雪の降る音 U
 

 

  ……… ふっと。

  鏡のように静かな静かな
  輪郭の縁さえ朦
おぼろに霞んだ
  色みも何もない水の面へ音もなく、
  ぽつりと滴ったしずくの気配のような。

  それは微かな何かの気配に呼ばれたような気がして、眸が覚めた。


 瞼の裏の暗さに比べれば幾分かは明るさを帯びているのか、カーテンに窓の輪郭が透けている。室内の空気は凛と冴えるほどに冷えていて、この何ヶ月か、季節の進み方に遅れがちだと言われ続けていたものが一気に追いついたかのような冷たさだったが、

  "…?"

 急に冷え込んだ…にしても、そんなことで果たして、この自分が目を覚ますものだろうか。自慢するようなことではないが、自分は多少の寒暖の差くらい何するものぞで、蒸し暑かろうが肌寒かろうが、最低限のそれなりの対処が取ってあれば、多少の苛酷な環境くらいは構わずに熟睡出来る性分である。それに。辺りの空気をまさぐったから初めて気づいたそれで、首まで顎まで埋まっている毛布の中はぬくぬくと暖かい。このまろやかに甘い暖かさは格別で、なのにどうして…夢の世界からの帰還を余儀なくされたのだろうか。

  ――― ?

 ふと。傍らのカーテンの向こうを何かがよぎったような気がして。注意深く身を起こし、抜け出した布団を丁寧に整えてから、床へと落ちていた綿入れを拾い上げて肩へと羽織る。ほんの数歩先の窓へと近づき、その裾を斜めに掻き上げて…。

  ……………。

 しばし、声もなくその情景に見とれてしまった。


   "………雪。"


 しんしんと、音もなく。細かな白いものが次から次へと落ちてくる。家の前の通りにポツンと佇む街灯が、置き去られた侘しさを憂いているかのように。乾いた明かりをぼんやりと灯らせていて。その乏しい筈の明かりの中で、闇の中を舞う小さな小さな氷の結晶たちが、キラキラと微かな瞬きを放っては降りしきる。

"……………。"

 まだ12月に入ってそんなに日も経たないのに珍しいことと、つい…柄にもなく見とれてしまった清十郎であり、雪と言えばと、自然な想起、ほんわり思い出した会話があった。

  『雪が降ってるなって、結構気がつくんですよね。
   それも、急に静かになるから気がつくんですよ?』

 不思議ですよねと、何か音がしたから"あれ?"って気がつくのと丁度逆でしょう? あれ? 何も音がしなくなったぞって、それで気がつくんです…と。そういうことには疎い自分へ、愛らしい口調で話してくれた愛しい人。

  『…雪って、なんか進さんに似てると思って。』

 フィールドでは"音速"の走行
ランを称賛されている人だのに、何故だか…静かで荘厳な存在感が周囲を押し黙らせるような人だからと、どうもなんだか随分と買いかぶってくれていて。

   ……… と。

 こそ・かさりと。同じ空間の中に衣擦れの音がした。ハッとして薄暗がりの中、そちらを見透かせば、


  「………進さん?」


 小さな小さな声がした。少しばかり喉にからんだその声音は、迷子の仔猫が小さな喉から振り絞る、糸のようなか細い声を思わせて。ほんの数歩を素早く戻り、身を起こしかかる小さな肩を褥へと押し戻す。
「寒いから。」
 そのままでいなさいと、少し冷えた髪を梳き、
「起こしたか?」
 訊くと“ん〜ん”と幼い仕草でかぶりを振って。

  "進さんは? 起きちゃったんですか?"

 口許だけを動かして訊く彼へ、髪を弄っていた手を止めて、少しだけカーテンの隙間が開いて覗いている、冷たい窓を指さした。

  「………あ。」

 音もなく降りしきる来訪者たち。彼の大きな瞳にもその陰はちゃんと映ったらしい。雪だ…と唇だけを動かして、声なく呟いて……………それから。

  「寒いでしょう?」

 お布団へ戻って下さいと。こちらを“きゅう〜ん”と見上げてくる幼いお顔。
「………。」
 しばしの間であれ、外にいた身。冷えきった自分が傍らに戻っても良いものかと、一瞬 躊躇
ためらったものの、グズグズしていたらまたぞろ起き上がってでも急かしかねない瀬那だから。綿入れを脱ぎながら元居た場所へと横になれば、小さな温みがごそごそと寄って来て、こそこそと囁いた。


  ――― 積もるでしょうか?

      無理だろう。たいそう冷えそうだが、陽が出れば溶けてしまう。


 清十郎さんの紋切り調な言いようへ、そですか、と。ちょこっと しゅんとしたふかふかな頬を、こちらの懐ろへと揉み込んでくるセナくんであり。愛しい人の愛らしい睦言や仕草にあって、あっさりと頬まで温かくなった武神様。まだ夜半だからと、小さな肩をふわふかな髪を大きな手のひらで撫でてやり。もう一度の眠りへと誘
いざなうことに専念する。
「………。」
 髪を撫で下ろしたうなじの手前。細い首条の深みには、さざんかの花弁のような刻印が1つ覗けて。ああ、しまった。目立つところに残しては可哀想だったなと、胸の奥に甘い熱が疼く。
「?」
 不意に手が止まったことへか、重そうな瞼を持ち上げた少年へ、何でもないぞと口づけを一つ。擽ったそうに小さな顎を引いたセナの、くすくすという笑い声を追いかけて、やがて。冬の青を塗られた部屋は…再びの沈黙に、静かに静かに沈んだのだった。






   〜Fine〜  03.12.8.


   *"聖蒼のルミナリエ"その後でございます。
(ふふふのふvv)
    やっと12月に入ったお話です。追い着いたぞっと。
    いや、ポイントはそこじゃないだろう、ってですか?
(笑)
    DLFといたしますので、宜しかったならどうぞ。


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