雨宿り


 その日、我らがゴーイングメリー号は補給のためにとある港町に停泊していた。さほど大きな町ではなかったが、なかなか近代的な雰囲気のきれいな商業中心の町である。石畳の舗道沿いには、大きなガラス張りの窓から中が見通せる小綺麗で明るい店々が連なっていて、日頃なら人通りも馬車通りも結構多いそうだが、その日は朝から曇天で、迷子になりやすい彼らには人通りが少ない分"障害物"が減って助かった。今回の補給は細々したものが多く、そのため全員がばらばらに買い出しに出ていて。ただ、この二人だけは…買い物よりも息抜きというか、どの誰と組ませても邪魔をしそうだったり騒ぎを起こしそうだった船長なので、日頃からのお守り役に"時間を潰していらっしゃい"との指示が飛んだだけの話。
「ルフィ。」
 物珍しそうにキョロキョロとし、正に"お上りさんです"と全身で示しているかのように、あちこちを口を開いて見上げたり覗き込んだりしているルフィで、それでも連れであるゾロの傍からはさほど遠ざからない。これまで迷子になった経験は数知れずな彼だが、ただ、どういう訳だか、こちらも方向音痴な剣豪と組ませるとちゃんと一緒に戻って来る。途中ではぐれても、どういう訳だかこの剣豪はしっかり船長を見つけてしまえる。
〈どういう奇跡かしらね。〉
〈やっぱり愛の力じゃないですか?〉
(こらこら、ビビちゃん)
〈お互い目立つから見つけやすいだけだって。〉
〈マイナス同士が掛け合わさってプラスになるってやつかもな。〉
 口の達者な面子揃いな仲間内からはさんざ言いたい放題されているが、どれもが正解でどれもが間違いだったりする。行動パターンや考え方が根本的に似ているから、ぼんやりと歩くとその道の選び方が同じである。相手を見失ったことに気づくのが早く、すぐさま相手を探そうと集中する。これらが統合され、尚且つ、彼らは信じられないほど"運が良い"ため、あっさり相手を見つけられるのだ。…まあ、最後のは冗談だが
こらこら、こういう"町歩き"の時に、ゾロとはぐれてはつまらないと思うようになったルフィが、やれば出来んじゃんの"自重"をするようになったのも結構大きなポイントで、
「舗道から外には出るなよ? 荷馬車が多いからな。」
「うん。」
 名を呼ばれるとパタパタと間近へ戻って来るところは、まるで散歩中の子犬のようだ。………と、
「…あ。」
 ルフィの麦ワラ帽子のつばが"ぱたた…"と鳴った。
「雨だ。」
 にわか雨にしては雨脚が一気に激しくなったし、空も鈍色の雲を一面に満たして随分と暗い。手近な店の軒先に飛び込んだ二人は、間に合わなくて浴びた滴を肩や帽子から払っていたが、これはどうやら本降りとなりそうで、どこかで雨宿りを考えたほうが良さそうだ。
「ゾロ、此処って何だ?」
 ルフィが、ふと、軒を借りた店というのを振り返ってゾロに訊いた。言われて自分もその逞しい肩越しに振り返ると、かなり大きな顔と目が合う。それは手描きらしき大きな看板で、『ハーバルの丘』というタイトルを斜めに書いたその後ろ、数人の男女が笑っていたり涙ぐんでいたりと様々な表情で描かれている。ということは、
「ああ、映画館らしいな。」
「えーがかん?」
「此処に描いてある映画を中で上映してるんだ。」
「じょーえー?」
 オウムのようにゾロの言うことを繰り返すところを見ると、
「…お前、もしかして映画館とか映画とか知らねぇんじゃないのか?」
「うん、知らねぇ。」
 大きく頷く。しかも、その目が何だかキラキラと活気づいていて、
「………判った。観て行こう。」
 肩を落としたゾロが根負けするのに、さほどの手間暇や時間を擁さなかったのは言うまでもないことであった。


 最初に述べたように、近代的な町ではあるが規模はこじんまりとしていて、映画館もこの1つしかないらしく、しかも現在ただ今上映中なのはバリバリの恋愛ものである。
"あ、これは寝るな。"
 小さなロビーに掲げられたスチール写真と、それらに付けられたあおり文句の羅列をざっと流し読んだゾロは口元を引きつらせつつ即座にそう判断した。ルフィは、まるでホテルのエントランスを思わせるような小ぎれいなロビーに物珍しそうな視線を振り撒き、ちょうど間が良くて、すぐにも次の開始時刻だったためにゾロに付いて入った観客席に、小声で"わぁっ"と驚いて見せる。
「なあなあゾロ、これって乗り物なのか?」
「ああ? 何でだ?」
「だって一杯椅子があるぞ。どこ行くんだ?」
 子供のようなことを訊くルフィへちょっとばかり呆れると、どこか面倒そうに、それでもちゃんと答えてやる。
「どっこも行かねぇよ。前にでっかい幕があんだろ? あそこに映画を映して沢山で一偏に見るんだよ。」
「へぇ〜。」
 あんまり受けがよくないのか、それとも平日の昼間だからか、客の数は目で数えられるほどまばらで、それでもド真ん中は避けて通用口の近くへ陣取る。常に忘れては行けないのが、彼らは一応"お尋ね者"であるということ。こういう人の集まるところへは手配書だって配布されているのだ。やがて場内がすうっと暗くなり、スクリーンに一際目映い光が投影される。画面の大きさと流れて来た音楽の所謂"臨場感"というものに圧倒されたか、隣りからルフィの手が伸びて来て、間の手摺りに載っていたゾロの腕をきゅっと掴んだ。怖いのかと見やれば…大きな眸は画面に釘付けなものだから、そんな横顔を見て苦笑しながらも、ゾロはその手に自分の大きな手を重ねてやったのだった。

            ◇

 ゾロの予想した通り、彼自身は始まって5分も経たない内に睡魔の誘惑に負けて、エンディングのタイトルロールまでしっかり眠ってしまったようだった。良いのか? 剣豪。もう誰にも負けないんじゃなかったのか?
おいおい
「…あ、終わったのか?」
 場内が明るくなったことで終了に気づき、大口を開けて大欠伸を1つ。それから、ひょいと見やると…ルフィはその大きな目を見開いていて、彼の方は途中で居眠るということはなかった模様。内容云々というよりも、初めての映画体験だったせいだろう。
「ルフィ?」
 声をかけられるとハッとしたように我に返り、
「終わったんだろ? 出るぞ。」
「あ、うん。」
 促されて席から立ち上がる。

 上映時間の内に雨はすっかり上がっていて、舗道のあちこちには空を映す水たまり。外気も仄かにしっとりしていて、港町ならではな潮の香がより強くなったような気がする。もうそろそろ船へ戻るかなと、連れを振り返ると、
「…ルフィ?」
 迷子にこそなってはいないが、何やら…無表情になって考え込んでいる。
「どうした?」
 ほぼ慣性で歩いていたらしい船長は、そのまま立ち止まった剣豪の広い背中にぽそんとぶつかって、
「あ…悪りぃ。」
 やっと我に返ったらしい。その様子に、
「何だなんだ? また一体何を考え込んでんだ?」
 緊急事態や戦闘の只中でさえ興味や関心がころころと移る彼のことだ、大したことではなかろうが…と思いつつも訊いてみる。どうせ今夜の晩餐のメニューくらいのことだろうと高をくくっていたところ、
「…あんなのってねぇよな。」
 はい?
「何がだ?」
 言葉足らずはお互い様。とはいえ…いくら良く良く知り尽くしている同士でも、データが足りなくて判らないものは判らない。どこかで雨を避けていた分を取り返したいのか、いやに急ぎ足の荷馬車ががらがらとすぐ傍らを駆けてゆき、その轍の音がまだ余韻を残している中へ、
「誰も悪くねぇのに皆が辛いなんて、そんなのねぇよな。」
 ルフィはたいそうな憤慨を乗せた面持ちでそう言って、真っ直ぐにゾロの顔を見上げてくる。
「………。」
 胸高に組んでいた腕のその片方の手を、やわく握った拳にして自分の顎へと軽く添え、考え込むこと数十秒。
ぽくぽくぽくぽく…ち〜ん
「…もしかして、さっきの映画か?」
 気づいたのはそこまでかい。まあ…ずっと寝こけていたゾロである以上、ストーリーが全然判らないのだからこの反応も無理はなく、
「うん。」
 力強く頷くルフィに、ゾロは思わず頭痛を覚えてため息をついた。



 立ち話も何だからと、しばらく歩いた彼らが辿り着いたのは、港が見渡せる丘の上の公園。垂木を並べて屋根にした四阿
あずまや風のベンチに腰掛け、ゾロはひとまずルフィの口からさっき見た映画の粗筋を掻い摘まんで説明された。お金出して観たばかりの映画だというのに…何やってんだ、あんた。
"…うるせぇよ。"
 雨上がりなせいか、辺りには人影もなく、時々登場人物の名前が怪しくなったり、あちこちへ行ったり来りするルフィの話にも何とか集中出来た。それをまたまた掻い摘まんでご説明するなら、主人公は小さな村に住む女性で、たいそう好き合っている男性がいる。結婚も間近かと周囲も祝福する仲だったのだが、いきなり始まった戦争に男は招集され、戻ったら結婚しようという約束を残して彼は戦地へ。戦争は1年ほどで終わるのだが、男は戻って来ず、彼女の元へは彼が戦死したという訃報が届いた。悲しみの中、数年が経ち、彼女の住む村へは都会から一人の男が教師として赴任して来た。誠実でやさしい彼は、美しい彼女の憂いの理由を知り、日々励ますうちにやがて恋心が育まれ、二人は祝福のうちに結婚するのだが、なんとあの忌まわしき戦争から10年近くも経ったある日、戦死した筈の男が戻って来るという。なんでも、負傷したところを相手国で助けられ、ショックから記憶を無くしていて、この永の年月、ずっと彼女のことを思い出せずにいたのだそうで。それが親友の必死の捜索で発見され、記憶も戻って生まれ故郷へ帰って来ることとなったらしいのだ。だが、その親友とやらは彼女の側の現在の状況を知らず、もう結婚していると知って愕然とする。記憶が戻った男もまた衝撃を受けるが、彼女が幸せならそれで良いと会わずに立ち去り、親友としては彼の悲しみを捨て置けず、つい彼女に全てを話してしまう。彼女の驚愕と哀しみも大変なもので、夫もまた、妻とその男性の胸中はいかばかりかと苦悩する。見事なまでに主要人物たち全てが苦しむ筋立てになっていて、しかも話はそこでぶちっと切れて終わるのだ。観ていたのが Morlin.だったら、間違いなく"金返せ"もんである。
おいおい
"よっぽどの悲観主義者か、それとも無茶苦茶図太い奴が作ったな。"
 そうだねぇ。よくもまあこんだけの不幸を、偶然の名の下にぶち込めたもんだ。誰か一人くらい、真実を胸に秘めて黙っておこうと思った人はいなかったんだろうか。
おいおい とはいえ、こう言っては何だが…良くある筋立てでもある。それどころか、現実にだってこんな話はざらに聞く。戦争の混乱の中では悲劇ばかりが幕を開けるし、愛しているが故に身を引くの諦めるのなんて題材も、古今東西の恋愛悲劇には腐るほど出て来るシチエーションだ。
「映画なんてもんは作り話だ。そんな目くじら立てるほどのこっちゃねぇだろが。」
 ゾロが呆れているのは、話の出来云々よりも、それへと真剣に憤慨しているルフィへだった。ビビから色々と"お話"を聞くようになったせいで、めでたしめでたしで終わらなかったのが不満なのだろうか? 現実世界ではそうも行かないことくらい、彼だって重々知っているだろうに。
「だってよ。何でこんな…誰も悪くねぇのに、皆が皆して哀しかったり辛かったりするんだ?」
「だから…。」
 事項そのものへの理解や把握はあるのだから、頑張れば解釈や説明のしようは幾らでもある。ただ、我らが剣豪殿の口下手・言葉足らずは半端ではないし、随分長いこと"そういうもんだ"で通る大人の生活を続けていたものだから、あらためて子供に判るように説明をするのは容易ではない。いくら大人や大学生でもいきなり教師にはなれないように、知っていることをそれを全く知らない相手へどう伝えるかとなると話が別なのだ。
"くっそー、どう説明すりゃあ良いんだ?"
 ナミやサンジなら問答無用で"そういうもんだ、世の中は"と紋切り型な答えで鳧をつけることだろう。ウソップなら"そうだよな、おかしいよな"と解決に至らない答えを出しても平気かもしれない。ビビなら…やっぱり困ってしまうかも? 但し、彼女が困るのはどういうレベルの説明ならルフィに理解出来るのかであって、取り付く島がないので困っているゾロとははっきり言って格が違う。
"放っとけっ!"
 …怒っちゃイヤン。大方、ゾロとしては、ルフィが傷つかずにちゃんと納得するような答えをベストと考えてしまうため、ナミやサンジのような答えも、はたまたウソップのような構えも自らに持って来られないでいるのだろう。相変わらず不器用な"お父さん"である。
「………。」
 さっきの"だから…"から口を噤んで、眉間に一層の皺を深めて。ルフィと入れ替わるように考え込んでしまったゾロであり、そんな彼をじ…っと見つめていたルフィであったが、
「…ゾロも。」
 小さな声で、ふと、呟いた。
「ああ?」
 まだ何かあるのかと顔を上げて訊き返すと、威嚇にあったように少しばかり戸惑った様子で視線を逸らし、だが、こくりと息を呑んで顔を上げた。

 「ゾロも、迷子になった先で好きな人が出来たら、その人の方を取るのか?」

「………。」
 随分と遠くで野太い汽笛の音が響いた。眼下の港では船の出入りが盛んなようだ。先程の雨をもたらした雲の欠片だろうか。陽射しを一瞬遮って、足元の石畳に落ちた二人の陰のピントを曖昧なものへとぼかす。それが再びするするとくっきりしたものに戻って…しばしの沈黙の後。
「………"迷子"ってのはよせ。」
 違うだろう、ロロノア。
「なあ、ゾロだったらどうすんだ? 迷子になって、そいで凄んげぇ時間が経ってて。傍に優しい人がいてくれたなら、その人の方を取るのか?」
 ルフィはじっとゾロの顔を睨んでいる。今見た映画に"どこかが訝しい"と感じたとはいえ、世間?が言うほど"子供"ではない。だから、今自分で言った仮説のような場合、どんなに永遠の愛を誓った相手がいたとしても、それとは別な人を伴侶にすることも有り得ると、そういう理解は実は出来るらしい。だから…ルフィの本当の不安というのはその先にあり、じゃあ自分たちは? 海賊王になると、世界一の大剣豪になると誓い合った仲間同士だが、不慮の事故ではぐれてしまったら。そしてその先で、ルフィの知らない誰かと出会い、その人が非の打ちどころのない人だったら。今でさえ、ボコボコ抜けていてフォローされまくっている自分なぞ、あっと言う間に忘れ去られてしまうかも知れないのだろうか…と、そんなことを考えていたらしいのだ。そして、

  「………。」

 そんなことはないと、たった一言で良いのだろうに。それでルフィも満足するのだろうに、ゾロは少々目許を眇め、それこそどこか怪訝そうな顔をして見せた。
「…ゾロ?」
 もしかして…何か迷っているのだろうか。これまでは思いもつかなかったシチュエーションだなぁと、そういうことも有り得るかも知れないよなぁと、そんな風に考えているのだろうか。自分から持ちかけておきながら、何だかどんどん不安になったルフィだったが、そんなタイミングへ、

  「ずっと迷子でいる。」

 ……………はい?
「ゾロ?」
 あまりに法外な答えに、さしものルフィでさえ"きょとん"とした。大きな眸を更に見開いている彼へ、ゾロはといえば至って真面目な顔つきで、
「俺はあの"鷹の目の男"をあてもなく捜し回ってた男だぜ? お前とはぐれたら、今度はミホークはひとまず置いといてお前を探す。一生かかってもな。そんだけの事だろ?」
 何をまた、そんな簡単な理屈をあらためて訊くかなと、そう思ったから怪訝そうな顔になっていたらしい。そんな彼に、
"あ………。"
 ルフィは、自分の胸に何かしらぽつんと灯ったものがあると気がついた。温かで嬉しい何か。ゾロの手でこれまでにも幾つも灯されて来た何か。どうしていつもこうなんだろう。この男はいつもいつも、自分がこう答えてほしいと思うもっと上の答えをくれる。そしてその答えは、ルフィの中にちっちゃくて温かな何かを灯してゆく。
「第一、忘れたのか? 俺は道や方向に迷うだけで、お前んコトはいつもいつもちゃんと見つけてんだろがよ。」
 おいおい、威張るな。筆者は呆れたが、ルフィには嬉しい付け足しだったようで、
「…うんっ。」
 大きく頷くと"にっぱー"と最上の笑みを見せるものだから、ゾロの方まで釣られて微笑う。
「さあ、帰るぞ。」
「うん。」
 いくら何でも港はすぐ眼下に見えているし、案内板によれば一本道なので、まずは迷うこともなかろう。
「今日の晩飯、何だろな。」
「さあな。」
「肉だと良いな。」
「そうかい、そうかい。」
 代わり映えのしない会話を、だが、だからこそ幸せそうに交わして、二人は港へ続く坂道を、つかず離れずゆっくりと下ってゆく。…ホントに迷子になりなさんなよ? お二人さん。


       〜Fine〜    01.8.30.〜8.31.

   カウンター1300番 キリ番リクエスト
              カエル様 『悲恋映画を観るゾロル』



  *最初は『愛の迷
まよい子』なんてなタイトルにしようかと思ったんですけど、
   それではあんまりなので考え直しました。
   (ちなみにMorlin.が大好きだったアグネス=チャンが
    若かりし頃に歌ってた唄のタイトルです。)
   (ああ、また年齢がばれるようなネタを振る。)
   Morlin.も映画は大好きですが、
   観るのはもっぱらアクションもので、
   コンゲームものやピカレスクものが特に好き。
   『3人の逃亡者』『二つの顔を持つ女』『殺したい女』は、
   いつもベスト10から外せませんです。(何の話を…。)
   こんなお話となりましたが、いかがでしょうか。
   リクエスト下さったカエル様、宜しかったらお持ち下さい。
  


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