月 食
 

「おや、珍しいな。」
 後ろに回した手枕に頭を載せてはいるが、まだ眠ってはいない剣豪のその腿辺り、ちょこんと頭を載せる格好でルフィがくうくうと眠っている。朝食が済んだばかりのそれは爽やかな時間帯。麦ワラ帽子を日避けに顔に載せ、規則正しい寝息を刻んで熟睡している彼であり、
「いつもなら"遊んでくれろ"ってせがんでる"朝の部"の頃だろによ。」
 そして、いつもなら"遊んでくれ"とせがむルフィを、よしよしと背中を軽く叩いて宥めすかして、そのまま一緒に昼寝しようと丸め込んで、誤間化す方向へ持ってゆくゾロでもある。もっとも、午前中にそれがうまく運んだことはまだ一度もなかったらしいが。剣豪殿はくすんと笑うと、
「昨夜な、月食を見てたんだよ。」
「へぇ〜、こいつがか?」
 完全昼型、太陽電池でも仕込まれているのか、陽が沈めば徐々に運動効率が落ちてゆき、まるで子供並みに一桁台の時間で沈没する彼が、昨夜の…下手をすれば明け方近くまで繰り広げられていた天文ショーを見ていたとは、
「やめてくれよ、槍でも降って来たらかなわんぜ。」
 苦笑混じりに肩をすくめるサンジだったが、現にこうまで眠っている彼を見れば、それも信じるしかない事実なようで。

            ◇

 海のただ中では夜空もきれいに見える。これが電飾目映い豪華客船だとかなら、その明かりが邪魔で折角の好条件が帳消しとなったことだろうが、月の光を唯一の灯火にしている小さなキャラベルの甲板からなら、まさに降って来そうな星々の群れが、見上げるこちらを圧倒せんばかりに頭上に広がっているのが満喫出来る。
「ナミが言うには、11時から少しずつ欠けてくんだって。」
「へぇ〜。」
 昼からの約束で、絶対一緒に見ようなと付き合わされているゾロとしては、月が欠けたり満ちたりするのより、グラスについだ酒へと映り込んだ月を眺める方が好みなんだよと、キッチンからくすねて来たウィスキーだかバーボンだか、随分と強そうな琥珀色の酒を、小さなショットグラスについでちびちびと舐めている。あまりに早く片付けては惜しいのと、匂いさえ嫌うルフィにこれでも気を遣っているらしい。
「絶対最後まで見るんだかんな。ゾロも絶対、先に寝るなよな。」
「…お前ね。」
 絶対を連呼するほど子供だと、訳知り顔で諭す父さん。…などと、短歌を詠んでる場合じゃない。
"大体、毎晩一桁の時間帯に沈没してるのはどこのどいつだよ。"
 おおお。今時じゃあ、幼稚園児だって『ジャングルTV』観てたりするっていうのに? それでも、ワクワクと楽しみにしているものへ、わざわざ水を差すこともないかと、あまり余計な茶々は入れず、二人並んで夜空を見上げていた。

 …で、やはり先にくうくうと寝付いていたルフィをつんつんと突々いて起こす。
「うにゃ?」
 しょぼしょぼな目をこする彼に、
「ほら、見てみ。」
 望遠鏡を手渡し、月を指さすゾロで、
「あれぇ?」
 いつの間にやら…真ん丸な満月だった筈が、爪の先くらいのちょびっとだけにまで減っている。
「凄げぇ〜。」
 そこに連なっている月本体はどういう訳だか鈍い赤みを帯びていて。じっと見ている内には、そのほんの少しだけ白く残っていた部分も闇に飲み込まれてしまった。
「あれってホントに削れてんじゃないんだってな。」
「…まぁな。」
 まさかそこまで物知らずだったのかと絶句しかかり、だがまあ、今更かもなと、もう半分ほど減ったボトルをグラスへ傾ける。
「ここまで見りゃあ十分だろ。」
「やだ、今度は真ん丸に戻るまで見る。」
と愚図っていたルフィだったが、
「付き合ってられんな。」
 う〜んんと伸びをし、ぱったりと甲板に後ろざまに倒れ込んで、目を閉じるゾロだ。
「あ、ゾロっ。ダメだってっ、ちゃんと最後まで見るんだから。」
「今の今まで寝とったろうが。」
「だから、これから起きてるんだって…ゾロも起きてようよ。」
「俺は今まで起きてたからな。交代だ。寝る。」
 そう。ルフィがやっぱり寝付いてしまったのへ苦笑し、一人で酒を傾けながら、さほど関心もなかった月のダイエットをじっと眺めていた彼だったのだ。だが、そんな長い時間をうたた寝でひとっ飛びした側には遠慮がない。
「ゾロっ。起きろよ。なあ、ゾ〜ロっ。」
 ゆさゆさと容赦なく揺さぶるから…だから子供だというんだ、あんたは。
"…あれ?"
 多少の揺さぶりには何の反応も示さないゾロだったが、そんな彼の、間近に見るあれやこれやに、ルフィの方が気を取られた。鋭角的な顔立ち。特に眼窩は彫りが深くて、口許も厳格そうに引き締まっている。眠っているのに、だ。そっと指を突っ込んでみた短い髪。堅いかと思ってたら案外とやわらかい。首も肩も太くて広くて大きくて、しっかりした筋肉の張った二の腕は、
"…堅てぇや。"
 指で押しても少しも凹まない。
「…人で遊んでんじゃねぇよ。」
「あ、起きた。」
 起きるわ、そりゃ。
「なあ、起きてようよ。」
 再びしがみついてじゃれついてくる柔らかな温み。ゆるく揺さぶってくるルフィに、
「………。」
 黙ってされるままになっていたゾロが、ふと、
「…?」
 身を返して来て、起き上がりざまにルフィの両腕を捕まえると、そのまま押し返し、
「…っ!」
 気がつけば見事に形勢逆転して、手首のところで押さえつけられ、甲板へと釘付けにされていた。麦わら帽子がパサンと軽い音を立て、少し向こうへ飛んでいて。
「ゾロ?」
 月はほとんど没した。星があるから闇夜ではないが、こちらへ俯いた剣豪の顔は陰に染まってよく見えない。
「…怒ったか?」
 ルフィへは、嗜め加減に怒鳴ることはままあっても、叱ったり怒ったりということは滅多にしない彼だ。他のクルーたちと同様に、船長へは殊更に甘い彼だからか、それとも言っても無駄だと思うのか。とはいえ、眠いところを邪魔されれば…酒も随分飲んでいたし、理性だとかが普段ほど働かないかもしれない。さしものゾロであれ、これは怒られるかも…と、チラッと思った。
「………。」
 ゾロが見つめていたのは、ところどころに艶を照らせて甲板に散った黒い髪。そのすぐそばで、無邪気な童顔が少しばかり神妙になって、こちらを見上げてくる。その顔に、彼そのものを象徴して据わっているのは、何にも知らない無垢な眸。…そう、自分の胸の裡で時折渦巻いては飛び出しかかるどす黒いものの存在さえ知らず、知らない無頓着さを絶対の武器に、こちらの自己制御を容赦なく刺激し蹴散らす小悪魔の、滲み出して来そうなほど潤んだ漆黒の眸だ。いつからだろうか、この眸に魅入られたのは。海賊狩りが聞いて呆れる。キスの意味さえ知らないガキに、こうまで心奪われようとは。
「…ゾロ?」
 奇妙な沈黙だとややあって気づいたらしく、小首を傾げる彼の瞳の瞬きについ、吸い寄せられた。

 「……………。」

 柔らかな感触は、ただ触れるだけではあまりに名残り惜しくて。少し乾いた表面が、合わさったことで仄かにしっとりすると、その跡を追うように口唇の先の向きを変え、幾度も食
むように口づけた。
「………。」
 身を起こしつつ顔を離し、手首も解放してやった。星明かりの中、ルフィはぼんやりと宙空を見上げている。無言でいられるとそれはそれで気まずくて、そのまま…口づけへとなだれ込む直前の態勢に戻るように寝転がる。
「とっとと部屋ん帰って寝ろ。」
 背中を向けて、ぶっきらぼうに言い放つと、………だが、

 「…やだ。」

 意外な返事が返って来た。
「…はあ?」
 むくっと起き上がる気配がして、だが、そのままそこに居続けるルフィであり、
「月食観るんだ。ちゃんと最後まで。」
 そっと見やると、顔を真っ赤にしていて、唇をきゅっと結んでいて。だが、肩越しに降り仰いだゾロと目が合うと、体を倒してその肩口に額を押し付けてくる。そして、

 「ゾロと観てたいんだ。…朝までずっと。」

 小さな小さな声で囁くものだから、
「…判ったよ。」
 ゆるく息をついたゾロの口許がそれは柔らかくほころんだ。ゆっくりと起き上がると腕の中へと抱えてやる。膝へと抱え上げてやり、囲うように輪にした頼もしい腕が触れると、小さな温みは最初少しだけ身じろぎをしたが、鼻先を埋めた髪の中へ吐息を吹きかけてやると、くすぐったげに笑ってそのまま凭れて来た。
「ルフィ。」
「…何?」
「こっち向いてると月は見えねぇぞ?」


            ◇

「で? 結局"月食"はちゃんと見ることが出来たのか?」
 ルフィ可愛さに何かと気を回してくれる男ではあるが、何も事細かにいちいち報告する義務はない。………それこそ、恨まれるかもしれないし。訊いて来たサンジへ、
「さてな。俺が明け方起きた時は、こいつもぐうぐう寝てたがな。」
 一応は"ホント"のところを言いながら剣豪殿は大欠伸をして見せ、胸高に腕を組むと自分も眸を伏せる。膝にはくすぐったい温もりが一つ。却って眠れないかもしれないなと、我知らずの笑みがこぼれて、そんな彼を怪訝そうに見やったコック氏だった。


   〜Fine〜 01.9.11.〜9.12.

    カウンター2222HIT キリ番リクエスト
              日向花南サマ 『昼寝するゾロル』



  *何だか、昼寝そのものより、
   そこへ至るお話になってしまいましたね。
   いえね、いっつも寝てますんで、ウチの剣豪さんたら。
   …って、言い訳にもなってないって。
   こうしてゲッター様たちの予想を覆して回る、
   一筋縄では行かないMorlin.だったりするのです。(こらこら)
   それにしても、
   最近ウチのゾロさんの必殺技が
   "抱きすくめる"から"キス"へと進歩したのが、
   我ながら気になるなぁ。
   (あ、そうそう。
    作中で消えてるルフィの台詞は、
    あんまりセンスないので隠しちゃいましたが。
    とある方法で浮き出してきますよ?)
   こんなになってしまいましたが、
   宜しかったら日向サマ、お持ち下さいませ♪
  


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