ずっとずっと
…そう。
ずっとずっと気が急いていた。
早く早くと、
急がなければと。
指の間からこぼれ落ちて逃げてゆく砂のように、
留める術もないまま過ぎゆく"時間"。
その"時間"と共に、荒廃し、離散してゆく人々の心。
怒りと義務感。
誇りと使命。
王家を守りたいのではなく、
大好きな国を、人々を守りたい。
《目を覚ましてっ!》
《正しい光を見てっ!》
あまりに小さく非力な自分であることが歯痒い、まだるっこしい。
この両腕を広げて立ち塞がっても、それはまさに蟷螂の斧。
けれど、諦めたくはなかった。
だから………。
「お〜い、ビビ〜〜っ!」
ぺたぺたと草履を鳴らして後甲板までやって来たのは、このキャラベルの船長さんだ。若い乗組員たちの中でも一番幼い少年で、舳先の羊の頭がいつもの指定席だが、時々はこうしてやって来る。大きな眸の無邪気な童顔をほころばせ、
「また話を聞かせてくれよ。」
屈託のない声をかけてくる。潮風になぶられる後れ毛を、そっと追いやるように掻き上げながら、ビビは微笑った。
「ええ。この前は何の話をしましたっけ。」
「えっと、確か…船乗りがイルカになっちまう話だった。」
「じゃあ、今日はそのお話の続きにしましょうね。」
「おうっ。」
甲板の上に直に座り込み、草履の底を合わせるように胡座をかいて、わくわくと大きな瞳をこちらへ向けて来る。
〈なあ、お前、何か面白い話、知らないか?〉
発端は唐突で、
〈俺、ナミみたいにじっと本なんか読んでられねぇんだ。そしたら、お前なら一杯お勉強した人だろうから、沢山お話知ってるかもよって。なあ、何か話してくれないか?〉
〈えっと…?〉
ちょっと省略が多すぎてすぐには判りにくかったが、
〈つまり…ナミさんが、ビビちゃんなら教養があるから色々と面白いお話を知っている筈だ、そういうのを話してもらってはどうだ…と、こいつに言ったんだろうよ。〉
傍らの手摺りに凭れて、風向きを考えてだろう、海の方を向いて煙草を吸っていたサンジが注釈をつけてくれた。それで話は判ったが、
〈え、でも…。〉
あまりに唐突で戸惑った。一番年少だとはいえ、相手は自分と同じくらいの年頃の少年だ。しかも、荒ぶる海に漕ぎ出て"海賊"なんてものを生業にしている人間だ。…にしては、らしくはないところの方が多い、奇妙な"海賊"であるようだったが。それにしたって、そんな人物が喜びそうな話というのには縁がない。痛快な冒険譚や財宝の伝説、獰猛な野獣退治、はたまた血なまぐさい決闘や残酷な戦いの叙述。自分もまた幼い頃から才気煥発、少々お転婆で、どちらかといえば冒険伝説の方が好きではあったが、それにしたってカラーや次元が随分と違うだろうと思った。
〈何でもいいぞ。〉
ワクワクと待つ彼を前に、どうしたものかと戸惑っていると、
〈ホントに何でも良いんだぜ?〉
深い響きの声がして。見やると…主甲板への階段の降り口に、三刀流の剣豪がいつのまにか腰を下ろしている。逞しい肩越しにこちらを見やって、
〈こいつ、俺たちが子供の頃に聞いたような話を一つも知らねぇんだ。海賊になるんだって、そればっかりで頭が一杯だったらしくてな。だから、年端の行かねぇガキに聞かせるような話で充分面白がるぜ?〉
ニヤニヤ笑って言うものだから、
〈何だよ。ゾロだって、大きなカブの話と金のガチョウの話がごっちゃになってて、ウソップに笑われてたじゃねぇかよ。〉
〈そのウソップから出鱈目な話聞くのに飽きた奴が、偉そうにすんじゃねぇよ。〉
………つまり、これまではウソップという狙撃手が色々な面白い話を提供してくれていたのだが、辻褄の合わない話は回を追う毎にどんどんややこしく絡み合い、とうとう混乱を来したので、ここいらでちゃんとした"お話"というものが聞きたくなった船長さんであるらしいのだ。
「………船に索具にからんだ蔓は、やがて葉を広げ、ふさふさとした果実を一杯実らせたの。獰猛な筈の豹は男の子の足元にそっとうずくまり、まるで彼を守るために現れたんだと、黙っていながら態度で示しているようだった。」
話は童話や民話、神話、説話に逸話と、さまざまなジャンルに及んだ。覚えている話にも最初のうちは限りがあって、無難でオーソドックスなお伽話から始まったのだが、少しずつ語っていると不思議と別な話や様々な逸話をどんどんと思い出せた。ところどころが時々曖昧になることもあったが、思い出すまでルフィは黙って待っていてくれる。話の途中で茶々を入れたこともない。急かすでない、だが、期待に満ちた眼差しに見守られていると、なんだか励まされているようでくすぐったかった。ビビのなめらかな話し口調と柔らかな声が好きだと、率直にほめてくれたのも彼だった。
今でも"1日でも、1分1秒でも早く"という気持ちに変わりはないけれど、
地団駄を踏んでも始まらない。
そんなだと擦り切れてしまうよと、
肩から力を抜きなよと宥めてくれる人たちと出会った。
あまりの天下泰平さに、苛立ったり焦れたりもしたけれど、
彼らの言う通り、
泣いても喚いても航路は縮まりはしないのだ。
楽しそうにお伽話を聞いて、自分なりに"馬鹿だなぁ、そいつ"だの"やっぱ悪いことは出来ねぇよな"だの、何ともかわいらしいコメントを出して、
「ありがとな、面白かったぜ♪」
満足そうににこにこといつもの特等席へ戻ってゆく。とっても幼くて単純で、だが、それだけではない…むしろ一番に底の知れない少年だ。バロック・ワークスが誇るオフィシャル・エージェントたちを、何の武器もなく事もなげに倒してしまった。ずば抜けた腕力や悪魔の実の能力があってのことではあるが、ほんの何日かでも傍にいれば、それだけではないと判って来る。
彼の気概は"誇り"に礎を置いている。表面的なプライドや虚栄心のような薄っぺらなものではなく、ともすればその存在が判りにくいほど独特な、若しくは偏屈にも似た強情さで深く根づいた"誇り"であり、しかもそれは自分以外の存在へも向けられる定規であるらしい。そして…他人の誇りであってもそれを不当に犯すものへは猛烈な怒りをたぎらせて、絶対に容赦はしないと激しさを剥き出しにする。真剣や懸命を嘲笑う者は許さないし、大切なことは忘れない。イガラムを倒したミス・オールサンデイを、ただそれだけで"信じるに能わず"と怒りを剥き出しにして接した彼だった。
「…もしかして、あなたへ気を遣ってくれてるルフィなんじゃないかって、思ってない?」
ルフィの背中をぼんやりと見送っていたビビへ、不意に傍らからそんな声がして。振り向くと、この海賊団唯一の女性クルーであるナミがにっこりと笑って見せる。
「あ、ええ。」
見透かされたことへ驚いた。だが、ナミは可笑しそうに微笑って、
「それはないから気にしなくていいわよ。ほんっとに子供なんだから、あいつってば。」
選りに選って自分たちの船長を掴まえてそんな言い方をするナミで、
「あ、でも、国のことを思い出すようで辛いなら、今度からは適当に邪魔してあげるわよ?」
彼女の方こそ気を遣ってくれている。その甘やかな心持ちが、彼ら全員のやさしさを示してもいた。ぶっきらぼうだったり恐持てがしたり、そこは海を相手にする人間だ、強さと逞しさを秘めてもいて、取っ付きにくい面もある。だが、不器用そうな、あるいはざっかけないやさしさからは、ややもすると乱暴なのも過ぎる率直さからのものだと判る。ナミの申し出に、ビビは小さく首を振った。
「ううん。私も落ち着けるから良いの。」
こんなお話を親から子、子から孫と代々語り継いで来た、歴史あるやさしい国。だからこそ救いたい。そんな意欲が静かに静かに、それこそ一枚一枚ページをめくるように塗り重ねられてゆくから…。
今は羽根を休めていても良い。
母国へ辿り着くまで、せめて彼らの底力を分けてもらおう。
美しくも気高い白鳥でなくていい。
どんな風にも時間にさえも、決して萎えぬ、誇り高い雑草であれと…。
〜Fine〜 01.8.17.〜8.18.
カウンター200番 キリ番リクエスト
アリノリ様
『まだ少し麦わら海賊団に馴染みきらない頃のビビ王女』
*ビビ王女は大好きなキャラクターなのですが、
彼女に限らず、女性はなかなか動かしにくいです。
もっと繊細で、もっと奥深くて…と、
ついつい様々なロマンを背負わせてしまうからでしょうね。
なんだか妙な設定になってしまいましたが、頑張りました。
アリノリ様、よろしければお持ち下さい。

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