Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “妖野沼 綺譚”A
 



          




 何も正義の味方を気取った訳じゃあないし、帝やその筋からの依頼があった訳でもない。都とは名ばかりで相当な場末にある館の近隣の村に、怪しい存在からの脅しが舞い込んだという噂を聞き、それにしては標的が…そこらの地主ではあるものの住まいは遠い、他所の貴族のしかも末姫をと名指しして来た。とはいえ、邪妖も恐ろしいがご主人様とて畏れ多くて、こんな話なんて出来やせんと。村人たちが困っているらしいという話を漏れ聞いて、暇つぶし半分に勝手に手を出した邪妖退治であり。きっちりととどめを差せないような手出しでは、邪妖の更なる報復にあって却って酷いことになってしまいますからと。こちらの手腕や正体を知らない村人たちからは、むしろ迷惑がられさえしたくらいの仕儀でもあって。

  “…そんなもんはどうでも良いさ。”

 仕損じたとは思えない。小物と見くびっていたせいで少々手古摺りはしたが、あのままでもとどめは差せたし、そんな自分の手を患わせるまでもないと思ったか、飛び込んで来た葉柱とて、同じな筈。あんな小物の何十倍もの邪力に満ちた大妖でさえ、鮮やかに蹴倒した戦いを、これまでに幾つも二人一緒に掻いくぐって来たのだから。あんな詰まらぬ輩を相手に、相討ちなんてな無様に至る筈はない。

  ――― だが。

 ならばどうして帰って来ない。傷の手当もそこそこに、心配するセナを進に言って下がらせて、もうどのくらいの刻が経ったか。
“…馬鹿野郎。”
 あんな下級の邪妖に遅れを取ってどうすんだとか、まさかまんまと殺
(や)られちゃあいまいなとか。この俺様の式神なんだから、見事しっかり働き切らんかとか。悪態をいくら思いついてもそれを任せるだけの勢いが生じず、形になってくれない。
「………。」
 ふと気づいて自分の胸元、小袖の合わさりから拾い上げたは、大人の親指ほどの大きさの深い緑の翡翠の塊り。革の紐を3重ほど巻かれてあり、少し縦長で武骨な形のその全ての角が丸くなっていて、いかにも手擦れしている古いもの。いつぞやの晩に“お前の代わりを何か”と柄になくも強請
(ねだ)ったら、こんなもんで良いかと差し出した刀の根付け。彼奴(あやつ)が敵対する邪妖たちへの武装として、一端に刀を使うようになってからのずっと、その身につけていたものならしく。
“………。”
 こんなものより眞
(まこと)の名を呼べ、そうすりゃ一瞬で自分が駆けつけられるなんて言っていた朴念仁。
“…眞の名。”
 殻を持たない陰体だけれど、陽世界に存在することを大地から許された証として賜る名前。その存在の始まり。これも何かの折にはきっと役に立つからと、彼から教えられてはいるけれど。

  ――― 呼んでみても…来なかったら?

 来たくとも来られない彼だったらどうするのだと。想いが形を取るか取らぬかのうちにも、金の髪を揺するほど大きく かぶりを振り、そんな杞憂を振り払う。馬鹿な。そんなこと、努々
(ゆめゆめ)思うんじゃねぇよ。俺は術師なんだから、ただ思ったことさえ何かの拍子、実現しかねねぇ身なんだぞ? 何処かで何かが大きく矛盾していたが、そんな風に感じた途端、あの現場から…半分は無理矢理に遠ざけられていたその時も、何故だかその名を呼べなくて。喉の奥が凍ったようになっている。

  ――― は ば し ら。

 この名は呼べるが、もう一方。教えられてた眞の名だけは、どうしてだろうか呼べなくて。もう何十とついた溜息を、盃の中、月を映した澄酒の上へと重くこぼす。運ばせはしたが飲む気にもなれず。陰々鬱々、ただただ座り込んでいると、

  ――― ふわりと。

 肩から背中へと暖かく。その痩躯を包むように覆った気配があって。あまりに無防備なまま易々と抱きすくめられた格好になり、
「……………っ!!」
 さしもの蛭魔であれ、虚を突かれたことへと総毛立ちそうになったものの、

  「たでーま。」
  「…っ!」

 振り向くより先の声に、その声だけで胸が痛いほど詰まった。聞きたかった声。触れたかった温み。そぉっと抱きすくめられ、想いは声にならぬまま、胸の中、どんどんとその容積を増してゆき、

  「な…っ。」

 振り返りざま、いきなり………どかーっと蹴られたもんだから。葉柱ほどの体躯が奥の壁まで一気に吹っ飛んでおり。しかも、少しばかり前へと跳ね返ったほどのその威力は凄まじく。
「何しやが…っ」
「何してやがったっ!」
 帰って来るなら庭の方、外からだと思っていたものが、背後から突然現れたもんだから。驚きも大きかったに違いない。その庭を照らしている月光を背に負っての仁王立ち。何とも勇ましく立ちはだかって、帰って来るのがこうまで遅かった式神への詰問を飛ばす、金髪痩躯の術師殿であり、
「だからっ。凄げぇしぶとい奴だったから手間取ったんだよっ。」
 壁まで吹っ飛ぶような蹴りを食い、瞬発的な反射で怒鳴りかかった葉柱だったものの。最初の一声を掛け合った段階の威勢で負けてしまったのが尾を引いたか、あまりに力強い逆シルエットに見下ろされ、語勢までもがどんどんとトーンダウンしてしまう。
「何とか息の根を止めて上がったもんの。身体中が沼の瘴気や泥まみれだったから、清めにって泉に行って洗って来て。それからこれに着替えて…だな。」
 律義にもいちいち説明する彼の、その傍らへ黙ったまんまの蛭魔が つかつかと歩みを運ぶ。無表情なままだったので、これは…何に何でだかまでは知らないが、随分と怒っているに違いないと断じ、
“…ひいぃいぃぃぃ〜〜〜。”
 その内心にて、みっともなくも震え上がり、かけた、蜥蜴の総帥殿であったのだが。

  ――― とたり、すとん、ぱさり、ごそごそ。

 すぐ間近に立ち止まり、力なく頽れるように板の間へと膝をついて座り込み。有無をも言わさず、ごそもそと。反射的に尻込みしかけて後ろ手に手をついたままだった葉柱の懐ろへ、その痩躯をもぐり込ませて来た蛭魔であり。

  「…あの。」
  「うるせぇよっ。///////」

 月光の青に負けないくらい、見下ろした耳朶が色づいて濃くなっている。頬を擦り寄せた肌が冷たいのは、全身を水で清めてそのまま、大急ぎで此処へと駆けつけたから? なのに不思議と、温かい。胸の奥は、未だ きゅうきゅうと締めつけられてて痛いまま。なのに、此処はなんて居心地がいいんだろ。口惜しげに苦笑しつつも睫毛を伏せる蛭魔であり、
“…お〜い?”
 こちらの肩と胸板の狭間のあたりへ、小さめの顔を押しつけたまま、じっとしている盟主の様子に、
“………。”
 怒ってはいたが、今は…ちょっとだけその勘気も引いたらしいと。やっとのこと、そこまでは嗅ぎ取れるようになった葉柱が、何とかほうっと安堵の吐息をついて見せる。いや、だからさ。そうじゃなくってね? あんな乱暴さで迎えたものの、本当はあなたのこと、随分と心配していたお館様であったのだけれども。
「………。」
 逃げ腰だった身を起こし、そろそろ・そぉっと両腕でその痩躯を抱え込めば、それを許すという代わり、柔らかな頬がこちらの胸へすりすりと押しつけられたから。これはもう大丈夫なんだろうと、安心したら…別の心配が想起され、
「なあ、怪我は?」
 あの馬鹿邪妖が、恐れも知らんとお前に噛みついていただろうがと。がっしりとした顎を引いて懐ろの青年を覗き込めば、
「ん。」
 短く言って小袖の合わせの、こっちからは外になる側を自分でくつろげる。セナが簡単にだが晒しを巻いてくれていて。白い肌に尚の白布が何とも痛々しい。がっつりと齧りつかれはしたが、装束の厚みのせいでそんなに深い傷にはならなかった。一応そうと告げたのに、
「…ん。」
 確かめたそのまま腿の上へと抱え上げ、相手との高さを合わせた葉柱は、蛭魔の懐ろへと顔を伏せ、晒し布の上から口元を当てる。彼らは…個々の妖力の高さにもよるのだが、人間よりも自力治癒の力が強く、その生気を練って人へと与えることも出来るという。これもまた、日輪に拒まれた陰体なのにもかかわらず、陽世界にて永らえられるだけの逞しき生命力だということか。触れた瞬間はひりっと痛んだが、そのまま温かさに包まれて、どんどんと痛みが去ってゆく。すぐ間近の目の前、肩の上へ乗るような位置に来ている、黒髪の乗った総帥殿の頭を、そぉっとその腕の中に掻い込んで、そこから上へと連なる、雄々しき肩に触れ、頼もしい背中へと、こちらからも片方の手を伸ばしてみ、そっとそっと此処にあることを確かめるように、恐る恐るに撫でてみれば。そんな悪戯な手を捕まえて、

  「他は?」

 顔を上げぬままに訊いて来るから。
「もういい。」
「いいじゃなかろうが。」
「なら、自分で探せ。」
「…おう。」
 少しだけ浮かせた精悍な顔と、一瞬だけ視線が絡む。何とも男臭い笑みが浮かんだのが、思わぬことだったからか、頬が熱くなるほどにも胸へと染みたが。そのまま首条に温かな唇の感触が触れたので。背中へと伸びて支えてくれてる、長い腕へと身を任せたまま。さっきまでの気鬱も振り払い、どこか楽しげに眸を伏せた、うら若き術師殿であったそうな。











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 若木のように撓やかなその身に、余計な怪我や傷、痣などはないかを一通り“確かめ”られて。自分ばかりを裸に剥くんじゃねぇとばかり、お返しではだけてやった漆黒の狩衣の裡
(うち)、屈強な肢体の、汗がひいて少しひんやりする肌に頬をつけ、うつらうつらしかかっていた術師の青年であったのだが。

  「…さてと。」
  「はい?」

 食休めでも終わったかのような、何とも色気のないあっけらかんとした言いようをして。そのまま“う〜ん”っと身を伸ばすと。ひょいっと仰向いて、自分の式神の男臭い顔を至近から見上げて来た。やや吊り上がって力んだところのある、質のいい玻璃玉のように透いた金茶の瞳には、妙に…悪戯っぽい、躍動に満ちた光が宿っており、
「もう1匹の邪妖も退治しておこうじゃねぇか。」
「? もう一匹?」
「ま、俺が何かしなくとも、自業自得の“反呪”が戻って来ている筈だがの。」
「あ…。」
 成程ねと、合点がいって。蜥蜴の総帥、苦笑を洩らす。
「介添えは俺一人で良いのか?」
「別に構わんさね。」
 寝ている枕元へ悪戯しに行くよなもんだしよと、さばさば言い切った蛭魔だったが、慣れた手際で葉柱が、彼の直衣をきちんと着せ直し終えたそのタイミングへ、

  「俺も行こう。」

 そんな声がした。んん?と見やれば、御簾の向こう。庭先へと突き出た濡れ縁に、大柄な青年の影がある。
「進、か?」
 とたとたと、板張りを軽く鳴らして無造作に近づけば、こっちへは背中を向けて立っていたらしいのが、肩越しに振り返って来て、
「主
(あるじ)にな、顛末を話してやりたいのだ。」
「何だ。あいつも気づいていたのか?」
「いや。だが、ただの邪妖退治ではなかったのだろう?」
 まあなと頷き、ついて来るなら好きにしなということか、そのまま濡れ縁から降り立った蛭魔であって。
「おい、葉柱。佳山木坂の小路まで連れていけ。」
「判ったから、そうそう先へ先へと たったか行くな。」
 術で飛べと言うなら むしろ傍らにおらんかと、額に青筋を立てつつ葉柱が目許を眇めたのもまた、進がこっそりと苦笑するほどに いつも通りの呼吸だったりする。



 そうして彼らが一瞬にして辿り着いたは、大権門とまではいかないが、それなりの格は誇っているらしき貴族の家だ。蒼い月光が華やかな生者の色を盗み取り、木々や茂みを褪めた色合いの紗の中へと押し込むように沈めている。唯一、生き生きと灯る篝火へ、迷い集まるは羽虫の群れ。月の光との区別がつかない彼らが愚かなのか、それとも、人が闇夜を制覇したくて灯した、不自然な炎に科
(とが)があるのか。
「ここの御曹司が、身分違いにも…邪妖からご指名されてた権門の可憐な末姫に、勝手な横恋慕をしてあっさり振られたらしくてな。」
 御曹司と言っても、今時には結構いい年をしたおっさんで。熱心に通ったものの、姫御本人のみならず、親御様方にまで煙たがられて。しまいには門さえ閉ざされての けんもほろろと、キツく袖にされたのが悔しかったらしい。しかもその話が、ぼつぼつと市中での噂になってもいたらしくてな。体面を思うなら、そんな腹いせを構えるより、まずはもちっと自分の不行状を慎みゃあ良いのにな。くくくと笑った術師殿、
「人を呪わば穴二つってのはよく言ったもんでな。呪法は失敗すると、本人へそのまま返るんだ。」
「それが、自業自得の“反呪”か。」
 全く同じ呪いが返るか、今回のような場合は、
「あの邪妖が、最後の力を振り絞って地獄への道連れにと術者を迎えに来るか。」
「そんなにも手厳しいものなのか?」
 と、これは進が怪訝そうに訊く。
「お前たちは邪妖を封印退治するために、様々に咒を唱えるだろう? だが、その全てが成功する訳でもあるまい。その度に、術者は相討ち扱いされて…逝んでしまうのか?」
 それなり、見識や度量も大きい式神の彼だが、人の世界の機微のあれこれにはまだまだ疎く、それでそんな素朴なことを思ってしまったのだろう。それとも。そんな道理になっているなら、自分の主人もまた、一度もしくじれない危険な身なのではと感じたのかも。そうと訊かれた蛭魔は…あの小さな書生くんに問われたかのように、意外なほど柔らかな表情をして見せると、
「ああ、それはまた別だ。」
 ゆっくりとかぶりを振って見せ、
「というか、俺が言った“人間が構える呪い”というのは“同族殺”のことだからな。それで、邪妖征伐の封殺以上に罪が重いのだよ。」
 何とも愚かな生き物だろう?と。自分も含めての自嘲の笑みを、その綺麗な顔容へと浮かばせて。


  「さあ、せいぜい脅してやろうぞ。
   もしかすると、さっきの邪妖に先を越されているかも知れんがな。」








  〜Fine〜  05.7.12.


  *たま〜に、陰陽師さんたちらしい話も書いてみたくなるのですが、
   格闘のノウハウにバリエーションがないもんだから、
   似たり寄ったりな話になってしまって ごめんなさいです。
(笑)

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