4
バスルームから出て通路を少しばかり進んだところ、
「こら、ルフィ。カタツムリか、お前は。」
そんな声が掛けられて。
「へ?」
「後ろを見ろ。」
指差された背後を見やれば、
「あやや。」
あれほどゾロから言われて、ちゃんとお返事もしたにもかかわらず、髪からポタポタと水っ気をこぼしていたらしい。シャツの背中がびしょ濡れだし、歩いて来た順路通りに水滴しずくの道が出来てもいる。
「それは後で拭くから良いとして…ナミさんから言われてる。ほら、こっち来い。」
顎をしゃくった金髪のコック氏が促したのは、キッチンへのハシゴ段で。促されて上がって行くと、そこにはテーブルの傍らに背もたれつきの椅子を据えての準備がしっかりと整っている。
「ほら、座れ。」
「んん。」
厚手のタオルが背もたれにまで敷かれた椅子に腰掛けると、頭から"ばさぁっ"と、ブランケットほどはありそうな、大きくてふかふかなタオルがかぶせられる。
「ぷぷ…。」
「暴れんなって。」
何が始まるかが判っているからか、じたじたと身を捩るところをがっしり捕まえ、サンジは耳元あたりへこう囁いた。
「ちゃんと良い子にしてたら、ご褒美に特製のチョコムースが待ってるぞ?」
「…っ!」
途端に、それは判りやすく抵抗が止まったので、言った方まで吹き出しそうになる可愛らしさよ。そのまま頭をかしかしと、背中の方もやんわりと、軽く揉むようにタオル越しにマッサージしてやり、水気を吸ってしっとりと重みが増したのを確かめてから、大きなタオルを取り去ると、今度は普通のバスタオルを肩に掛けてやる。
「ぷふ…。」
テーブルにはブラシや櫛が何本か並んでいて、タオルでわしわしと拭われては手際よく櫛が通され、水気が飛んだ黒い髪は、やがてしっとり落ち着いてくる。ふと、
「毎月々々、面倒だよな。」
ルフィがそんなことを呟いた。この一連の"散髪"セットを巡らにゃならないのが、彼には少々億劫なのだろう。
「そうか? たかだか月に一遍のことだろうがよ。」
「そんでもっ。」
構う方は楽しかろうが、構われる側は…何たって、ポイントごとに良い子でじっとしてなきゃならない訳だしねぇ。構われるのは好きなのだが、それが何とも窮屈な船長さんであるらしい。ふかふかのタオルで頬やうなじを包んでもらいつつ、
「ゾロみたいにうんと短くしたら楽かなぁ。」
そんなことを言い出す彼へ、
「そりゃダメだな。」
サンジはあっさりとNGを出した。
「なんでだよ。」
子供な自分には似合わないからか? と頬を膨らますと、わざわざ前へ回って向かい合い、その頬をつんつんと突々いてやり、
「あんな短くなったら、俺の担当するこの係がなくなっちまうからな。」
サンジはたいそう堂々とそんなことを言ったのだった。…って、おいおい、兄ちゃん、兄ちゃん。
髪も、ついでにシャツもきれいに乾いたとあって、冷蔵庫からご褒美のチョコレートムースケーキを出してもらうと、さっきまでの膨れっ面はどこへやら、
「いっただきま〜す♪」
デザートスプーンを赤ちゃん握りにして、さっそく食べ始める船長さんだ。ふかふかになった髪が頭の動きに合わせてふわふわサラサラと揺れて、にっこにことそれは嬉しそうにケーキにぱくつく姿は、何ともかんとも幸せそうで。
"可愛いよなぁ、ったくよ。"
究極のフェミニストにして、自他共に認める間違いのない女好き。だというのに、どういう訳だか、この船長さんにだけは、何となく…女性たちへと同じような扱いをしたくなってしまうコック殿である。最初のうちは、自分が作る料理やケーキをそれは幸せそうに、とろけそうな顔をして平らげてくれるのが嬉しかったくらいのものだったのが、お元気でいるのも、愛らしい子供っぽさを見せるのも、心配そうに案じてくれるのも、全てが可愛らしく思えて仕方がない。多分、これまで年嵩な大人たちにばかり囲まれて過ごして来た反動で、拙い子供という存在の危なっかしい愛らしさに初めて触れて、それへの関心というものを強く沸き立たされてしまっているのだろう。それでなくとも料理という対人奉仕系の道を極めている御仁。ただ作るだけでなく、供する相手への思いやりまで完璧な彼であればこそ、この手の…小さきものへの関心も、実は人より高かったり深かったりしたのかもしれない。現に今も、今にも蕩け出しそうに目許や口許をゆるめていて、
「ほら、口の端にムースがついてるぞ。どうして口より大きい固まりを頬張ろうとするかね。」
テーブルの向かいから手を伸ばし、可愛い王様の口許を、長い指先でひょいっと拭ってやる。すると、
「あ。」
ルフィがその手を素早く捕まえた。
「?」
何をするのかと思いきや、その指先をぱくっと咥えたから、
「…っ!」
そうか、そんなに美味しいムースなのね。ほんのひと欠けでも、持ってかれるのが勿体ないのね。その一方で、
「お、お前ねぇ…。」
サンジさん、声が震えてますが。
5
「ナミーっ。」
結局5つも食べた美味しいデザートというオマケつきの散髪コースの、全てを回って再び後甲板へと戻って来た船長に、
「あら、きれいになったじゃないの。」
ナミは思ってた以上ねと柔らかく微笑んだ。
「ホント。きれいですよ、ルフィさん。」
ビビも褒めてくれたし、
「ホントだ。立派な毛並みになったぞ、うんうん。」
おいおい、チョッパー。
「はい、帽子。」
ルフィが再びここへと寄ったのは、最初に預けた宝物を受け取りに来たからだ。そのくらいはナミだって先刻承知で、小さな麦ワラ帽子を船長に差し出す。受け取ったルフィは、だが、
「あれ? ここんとこに穴がなかったか?」
さすがは"宝物"のことだけあって、日頃ともすれば無造作に扱っているように見えて、実はちゃんと把握してもいるらしい。縁の端っこを指差す彼に、ナミはくすんと笑って、
「あら、塞いじゃいけなかったの?」
ちょっとばかり目許を眇めて、意地悪そうな訊き方をする。何だったら元に戻してあげても良いわよとでも付け足しそうな語調であり、
「ん〜ん、ありがとな。」
ルフィは慌てて帽子を頭に押さえると、ぱたぱたと後甲板から離れて行き、その後を追うように華やかな笑い声がどっと沸き起こった。
そのパタパタという足音がやって来たのは上甲板。自分もざっとシャワーを浴び終えた剣豪が、も一度昼寝をしにと出て来ていて、丁度船端へと腰を下ろしたところだったのだが、
「…おいおい。」
すぐ傍にちょこんと座り込んだルフィが何をするのかと見ていると、そのまま…胡座をかきかけていたゾロの腿の片方へ頭を乗っけてコロンと横になったから、
「人を勝手に枕にすんじゃねぇよ。」
「良いじゃん。ゾロも寝るんだろ?」
「そうだがよ…。」
「何か疲れたんだ、俺。だから寝る。」
「疲れたって…殆ど"人任せ"だったんじゃねぇのかよ。」
「そんでも。」
小っちゃな王様におかれましては、お風呂込みの"散髪"というこのイベント、結構気疲れなさるらしい。もともと本気で追い払うつもりなぞなく、胡座をかいていては枕にするは高すぎるだろうと、そーっと前へと脚を伸ばし直した剣豪殿で。もう眸を伏せていたルフィは、寝やすい体勢にしてもらったことで弾みがついたか、そのままくうくうと寝息を立て始める。麦ワラ帽子はいつものアイテムだったが、その陰では…丁寧に洗って丹念に整えられたサラサラの髪が、潮風に遊ばれてふわふわと躍り、普段とはちょっと違った寝顔にも見えて。
"…しょうがねぇな。"
已を得ないという感慨をこぼしながらも、顔は正直なもの。和んだ笑みで満たされていて、
"これは邪魔だな。"
そぉっと帽子を取り除けると傍らへと避け置いて、無邪気に眠る寝顔を見守る。特に我儘を言う訳でもない、どうかすれば今日のように周りが勝手に構っている場合だってある"王様"は、今日も今日とて皆の真ん中にいて。そんな彼が自分からとことこと足を運ぶのは、いつも決まって…大して何かしてくれるでない、不器用者の剣豪殿の傍らだというのが、何だか穿っているような。安らかな寝顔を眺めつつ、自分も大きな欠伸を放った剣豪は、頭の後ろに手枕を組むと、そのままゆったり身を伸ばして自分も昼寝モードへ入ったのであった。…うんうん、幸せよね。
〜Fine〜 01.10.2.〜10.4.
*お子様大王なルフィでございます。
『Kindness』でも展開させましたが、
これがウチの基本ですので、(威張ってどうする)
ちょっと胸焼けしかかりながらも頑張って書いてみました。
すぐ直前にUPした『月夜見・雨』と似たような締め方ですが、
なんか…こういう御時勢だと、
ついつい声高に言いたくもなっちゃうんでしょうね。
何も起こらない、
ただの"昨日の続き"のような平穏な日々こそ大切だって。
めーるふぉーむvv 
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