いよいよ秋も深まって来て、随分と高くなった秋空を背景に、街路樹が少しずつその色を変えつつある。いくら何でもそろそろ上着なしでは寒い季節で、朝のつんと冴えた空気の中には、どこに咲いているのやら、ほのかに甘く華やかな金木犀の香りが滲んでいて。テレビのニュースショーなどでは、コスモスの群生が風に揺れる様が取材されていたりもし。周囲にさほど背丈の高いビルがあるでなし、あまり高みまで駆け上がらなくなりつつある陽が、されど遮られることもないまま。飾り格子の嵌まった大きな窓から柔らかく差し込む、それは居心地のいい小さな喫茶店のカウンターでは、
「お前、色々と器用なくせして、何でまた箸の持ち方だけは下手くそなんだ?」
「む〜〜〜っ。」
店へと着いた早々に“お腹空いた”を葉柱へ向かって連呼していたら、おやつ代わりにとマスター謹製の焼きそばを出してもらえたのだが、小さな白い手が割り箸を操る手際がどうにも怪しく危なっかしくて。さすがに口を皿の縁へと持ってゆく“犬食い”だけはしない子だけれど、バッテン握りの箸が何とか挟んだおそばの方へ、横からお口を持ってくという順番なのは考えもので。
「まさかお前、こ〜んな小さい弁当箱に先の丸いフォークつけて持ってく手合いじゃなかろうな。」
葉柱の大きな両手が、カウンターの上で随分と小さな楕円の輪っかを作っているのを見て、
「それは幼稚園で卒業したもん。」
いくら何でもそこまでお子様扱いすんなと、妖一坊やが“ぷぷい”と膨れた。仲が良いやら悪いやら。いつもいつもこの調子の彼らであり、カウンターの中では無口な初老のマスターがお髭の下で口許をほころばせて くすくすと笑っている。言葉をたくさん知っている口調からして、ホントの年齢は実は見た目より2つほど上なのだろう。色味の淡い金の髪に透き通るような白い肌と華奢な肢体の、愛らしくも稚いとけないお顔をした坊やと。白地の長ランという いかにもな筋のやんちゃさんが着る改造制服をまとい、髪もポマード辺りでぴしっとキメていて。男臭くも精悍なお顔、普段はいつでも“ぶっ込み上等”と言わんばかりの恐持てを保っている大柄な高校生と…という、一見すると何ともバランスの妙な、何かの“判じ物”のような二人連れだが。それは軽快に紡がれる会話や、1つのシークエンスに必ず1度は交わされるささやかな口喧嘩(必ずお兄さんが言い負かされている)の中に、隠しようのない暖かみがあって。当初はあまりにズケズケとした口を利く坊やの、度を超した怖いもの知らずな様子へと、容赦なく怒鳴られて泣くのではないか、つねられたり蹴られたりして痛い思いをさせられるのではないかと、我が子のことの如くにハラハラしもしたマスターだったが、
「美味し〜vv」
にこにこといつだって愛らしい笑顔しか見たことがない坊やであり。ということは…小馬鹿にされても怒ったりせず、それはそれはこの子を大切に可愛がっている総長さんであるらしいと、今では理解も追いついているから。大人も顔負けな言いようを坊やが持ち出しての口喧嘩が始まっても、ああまたですねと苦笑をするだけとなって久しい限り。だってほら、
「ほら、口の周り。」
油だかソースだか付けてるぞと、小さな頭を軽く抱え込んで。紙ナプキンを手に口許を甲斐甲斐しくも拭ってやる手際の良いこと。そして、
「痛いってば。ちょっとは手加減しろよなっ。」
それでなくたって神経が回り切るのに手間のかかるでっかい手なんだし、こっちだってアメフトボールやバイクのハンドルじゃねぇんだしと。やっぱり聞いたような言い回しをする坊やに、
「…っとに、口の減らねぇ奴だよな。」
呆れたように目許を眇め、だが、すぐにもクスクスと苦笑してしまう総長さんですからね。威勢のいい口答えなのは元気な証拠だと、そんな風に解釈しているのでしょうか。坊やの方だって、文句を言いつつ、なのに…振り払ったり逃げたりはしない。構ってもらうのが嬉しいぞという笑顔でいるから、そこがまた可愛らしいったら。お好みのブレンドのコーヒーをゆっくりと味わいつつ、他愛ないお喋りを楽しむ、ちょいと風変わりな組み合わせの大小二つの背中が並んだカウンターの横手、
――― からころろん、と。
スィングドアに提げられたカウベルが軽やかに鳴って、新しいお客様のご来店を告げる。住宅街の中にある小さな喫茶店は、夕刻からはお酒も出すスナックへと様変わりをする。そんなせいか、店内の作りはカウンター席が中心で、壁に沿って5つほど、2人掛けと4人掛けのテーブルもあるにはあるが、そちらに向かうお客は少なく。今入って来たお客さんも、他にはお客のいない店内を見回すまでもなくという感じで、そのまま真っ直ぐにカウンターへと足を運んで来た…のだけれど。
「…桜庭じゃん、どしたんだ?」
ごちそうさまでしたの合掌をしたところな金髪の坊やが“あれれぇ”と声を上げて。自分の傍らへ真っ直ぐ歩み寄って来た…木綿のパンツにデニムジャケット、秋らしいチャコール系で色合いをまとめた姿のお客人をあどけなく見上げ、
「何だ? ジャリプロ。練習サボって来たんか?」
坊やの向こうから、総長さんまでが気さくそうなお声を掛ける。すると、
「…その呼び方は辞めてよね。」
亜麻色の豊かな髪の上からお帽子を取りながらの、やや堅いお返事が。芸能人だってことでしか肩書がないみたいだからと嫌がるのを分かってて、坊やがいつもいつもそう呼ぶものだから。ついつい葉柱もそう呼んでしまう癖がついたこの青年。今や全国のみならず、韓国や台湾、中国にまで幅の広いファン層を持つ、歌って踊れるスーパーアイドル。(ただし、ナマ歌は聴くのにちょっと覚悟がいるとは、ヨウイチくん談。)王城学園高等部1年の、桜庭春人くん、15歳で。
「だってサ、王城は関東大会に進むんだろうによ。」
葉柱が率いる賊学カメレオンズは、プレーオフでも勝てなかったので、都大会は4位に終わり、この秋の大会は残念ながらここで終了。見事優勝した王城ホワイトナイツを筆頭に、3位以上は関東大会へと進み、神奈川や茨城、北海道といった他県の強豪たちと戦う、クリスマスボウルまでの道程を依然として突き進んでいる筈…なのだが、と。お砂糖抜きのアッサムティーに口をつけつつ、そんな身分の方がこんなところで何してらっしゃるのかしらと、聞いた風な言いようをする、相変わらずにこまっしゃくれた坊やであり、
“んもう、葉柱くんに邪険に当たったからって…。”
勢い“敵視警戒モード”に入らなくたっていいじゃんかと。勢い込んでた肩を落としつつ、隣りのスツールに腰を下ろすと、マスターさんにコーヒーをオーダーする桜庭で。はふっと漏れた溜息へ、
「暇なんだな、桜庭。」
自分よりもずっと大きなお兄さん相手に、呼び捨てのタメグチを利くのも今に始まったことではなく。むしろ親しいからこそのものと、それへは理解もある桜庭が、どうやら矛先は収めてくれたらしいなと、その声音から察しつつ。だがだが、
「冗談じゃないって。年末に向けて仕事だって忙しくなるし、もちろん、アメフトだって来期のレギュラーを考えたら気が抜けない毎日だしサ。」
あ、でも今日はネ、公欠取ったからゆっくり出来るんだけどと、聞いてもないこと付け足してから、
「オマケに。
どういう訳だか、ここに来てもう1つ、
仕事というか負担というかが、増えちゃったしねぇ。」
それに関して怒っているのはこっちなんだからね、だから今日はヨウちゃんのご機嫌の具合も怖くなんかないさ…ということか。妙に回りくどい言いようをする彼に、
「…そういえば。俺が此処に居るって、よく判ったな。」
この辺りは彼の生活圏じゃあないから、まさかに“通りすがり”ではなかろうに。となると…平日の昼下がり、王城が今頃励んでいるのと同じように、やはり練習に汗を流している葉柱と、それへと叱咤激励、ベンチからギャーギャーと怒鳴ってる坊やかも知れなかったのに。いくら今年の“クリスマスボウル”には行けなくなったからと言って、じゃあとあっさり“怠け者モード”に入る自分たちだと思われているのかな? どうにも推量するのが難しいなと首を傾げている妖一くんへ、
「別に難しいことじゃないさ。」
桜庭はクススと小さく笑って見せて、
「賊学にも実は行ってみたんだもの。向こうのグラウンドに居なかったから、じゃあこっちかなって。」
「…アバウトだな、そりゃ。」
此処でも捕まらなかったら、諦めたんだろうか。まずは携帯に掛けてくりゃ良かったのによと、妥当なことを聞けば、
「そんなことしたら警戒されるかと思ってね。」
マスターがサイフォンをセットしたのがカウンターの向こうに見えて、小さなアルコールランプに火を点けたマッチの、仄かな燐の香に何となく懐かしいものを感じて眸を細める桜庭だったが、
「警戒?」
何だかやっぱり、自分への遺恨らしきものがある彼みたいだなと、坊やが怪訝そうに眉を寄せる。
「さっきから、何か言いたそうだな。」
「まぁね。」
分かりやすく喚かないということは、それだけお怒りのほどが深いのか。でもでも、このところは…そうそう性分たちの悪い悪戯とか困らせるようなズボラとか、このアイドルさんへは仕掛けた覚えもないしなぁと、坊やにはさっぱりと心当たりが無さそうなので。本人に自覚がないならしょうがないかと、高校生の男の子のそれとは思えないくらいにすべすべとした頬に杖の代わりに当てていた、やわく握った拳をカウンターの上へ降ろし、
「ヨウちゃん、このところサ。進やセナくんに何か吹き込んでないか?」
「………っ☆」
桜庭の口から具体的な名前が出た途端、その表情が薄い肩ごと ヒクリと弾かれて。そんな反応へ“…やっぱりな”と、アイドルさんのお顔にも納得の影が。
「なんのことォ?」
「今更とぼけたって無駄だからね。」
もっと小さな子供のように振る舞ってだろう。語尾を伸ばしての白々しいお返事をして見せる坊やには、桜庭の突っ込みに乗っかるように、
“まったくだ。”
葉柱もそしてマスターさんも、事情の詳細までは判らないながら“同感だ”とついつい頷いてみたりして。(苦笑)
「…別に悪知恵とかつけてる訳じゃないさ。」
他にお客さんがいないせいもあってだろう。こりゃあ かわい子ぶってのアピールもし甲斐はないかと、言い逃れするのは早めに見切った賢い坊っちゃん、
「ただサ、進に“セナは甘いものが好きだ”とか“ふわふわなものも好きだぞ”とか、そういうの教えてやってるだけじゃんか。」
それに、こっちから持ちかけてないぞ? 進が訊いてくんだからしょうがないだろーと、先程までとは打って変わって、不貞腐れ気味の言いようで言い返せば、
「不祥事とかってことで、協会関係の人に見とがめられちゃったらどうしてくれるの。」
桜庭も負けてはいない語調で言い返し。そして、
「不祥事って何だよ、それ。ただ、知り合いの小さい子と放課後とか休みの日とかに待ち合わせて、迷子になんないようにって手を引いてやったり抱え上げてやったりして、大事に大事にお守りをしてるだけのことじゃんか。それって何か? 男子高校生がやっちゃっちゃあ、世間的には何か疚しいことなんか?」
こっちもそうそう簡単に負けたりなんかしないんだからなと。勢い込んで言い返した坊やの………小さな背中の後ろから。
「…お〜い。」
何か部分的に、傍観者でいられないフレーズがちょろちょろと出て来てる会話みたいなんですけれどと。葉柱が綺麗どころ二人の達者な舌戦に恐る恐る割り込んで、
「一体それって、何の話なんだ?」
すいませんが説明を乞うと訴え出れば。
「だからさ。」
素早い所作で肩越しに振り返って来た金髪の坊や。ここまでのテンポは良かったのに、葉柱のお顔を見上げた途端に…まだ丸みの方が強いながら、それでも切れ上がった綺麗な金茶の目許をちょいと斜ハスに構え、大人っぽくも意味深にすぅっと眇めて見せる。
「こないだの、ルイが来れなかった学芸会ん時にサ、桜庭と進が観に来てくれたんだけどもな。」
「…何で一々 そういう物言いをするかな、お前は。」
その話は…他のごちゃごちゃも絡んでのち、きっちり片付いた筈だろがとか何とか。こちらさんもその鋭い目許を眇め返して、こいつはよぉ〜と ご不満たらたら並べたそうなお顔になった総長さんへ。鳧がついてるからこそ蒸し返したんだよと言わんばかり、すかさず“しししっ”と悪戯っぽく笑った坊や、
「だから。
そん時にな、俺とクラスが一緒のセナってチビに、
あの進の奴が一発で一目惚れしやがったらしくってさ♪
そいで今じゃあ、仲良く“付き合って”んだぜ? あいつらvv」
さらりと一気に、楽しげに。それはそれはとんでもないことを、暴露して下さったのである。
◇◆◇
とは言ってもね。あんなに怖がってたくせによというのが正直なところ。そう。この“小さな小さな恋ものがたり”に関しては、それは小さくて可憐なセナくんの方が“事の発端”だったから。この点へは妖一坊やも…これで ちょっとは驚いているのだ。
「あのねあのね。あのお兄さんのお名前とかね。ヒル魔くん、知ってるの?」
潤みの強い大きな琥珀色の瞳に、ふかふかな頬と柔らかそうな小鼻。華奢な印象の小さな顎の上には、緋色の瑞々しい唇が甘く開いて、真珠のような白い歯がちらりと覗き。あのねあのねと、舌っ足らずな幼い声を屈託なく紡ぎ出す。女の子みたいに小さくて可憐。内気で怖がりで、放っておくと詰まんねぇ奴にからかわれてすぐ泣いてたもんだから。自分のクラスのもんが好き勝手されるのは気に入らねぇと、大いなる仕返し大作戦を敢行したのが、実は…妖一坊やの“1カ月以内での ○○○小学校完全制覇伝説”への、そもそもの最初の第一歩だったのはここだけの話だが。(おいこら) そんな自分へも、どこか怖ず怖ずという態度でしか話しかけて来ない、小早川さんチのセナくんが。朝一番の教室にて、自分の席でランドセルを背中から降ろしていた妖一くんへと声をかけて来たのが…学芸会があった数日後のこと。おはようと蚊の鳴くようなお声でご挨拶をしてから、そんな唐突なことをいきなり訊いて来た彼であり、
「あのお兄さん?」
こちらは…丁度、間が悪くも葉柱くんと喧嘩して ぎくしゃくしていた頃だっただけに、少々険のあるお顔で“あぁん?”と威嚇するよに訊き返したところが、
「〜〜〜〜。」
今にも咬みつかれるのではと恐れているかのように、ふえぇぇっと小さな肩を窄(すぼ)めつつギュウッと眸を瞑ったところまではいつもの反応だったのだけれど。その日は なんと…珍しくもまだまだ粘ったセナくんで。
「うっと あのね。学芸会の時に桜庭さんと一緒にいた、コーコーセーのお兄さん。」
「高校生の、な。」
たどたどしい発音へ、厭味半分に言い直してやっても、
「うん。そのコーコーセーのvv」
本人にその意識は全くないらしいのだが、陰では“必殺 女教師殺し”と囁かれている、ふにゃりと柔らかそうな、愛らしいばかりの無垢な笑顔で応じられ、
「…判った、教えてやるからちょっと待て。」
天然純粋さの満ちあふれる、あまりの清らかさに あてられて。この年齢で既に歴戦の勇者である筈の妖一坊やでさえ…危うく中毒症状が起きそうになり、何に対してだか重たい罪悪感が込み上げて来て、思わず胸が“くっ”と詰まりそうになったほど。
“あ、危ねぇな〜、こいつ。”(苦笑)
思わぬところにとんでもねぇ地雷があったぞと、あくまでも自分の中には善人性を認めたくないらしい妖一くんが、自分の胸板を手のひらで押さえつつ何とか呼吸を整えて、
「あいつは進っていうんだが。」
「シンさん?」
そうだぞと、1時間目の算数の、まだ升目ページの指定ノートを引っ張り出して。
「こう書くんだ。名前の方は こう。清十郎っていうんだ。」
「セージューローさん?」
ふわふわな癖っ毛なのに艶も十分ある、誰もがついつい手を伸ばしたくなる手入れの良さそうな黒髪の乗っかった頭を、かっくりと傾げて見せる仕草がまた、その筋の愛好者には跪(ひざまづ)いて拝みたくなるだろうほどに、蜂蜜たっぷりの甘い甘い稚(いとけな)い代物。本人には欠片ほどにも“媚びよう”とか“おもねろう”とかいう意図はないもんだから。だとしたならば、これほどにも本人が危ない“誘惑”は他になく、
“無自覚なんだよな、ホントに。”
同世代には“イジメてフェロモン”になりかねないので、出来得る限り目を離さないようにしてやっている妖一くんでさえ、不意を突かれると先程のように腰砕けにされかねない“最終兵器(リーサルウェポン)”。とはいえ、
「…お前、あの兄ちゃんのこと、怖がってなかったか?」
妖一くんへと怖がって見せるのは、あくまでも威嚇的な顔をすればの話で。いくら何でもいつも庇ってもらっている頼もしい彼へは、セナくんの側からも相当懐いて来ていたのに。皆で講堂へ向かった隙をついて行方不明になった妖一くんを、何処かな何処かなと探していて。見つけたその傍らへ…なかなか近づけない素振りを見せていたセナくんだったのは。その時に向かい合ってたお兄さんの雰囲気が怖かったからに他ならない。桜庭さんの方は、テレビでも観ていて知ってたし、優しいスマイルが売りの芸能人だから…目線があってもニコッと笑ってくれて嬉しかったのだけれども。もう一人の方のお兄さんは、とっても強くて頼もしいヒル魔くんのこと、ムスッとした無表情で睨んでばっかりいたからね、あのね、何だか怖かったのと。あの後、講堂まで戻る道すがらに、そんな風に言ってた彼な筈なのに。臆病者で泣き虫なセナが、何でまた。ああまで怖がってた人物のことを知りたがるのかが腑に落ちなかった妖一だったのだけれども。
「あ、あのねあのねvv
あのお兄さん、M川さんトコのクロのこと、やっつけてくれたの。//////」
…おうおう、頬っぺ真っ赤にして、と。少々毒気を抜かれて固まりかかってしまった妖一へ、
「クロっていうのはこ〜んな大っきいワンちゃんでね? いっつも“わうわうっ”て物凄く吠えるから、そこの道 通るの凄っごく怖かったの。でもね、ほら、先週から本町の大通りの工事が始まっちゃって。回り道しなきゃいけなくなったでしょ?」
そんなせいで、その怖いワンちゃんが門扉のすぐ間際まで出て来て吠えたおす家の前を、なんと毎日通らなきゃならなくなったセナくんで。ドキドキしながら通りかかる彼の胸中を見透かしてでもいるかのように。他の子にはあまり吠えないその犬は、セナが通る時だけは熱でもあるのかと思うほどそれは激しく吠えまくるので、2日目にしてすっかり足がすくんでしまってた彼だったのへ、
「おいでって、大っきい手で手をつないでくれて。クロが“ヴ〜〜〜っ”て唸るのへ、物凄い怖い睨み方して黙らせちゃったの。」
ご近所で逢ったことは今までに一度もなかったから、通学路が近い筈はないのにね。毎日のようにその通り道だけを、朝と帰りと、ちゃんと待っててくれて、手をつないで通ってくれて。お礼とか言いたいんだけれど、それよかお名前とか聞きたいんだけれど、
「でもね、何か…そんなの恥ずかしくて聞けなくて。///////」
自分で言ったことへ“きゃ〜〜〜んvv”と恥ずかしがってまたまた真っ赤になる…お茶目な子。なので、
「………判った。奴の方に言っといてやる。」
恥ずかしがりやなセナだから、何も言えてないみたいだけれど。だからって誤解しないように。毎日の気遣いへはとっても感謝しているし、この含羞(はにか)みようから察するに…こっちからも想ってるみたいだぞってな。
◇◆◇
あの堅物の進清十郎さんが、妖一坊やのクラスメートに一発で一目惚れして。お相手のセナくんの方でもまんざらではなさそうだったのでと、二人の間の“橋渡し”をしてやった坊やであるらしく。その結果、今では仲良く“付き合って”いるというから。
「………っ☆」
それはそれは楽しそうに言ってのけた坊やだったが、聞いた側は…そうはいかない。葉柱が息を飲んで絶句しかかったのは、進という名には まずは縁のなかろう単語がくっついていたからで。驚いた次に、あまりの衝撃を表明しようと何か言いたいのだが、言葉が上手く見つからず。半ば開いた口許の下顎だけが“あうあう”と上下するばかり。そんな彼へと、
「うんうん。何かしら言いたくなったのは良っく判るよ、葉柱くん。」
桜庭が鹿爪らしくも大きく頷いて見せ、ああここにやっと、困惑と動揺にわいてる自分の胸中をちょっとは理解してくれそうな人がいたよと、安堵の吐息をついた模様。何しろ、彼らが挙げた“進”という名前。もしかしての“人違い”ではないのなら…高校アメフト界での超有名人である“進清十郎”くんのことであるのなら。その知名度の高さゆえ、この自分も良く良く知るほど“彼の横顔”というものもまた、彼を驚異的な実力者として知る者の自然な関心事として全国レベルで広まってもいて。
「アメフト一筋の寡黙な16歳。体を鍛えること以外へは異常なくらいに禁慾的で、食欲や睡眠欲さえ既にきっちり管理してしまえてる、修行僧みたいな奴だったよな、確か。」
葉柱が並べた結構 的確な表現に、
「そうだったんだよね。確かに。」
桜庭くん、かっちりした体格の大きな肩を落として“ふぅ〜〜っ”と感慨深げに溜息をつく。冬の碇星のように冷たく冴えた眸をし、屈強精悍、既にプロ選手のそれと引けを取らないほどがっつり鍛えた体躯を誇り、片腕だけで敵のランナーの突進を叩き伏せることの出来る凄まじい腕力と、音速に近いほどの俊足や反射をして、高校最強最速という異名を一年生の今から既に冠されているほどの名手であると同時に。年頃の青少年が普通に生活の中で吸収する“流行”や“趣味”といったあれやこれやを全く知らず、また、食べ盛りで寝穢(いぎたな)いものな筈の、若々しいからこそ有り余る様々な欲求とやらからも、自身をきっちりと隔絶させての自己管理を徹底しており、同世代の仲間とのコミュニケーションが難しい身となったまま、完全な孤高の中に悠然と立つ、とんでもないレベルの寡黙な戦士…だった筈なのに。
「それが今じゃあ。付き合いの長い僕でなくともそれと判るほどに、にっこりと清らかに笑えるようになるわ、フレッシュケーキのお店や新作コンビニデザート、今放映中のアニメ番組に詳しくなるわ。」
はぁあと額を押さえてため息をつく桜庭へ、
「そりゃあまた…。」
聞いてる葉柱の表情が、思わずのことだろうが同情のそれになりかかっている。とはいえ、
“…俺がそういうのに興味ないってだけの話じゃんかよ。”
総長さんだって、本来なら自分の関心外だった筈の…電器館のバーゲン・デーとかPC雑誌の発売日だとかをしっかり覚えてしまっているし、実はこれも大好きな坊やだったんですよの、モデルガンの解体チューニングのお手伝いだって、ぶつくさ言いつつも手際良くこなせるようになっている。それと同んなじ事じゃんかよと、そうと思うと“同情”なんて筋違いならしい妖一坊やへ、
「大体、何でまたヨウちゃんが二人の“橋渡し”なんかやってんのさ。」
桜庭が恨めしそうな顔を向ける。そんな少女趣味で面倒なこと、頼まれたってやんないだろう彼なのに。なんでまた今回に限っては、喜々としてセナくんの介添え役を買って出てみたり、進にセナくんの情報を自分から吹き込んでやったり。それはご親切なお節介を焼いているのかなと。そんなせいでますますエスカレートされちゃあ堪らない立場の者としての不平を込めて、説明していただこうじゃありませんかと詰め寄られて。
「だって面白れぇんだもんvv」
あああ、聞くんじゃなかったと。がっくり肩を落とした桜庭に構わず、
「あの進がサ、小っちゃいセナがぱたぱた駆け回るの じ〜〜〜って見てたり、窮屈そうに首を折って、懐ろに抱えたセナの言うこと、一言だって聞き漏らすまいとしてたりすんの、傍で見てると凄げぇ面白いんだもん。」
あと、甘いもんは苦手なくせして、一口だけは…セナが絶対に“あ〜ん”って食べさせるもんだから、我慢して食べられるようになってたり。セナにせがまれては、アニメの主題歌を一緒に口ずさんでたり…と、
「…おいおい。」
「それって…。」
聞いてるだけでは到底信じ難いことばかりを列挙され、
「うあ〜〜〜。もう引き返せない進なのかなぁ。」
どうしたもんかと、大きなため息とともに肩を落とした桜庭だったのへ、
「でもさ、いくら俺でもフォローには限界があるからなぁ。」
妖一坊や、珍しくもちょいとばかり、音を上げてるような言いようをし、
「朴念仁な進はともかく、結構気ィ遣いのセナはさ。俺も一緒だと妙に気を遣っちまってて伸び伸び出来ないでいるみたいだし。そうかと言って、まだ慣れたって言い切れない進に任せ切るのは不安がいっぱいだしさ。」
おやおや?と、葉柱が怪訝そうな顔をしたのが、
「お前も一緒って…そいつら二人でデートしてるって訳じゃないのか?」
「おうよ。何たってセナはまだ小さいからな。一番最寄りの駅前での待ち合わせってのにしたって、一人で待ってたり、待ってる人の中から進を捜したりすんのが、心細くて仕方ないらしくて。」
それに、ガッコのいじめっ子と鉢合わせしかねないしな。だから、待ち合わせん時はサ、セナが落ち着くまで一緒にいてやってんだぜ?と。お見合いの付き添い係みたいな役回りを続けている苦労を、ちらと仄めかし、
「もっと気の利く“大人な”サポーターがいればサ。
間近から的確なアドバイスをやれるだろうから、
進が突拍子もないことをしでかしもしないだろうし、
不器用なところから…セナが傷つけられちまうこともないと思んだけどな。」
からころろん、と。カウベルが軽やかに鳴って。お客様が帰っていった余韻を店内へと響かせる。結構 上機嫌で、鼻歌なんかも出ていた桜庭だったからサ。明日からは、あの二人のバカップルぶりにあてられ続けなくて済みそうだよなと。肩の荷が降りた安堵感に、ついつい甘い溜息なんか洩らしていると、
「…お前、途中からは面白がって、桜庭んこと焚き付けてなかったか?」
葉柱が呆れたような声をかけて来た。
「何の話?」
「ばっくれてんじゃねぇよ。」
お澄まししたって効かねぇぞと。目許を眇める総長さんへ、
「…だってサ。」
坊やも素直に…ぷっくりと膨れて見せる。
「セナと進の付き合いにあれほど文句言うのに、じゃあ何で、俺とルイがここんとこ ツルんでんのには、あいつ何にも言わねぇんだよ。」
いかにも不満げにぶうたれる坊やだったが、
“…それって。”
@間接的に、自分たちの付き合いも異常なんだぞと言われたような気がしたのか。
Aなのに、桜庭に気にかけてもらえないのが不満だったのか。
Bいやいや、ただ単純に“年の差”交際を悪く言われてムッとしたのか。
はてさて、一体どれが坊やの本音でしょうか?
“いやいや いやいや、交際って………。”
っていうのを展開中な自分たちなのかねぇと、カウンターに頬杖をついて小首を傾げていると、載っけてただけな方の腕を小さな手に搦め捕られた。
「…ところで俺らは付き合ってんだろ?」
「ふ〜ん?」
「何だよ、その反応。」
だから、誰かが見てるよな“外”でそういう発言をすんのは辞めとけって…おい、聞いてるか? だからデコを擦り付けんじゃねぇって。/////// 赤くなってなんか…それはお互い様だろが。////// おう、お前こそ、何だ耳まで赤くして。嘘なんか言ってねぇって、ほら真っ赤だ。紅生姜がついただ? 顔中に ぬすくったのかよ、こら、人の話を聞………。
――― やってなさいっての。
〜Fine〜 04.10.14.〜10.16.
*作品中の年齢設定はこのシリーズだからという代物です。
葉柱くんもラバくんも、ついでに進さんも、まだ一年生でして。
三月生まれのラバくんは、まだ15歳…。若いなぁ、うんうん。
それと、セナくんと妖一坊やが同い年ですが、
そんなせいですか、セナくんが案外物怖じしてなくて、書いててビックリ。
このバカップルの方の話は、
このコーナーではもう扱わないと思われますが、
ちょろっと出て来ただけの描写に、ああも沢山 食いつく人がいたなんて。
さすがは“進セナ”サイトだなぁ…。こらこら
**

|