手を つなごう


 まさかに女の子の持ち物のように。細くて白くて撓
しなやかで、爪の先まで綺麗に手入れをなされたようなそれではない。突き指でもしたのか、肌色のバンテージテープを巻いていたり、端の引き吊れた絆創膏を貼ってあったり。突き指はしょっちゅうなんです、寒くなると増えるんですよね、でもまだ爪を割ったことはありませんよと、少しばかり的を外したことを言いつつ、ほっこりと謙虚な笑い方をする。たかだか1年かそこいらの年齢差をどうしても意識してしまうのか、話し言葉がいつまでも"です・ます"で。そんな風に謙虚で礼儀正しいのに、どこか…何かしら幼いとけなくて。ユニフォームやプロテクターをまとっていない日頃日中は、いつも何故だかおどおどと自信なさげにしている節の抜けない、そこがまた何とも愛惜しい子。小さくて小さくて、そんな彼に相応しい、これまた小さな手だ。自分のこの、ゴツゴツと大きな武骨な手とは比べものにならないくらいに小振りな手。それが懸命に広げられ、伸ばされて………コートの肘辺りをはっしと掴まれた。その途端、それが何かのスイッチででもあったかのように、ぴたりと足を停めると、
「あ、すみませんっ。おれ…。」
 ぱたたた…と小走りに、歩幅の遅れを取り戻そうと後ろから駆けて来たらしい彼が、急に立ち止まったこちらの大きな背中へぽそんと飛び込みかかった。自分にとっては流れの緩慢な瀬の中にいるような雑踏の中、連れがいることを忘れてでもいるような、いつもの歩調でついつい たったか歩いてしまうこちらの広いストライドに懸命について来て、
「掴んじゃったりして…ごめんなさい。/////
 ぱっと慌てて手を放し、頬を赤らめながら、どぎまぎと恐縮して見せる。小さな手のすがって来た感触は、大した負担でもなければ強引なものでもない。むしろ、愛らしい一種の甘えのように思えてくすぐったく、それが仄かに嬉しくもあるというのに。この少年は自分からの眼差しに会うと、決まってあたふたとし、謝ったりもする。

   『だからさ、お前ね。
    30センチは背丈の違う大男から、
    その恐持てな無表情の無言でジッて凝視されたらサ、
    誰だって怖がって、反射的に"すみません"ってなっちゃうんだって。』

 俺は付き合い長いから気になんないけどさと…付き合い云々というよりも図太いせいではなかろうかと、この自分が思ってしまう、そんな友人が"はあぁ"という大きな溜息つきで呆れてくれたっけ。


            ◇


「『この前の日曜日、彼女とのデート中。ホコ天の人込みの中を手をつないで歩いてたらさ、気がついたら彼女がいなくなっててさ。手には彼女のはめてた手袋が片っぽだけ。迷子にしちゃったって慌てて探して、やっと見つかったは良いけれど。当然、彼女はずっとプンプン。帰り際、シルバーのリング、買わされちったよ。まったくとんだ散財』」
 これでも結構あれこれこなせる器用なタレント。時には若者向けのトークバラエティ番組なんかのMCもやっつけてるという桜庭が、次回の番組中のナレーションか何かだろう、そんなモノローグめいた一節を声に出して読んでみていた。練習なんて仰々しいものではなくて、一応は目を通しておこうと、そんな軽い気持ちでの朗読を終えて。
「…なんだ、こりゃ。」
 パイプ椅子に腰掛けたまま、薄い台本をぱしぱしと叩いて、呆れ半分の"ダメ出し"をする。
「投稿ものなんかな。作家の書いたナレーションだったらダサイよな。今時、中坊だってこんなかわいい喧嘩なんか…。」
 しないよな…と顔を上げ、同意を求めかけた相手を見やって。おやとその端正な表情が止まった。まずは、ああこいつに同意を求めるのは無駄かと思い、だが、
「………。」
 やはりパイプ椅子に腰掛けて、いつものように無関心に聞き流していた彼ではなかったらしいと判っての"おや"。
「どした? 進。」
 付き合いが長いと、無関心なまま別なことを思う顔と何かしらに感じ入ってる顔と、珍しくも惚けている顔の区別くらいはつくようになった。………逆に言やあ、まるきり違うだろうこの3つの表情が、慣れぬ人間にはなかなか見分けにくい男であるということにもなるのだが。
(笑)急に自習になった空き時間。とはいえ放課後にはまだ1時限分の間があって、早々に部活態勢に入る訳にも行かず。仕方がないかと、暖房を入れられる部室に移って何となく時間を潰している。桜庭だけならともかくも、この進清十郎がそれに付き合っていることがそもそも珍しい。これだけの時間が空けば、これまでならまずはこんな風な"無為な"過ごし方はせず。寒かろうが風があろうが物ともせずに、筋トレだとかランニングだとか、使える場所と時間に合わせた何かしら、適当なものを選んで…と思う間もなく勝手に体が動いているような奴だったのに。生真面目だというよりも、他を知らない。遊びを知らない、だらだら休むということを知らない。アメフトしかない思考、アメフトが基盤になった生活振り。自分を高めることしか知らない、それが苦にもならないアメフト馬鹿。それが…いつもいつもではないながら、こうやって自分が選んだ時間の使い方へ合わせて来るようにもなってきた。
"…お〜い?"
 だからと言って、決してその鋭気が鈍った訳ではない。フィールドに立てば相変わらずの、疾風怒涛の快足と容赦ないまでの強靭な闘士ぶりを発揮しており、むしろ…駆け出した先に誰かが待ってでもいるかのように脇目も振らずなその走りは、このところタイムが目覚ましくアップしたほどだ。だがだが、
「………。」
 本当に微かに。強靭な筈のその視線が泳いで瞳孔が収縮するのを感じ取り、
「どうしたよ。…まさかセナくんと何かあったのか?」
 何か話したいこと、聞いてもらいたいことでもあるのだろうかと案じた桜庭だった。進のこの変わりように唯一気づいたのとほぼ同時、彼の頑強な心の中に春の日向を作った存在にも気がついた。それが"恋愛"と呼べるようなものなのかどうなのか、当初の内は…実のところ、彼にも良くは分からなかった。これまでずっと、他人に関心を寄せたことがなかった男だから。気の合う友達になれそうだとか、自分と全くタイプが違うところに好奇心が沸いただとか。それより何より…いつ気づいたのか、小早川瀬那こそが自分を振り切ったほどの俊足プレイヤーであるということが、彼の、他を見ようとしない頭をがーんと叩いて目覚めさせ、そのまま視線を奪われているだけのことであるのかもとか。その内の果たしてどれなのか、選りにも選って本人が分かっておらずであったので。
(笑)そんなでは自分が見極められなかったのも道理であると、片腹痛くなって呆れるやら…彼らしくて可笑しいやら。………そして。人であることさえ放棄していたかのような、堅く強こわばって何物も感じなかった、鋼鉄製の機械のようなこの男のその胸に、蕩けるような甘露の泉を、くすぐったい微熱を齎もたらした小さな少年と、そんな愛しい人を不器用そうにも精一杯、彼なりに気を遣って大切にしている厳いかつい友人と。その拙いつながりの、徐々に縮まるたどたどしさや温もりに、傍から眺めるだけの他人事ながらも微笑ましい気分になっていた桜庭だったので。
「何かあったんだろ? ほら、言ってみなよ。聞いてやろうじゃないか。」
 彼には不慣れな事柄でも、こちらには他愛のないことの何と多いことか。これまでの蓄積からそれを見越して"ど〜んと来なさい"と余裕の顔をして見せれば、


   「………加減が分からんでな。」

   「………………はい?」



            ◇


 小さな手。まるで彼自身そのものみたいな、懸命だけれど幼
いとけない手。小さな彼とはぐれないように、見失わないように、ずっとつないでいたいけれど。どうも自分は加減というものを知らないから、ぎゅうぎゅうと力任せにしてしまいそうで。だからと言って壊れやすい物のように扱うと、彼をすくませてしまうと知っている。自分は人一倍 気を遣う繊細な子であるくせに、気を遣われるのが大の苦手で。そんな面倒をかけてしまったなんてと、相手の負担を思って困ったように立ちすくむから。ただでさえ口下手で不器用な自分は、何かと彼を振り回しているに違いなく。これ以上、至らぬことを重ねて、小さな彼を困らせたくはない。
『…ふ〜ん。』
 そうだということを、空き時間だった50分をほとんど使って、訥々と説明したところ。経験豊かな友人は、うんうんと感慨深げに頷いてから、

   『そんなの簡単じゃん。』

 事もなげに言って、にっかりと笑った。
「あ、あの…。」
 練習のない週末。自主トレするより満たされる、逢いたい人と過ごす週末。懸命に、健気なまでについて来てくれる彼に。街歩きというものが"単なる移動"ではなくて、それさえもが楽しい時間の過ごし方なのだと感じさせてくれた彼に。
「………。」
 黙ってただ手を差し出した。大きな手。武骨な手。
「あの…。」
 ダッフルコートの襟元、巻き付けられたアーガイル柄のマフラーに埋もれるように。小さな動物を思わせるような仕草で、きょとと小首を傾げた彼へ、
「掴まってろ。」
「あ…。」
 ちょっと不遜に聞こえたかもしれないが。命令のように聞こえて、違うのだと分かるから。そうと判る自分にくすぐったそうな顔になり、セナは小さな手を伸ばす。温かな手。両手まとめてだって楽々と包み込めてしまえそうな、大きな、頼もしい手。


   『相手に掴んでもらやいい。』


 桜庭は笑ってそう言った。
『手をつなぐんだろ? 捕まえとくんじゃなく、一緒に歩こうってさ。』
 いとも簡単なことだと、軽やかに。
『まあ、誰にも渡したくないって捕まえときたくなる気持ちも判らんではないけどさ。』
 余計な一言を付け足して、反射的にぐぐっと握られた大きな拳を慌てて制しつつ、


   『だからさ、相手と同じくらいの力加減で握り返しゃあいい。』


「しっかり掴まってろ。」
「はいっ。」


   『大切な手なんなら、お互いから掴まり合ってりゃ外れないしはぐれない。』


 性急にならず、それこそ自信持って行けよと、肩をどやされた。小さな彼が自分と居ながら何かに戸惑うことがあったなら、きっとそれは自分が至らないせい。自分が迷えば、彼はもっと立ちすくむ。判っているならしっかりしなと、らしくもなく臆病になりかかっていた気勢を、萎えてる場合かと奮い起こさせてくれた。
"………。"
 小さな手。まろやかに温かで、幾らでも力をくれる。何も考えずにいられた頃は臆することも知らなかった。今は…この手を失いたくはないと、柄になく想いが揺らぐけれど。それもまた新たな試練と思えば、常の自信で乗り越えればいいことだと口許に不敵な笑みさえ浮かぶ。誰彼なく一つのざわめきに紛れた雑踏の中、ただ一人の愛しい人をだけ暖かく感じて歩く。二人で過ごす初めての冬。これまで気に留めなかった何もかも、新鮮な色合いで確かめ直すことだろうから。これまでになく温かなシーズンになりそうな予感がした彼らであった。



   〜Fine〜  02.12.25.


   *どうしましょうか。一気に書いてしまいました。
    こんなの"彼ら"ではありませんかね?
    まだ今少し、読者の側でいた方がいいのかな…?
    こんなので宜しければ、DLFと致します。

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