Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “春暁夢行路A(はるのあかつき ゆめのかよひじ)
 



          




 連日の日和の良さに誘われて、それは多くの人々が出まかっての大変な人込み。それはそれは賑わっていた門前の通りから、ほんの幾つかほどの小路へと分け行っただけだのに。ついさっきまで、ただ通り過ぎるだけでさえ難儀だった雑踏の只中にいたなんて、夢まぼろしのお話であったかのように、誰の姿さえない、がらんとした空間へと出た彼らであって。もう少しほども日が経てば、そこここに梅なぞほころびそうな風情のする、いかにも落ち着いた景観なれど。これもまた、菩提講が営まれているという寺と隣り合う、いづれか名のある神社仏閣の境内なのであろうに、こうまで人の気配がないとは、
「…怪しいな。」
「ああ。」
 足元には綺麗に掃き清められし石畳。真新しいものではないなりの、擦れて掠れて乾いた白さが、だが。人に馴染んでそうなった、懐っこさやゆかしさとして感じられないのもまた、ここに垂れ込める空気のせいに他ならず。そんな彼ら二人をここへと誘
いざなった、狩衣姿の皇太子。すらりと高い上背の、しゃんとした広い背中が…少しほど先にてやっと立ち止まる。慣れた道を行くように、何の衒いもないまま、すたすたと歩んでいた彼だったのが、
「………あれ?」
 何だか覚束無い声を出し、左右をキョロキョロと見回しているのが見て取れたから、
「咒が解けたか。」
「らしいの。」
 こちらも特に、物陰に隠れていた訳ではない。よって、背後へと振り返った桜の宮が、
「………あ。」
 何だ見知った顔がいたと、ほっとしたようにこちらへ視線を留めたことへも、逃げ惑う必要などない立場であり、
「蛭魔。それに葉柱くんも。」
 ああ良かったと無造作に寄って来たのを、一応は待ち受けたものの、
「綺麗だねぇ、その恰好vv」
 もう必要はないからと、笠ごとかなぐり脱いだもの。蛭魔がその手に持っていた、つややかな黒髪の かもじを見下ろし、
「着物も着付けも女性のだし。何かそういうお祭りでもあるの?」
 なんて。屈託なくも余計なことまで訊いた東宮様であられたもんだから、
「何をしとったんじゃ、こんなところで。」
「あ、いたたたた…………。」
 まったくよ、世間を知らないその上に、こっぴどく叱られつけてもない深窓の坊ちゃんはこれだからと。これもまた一応の儀礼というか、物の順番とでも申しましょうか。お仕置きは直後にしてやんないと、その身にその心持ちへは染まないからということで。ちょっぴり高いとこにあったお耳を掴んでの、斟酌のない叱咤をさっそく、ガンガンと差し向けた陰陽師殿だったが。その実、無事であったか、やれやれと、何とはなくの安堵の想いが、こちらの探索部隊の二人の心持ちへも、仄かな温かさと共にしみじみと沸き起こってた…のだけれど。

  「で? 一体どんなお茶目から、こんな市街まで出て来ておったね。」

 言うなれば“一国の王の子”にも等しきお立場の人であるがゆえ。制約が多いとはいえ、根本的には、誰が相手であれ“逆らうことを許さない”と胸張って言い切ることも出来なかない。よって、気性や相性で取り付く相手を選び、無難ながらも周到な手管を整えさえすれば、こんな具合に…幾重もの厳重警戒に取り囲まれたる“奥の院”からだって、ひょひょいと出て来ることが可能でもあろう、どっちの方向へ警戒されているやらな、ある意味、はた迷惑の極みというか…とりあえずはややこしい人でもあるのだが。
「だから、さ。前に蛭魔が言ってた“夢売り”の人を探してて。」
 あららん、やっぱりそうでしたか。その場限りの笑い話ってことで、何で済まさんかったのだ、お前はよと。やっぱり不敬極まりないお言いようを、骨が立つほど握り締めたる拳骨と共に、その胸へと固めかかった術師殿だったものの。
「こことは違うお寺の境内でね、夢売りの人からまずはお話を聞いてさ。そのお話を占ってくれる人っていうのを待ってたら、何だか急に眠たくなって。」
 そこから先は覚えてないのと、さすがに情けないことだと判ってか、小さく笑った桜の宮様。
「でも、蛭魔が迎えに来てくれるとは思わなかったな。」
 馴れない笠がくすぐったいのか、ほりほりと後ろ頭を掻こうとし、肘を上げたら…袂からか足元へ、ポトリと落ちた何かがあって。
「俺らはただ、武者小路家の御曹司に焚きつけられて使われただけだが。」
「え? そうなの?」
 あれれぇと。今度は桜の宮様の方が怪訝そうな声を出す。何だその態度はよと、切れ長の瞳をますます眇めた蛭魔であったが、

  「だって紫苑くんだったら、今頃は高野山までの修練に出向いてるはずだよ?」
  「…? なん…っ!?」

 何だってと、そう言いかけた蛭魔と宮様との両方を、その長い腕にてからげるように、左右の肩へとかつぎ上げ。その場からの思い切りの跳躍にて、社務所らしき建物よりの物陰まで、一瞬にして身を避けたのが葉柱ならば、
「これが懐ろから落ちたようだが。」
 そんな彼が差し出したのが、それは質のいい金糸銀糸の綾錦で作られたる、小さな小さな匂い袋が1つ。え? 僕が落としたの?と、覚えがないようなお顔をした東宮様だったから、
「………成程な。」
 全容がやっと見えたぜと、蛭魔が何ともしょっぱそうなお顔をする。
「この匂いからして、催眠作用をもたらす香が焚き込められてあるらしい。」
「え?」
 もう随分と薄くなっているがなと苦笑をし、
「こういう香や咒でもって、相手の意識が朦朧となる程度の段階にして、何かを根気よく吹き込めば、その場から術者が離れてからでも、その通りに動いてくれるという術があっての。」
 こうまであからさまに笑っているのは、それだけお怒りが深いなと。葉柱が肩をすくめながら周囲を見回し、
「この俺様まで、暗示でたばかるとはの。なかなか腕が立つ輩じゃねぇかよな。」
 神祗官の息子に化けたその上で、わざわざあのあばら家屋敷まで足を運んで、蛭魔と向かい合ってまでしてという、そこまでの策を弄した相手の狙いは、

  「畏れ多くも東宮様を贄にと構えての、俺への意趣返しであるらしいの。」

 知己の姿をしていたからと、ただそれにだけ たばかられるということはそうそうない蛭魔だが。殺気のない相手だったからこそ、ああまでの間近にまで寄せたというのは否めない事実であり。
「東宮に遺恨があるような奴がらならば、とうに何かしら恥でもかかせて終わっておろうよ。」
 蛭魔を動かしたければと、ただそれで選ばれただけの宮様だということとなり。そうですか、帝の息子さんほどもの人が囮にされちゃうんですか。
「………お前ってば、物凄い把握をされとるのだな。」
「らしいな。」
 つか、身近な人間では動かせず、そうまでの相手を持って来ねばと思われているのなら、ある意味で重畳かもなと、妙な効果へ喜んでいるから困ったお人で。
「宮様は任せた。」
「それはいいけどよ。」
 ニヤリと笑って、だがこちらへは全く視線を向けない。いち早く、そっちに敵の気配を嗅ぎ取ったからでもあり、それともう一つ。

  “…まさかとは思うが。”

 途中までまんまと引っ張り回された訳だから、これはしょうがないのかもなと。葉柱がその胸中にてついの苦笑をこぼしたのは。これまでにはないほどの、深くて激しいお怒りが、その痩躯を満たしている彼だと判るから。よって、葉柱へとかけた“任せた”という一言は、相手からの攻撃から守るのみならず、

  “自分が放つものからの とばっちりからも、守れということかの。”

 あれほどまで静謐だった境内が、徐々に徐々に重い空気で満たされ始める。こちらはいつもの濃色の狩衣の懐ろから、片手で短い刀を掴み出し、そのまま胸の前にて真横に構えて…咒印を一喝。

  ――― 呀…っ!

 刀を起点に稲妻が走り、あっと言う間もなかった素早さで、既に数歩分ほど進み出ていた蛭魔と葉柱との間に、目には見えない障壁が立ち上がる。その障壁はすぐ傍らにいた宮様も一緒に封じており、周辺とは混じり合えない空気で出来た“球体”の中へと入ったようなもの。
「しばらくほどは窮屈だろうが、我慢してくれな。」
「あ…うん。」
 以前にも一度だけ、こんな修羅場に同座したことがあったけど、その時は取り急ぎで退避させられた。咒という術は多かれ少なかれ、大地や大気から生気を吸い込んで集めたり、練ったり歪ませたりと、様々に働きかける術だから、自然の一部である人間へだってどんな影響が及ぶかは知れず。よって、関係がない者は出来るだけ離れていた方がいい。影響云々というお話以上に、こんなことが可能なのだと、知っていなくても良いこと。関わり合いなぞ、本当に持つ必要のないことであるのだから…。

  “とはいえ、別に疚しいことって訳でもないのだがな。”

 その胸中にて苦笑を噛み締めつつ、すっと身を屈めて片膝をついた術師殿。手のひらを片方、ひんやり冷たい大地へと広げて伏せ、

  ――― 吽っっ!

 印を叩きつけたその勢いのまま、どんっという重々しい波動が周囲へ広がる。結構な半径の周囲一円へと轟いたらしく、境内の空気ごと大きく揺らいでだろう、見えるものどもの輪郭が全て、大きくぶれて震えたほどであり、
「あっ。」
 木陰や塚の後ろなど、境内の物陰のそこここから ばたばたと。苦しげに胸元やら喉を押さえての地味な装束の連中が数人、倒れ伏したり這い出したりして、その姿を現したではないか。
「あれが?」
 自分を餌にした失敬な奴らなのかと、桜の宮様が目顔で問えば、その憤慨ぶりへと苦笑を浮かべつつ葉柱が頷き、
「どっちが操られてたかは不明だがな。」
「…え?」
 どういう意味かが判らないらしい宮様に、それ以上はまだ言わず。膝を落としたことで身を下げたその態勢のまま、女物の袷の裾を盛大にひるがえしている盟主殿の破廉恥な姿のほうをこそ、妙に心配している式神様だったりするらしく、
“…ったくよ。”
 ほっそりとした後ろ姿からは到底想像出来ないほどもの、凄まじい何かを放った彼であり、しかもしかもその波動、まだ終わってはいない模様で。
「…凄い。」
 まだ地へと伏せられたままな彼の手を中心に、彼が沸き出させている気の奔流が上や周辺へも噴き上がるのか。そこを起点にと立ちのぼる、細長い龍の幻影のような放電の光と、それと共に起こりし圧の対流による突風にあおられて、彼自身の衣紋が髪が、ばさばさと激しく波打っては大きくひるがえっている。袷の下に短袴を履かせては来たものの、それでも…大輪の牡丹が嵐の中でもみくちゃになってでもいるかのようなその姿。色も柄もさほど目立つ衣紋ではなかったはずだが、それでも派手なことこの上もなくて。

  《 ようも見破ったの、陰陽師。》

 妙にたわんだ声がして、唯一何とか立ったままでいる男が、鐘撞堂の礎の陰からよろめきながらも現れた。目には見えぬがかなりの重圧にて、真上から全身をプレスされんというノリで押さえ込まれている他の者らとは、はっきりくっきり違う存在であるらしく、
「思い出したぞ。お前、もしかしたら…いつぞやに北山の奥向きで妙な人間牧場を作っとった猿の変化
(へんげ)の係累だな。」
 …おおお、そういやそんな騒ぎもありましたな。確か去年の秋のことでは?
《 あれはわしの兄者での。》
「ほお。ならばこれは、その敵討ちという訳か。」
 表情もないままの亡霊のような風体の男と向かい合い、片膝ついたままで威勢の良い啖呵を返すというこのやり取りは、何だか妙に芝居がかって見えて。それでと、ついついほややんと見とれていた宮様が、
「…あ、そっか。」
 やっとのことで気がついたのが、
「あの邪妖…らしいのに、こいつら全員操られてたって事?」
 さっきの葉柱の尻切れトンボだった言いようは、それを指してのものだったらしく。だが、
「…じゃあ。僕も、あの邪妖には駒代わりに利用されたって事か。」
「いやまあ、あんたをって引っ張り出したのは、こっちの人間共の知恵だと思うがな。」
 あんまり効果的なフォローになってない気がするのですが、総帥様。
(笑) 頑丈な障壁によって傍観者と化していた彼らの目の先、全く衰えないで噴き出し続ける気脈の奔流に、どうかすると自身で栓でもしているかのような態勢のまま、金の髪を常よりもっと逆立たせ、不敵な構えを取る蛭魔であり。

  「……………。」

 こんな程度なら独りで余裕で畳めると踏んだ術師と、そう思ったらしいとこっちもあっさり読んで、彼からの“手出し無用”という態度を受け入れた式神と。そんな二人が知らず合わせていた呼吸の波が、同時に弾けて視線が絞られ、


  ――― 吽っっ!!!


 それは激しい放電をまとった突風が、どんっっと周囲の空気を叩いて。そのまま大気の密度を上げつつ…四方八方という全方向へ向けて一気に弾けた。後世になって“世界三大発明”として現れるところの、火薬の大爆発にも似ていたそれは。途轍もない威力を持った破壊力にて、境内の木々やら施設やらまで巻き添えにして、竜巻のように暴れまくったかのようにも見えたけれど、

  「…蛭魔っっ!!」
  「何だ。」

 この結界の外側に居残った彼は無事かと。壮絶な思いを込めて呼ばわった相手が、思わぬほどのすぐ間近から…なんてこたない調子での返事を寄越したもんだから。
「………☆」
 桜の宮様がついつい絶句なさってしまった。何でどうしてと、周囲を見回せば、嵐に揉まれていた筈の境内はどこも何とも異常が無いままであり。昼下がりの長閑で静謐な風情をのみ、冬の陽射しが柔らかに照らし出すばかり。ついでに…
「あ、さっきの連中は?」
 自分たちを此処へと誘い出したる狼藉者たちの姿までが無いことを尋ねれば、
「邪妖を送り込んだついでに、一緒に亜空間へ叩き込んどいた。」
 ああまで激しかった咒のフィニッシュは、そうまで恐ろしい代物であったということか。しししっと意地悪な笑い方をした彼の言い分は、
「同族殺に等しき企みをしたんだからな。本来だったら呪いがまんま帰って来てしまうところだぞ。」
 なかなかに恐ろしくも徹底しており。自分らの企みじゃあなく、邪妖に利用されただというのなら…、
「まま、運が悪かったと思って諦めてもらおう。」
 結構手厳しい言いようをする辺り、笑っていつつもそのお怒りは、まだまだ収まり切ってはいなかったらしいけれど。無傷ながらも…多少は乱れてしまってた髪やら衿やら、傍から伸びた大きな手が手際よく直してやっており。そんな構いだてへと気がつくと、

  「…ガキじゃねぇんだからよ。」

 腕を振り立てて払いのけ、さあさ、こんなところに長居は無用だと、先頭切って歩き始める。
「…あの恰好のままで帰る気なのかな。」
「さあな。」
 肩を張った歩き方こそ男性のそれだったが、着ている袷は女物。どこで気がつくやらと苦笑をしている二人へ向けて、早く来ぬかと振り返った術師殿。その白い頬を縁取るなめらかな線が、陽を受け、淡い金色に弾けていて。ああ春も間近いなと、蜥蜴の総帥が何とはなく思ったらしい、いつも通りの平板な一日だったそうでございます。(………え?)












   clov.gif おまけ clov.gif



   ………お前さ。

      んん?

   誤解されてんのは、遠い奴からだけだかんな。

      ? なんのこった?

   だから…。東宮まで引き摺り出さねぇと動かねぇ奴だ、なんて。
   俺らにはそうじゃねぇことくらい、ちゃんと判ってんだからな。

      ほほぉ?


 今回の騒動のその仕掛けの中にあった気になる条件付けへと。わざわざ“そんなことはないのだからな”と言葉を尽くして告げた総帥殿だったのだが。こちらもこちらで、いつものへそ曲がりぶりが顔を出し、そんな寝言なんか、真剣真面目になんて聞いててやんねとばかりに。終始、いい加減な合いの手を挟んで誤魔化していたお館様で。今日は一日、武者小路様のお屋敷にて、陸くんと二人、召喚咒のお浚いをしていたセナくんには、一体何のお話なんだか、さっぱりこんと判らなかったのだけれども。陽が落ちるとまだまだお寒い頃合いだからか、ずいっと擦り寄り、葉柱さんの懐ろの中へと要領よくももぐり込むお館様なのが、自分が進さんへと甘えるのと同んなじだぁと、何とも微笑ましく思えてね。何でこんなものを出したやらな、女の人用の袷をお預かりしつつ、出来るだけ速やかに広間から撤退したのは言うまでもなかったりした、初午の晩のお話だったそうですよvv






  〜Fine〜 06.2.10.〜2.11.


  *ゴチャゴチャと余談が多すぎて、何だかややこしいお話になっちゃいましたな。
   ちなみに、筆者が平安時代の風物の参考にとさせていただいておりますのは、
   高校生時代に使っていた古典用の図版と、
   田辺聖子さんの“私本源氏シリーズ”でございます。
(笑)
 

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