体も頭も本格的に動き出すという手合い、人外には少なくなくて。お館様はそんな輩を相手に対峙する前後だけ、夜更かし朝寝をなさるのだけれど。そもそもが“夜型”の誰かさん。今日も昨夜からの延長で、もしかしてまだ其処においでだったりするらしく。

  「くぉらっ、起きねぇかっ! いつまで寝腐ってやがんだよっ!!」

 威勢のいい怒声と、間髪を入れないドカッという物音に続くは、それに負けないやっぱり大きな怒鳴り声。

  「いきなり何しやがんだっ、こっちは晩が生活の中心だぞ、ごらぁっ!」

 たった一喝…と一蹴りだけで。なかなかに鮮やかな啖呵を切れよくお返し出来るほど、一気に目覚めることが出来るだなんて。
“愛の力って偉大だなぁvv
 これこれ。言うに事欠いて何てことを、セナくんたら。
(苦笑) 少なくとも蛭魔さんの側からの蹴りには、愛は籠もってなかったと思うぞ。込められてた何かが、もしかしてあったとしたらば、支配者からのものなればこその“独善”くらいじゃあなかろかと。まま、そういった理屈も今はさておいて。寝床の上、むくりと身を起こした居候さんを、腰に手を当てた居丈高な構えのまんまで見下ろして、
「妙な客人が来ておってな。」
 蛭魔の物の言いようが大上段からなのはいつものことだが、
「…客人?」
 熟睡というよりも微睡
まどろみの揺り籠の中。深い眠りへ あと一歩で転げ落ちそうになりながらも、何とか踏みとどまれてたその危うさが、何故だか妙に心地いい。安寧の中にあればこそ、思うままむさぼれる自堕落さであり、そんなささやかな至福から強引にも叩き起こされた理由が“それ”っていうのは、成程、理不尽極まりないかもで。だって、
「ここに来ておるものなら、お前か ちびさんへの客ではないのか?」
 自分で言うのもなんではあるが、此処にいる時の自分は単なる“式神”である。昼日中の人前では人の姿を保ってこそいるが、そして、そんなせいで当家の家人にもそれなり馴染んでいるのだが。実体は…陰体の蜥蜴の邪妖らの総帥であったりし。なので、屋敷の外に人間の知己は殆どいない身。僅かにいる知己の何人かは、そのまま蛭魔の知己でもあるほどだったりするのに。そんな自分を誰が訪ねて来ているものか…と、真っ当なお返事を返している辺り。やっぱり微塵にも寝ぼけてなんかいない彼だが、
「真っ当な存在であるなら、そうだろうがの。」
「???」
 回りくどい物言いをする蛭魔なのもまた、特に珍しいことではないものの。それが…何かしら含むものがあるから、そんな言いようをしている盟主なのだと判るのは進歩。とはいえ、
“………俺を迎えに来て、こいつが怒るような係累だってか?”
 こんな怖いの怒らすような、そんな向こう見ずって居たっけか?と。がっつり大きな肩の上、小首を傾げて…思い当たらず。どうしてなのかはさっぱり判らないから、その点はまだまだ“要勉強”な総帥殿。それでも、
“まあ、逢ってみりゃ判ろうか。”
 後ろ暗い心当たりなぞないからこそ、さして覚悟もないままの気安さで。よっこらせと立ち上がり、几帳を掻き分け、寝間の外へと出ながらに。秋の陽を受け、明るい濡れ縁までをと見通してみれば。そこへちょこりと腰掛けていた書生くんが、こっちを見ていた視線を小さな頭ごとスルリと庭へと流して見せて。そんな誘導を素直に受け入れ、促されたままにその先へと視線をやれば。

  「………お?」

 薮蚊が飛び回るのでと夏の間に何度か刈ったが、それでも伸びた様々な雑草がぼうぼうと。随分な厚みで重なり合ってるその向こう。確かに何者かがいて、こちらを見ている。随分な厚みでとはいえ、高さはそうもなく。深いところで、大人が分け入って膝が隠れるほどだろか。そんな中に紛れてしまえるくらいだから、屈んだとしても大人では隠れ切れずで、
「子供…か?」
「みてぇ、なんだがの。」
 俺には勿論のこと、ちびにも覚えはないらしい。何より…こんなトコなんだ、用があって来たのだろうに寄って来ないってのは、俺らが目当ての客人じゃあないってことにならんか?と。相変わらずの理路整然、立て板に水で並べた術師。
“こんなトコって、自分で言うかな。”
 そこのところの説明ははしょられているものの、皆様へは先に並べたところの“結界への理屈”くらいは、葉柱だとて重々承知。人ではない存在で、小さいからこそ退魔陣の網に引っ掛からなかったのだとして、それでも。ひょいと紛れ込んでこんな奥向きまで来ちゃった…ってのは確かに無理があろうし、万が一にもそれならそれで、気配でもって。人なら妙なお屋敷だと理由
ワケもなく気味悪くなり、邪妖なら垂れ込める威圧に神経を逆撫でされて。どちらであろうとそんな不穏を感じ取ることから、とっとと出てゆく筈のもの。だからこそ、何でまた とっとと去らぬのかを、不審に思っている蛭魔なのだろうけれど。
「仔猫だってちょくちょく入り込んでる庭じゃねぇか。それと一緒の理屈じゃねぇの?」
 大きな歩幅でひたひたと。足音が微かなのは蜥蜴の邪妖であるからか。それでも存在感は隠す必要もなかろと開放したまま、板張りの床を歩み出てのご登場。それを受けてか、

  ――― かささ…と。

 問題の茂みが、活発に揺れ始め。ああやはりこの男が目当ての客人だったかと、人騒がせな気配へ納得しかかったお館様の、誰が名付けたか“地獄耳”へと届いたのが、

  「ととさまvv

 それはそれは可憐な、愛らしいお声での一言であり。
“ととさま?”
 やっぱりずんと子供のお声だったよね。そんな幼い子供の言い回しで“とと様”っていったら、普通は…普通は? セナくんの頭の中と胸の裡
うちとで、知識と理性が競走を始めた………その結果。
“かか様と対
ついになってる………とと様のこと?”
 一般的な知識が辿り着いたゴールには、いかにも無難な答えが待っていたが。
“………とと様。”
 庭の側から見える位置まで、やっと出て来た人へと向かっての呼びかけが“とと様”ってことは。一般常識へ自分固有のマイデータを嵌めると………何だか恐ろしい答えになっちゃいそうな気がして。
“うっと………。”
 ちりけもとに悪寒を感じ、出来ることなら、早々に席を外したいと思った辺りは、結構な成長なのかも知れなかったが、

  「………とと様、だとぉ?」

 あああ、時は既に遅かったようです。几帳の傍に留まって、成り行きを眺めていた麗しの術師殿。秋には少々冷たさが過ぎるかもな、ひんやり冷たいお声をゆぅっくりと放ってそれから。

  「わ〜〜〜っ! 待て、待てと言うにっ!」
  「問答無用っ!」

 子供がいたことには、まま、人とは寿命も違うから目もつむろうが。今の今まで気配さえ押し隠し、おっ放り出してたらしいのがむかつくんだよと。最初の一蹴りで床へと突き転がしたそのまま、げしげし、蹴るは踏むわの果敢な攻勢に出たお館様であり、
「あ…。」
 こうまで判りやすく苛められてる“とと様”がさすがに心配になったのか。草の中からわさわさと、やっと出て来た小さな坊や。キキョウの青の袷
あわせに濃紺の袴という一丁前ないで立ちに、後ろ頭へお尻尾に結った髪を揺らしもって、たかたか・とてちて駆けて来て。段差の高い縁側の縁に両手で掴まると、その縁に小さなお口でがじがじと齧りついて。どうしよう、どうなるの?と、愛らしいお顔を不安げに曇らせる。
“うわ、ホントにかわいいvv
 少し甘い色合い、幼い子供特有の、細い質の髪はふわふかで、真ん丸に寸が詰まったお顔には、こぼれ落ちそうなお眸々が黒々と据わってて。和菓子の羽二重餅“ぎゅうひ”とかいうので作られたような、やわやわな頬っぺにお口。その口元がまた、唇の先こそ角が一丁前につんと立っているのに、ふやふやしっとり、淡雪みたいに柔らかそうで。とはいえ、
「…そんなトコ齧ったら、歯が傷んじゃうよ?」
 一応は無難な言い方をしたセナだったが、かりこり・がりがり、結構な音を立ててのお齧りにより、負けているのはむしろ縁側の建材の方。いくら古い家だとはいえ、そうそう簡単には削れなかろうに、それが…そりゃあ小気味いい音と共に、気もそぞろな片手間のお齧りで削られており。これから察するに、先の尖った頼もしい歯が、坊やの小さなお口の中にはぎっちりと植わっているらしく、
「だから待てって、あれのどこが俺の子だっ!」
「判るもんかよ、お前は総帥格って身だかんな。」
 異種格闘技…もとえ、異種交配だって可能なんじゃね? 何をっ! 勝手なことを言ってんじゃねぇよっ! うっせぇよっ! わっ、ちょっと…そこはタンマって、ホントに痛てぇからカカトで蹴るなっ!
「はやはや〜〜〜。」
 大人による、大人げない…しかも一方的な大喧嘩を、こうまでの間近で繰り広げられては、慣れてるセナはともかくも
(あはは)、こちらのお客様には怖いに違いなく。
「ととさま。ととさま、助けて。」
 仲裁してくださいという哀訴のつもりか、傍らにいるセナの着物の袖をきゅうっと掴んで来た坊やであり。あああ、そんな潤んだ涙目で見つめないでようと困りつつも、
「ととさまって、あの葉柱さんのこと?」
 床へと倒れ込んでる大きい方のお兄さん、あんまり本気では抵抗してない方の大人を指させば。小さな坊や、結った髪のお尻尾を揺らしもってこくりと頷き、
「ととさま。おととさま、かわゆそう。」
 蹴られるばかりで痛いんじゃないか、助けてあげて、止めたげてと。そうと言いたいらしい坊やだったが、

  「…おととさま?」

 そんな丁寧語も…もしかしたらば有るのかなぁ? でも、あんまり聞かないなと、やっぱり慣れって恐ろしい。この惨状をすぐ傍らで直視していて、なのに…あんまり危急だと感じてないらしいセナは、むしろそっちの方が気になっており、
「おととさまって…お父さんのこと?」
 おおう。大胆にもそんなことを訊いてみてます。すると…今度は坊やの方が、きょとりと大きく眸を見張り。それから、ふりふりとかぶりを振って、

  「ちやうの。おとと、くれるの。」

 小さなお指を、そんな所作さえ大変な様子にて突き立てて。葉柱を指差して言ったからには、
「おととって…もしかして“お魚”?」
「うっ。」
 はっきりくっきり頷いた坊やであったりし。

  「………紛らわしい奴だのう。」
  「それはいいからっ。もう解ったなら、この足どけろっ!」

 それ以上踏み込むなと、自分の腹の上で細い足首を押さえて捕まえた、盟主殿の綺麗な御々足しか見てない葉柱らしかったので………。

  「ていっ!」
  「ぐえぇぇぇっっっ!!!」



   ……………………………………合掌。
(おいおい)






            ◇



 人里に迷い出た熊を、捕まえた後、山の深みへと放すとき。猟犬を数匹、故意に吠えさせてけしかけの、爆竹を鳴らしの、さんざん脅かして追い返すのだそうですね。可哀想だが仕方がない、里はこんなにも怖いところだから近づくなと叩き込むためなんだそうで。それに十分見合うだろう、それはそれは恐ろしい光景をさんざん見せつけた大人げない大人たちが、やっとのことで喧嘩(?)の鉾を収めてくださり。

  「無責任に情を振り撒いてんじゃねぇよ。」
  「しょうがねぇだろ、まだ乳飲み子だったんだしよ。」

 あれは数カ月ほど前の初夏のころだったろか。自分が寝起きする祠の近くの沢の河原で、猟師に矢を射かけられたか、それでも何とか逃げ延びたらしいキツネの親子と遭遇し。母親はもう事切れておったのに、この子はそれが判らぬか、親の体を舐めるばかりで離れようとしない。まだ乳離れ前だったらしくそのままでは生きてゆけぬかもと思って、あっちに戻っている時は、葉柱がちょくちょく世話を焼いてやってたらしくって。
「キツネは犬や猫やタヌキのような雑食じゃねぇ。」
 草や木の実や、も少しゆずって人の残した残飯だとか。そういったものは一切食べないから、どうしても狩りを教えねば生きてはゆけない。関わり合ったのも何かの縁だし、放ってもおけなくて、それで接しているうちに懐かれてしまったと、渋々ながら白状した葉柱へ、
「それでも。それで死ぬのもまた自然の摂理ってもんだろが。」
 大体、トカゲとキツネっつったら、食物連鎖じゃあ喰われる側だろがお前らはよ。食物…何だって? 自然の環境の中での、喰う方と喰われる方の関係って話だ、お前は大きいから喰われやすまいが、小さいのは格好のエサんなるんだぞ? 判ってんのか?
「ったく。寿命が長い奴はそういうものへの把握も違うんかね。」
 大体、何でまた俺がお前の眷属の心配までしてやってんだよ。お前がしっかりせんかいと、やっぱりむっかり眉を顰めたお館様であり、
「いくら見るに見かねても、最後まで世話出来ねぇなら、ちょっとでも手ェ出しちゃいけねぇんだよ。」
 理屈としてのお説教のつもりでも、他でもないこの人からそれを言われると、さすがに耳が痛いらしい黒髪の総帥様。後ろ頭を大きな手でほりほり掻いて見せた彼のお膝には、さっきの小さな和子が、大きめの椅子にでも座るかのようにちょこりと収まっており。指の付け根、甲にえくぼが並ぶほど、ふくふくした小さな手には、セナが庫裏から持って来てやった干した魚が、せんべいみたいに両の手で握られている。それの頭を…大人の顎でも堅いだろうに、ぱきりぱきりと嬉しそうに齧っては、はむはむと奥歯でよく噛んで、美味しそうに味わっているから。なるほどやはり、この子は人の子ではないらしく。
「キツネの邪妖でしょうか?」
「そんなとこだろな。」
 こんな小さいのに、もう化けられるのですねと、大人の年経たのではないことは、セナにも判っている模様。
“だってそれなら、こんな無防備に、しかもわざわざ、咒力の強い陰陽師の家へと来るもんですか。”
 あはは、そりゃそうだ。長く生きながらえて妖力を得たクチだったなら、もっと用心深いはず。そんなお弟子さんからの質問へ、
「きっとそういう血統の子なのだろうさ。」
 神様の使いとされてるキツネにも、実は…人間の世界でいうのと似た、但し神様の世界独特の階級というのがあるそうで。そこらの野辺にいるキツネでも、恐ろしく長生きをし、知恵をつけたり徳を積んだりしたなら、そちらの序列へ入れる資格を与えられるそうだけれど。苦労知らず、若しくは勉強不足が見え見えなほど、こうまで幼くても妖力が高いとなると、そういった“秀才”の筋ではなかろうて。そんな自分への話題が頭の上にて交わされているのへ気づいたか、お顔を上げるとかっくりこと小首を傾げた和子であり、
「なんで判るの?」
 あんねあんね、ととさまがね、人のいっぱいいるトコは、このカッコで来なさいって。でないと、怖いおじさんに捕まるぞって。それでと、一番最初に“うんうんっ”て頑張って覚えたのが、人への“変化
へんげ”の術だったそうだけれど…バレてちゃあ世話はなく。
「おにさんたち、そゆのわかる人?」
 物の怪の気配が見える人間もいるということも、恐らくは葉柱から教わったらしい子ギツネへ、
「それもあるがな。」
 セナが吹き出しそうなのを必死でこらえているそのお隣り。ととさまをさんざんに蹴ってたお兄さんのほうが…綺麗なお手々で作った拳を口元に当て、咳払いを一つしてからおもむろに言ったのが。
「…それが見えておってはなぁ。」
 ついと延ばされた手の先、人差し指にて示されたは。坊やのお尻から立ち上がり、葉柱の腹をはたはた叩いている、ふさふさのお尻尾と来てはねぇ。きっとお庭にいた段階から、これがはっきり現れていたに違いなく、
「あやあや………。////////
 しまった〜〜〜っと、真っ赤になって両手でお尻へ押さえつけ、えいえいっと術をかけ直しているところは何とも愛らしいが、
「そんな不完全なものになったは、此処が結界だらけの空間だからぞ?」
 蛭魔が目元をやんわりと細め、そんな風に説いてやる。

  「けっかい?」
  「ああそうだ。」

 俺やこっちの坊主みたいに、お前たちの気配が見える者は、こういう術もいっぱい知っておるからの。お前たちでは害はないが、中には乱暴な奴もおろうから。そういうのが寄って来ぬよう、化けても正体が判るよう、色々なまじないが仕掛けてある。
「なあキツネ。そもそも葉柱は、人里へは来るなと言い置かなんだか?」
「うっと………。」
 ちょっぴりもじもじ、小さな肩越しにちらって背後の葉柱を見上げたのは、坊やなりに疚しいものを自覚したからだろう。怒っての怖い顔にはならなんだけれど、よしよしと庇う気配もなかった彼であり。せめて自分の口から言いなさいという示唆に準じて、

  「ゆわり、ました。」
  「そか。言われたか。」

 まあ此処は、ぎりぎり場末で、野辺と呼べんこともないかも知れんがのと、金髪の術師様、くすりと笑って見せてから。
「まあ、なんだその。こいつは一日中、此処にいることの方が多いから。」
 それでと追い駆けて来た気持ちは判らないでもないし、まだ自分で狩りが出来ないなら、冗談抜きの死活問題。
「腹が減ってのことだったなら、此処へ来てもいいが、その代わり。」
 長くて綺麗な人差し指を、ついとお顔の前へ立てたるお館様。一体どんな“その代わり”が飛び出すものかと、坊ややセナのみならず、葉柱までもが息を飲んで言葉を待てば、

  「俺も多少は手伝うから。お前も此処で修行をしな。」

   ――― はい?

 名前はなんてんだ? えと、葛の葉って、ゆいます。なんか仰々しいな。普段は“くう”って呼んでんだがな。

  「よっし、判った。」

 だったら、此処ではお前は“くう”って子供だかんな。出来るだけ人の姿をしたままで居な。それが出来ねぇ、続かねぇ日は諦めて、祠で留守番だ。よしか? 物事をとっとと決めるのが大の得意なお館様、有無をも言わさずの即決でそうと決め、
「まずは…止水の練習だ。ちび、集中の鍛練だ、お前も付き合ってやれ。」
「はいvv
 いきなり、しかもこんな可愛い“後輩”が出来たのが、セナくんにも嬉しいことであるらしく。黒の侍従さんのお膝から、まずは降りておいでと手招きする彼へ、
「…?」
 またまた小さな肩越し、自分の背後を振り仰ぎ、総帥様を見上げた坊やへ、今度はこちらも大きな手でぽふぽふと撫でてくれたものだから。よいちょとおりて、それからそれから、さっき上がって来た濡れ縁まで誘
いざなわれ、向かい合っての集中のお稽古が始まって。

  ――― すまんな。
       何がだ。

 あの子が祠におるのもそろそろ限界だ。乳離れの時期も過ぎて、今は虫を食べ始める頃合い。さすがに自分が蟲なのにそうは行かないからと、沢で魚を取っては切り身にして食べさせているが、そうなると、口が肥えたか昆虫の類いにさえ見向きもしない。魚はもとより、鳥やネズミも今の坊やではまだ捕まえるのが難しいと来て、どうしたものかと案じておったのでな。

  「それでの、このところの寝不足か?」
  「………まあな。」

 顔に似ず、結構繊細じゃねぇかと、鼻先で笑ったその横顔が、やっぱり何とも綺麗で綺麗で。丹精した酒の風味や、手をかけて大切にして来た紫壇の光沢の趣きのように。奥深いところから滲み出して来たもののような。何とも繊細でやさしい微笑い方へ。ついつい見惚れてしまっていると、今度は、
「…鬱陶しいぞ。」
 呆気なくも蹴っ飛ばされたが。蹴られて伏してしまったので、葉柱には見えなかったその切那、耳まで赤くなったお館様だったのは…もしかして。なんで見惚れてた総帥さんだったのか、薄々察してのことだったのかも?


  ――― 何しやがんだよ、この乱暴者。
       うっせぇなっ。今のはお前が悪いんだっ!
       ??? はい?
       〜〜〜〜〜。////////


 ウチのお師様は、あのね? セナのこと、涙目になるまでからかったり、式神の葉柱さんを、いつもいつも容赦なく蹴飛ばしたりもする人だけれど、ホントは・あのネ? 小さき者を愛惜しみ、健気で一途な、それは可愛らしい“一生懸命”を、微笑ましげに見守るのが好きな、お優しい方なの。

  “ね? ホントでしょ?”

 高いお空のその下。柔らかな秋の陽の降りそそぐその中で、小さなお仲間が増えたことも含め、幸せそうに擽ったそうに笑ったセナくんであり。これから深まってゆく秋の、もしかして物悲しい趣きも、このお屋敷には関係のない風情になりそな、そんな楽しい予感がしている小さな書生くんだったらしいです。





  〜Fine〜  06.10.02.〜10.04.


 *懐かしアニメの『うる星やつら』では、
  怒ると机だって投げちゃうしのぶちゃんと、
  変化上手(?)な子狐のエピソードが異様に好きでございましたvv

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