有明の月


 我らがゴーイングメリー号の中枢部は、メインマストでも舳先の羊さんでも船首船尾の砲台でもなく、はっきり言って…厨房である。舵があるから…というのも理由の一つではあるが、それを除けても全員が必ず足を向ける場所であり、滞在時間も結構長い。何たって食べ盛りの若い衆揃いなことに加えて、シェフ殿の腕がいいと来て、
「お、ルフィ、珍しくゆっくり食ってるなって…お前、何食ってるっ!」
「何って、骨。」
「馬鹿、やめろって。」
「なんで。いつも残すなってうるさいじゃん。」
 ………何か残したことがあるのか、君が?
あはは まるでヤスリで削ったか、それともタワシで洗ったかのように肉をきれいにさらった鷄の腿骨を、がじがじと齧っていたルフィであり、だが、その骨はサンジがとっとと取り上げてしまった。
「あのな、魚の骨ならともかく、鷄の骨は縦に裂けるから食っちゃ危ねぇんだよ。」
 鳥類は空を飛ぶために体を軽くするべく、骨も密度が低い。飛ばない種類の鳥も構造はさして変わらないから、鷄の骨もまたすかすかで裂けやすく、冗談抜きに犬や猫に与えてはいけないとされている。
「ホンっトに何にも知らねぇ奴だな、お前は。」
 取り上げた骨で頭の天辺
てっぺんをぽこぽこと叩くサンジへ、むうと膨れて言い返す。
「知らないことは知らないに決まってんじゃん。」
「お、減らず口を叩けるようにはなったか、このヤロが。」
 台詞だけを聞いていると、かなり柄が悪くて、しかも物知らずなことを肴に、一方的にいじめているかのようにも聞こえかねないが、情景自体を見やれば、どこかのほのほと温かいから不思議だ。どこかキツイ言いようをしながらも、皿が空けば必ず"お代わりはどうするんだ? 次のメニューに行くか?"と構ってくれる。ぱくぱく食べれば"旨いか、良かったなぁ"と笑ってくれる。今も喧嘩腰の物言いをしながらも、すいっと差し出されたのは新しい鷄モモ肉のローストである。船長には甘いねぇ、相変わらず。
(笑)
「ああ、旨かった。ごっそさん。」
 軽く腹八分目でも人の3倍は食う少年で、だのに全然太らないから…世が世だったら妙齢の女性たちから羨望の眼差しで注目されること請け合いな体質である。どこやらの女海賊へのシェイプアップ効果といい、"悪魔の実"って一体。
おいおい 満足し切った表情のまま、ぺたぺたとサンダルを鳴らしながら上甲板へと出かかったところへ、
「こらっ、ルフィっ!」
 今度は航海士さんからの"こらっ"が飛んで来た。ナミからは、ここんトコ怒らずに呼ばれた試しがないような気がするルフィだ。
「何だよ。」
 主甲板から上がる階段の途中で"お小言はごめんだぞ"と口唇を尖らせながら振り返った船長殿の腕を引き、
「ほら、また傷を放っておくでしょう?」
 その腕の外側に短く走る、赤い擦り傷を示して見せる。今朝方、索具にロープをくくっていて両手が塞がっていた彼に、不意な横波で船体が揺れた弾みでぶつかってしまってついたもの。だからこそ覚えていたし、手当てもしてやりたいナミなのだろう。
「ああ。いいよ、こんな小さいの。」
 大したことはないとばかり、ヒラヒラと手を振って見せるルフィだが、
「一応は消毒しとかなきゃ…ここは海の上なのよ? いくらチョッパーがいるからって、感染症とか大病にでもなったらどうしようもないのよ?」
 そうはいかないと力説する。けどまあ、それはルフィに限ったことではないようで、
「大体、あんたがそんだけの怪我を全部寝て治したりするから、ルフィまでが真似するのよ?」
 ナミが声を掛けたのは、午前の鍛練後の汗を流すべくシャワーを浴びて来たらしく、今ここでやっとシャツを着つけたばかりな逞しい剣豪さんだ。まばゆいばかりの半裸に、ビビ辺りは視線のやり場に困っていたようだったが、ナミの方はその胸板の大傷にさえたじろぎはしないから強い強い。
「何だよ、俺の責任になっちまうのか? ああん?」
 その前に"真似"って一体…。けど、話が先走りになるが、冗談抜きにアラバスタでのクライマックスで、戦闘の最中に仮眠取って回復するという離れ業をやらかした船長さんだったりするから、あながちこの非難も的は外していないのだが。それはともかく、
「凄む相手が違うでしょ? とにかく、ルフィはあんたに出来ることは自分にも出来るって思い込みやすいんだから。気をつけてちょうだいね。」
 傷の手当ては諦めたらしいが、言いたいことだけはしっかり言ってからルフィを解放するナミである。キッチンの奥、いつもの後甲板へ向かうのだろうとその細い背中を見送りつつ、ルフィはあっけらかんと笑って見せた。
「あはははは。けど俺、剣術出来ねぇし、三刀流も真似出来ねぇけどな。」
「………。」
 当たり前だって。


            ◇


 午後の上甲板の光景はというと…これが大体は毎日決まっていて、なあなあ遊んでくれよぉとせがむルフィを、よしよしと背中を軽く叩いて宥めすかし、そのまま"一緒に昼寝しような"と持ってゆく剣豪殿で。
「やだっ。今日こそ何かして遊ぼう。」
「何かって?」
「何かったら何かだ。トランプとか。」
「お前、ポーカーもブラックジャックもルール覚えてねぇだろうがよ。」
「じゃあ、じゃあ、えっと、じゃあな…。」
「じゃあ、思いつくまで寝てよう。」
「寝ちゃったら考えらんねぇだろうが。あ、こらっ。寝るなって。」
 最初は船端や手摺りに並んで凭れて話しているのが、向かい合う格好になり、だんだんと詰め寄るルフィをゾロが膝に抱える格好になる。その模様を見るだけで"ああ、またいつもの問答だな。あ、いよいよ押さえ込みに入ったな"と
おいおい遠目にも分かるほど、変化というか進歩というかをしない彼らなのでもあるのがいっそ微笑ましかったりもする。こらこら
「ホント、よく寝る男よねぇ。しかも、滅多なことじゃあ起きないし。」
 キッチン前の手摺りに肘を突く格好で、呆れたような言い方をするナミに、ビビも堪らずクスクスと微笑い出す。何と言っても…一番荒れた"グランドライン最初の航路"で、クルー全員が目まぐるしく移り変わる気候への対処に駆け回っていたそのただ中、余裕で?寝こけていた剣豪の姿を知っている。
「でも、気配には敏感なように見えるんですけどね。」
 何と言ってもそこは剣士だ。しかも"海賊狩り"という異名を、この広大な海に五万といるだろう男どもに広く知られてもいる。一瞬の間合いを読み損ねても生命にかかわるほどの大修羅場を、幾つも幾つも乗り越えて来た彼に違いなく、そんな雰囲気を感じるからこそ、最初につけた"Mr.ブシドー"という呼び方を変えられずにいるビビなのかも知れない。だが、
「買いかぶりよ、そんなの。分かりやすい戦闘の時以外は実はだらしがない怠け者。そうに決まってるわ。」
 こちらは至って辛辣な言いようを譲らないナミだ。男勝りで怖いものはない彼女だから…でもあったが、結構ルフィとおっつかっつな間の抜けたところもある彼だというのを、その眸で沢山見て来たからでもあろう。現に今も、あっと言う間にぐうぐうと眠りについてしまっている彼で、寝つく前に逃げ出しそびれたルフィが、逞しい腕の就縛から抜けられずにうんうんと唸っている様子だし。そんな彼女らの会話に、
「あいつのアレは仕方がないことなんですよ。」
 苦笑混じりに口を挟んだのは、台所の片付けと下ごしらえが一段落したらしいサンジだった。
「? どういうこと?」
「昼寝をしないと身が持たない。あいつ、夜中はいつだって"熟睡"はしてないらしいんですよ。」
「???」
 小首を傾げるナミに、ちょいっと一礼してから…煙の方向を考えて煙草に火を点ける。休憩タイムの一服は辞められないものの、これでレディたちには最大限に気を遣っている彼なのだ。最初の一服の紫煙をいかにも美味そうにゆっくりと吐き出すと、
「夜中はね、浅い眠り…っていうのでもない、ちょっとでも不穏な気配がすれば覚醒出来るような、そういう武芸者なりの寝方をしてるらしい。」
 サンジはそう口火を切った。
「ナミさんたちは知らないでしょうが、夜中にルフィが姿を消すと、まずは奴が気づいて探しに出てる。誰も気づかないままに海に落ちてはヤバイですからね。それ以外にも、思い立ったように見回りに出てったりしてますし、そのうちの何割かは、しっかり敵襲を嗅ぎつけてのことなんですよ。」
「な…。」
 よほど"やばい海域"ででもない限り、夜中の係留中でもあまり見張りを立てない彼らで、それは自分たちの腕っ節を評価してのこと。完全昼型人間のルフィやウソップなどもいるので、この少人数では当番を組んでも夜警の消耗が上手く消化されるとは思えない。全員がゆるやかにくたびれるよりは、いっそのこと、いざという時に全員で当たればよしとそうと構えての処置であり、相変わらず乱暴な人たちであることよ。
こらこら そんな中、今まで大して夜襲に遭ったことがないのを、ナミは単純に"巡り合わせ"、もっと分かりやすく言えば"ラッキー"だと構えていたらしく、
「それは気がつかなかったわ。」
 だとすれば、ビビが言う通り"さすがはMr.ブシドー"ということにもなろう。だが、
「でも、それって何だか。」
「???」
 何か言いかけたビビであり、
「何? どうしたの?」
 言葉を濁した彼女に問いかけると、
「あ、いえ。何だかそれって、Mr.ブシドーって誰も頼り
アテにしていないのかしらって思えてしまって。」
 ビビもまた、人を見る目、分析する洞察力は鋭い。皇族の人間として、随分と幼い頃から早々と大人のような扱いをされもしたろうし、そんな中で…表面的なもののみに収まらない、大人たちの深みのある人間性を把握・解釈するような立場に居なくてはならなかったせいもあろう。そんな彼女の言なればこそ、
「…そっか。」
 ナミへの説得力も大きくて。だとすれば、常にぴりぴりと気を張り詰めている彼だというのだろうか。仲間それぞれ自体は信用しているが、危険な海の夜を任せるには頼りにならないからと、警戒感度を高めた上で、浅い眠りを保って過ごしている彼だというのだろうか?
「つまり、あいつはあたしたちを信頼してないってことか。」
「え…えと、あくまでも想像なんですけど…。」
 力強く握りこぶしを作ってまでして断言されると、そこはやっぱり発言への責任のようなものを感じて怖じけるビビであったらしい。…相変わらずですね、ナミさんたら。
(笑)


            ◇


 さてこちらは。
「…あ、しまった。」
 いつもの如く、やだやだと愚図っていたルフィだったが、今度は寝こけてしまったゾロの腕から抜け出せなくなった。
「あやや…。」
 これはぬかったと"うんうん"唸ってもがいていたが、さすがはMr.ブシドー、眠っていても腕力は半端じゃなく、がっちり掴まえられた態勢は解けそうにない。これは寝相が変わるのを待ってその隙を突くしかないかと、実は慣れてもいることとて、すぐさまの脱出はあっさり諦めて、
"…あれ?"
 間近になった相手の鋭角的な顔立ちに…つい見とれた。いかにも無骨で男臭い顔。自分とは二歳しか違わないというのに、すっかり大人の男という顔立ちだ。だが、彫りの深い眼窩は、深緑の眸が閉ざされて隠れると何だか気難しさが薄くなってやさしい顔になる。こんな明るい場所に晒されているから、刺々しい鋭さが削がれて見えるのだろうか。…いや、
"顔だけじゃないぞ。"
 凄む時は別だが、日頃の声は…例えば目を閉じて聞くとそれは深みがあって良い響きがして、ルフィは大好きだ。今だって"煩いなぁ"と邪険にせず、一応はちゃんと構ってくれていたし、背の小さいルフィやチョッパーがせがめば、温かい手でひょいひょいと気安く抱えてくれもする。ホントは頼もしいその上にやさしい男なのだ、彼は。上手く言えないけど、
"やさしいから強いんだよな。"
 首も肩も太くて広くて大きくて、膝へと上がってる自分を囲うように輪になってる腕も、それは頼もしくて、
"…堅てぇや。"
 黒いバンダナに包まれた二の腕は、指で押しても少しも凹まない。
"あんだけ重いもん、振り回せるんだもんな。"
 日々の鍛練で彼が素振りに使っている重し付きの鉄棒は、おいそれとは移動させられない代物だということで、甲板掃除などのたびにナミやウソップからは邪魔物扱いされているほど。
"大剣豪…か。"
 彼が目指しているのは途轍もない高みだ。こんなに強い彼でもあっさりあしらわれたほどの化け物を倒さねば辿り着けない、正に"至高"の座。
"………。"
 向かい合ったまま"ぽそん…"と胸板に凭れる。麦ワラ帽子の縁が当たって斜めになって、頬が触れたシャツの下には斜めに走る一本の傷。直に見なくとも脳裏にまざまざと焼きついて離れない、ためらいのない真っ直ぐなそれは、彼にとってだけでなく自分にとっても"生死の境"として引かれた線
ラインのようなものだったのを思い出す。

 『絶対にもう俺は敗けねェ!!! 二度と敗けねぇから!!! 文句あるか、海賊王!!』

 手出しをする気はさらさらなかった。彼の戦いだったから。彼の誇りとか矜持とか、それまでに生きて来た中で懸けてきたのだろう色々を出し尽くしての、正真正銘、生命を賭けた勝負だったから。………彼が負ける筈はないと思ったからかと自らに問えば、
"………。"
 今でも即答は難しい。目を背けずに見守る義務があると、あの時はそれしか思えなかったし、呼吸さえ忘れて…何かに魅入られたように見据え続けることしか出来なかったし。ただ…最初から負けることを考えて戦いに臨む馬鹿はそうはいないが、負けた瞬間に潔くその"現実"を呑んで受け入れ、しかもなお、次はないと、もう二度と負けないと『未来の海賊王』へ誓った彼だったのは、独りではないから、見守り見届けたルフィがいたからだったのではなかろうか。
「上手くは言えねぇけど、誰かにやさしい奴ってのはさ、一人分より強くならなきゃいけないんだよな。」
 ルフィもそれはよく知っている。強くならなきゃホントに優しくなんて出来っこない。その場だけの、肌合いだけ柔らかい扱いなんて、ただの"優柔不断"で本当の優しさじゃあない。守るなら全身全霊で、支えるなら信念を賭して。それが本当の優しさだ。腕力だけの話じゃない。勇気が試される時は他にだって一杯あって、誰かの想いを守りたいなら、それを理解し、肯定し、そして支えられるだけの意志の強さが必要になる。夢や懸命な努力を嘲笑う奴らを弾き飛ばせるだけの気力だって"強さ"だ。
「………。」
 確かに、ゾロの一番の目標は"大剣豪"になることなのだろうが、日々の緊張感の根底にあるのは、自分の身の安全を…生命を任せられないと思っている傲慢さではなくて、大切な仲間たちを守りたいとそう思っているから。
「だから強くならなきゃいけねぇんだよな。」
 胸に頬をつけたまま"うくく…"と笑うルフィの頭から、後ろへ転げて脱げかかった麦ワラ帽子。それを受け止めた大きな手があって、
「…うるせぇな。」
「やっぱ、起きてたな。」
 にかりと笑う少年を眇めた視線で見下ろして、
「なんで判った。」
「胸にくっついた時、顔にかかった寝息が変わったからだ。」
「………。」
 えっへんと大威張りで胸を張る。そんな彼の眩しい笑顔が何となく癪で、
「おら。飛ばされっぞ。宝もんだろがよ。」
 小さな頭へぽすっと深く帽子を押し込む。
「あ、こら。何すんだよ。」
 途端、相手が見えなくなって再びもがくルフィであり、片手で良いように扱える彼だということにか、ちょこっとご満悦な顔になった剣豪殿で。………照れ隠しにしても大人げないぞ、未来の大剣豪。


  〜Fine〜  02.1.15.

  *カウンター13500HIT リクエスト
       スカイ様 『信頼』


  *何だか、なし崩し的な終わり方で申し訳ありません。
   これって『信頼』というより『強さ&やさしさ』かも知れませんね(汗)
   タイトルはいつぞやの『真夜中の太陽』と対
(つい)になってたりします。
   ここんとこ、どこか説教臭い話が続いているような気がするのは、
   Morlin.だけでしょうか?(おいおい)
   アニメのアラバスタ編がいよいよ苛酷な旅と戦いへ突入する、
   その緊張感がついつい出てしまうのかも知れません。
   こんな出来になりましたが、
   スカイ様、良ろしかったらお持ち下さいませvv


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